12 「ファンシーデビル」
緑色の魔族。その体が縮こまっていくような錯覚を覚えた。まるで爆発するために圧縮された、風船のように。漏れ出す気体は殺意だ。
そのギリギリのラインでカルンは居住まいを正し、こちらを見やった。
「言いたいこと、ですか。はて……私は貴方に何を言いたいんだと思いますか?」
「俺達が語るべきは、あの脳天気な食欲娘のことだけだろうが」
「はっ、脳天気な食欲娘……ですか」
俺達の視線が真正面からぶつかった。
「その物言いが……私をイラつかせるんですよね」
くっくっく……と、カルンは笑った。笑ってるわりには、全然楽しくなさそうだ。
ざわざわと木が揺れる音。森と川から離れた、狭間のような空間。カルンの立っている場所が歪んで見えた。
「先ほど貴方は、外出に私の許可が必要なのかと問いましたよね」
「おう」
「許可は必要です。私はフェトラス様の第一の部下なのですから、当然でしょう?」
はて……。カルンの中ではどういう力関係が描かれているのだろうか。
問うまでもなかった。アイツの言い様からするに、フェトラス、カルン、俺という順番なのだろう。
「フェトラスとお前は魔王と部下だよな。だったら俺とフェトラスは? 親と子。人間と魔王。第一の部下様にとっちゃ、どっちが正解だ?」
「両方とも不正解です。貴方とフェトラス様の関係は、害虫と王ですよ」
「害虫ときたか。まさかそこまで言われるとはな」
「…………くっくっく」
ぞわぞわと浸食されていく。いいや、きっとこれは錯覚だ。イヤな予感、と呼ばれる根拠のない不安。そんなモノを内々で処理して、言葉を切り返す。
「さて、お前が怒ってる理由だが。俺とフェトラスが黙って森に行ったのが気に入らないんだよな。……寂しかったのか?」
「貴方がフェトラス様を惑わせているのが許せないのですよ」
「惑わすぅ? なんのことだ?」
「あのお方は魔王だ。頂点にして、全てを統べる者。生まれた瞬間から闘い始め、死ぬまで闘う者。殺戮の精霊。なのに、貴方はフェトラス様から事もあろうに“敵”を奪ってしまった」
「それがどうした? フェトラスを守るのが、なにか悪いことのように聞こえるぞ」
「フェトラス様にとって、敵とはエサであり師であり、人生の目的ですらある。貴方はフェトラス様から“魔王”の未来を奪ったのだ。それは……ちょうど、果物から種を抜き取る行為に似ている。存在の意味を汚しているのだよ」
「……………………」
「貴方はフェトラス様を守ると、先ほど言ったな? 何から守るのだ?」
「色々さ。一々数え上げるのもバカらしい」
「では問いましょう。何故、守るのですか?」
「―――それは」
フェトラスを守る理由。どうして俺はフェトラスの親になった?
「可哀相だったからだ。たった一人で、ここにいたからだ」
「同情ですか……涙が出ますね。とんだセンチメンタリズム。ああ、貴方は偽善者の鏡だ―――」
カルンは小さく歯を見せた。笑っている。どんな事を考えているのだろうか。どうして笑っているのだろうか。フェトラスには絶対に向けない、その笑顔。いくら考えても笑顔の理由は分からない。
ああ。コイツに教えてやりたい。『お前、俺の言葉を勘違いしてるぞ』って。
「人間というのは、ある意味において魔族よりも高潔だ。その完璧なまでの薄汚さは、もはや神の芸術と呼べるモノでしょう」
「言ってろ。とにかく、フェトラスは俺が守る」
「それは実に不自然な行為です。あなた方の言うところの神の意志に逆らっている」
「お前に人間の崇める神が理解出来るとは思えないが……聞かせてもらおう。どの辺がそうなんだ?」
「だから、フェトラス様を守るという行為自体が不自然なのです。誰がそれを望んだのですか? 魔王様は……魔王となるべく闘っている。それを邪魔するということは、人の世で語られる摂理から大きく外れている。花に『摘まれるから咲くな』と言っているようなものだ」
「…………どうでもいいが、お前のたとえ話はファンシーな感じのものが多いな」
種を抜き取った果物やら、花やら。実に身近で分かり易い。
花を愛でる魔族……コイツ実は人間には対立的だけど、魔族同士でつるむと弱気キャラなんじゃないか? 想像するとちょっと笑える。
俺の言葉を完璧に無視したカルンはこう続けた。
「つまるところ、過保護なのですよ。フェトラス様が貴方に依存するように仕向けて、自分にとって都合のいい存在に育てようとしている。それが、貴方を害虫と表した理由……ええ、貴方は完璧な偽善者であり、フェトラス様にとっての害虫だ」
「そうか……お前は俺のことをそういう風に思ってたのか」
「ええ。なんなら寄生虫と呼んでも構いませんよ?」
「大差ねぇだろ」
俺は右手で剣の柄を握り、カルンに尋ねた。
「んで、結局どうしたいんだ? さっきからお前の殺気が気になってしょうがないんだが」
「ほぉ。分かりますか。これでも押さえているつもりなのですが」
「……あのな。それで押さえてるって言うんなら、是非とも全開で殺気をぶつけてほしいもんだ。魔族の本気がどの程度か知りたい」
「ご冗談を……」
カルンはそう言って、軽やかに殺気を収めた。
それだけで、唐突に木のさざめきが戻った。
「貴方はフェトラス様のお父上。フェトラス様は残念ながらまだ貴方に依存している。必要としている。貴方を排除するのはフェトラス様が自立なされてからですよ。……それに、絶対に手を上げないと誓いました。この誓約を破棄するにはフェトラス様のオーダーが必要です」
「殺したいけど、フェトラスがいるから殺さない……か。それじゃあ一生俺を殺せないな」
「いいえ。近いうちに、きっと貴方を殺してみせます」
「……フェトラスの意志で、か?」
「もちろん」
カルンは大きな笑顔を浮かべた。初めて見た笑顔とはずいぶん違う。フェトラスに食事の礼を言われた時の笑顔とも違う。もうあの「意外といいな」と思った笑顔たちを、俺は永遠に思い出せないだろう。
魔族の笑顔は俺の脳内で上書きされた。
汚いスマイル。ただひたすらに醜い。
「ねーー!! お父さん、ご飯まだーー!?」
窓から身を乗り出したフェトラスがそう叫んだ。
「あっ、やべ」
俺は慌てて足下の果物を拾い上げて、カルンに言った。
「おい、メシ作るけどお前も食うよな」
「…………はい?」
「フェトラスと遊んでやっててくれ。俺はメシを作るから」
「……………………」
「んじゃ。頼んだぞ」
くるりとカルンに背中を向けた。
「ちょ……まだ貴方は魔族を、私を脅威として認識していないのですか……!?」
無視。そのまま、俺は台所とよばれるスペースに向かい、何事もなく到着した。
今日のメニューは、フルーツサラダだ。今までは丸ごと食っていたが、形の大きいものをカットして、小粒だが酸っぱいヤツをアレンジして、周囲を甘いヤツで彩る。
正直切っただけなのだが、盛るという作業のおかげであら不思議。
「立派な料理だ」
きっちり三人分用意して、材料を使い切った。
「メシだーーー!!」
大声で叫んで、二人を呼んだ。
フェトラスは嬉しそうに飛び出してきて、カルンは無表情のままノソリと家から出てきた。
「わー……きれー」
俺の用意したご飯はフェトラスに好評だった。
「切っただけなの!? すごい、もっと美味しそうに見えるね!」
しまった。明日から毎日こんな風に料理しなければならなくなった。
「美味しい……。甘いのとすっぱいのを一緒に食べると不思議な感じがするね!」
どうやらグルメな彼女の最低基準を上げてしまったようだ。フェトラスの目がポンヤリしてる。
(おのれカルン……余計な手間を増やしてくれたな。お前のせいだぞっ……!)
ここで初めて、俺はカルンを恨んだ。
カルン。緑色の魔族。
モンスターを蹴散らす強さと、フェトラスの強大な魔法を(余波とはいえ)食らっておきながら戦闘力を保持している化け物。
そんなヤツが俺を敵視し、フェトラスの許可さえあれば殺害を試みている。はっきり言って怖い。
だけど、怖いのと、ビビるのは違う。
久々に俺は、ちょっぴりだけ、邪悪な気持ちを抱いた。カルン。お前のせいだぞ? フェトラスと二人で暮らしている時には、こんな感情必要なかった。
「……ま、いいか」
”一瞬”でその感情を処理した俺は、いつもの口癖をつぶやいて、明日のフェトラスの献立を考えた。