4-3 クラティナ・クレイブ
ザファラに到着した私は、緊張感に包まれていた。
というか、この街に至る間にすれ違う多くの王国騎士団達の表情を見るたびに、身体と心はどんどん硬くなっていった。彼らの表情には隠しきれない恐怖が含まれていたからだ。
さもありなん。
怖くて当然だ。
何せ相手は、殺戮の精霊。
思い出すのは魔王テレザム。私の故郷であるユシラ領に現れた災厄。
炎の魔王。
正直、私が気がついた時には戦場のど真ん中で、たくさんの仲間達が死んでいた。
夜を殺す勢いで燃えていた火柱。未だに私は、たまにそんな光景を再現したかのような悪夢にうなされている。
結局、あの場で私がしたことと言えば、端的に言って「魔王テレザムの背中にしがみついた」だけ。
……もっと言葉で飾ってみよう。
自意識を取り戻した私が見たのは、炎。そして魔王テレザムに突撃するロイルさん。負傷した仲間や、多くの死体。殺戮の権化である魔王。身体が死ぬほど痛くて、自慢の髪も焦げたりしていた。何が何だか分からない私だったけど、魔王を倒すたすめに、その背中に飛びかかったのだ。
だめだ。言葉で飾っても虚しい。
いっそ正確に説明しよう。
私はみんなが戦ってる中、全てを魔槍ミトナスに任せて虚無の中にいた。そして目が覚めたら魔王がいて……でも、やはり魔王は怖かったから、正面に立つのは怖かったから、背中に飛びかかるぐらいしか出来なかったのだ。
何が英雄だ。情けない。
何が英雄だ。そんな嘘はいらない。
誰が英雄だ。ロイルさんだ。私じゃない。
だから私は、故郷から逃げ出したのだ。
英雄にされそうになったから。つまり、やってもない事で褒められそうになったから。――――そんな泣きたくなるほど悔しい流れから、逃げ出した。
だけど今の私は逃亡者じゃない。
英雄になりたい者でもない。
私は、シリック・ヴォールになりたい私だ。
そして、今が私の人生の最先端。
恥知らず何のその。今の私はフェトラスちゃんを護るために走っている。
ザファラの街中は賑わっていた。
王国騎士特需、とでも言えばいいのか。宿は大盛況すぎて忙しそうだし、当然のように部屋数は足りないので、野営をしている騎士達がとても多かった。
大人数が生活するために必要なのは食料、水、寝床。
騎士達は遊びに来ているわけではない。だから踊り子や道化師、なんなら墓守までもがパンをこねたり水を運んだりしていた。
人通りは多い。
賑やかでもある。
だけど、笑顔はあまり無かった。
楽しそうな声は、一つも聞こえない。
そんな冷たい賑わい方だった。
ザファラに集結した王国騎士達を取りまとめる仮設本部。
そこにセストラーデ支部の人間として顔を出した際、軽くモメた。
『何故ザークレーではなく、こんな素人をよこしたのか』と。要約するとそういう話しだ。
実際に私は王国騎士ではないので、そういう話し合いに参加する事はあまりなかった。全ては同行した騎士達がやってくれた。……居心地は、正直悪かった。
そして、烙印は押される。
『なるほど。ご高説の通り、その魔槍ミトナスは強いのだろう。それで? そいつは十全に発動出来るのか? なに? 魔王を実際に見ないと発動出来ない? 我々が必要としているのは強い聖遺物ではない。強い英雄だ』
翠奏剣ネイトアラスは弱い。
だけど、ザークレーは強いのだと。
魔槍ミトナスは強い。
だけど、お前は要らないのだと。
『では想定してみるとしよう。お前を連れて戦場に赴く。そして王国騎士達は魔王の軍勢と戦いつつ、お前を護らねばならんわけだ。そしていざ魔王と対面させてから戦闘開始。はっはっは。面白い冗談だ』
殺気の込められた嗤い方。
与えられた役目は『厄介者』
私は、悔しくて涙が出そうになった。
そんな流れもあり、私の真の目的である『魔槍ミトナスの交換』は誰にも持ちかけることが出来なかった。
そもそも失礼な話しだ。
魔王を討伐しに来た英雄達に「別に私は魔王を倒すために来たわけではありません。ただ、貴方の相棒よりコッチが優秀だから交換しませんか」だなんて、言えるはずもない。
ザファラの魔王が討伐されるまで、私の居場所はどこにも無いのだ。
しかしそれはそれとして、この身はセストラーデ支部の戦力の一つ。
ザークレーの代わりは勤まらないけれど、出来る事はしなければならない。
彼から預かった大役。果たせないとしても、ただ逃げ隠れするだけなんて恥ずかしい真似、私は絶対にしたくない。
そんなわけで、私は聖遺物を持たない普通の王国騎士の部隊に編成してもらうよう頼み込んだ。
もちろん最前線ではない。そんな資格を私は有していない。哨戒や街の警備、炊き出しの手伝いぐらいしかさせてもらえなかった。
私は魔槍ミトナスを持ち歩きつつ、哨戒の際は弓を握りしめて探索をしていた。一番得意な武器だ。……結局、使う機会は無かったけど。
聖遺物を持ち歩きながら、まともに戦えない、誰かさん。
編成された部隊の中でも私は浮いた。
別に楽しく和気藹々としたかったわけではないけれど「何もするな」「期待していない」「なんなら宿屋で大人しくしていてくれ」という空気は辛かった。
そんな息苦しい時間を数日過ごしていると、私は一人の英雄に話しかけられた。
「こんばんわぁ」
「……? は、はい、こんばんわ」
「あんさんが、噂の魔槍使いはん?」
妙なイントネーションで話す人だなぁ、と私は思った。
「ええ。そうです。……使いこなせてないですけどね」
「ふふっ。えらい探したわぁ。ところであんさん、どないしてこげな寂れた場所でご飯食べとるん? しかも一人で」
「……私のような部外者がいては、みなさん落ち着かないでしょうから」
「さよかぁ。せやけど、ここはあんまりや。女の子が一人でご飯食べるのは寂し過ぎるでぇ。ちょいちょい、こっち来て。こんな薄暗い場所じゃあんさんの顔もよう見えん」
彼女は私を手招きして、大通り付近に設置されている騎士達の食事場所を指さした。
「あそこでちーと、お話ししましょ?」
クラティナ・クレイブとその人は名乗った。
彼女が英雄であることはすぐに分かった。腰に差している長剣。まさしく聖遺物。
それにテーブルに近づくだけで多くの騎士が驚き、あっさりと席をゆずる姿には畏怖が込められていた。彼女が装備している聖遺物が目に入らなくとも「ただ者では無い」と思わせるだけの雰囲気が彼女にはあったのだ。
「というわけでぇ、改めましてこんばんわ。クラティナ・クレイブと申します。あんさんのお名前は?」
「シリック・ヴォールです」
「シリックはん、ね。じゃあそっちの子は?」
クラティナはひょい、と私が持つ魔槍ミトナスを指さした。素直に名前を教えると、彼女はうんうんと頷いて見せる。
「さよか。魔槍ミトナス。あんさんの聖遺物も魔の字が付くんやねぇ」
「も、と言いますと……クラティナさんの聖遺物も?」
「せやで。うちの子は『魔剣テレッサ』。なぁなぁ、聖遺物なのに魔剣て、なんか変な気ぃせぇへん?」
「は、はぁ……」
やっぱり変なしゃべり方だなぁ、と思いつつ、私は改めて彼女を観察した。
全体的に細い女性だった。指先も、脚も、すらりと伸びている。
髪は肩までのセミロング。ランプの明かりに反射する髪色は紫に近いような。彼女が少し顔を動かすだけでサラサラと流れる細い髪の毛は、なんだかしっとりと潤っているようにも見えた。
気さくに話しかけてくるのだが、その目はどこか冷たい温度を保っているようにも感じられる。
「ええと、クラティナさんは私に何かご用でしょうか?」
「そうそう。そうなんよ。あんさんに色々聞きたいことがあってなぁ? あんた、何しにザファラに来なはったん?」
「何、とは……」
「うん。うちは英雄として、聖遺物を持つ者として、当たり前のように魔王を倒しに来たんよぉ。けどあんさんは違うやろ? 聖遺物こそ持ってるけど、英雄やない。魔王を倒しに来たわけでもない。不思議やわぁ。観光でもしに来たん?」
「それは…………」
明瞭に話すことが出来ない。
観光だって? 冗談じゃない。――――だけど、クラティナの言う通りでもある。私は魔王を倒しにきたわけではない。
というか。
「何故私が魔王を倒しにきたわけではない、と?」
そんな本音は、誰にも漏らしたことがないのに。
「ふぅん……でも、否定はせぇへんのね」
「倒すべきなら、倒します。ですが……私は、今回の作戦ではあまり歓迎されていませんので……」
「ふむ?」
クラティナは首を傾げた。そして面白そうに笑う。
声を落として彼女はささやいた。
「実は、うちらの大将からある程度話しは聞いとるんよ。魔槍ミトナス。代償系聖遺物にして、魔王殺害特化なんていう極レアの一振り」
「……先ほども言った通り、使いこなせてませんけどね」
そもそも、私は魔槍ミトナスを使ったことがない。
気がついたら始まっていて、気がついたらクライマックスだっただけ。私の意思なんてどこにも無いのだ。
そんな内心を知らず、クラティナはこう続けた。
「代償系の聖遺物を使いこなせる人間なんて、そうはおらんよ」
「ですが……」
「代償系とは文字通り、聖遺物に何かを捧げて使わせていただく、という事や。経験を積めば積むほど、詰んでいく。使えば使うほど、壊れていく。そないなもん使いこなせる人間なんて、よっぽどの目的やごっつ強い意志がないと出来へんて」
クラティナは片手をゆるくふりながらそう語った。
「そもそもな、魔王殺害特化やろ? そんなん使いこなそうなんて人間は、この街に留まったりせぇへん。さっさと単騎で魔王を捜索して、そのまま殺し合いになるだけや」
「…………。」
「でも、あんたはそうしてない。この街でじっとしとる。何しに来たと眉をひそめられ、邪魔やなぁ、厄介やなぁ、なんて思われながらも一人でご飯食べとる、さみしー人間や。そないな状況見たら、あんたが魔王を倒しにきたんとちゃう事くらい子供でも分かるで?」
「…………その通りですね」
そんな辛辣な指摘を、私は素直に認めた。
「仰る通りです。私は、魔王を倒すためにこの街に来たわけではありません」
「じゃ、何しに来はったん?」
言ってもいいのだろうか。
いや、言うとしてもどこまで?
魔王フェトラスを護るために、丁度良い武器を探してます?
そんな極大の真実を伝えてしまったら、きっと私は魔王崇拝者扱いされて……いや、ここまでブッ飛んでたら魔王崇拝者もクソもないだろうけど……とにかく、正気ではないと思われるだろう。処刑されても文句は言えまい。
瞬間、私は悩んだ。
とりあえず当たり障りの無いことを言うしかないが、別の聖遺物が欲しい、程度のことは言っておいた方がいいのかもしれない。
「実は」
言いかけた瞬間に、気がついた。
クラティナの目は、深淵の如き絶対零度で私を見……視殺していた。
「実は?」
「………………ザークレーさんが体調不良だったので、恩義ある彼の手助けがしたくて」
「は」
クラティナはポカーンとして、その直後に笑い始めた。
「あっはっはっはっはっはははははは!」
産まれて初めて愉快なモノを見た、という笑い方だった。
「恩義て! はー! どないな恩を感じたら『魔王と戦う』なんて取引が成立するん!」
しまった。ちょっと失敗したらしい。なんて恥ずかしさを感じて私は頬を赤くする。
だけど。
その次の瞬間に、そんな赤味は青に変えられた。
「あのザークレーが、そんな取引すると思ってんのかお前」
殺意だった。クラティナが私に向けたのは。
「!?」
尋常じゃ無い殺意を当てられて、私の身体は反射的に臨戦態勢をとった。
「遅い」
気がつけば、クラティナは魔剣テレッサを抜いており、私の首元にはピタリとその刃が添えられていた。
片刃の、美しい刃だった。
自分の脈拍が数秒停止した感覚。直後、状況を把握すると同時に、そのロスを取り返そうと私の心臓は狂ったように鳴り響いた。
「今からあんさんは嘘を一つだけついていい。一つだけや。二つの嘘を感じたら、うちは自分の直感を信じて、あんさんを殺します。ええね?」
と確認を取られたが、何てことは無い。それはただの命令だった。
一つ嘘をついていい? なにそれ?
状況が把握出来なくて、身体の硬直がはかどる。そしてクラティナは畳みかける。
「質問は二つや。あんさんは人類の敵? そしてもう一つ。あんさんはちゃんと正気?」
ドッドッドと、心音は狂いっぱなし。
だけど私は、みっともなく狼狽えたりはしない。
心音? 関係無い。
私はフェトラスちゃんを護るし、恥知らずにもならない――――!
「人類の敵とは即ち殺戮の精霊。少なくとも私ではない。そして私は、正気です。証明する手段は無いですが」
ほぼ即答で口にしたそれは、意地でありヤケクソの言葉。
だけど嘘は一つもついてない、私の本音だった。
「――――――――ふぅん」
少しの間。そして華麗で流麗な動きと共に、魔剣テレッサは鞘に収まった。
キィン、という金属の心地よい音が聞こえる。
「…………さよか。ん。まぁ信じとくわぁ」
私の首、切れてないよね?
そんな確認をする動作も出来なかった。視線はクラティナに釘付けだ。
「ごめんごめん。驚かせたねぇ。気ぃ悪ぅせんといてや?」
「……………………ッ、ハァ……」
クラティナの口調が戻ると同時、私は呼吸を再開させた。
周囲の王国騎士達が「なにごと!?」という緊張感と共にこちらを見ているのが感じ取れた。
「ああ、ごめんごめん。仲間の戦力把握も英雄のお仕事やさかい。そのついでにジャレついとっただけやらから、気にせんでみんなご飯を食べて?」
質問には答えません、という微笑みを張り付かせたクラティナは「どーぞどーぞ」と気さくなジェスチャーをしながら席に座り直した。
「ほれ、シリックはんも座って座って。お話ししましょ」
「……質問が……いえ、意味不明すぎて何をどう尋ねたらいいのか分かりませんが……とりあえず、私は殺されずにすむという事でよろしいでしょうか」
「あっはっは! 殺したりせぇへんよ。脅してごめんねぇ」
「いや、嘘ついたら殺すってはっきり言ってたじゃないですか」
「ああ。あれねぇ、先輩から教わったテクニックなんよ。嘘ついてええ、って言ったらやましい事情がある人は『どんな嘘をつこう』って考えるんよ。その間とか表情みたいな、反射的反応を見てジャッジするんや」
「ジャッジ……」
「そう。審判。罪人・か・否か。善良かどうかはまた別のお話ってね」
クラティナはふわりと笑って、目を細めた。
「あんさんは、まぁ本当にザークレーから『代わりにザファラに行って』……くれと頼まれたか、行ってもいいと許可をもらったかどっちかなんやろうなぁ。ね、ね、だとしたら聞きたいんやけど、あんさんの恩義ってなぁに?」
「それは」
「あのクソ真面目系ビビリ代表である英雄ザークレーが自分の任務を放棄するなんて、まぁありえへん話しやからなぁ」
「……ザークレーさんとはお知り合いなんですか?」
「ううん。こっちが一方的に知ってるだけ。有名なんやで彼。……それは知らへんの?」
「彼と会ってまだ日が浅いものですから……」
「ふぅん。ザークレーはな、たった一人で魔王の国を落とした事があるんや」
「!?」
硬直した。
申し訳ないが、彼はそんな風には見えなかったからだ。
銀眼の魔王フェトラスと対峙した時、彼は腰を抜かしていた。それに翠奏剣ネイトアラスも、そこまで強力な聖遺物とは思えなかったからだ。
というかそもそも「魔王の国」を個人で落とすことなど不可能だ。
国とはつまり多くの魔族がいて、それを従えるだけの強い魔王がいて。
「あらま。ほんまに知らへんの。まぁ国いうても小規模やったんやけどな。偵察に行って、そのまま落としたって話しやで」
「ま、まさかそんな方だったなんて……」
「報告書も簡素やったからなぁ。一週間がかりで、国のはしっこから一匹ずつ魔族を暗殺して、最後に魔王の寝首をかいたんやと。暗殺っちゅーより……なんて言えばええんやろね。まるで疫病や。ただ本人は『もう二度とやりたくない。そっとしておいてくれ』って言って、報償すら辞退したらしいで。まぁ受け取ると、似たような指令が下って当然やからなぁ」
「それは何とも……」
「せやさかい、彼は国を一つ落とした猛者でありながら、ビビって最前線から引いたヘタレ、って事になっとる。有名な英雄ともなれば二つ名があったりするもんやけど、彼は『国殺し』とか『死神』呼ばれつつ、最終的には『強いはずなのに心が折れた。でもまだ英雄やっとるクソ真面目系ビビリ代表』って呼ばれるようになったんよ。いや、そこまで長い二つ名なんてありえへんから、普通に『あのザークレー』って呼ばれてるんやけどな」
「……今度会ったら、その時のお話しを聞いてみたいものです」
「せやろせやろ。うちもや。だからあのザークレーもザファラに来るって聞いてて、嬉しかったんよ。お話ししてみたいなぁってずっと思っとったから」
せやけど、来たのはアンタやった。
クラティナは目を細め続けている。いま気がついたが、これは笑っているのではない。感情を隠すために浮かべている、仮面だ。
「それで? 話しを戻すけど……どないな恩義があったら魔王と戦えるん?」
私はここで、彼女から許可されていた一つの嘘をついた。
「実は、私の娘が世話になりまして」
それは嘘。だって、まだ娘じゃないからね。
「娘? あら。お子さんがいるとは思わんかったわ」
「ああ、義理の娘なんですよ。そしてザークレーさんには住む場所の斡旋をしてもらいました」
「へぇ。でも、娘さんがおるならなおさら魔王となんて戦ってられへんとちゃう?」
「頼りになる人がそばにいるから、大丈夫です」
「ふぅん……不思議な人」
「ただ魔槍ミトナスはその性質上、ある意味で捨て身の聖遺物です。なので、娘のためにもコレを使い続けることは難しい。これを完璧に使いこなせる人はきっと、魔槍ミトナスと同じく『魔王を殺害する事に特化した人間』であるべきで……」
「ああ、分かった。恩義どうこうは建前なんね?」
「実は、そうなんです」
「ふぅん。ザファラの魔王を倒して、高い金額で王国騎士に売りつけるつもりやったん?」
「いえ、究極の本音を言うと、他の聖遺物と交換していただけたら、と」
「は?」
細かった目が、見開いた。
「引退せぇへんの? 聖遺物持って、まだ魔王と戦うつもりなん?」
「私は……というか、私を使って、この魔槍ミトナスは一体の魔王を屠りました。でもそこに私の意思は無かった。だから、きっと私は英雄ではない。なのに私の家族や仲間は私を英雄扱いしようとする……そんな居心地の悪さを払拭するために、私はちゃんと英雄なんだぞ、って娘に誇れる自分であるために、私は聖遺物が欲しいのです」
「あんた、ほんまに正気?」
ちょっと引きながらクラティナは眉をひそめた。
「なんか、あんさんが難儀な人やって事はよー分かったわ……」
「よく言われます」
私は苦笑いを浮かべつつ、クラティナにだけは伝えた。
「ザファラの魔王が倒された後でいいので、この魔槍ミトナスに相応しい人がいたら教えていただけませんか?」
「そりゃ、交換してくれそうなほど魔王を憎んでるジャンキーは何人か心当たりあるけども……あんさんに使えるかどうかはまた別の話しやで?」
「やってみないと分かりません。そしてやる前から諦めるぐらいなら、私はここに来てませんよ」
「さよか。ほんまに不思議で難儀な人や」
クラティナはスッと立ち上がって、今度こそ本当に微笑んだ。
「面白い。ええで。終わったら何人か紹介してあげる。でも――――その前にうちが死んだらゴメンねぇ」
それは当たり前のように、死を受け入れている英雄の言葉だった。
笑いながらそんな事を言える彼女は、ゾッと私の背筋を凍らせたのだった。
そして同時刻。
クラティナが想定していた魔王殺害特化型人間の一人である英雄が、そっと夜の中を駆け出した。
ザファラの魔王……リーンガルドと呼ばれる者の根城が特定された瞬間、彼はニヤニヤと笑いながら本部を後にする。
名をファーランド・カスク。
聖拳ゼスパの担い手にして、魔王殺しの名声に酔った男。
彼は――――まぁ、結論から言えば魔王リーンガルドに返り討ちにされた。
善戦はした。何なら一瞬追い詰めた。彼は凄腕だった。
だけど、一人だった。
だから、殺された。
彼の物語はそこで終わりだ。
そして彼の聖遺物を引き継いだ者がいる。
運命が回る。交差する。積み上げられていく。
もしもファーランド・カスクが一人ではなかったら。
もしもその手にあるのが聖拳ゼスパでなかったら。
もしも――――いいや、これ以上は無意味だ。
たった一つでもナニカが違えば、運命は変わっていたのだろう。
バタフライ・エフェクト。
奇しくも蝶を喰らった演算の魔王と、邂逅する日は近い。