3-22 世界を貴方の好きな色に
フェトラスはてくてくと歩いて、まずザークレーに近寄った。俺とシリックもそれにならい、そばにいる。
「あのね、みんなにお話しがあるから、ティリファさんとドグマイアさんの近くに来てくれるかな? あの二人は動けないから」
「――――分かった」
ザークレーは完全に戦意を失っており、泣きそうな顔で頷いた。
「あと、あっちにいる三人も呼んで欲しいんだけど……」
フェトラスが呆然としている三人の王国騎士を指さすと、ザークレーは震える声で嘆願した。
「――――頼む。せめて、せめて彼らだけは……」
「ひどい事なんてしないから、大丈夫。信じて」
フェトラスはそっとザークレーの手を取ろうとしたが、彼は大きく震えて「ヒッ」と短い悲鳴を上げた。そしてその手を反射的に下げてしまう。
「…………えっと、とにかくあっちに」
恐怖による拒絶。それを目の当たりにしたフェトラスは傷ついたような顔をしていたが、気丈にも笑顔を浮かべた。
(ぬぁんだコノヤロー。てめぇコノヤロー。こんなスーパー優しくてウルトラ可愛くてハイパー可憐な俺の娘になんて態度取りやがるコノヤロー。殺すぞ)
俺は頭の中で巻き舌気味にザークレーを罵った。
「――――そこの三人。剣を置き、従え」
「で、ですがザークレー様……」
「――――無理だ。お前達も見ただろう。コレは、無理だ」
しゅん、とうなだれた三人はザークレーの命令通りに地面に剣を置いた。
そして、一同はティリファの元に近づく。
すると未だにギラついているドグマイアが叫んだ。
「殺すなら、まず俺から殺せ! 何せこの作戦の言い出しっぺだ!」
「…………ねぇねぇ、お父さん。あんなん言ってますけど」
「言わせとけ」
「無視するな! 俺から殺せ! そんなことも出来ないってのか、銀眼のくせに腑抜けだな! オラ、やってみろよ! 今なら簡単に殺せるかもしれないぞ!」
発狂したかのように叫ぶドグマイアに俺は質問した。
「えっと、死にたいのか?」
「そうだよ!」
「なら、後で勝手に死んでください」
俺は「じゃ!」と片手を上げて、フェトラスをうながした。
「ほら、みんなに言いたいことがあるんだろ」
「うん。えっと、まずはティリファさんに言いたいことがあるんだ」
叫んでるドグマイアは無視。
「……何かな、銀眼」
「今は違うから、そう呼ぶのやめてほしいかな……」
「ふん。やめろと言われてもね。どうせ死ぬんだから何も怖くない。グランバイドを握った日から、こんな時が訪れることは覚悟していた」
潔いセリフだった。まさに英雄に相応しい。
先ほどザークレーに拒否された時のようにフェトラスはシュンとしたが、小さく両手の拳を握って「がんばれわたし」と自分を励ました。
「えっと、じゃあ色々と改めまして。こんにちは、魔王フェトラスです」
「……ティリファ・ラング。三体の『名前持ち魔王』を倒した大英雄だよ」
「その中に銀眼はいた?」
「いないよ……いなかったから、生きてこられたんだろうね」
「そっか。銀眼ってあんまりいないんだ」
「いるわけないでしょ。伝説級なのよ?」
「ふーん……ねぇ、魔王って怖い?」
「……怖いさ。どんな雑魚魔王でも、戦う前はやっぱり怖くて震える」
「わたしは?」
「え?」
黒眼のフェトラスは懇願するように、尋ねた。
「わたしは、怖い?」
「……それ、は」
「見て。いまのわたしを、ちゃんと見て」
「…………」
両手を広げたフェトラスはくるっとターンして、その全身を見せつけた。
「わたしは、フェトラス」
ただのフェトラスがそこにはいた。
「そしてわたしは、魔王。それは間違いない。でも誰かを殺したり、傷つけたり……全てを統べて殺戮してしまうような、そんな精霊に見える……?」
それはシリックと出会った時の質問に似ていた。
「…………」
「わたしね、ずっと思ってたの。わたしは魔王だけど、別に殺戮なんてしたくないなぁ、って」
「……は? 魔王なのに?」
「したい、したくないはさておき、やろうと思えば出来ると思う。たぶん。特に銀眼になってる時は……面倒臭いから、全部吹き飛ばしてしまおうか、って気持ちになったことはあるよ。でも一度もそんなことしなかった。殺戮をちゃんと我慢してた」
「フェトラス、あなた一体……」
「あ、そうそう。念のため言っておくね? わたし、人を殺したことなんて一度もないよ」
ティリファ。ぽかーん。
ザークレー。ぽかーん。
王国騎士三人。「何言ってんだコイツ」という表情。
「……それマジ?」
「うん」
「銀眼なのに?」
「うん」
ティリファは俺とシリックを交互に見た。
「というかだな、こいつは人間だけじゃなく、モンスターすら殺したことがないぞ」
「それは流石に嘘だ」
思いっきり断言されたので、俺はふと考えてみた。嘘かなコレ?
……いや、無いな。うん。ねぇわ。
以前、ミトナスとやりあった時は「殺してしまったか」と思ったけど、ちゃんとシリック達は生きてたし。あれもきっと手加減……我慢してくれていたんだろうな。たぶん。
「虫の一匹も殺したことがない、とは流石に言わない。いちいち足の裏なんて見ないからな。でも殺そうとして殺したことは一度も無いぞ」
「信じられるわけないでしょ、そんなこと……」
まーそりゃそうだな。人間の子供と言わず、猫ですらネズミをいたぶって殺す世の中だ。そんな世界で殺戮の精霊が何も殺していない、だなんて。
我ながら信じがたい真実に気がついてしまった。これはきっと、どれだけ言葉を重ねても信じてもらえないだろう。俺は肩をすくめて話しを切り上げた。
対してシリックは非常に合理的な感情論を述べた。
「私がいま手にしているのも聖遺物です。魔槍ミトナス。魔王殺害特化型の、代償系聖遺物。でも私はこれをフェトラスちゃんに向けない。それは何故か? 簡単です。彼女が殺戮の精霊に、私の敵に見えないからです」
殺すための武器がある。だけど殺すべき敵がいない。
シリックはフェトラスの頭をそっと撫でた。
「私はフェトラスちゃんが好きです。とっても優しくて、可愛くて、素直で。一緒にご飯を食べてると、つられて私もたくさん食べてしまう。だって彼女があんまりにも楽しく美味しそうにご飯を食べるから」
それはティリファも「ま、まぁ……あたしもそうだったけど……」同意した。
ついでに「……ザークレーも、珍しくたくさん食べたもんね」と呟く。
「――――」
急に話しをふられたザークレーは固まってしまった。そんな彼に、気を遣うようにフェトラスが声をかける。
「ねぇねぇザークレーさん。お魚さんだけでいい、って言ってたけどハーブを使ったご飯も美味しかったよね」
「――――」
ザークレーはなんと、ポロリと涙を一つこぼした。
「――――ああ。また食べたいと思ったよ」
「うん。わたしもまた食べたい。ザークレーさんも、明日からはお魚さんだけじゃなくて、色々食べてね。じゃないと元気出ないもん」
「――――明日、か」
ザークレーの瞳に色が少しだけ戻った。
ふと彼は顔をあげて、フェトラスを見つめた。
その瞳に映ったのは、一体誰で、何なのだろうか。
彼は恐怖の視線ではなく、観察の視線をフェトラスに送った。
「……お父さん。ザークレーさんにネイトアラスを返してあげて」
「おう」
躊躇いなし。俺は彼に「ほらよ」とネイトアラスを差し出した。
「――――それ、は」
「お前のだろうが」
「――――ああ。これは私の物だ」
そっと、宝物を抱くようにザークレーはネイトアラスを胸元にしまった。
それだけだった。彼はもう、聖遺物を振るおうとはしない。
「――――完敗だな」
清々しい敗北宣言だった。ザークレーはフェトラスに視線を送り、困ったように笑った。
段々と空気が弛緩してくる。
『自己紹介』が進んでいるからだ。
「えっと、それじゃあ今から魔法を使いまーす!」
弛緩した空気が凍り付いた。
特に、三人の王国騎士達は震え上がった。
「……何をするつもり?」
ティリファが緊張感を隠そうともせずに尋ねる。
「うん。湖のボートの所にまで案内してくれた時、色々お話ししたでしょ?」
「……ああ。そうだね。街の事とか、好きな色とか、くだらない話しで盛り上がったね」
ザークレーとドグマイアと俺の三人、狭い部屋でワチャワチャしてる時の事か。
フェトラスが語るは、俺の知らない彼女の時間。
「あの時、ティリファさんが言ってた事、わたしもボートの上で分かったんだ」
トン、トン、と俺達から数歩離れたフェトラス。
「あの街、セストラーデは素敵な所だった。お刺身がすごく美味しかった。絶対また食べる……って、そうじゃなくて」
フェトラスは気恥ずかしそうに頬をかき、咳払いを一つして口調を切り替えた。
「湖は綺麗で、広くて、太陽の光が反射して街中が輝いてた」
それはまるで、呪文のような賛美だった。
「今までわたし、自分が一番好きな色って考えたことなかったんだ。赤も黄色も緑も青も、みんな綺麗だし、みんな同じぐらい好きだったから」
正しく、きっとそれは呪文だったのだろう。
「でもティリファさんが教えてくれた、一番好きな色」
フェトラスに微笑みかけられたティリファは答える。
「……湖の水面に映る、青空の色」
「その言葉の意味が分かった時、わたしはティリファさんの好きな色が大好きになれたよ」
フェトラスは嬉しそう表情を浮かべ、叫んだ。
「みんなにも教えてあげたくて、この魔法を唱えるね! ――――【空蒼水面】!」
夜の世界に、光が満ちる。
まるで真昼のような、けれども優しい光。
足下には虚像のような、水の幻。
遠く、遠くまで広がるその光景。
その輝く世界の色は二つ。蒼と、白。
鏡のような水面が空を反射させ、空に浮かんだ雲はその雄大な光景にアクセントをつけている。俺達自身の影ですら、その景色の彩りになっていた。
「わ……我ながらすごーい! めっちゃきれーい!」
キャッキャとフェトラスは飛び跳ねている。
実際すごい。
まずめちゃくちゃ広い。空間は果てしなく広がっており、地平線というか水平線が見える。
空の青さは、俺が今までに見たことがないくらい澄んでいて、遠い。
足下の水は幻のようだったが、ちゃぷちゃぷと波音まで聞こえてきて柔らかい。
まるで異世界だ。
そしてこの青と蒼が入り交じる色彩こそが、ティリファの好きな色なのだろう。
「確かに綺麗だな」
「ええ。いきなりだったんで、ちょっと驚きましたけど」
俺達がうんうんと頷いていると、シリックの言葉を拾ったティリファが大笑した。
「ちょっと!? この光景がちょっとだって!? あははは!」
それは英雄ティリファ・ラングの笑い方ではなく、なんというか、俺が知っている「変な女の子」ティリファの笑い方だった。
途端、彼女を縛っていた水の鎖が溶け落ちる。
「おっと、自由になれた」
「もういいかな、って。縛ったりしてごめんなさい」
「あー…………いや、いい。もういい。むしろお礼を言わなくちゃ。フェトラス、氷だけ先に解いててくれたでしょ?」
「うん。寒いかな、と思って」
「…………ははっ。あーあ、やってられないね全く」
ティリファは幻想の蒼色をうっとりと見つめ、手にしていたグランバイドを地面に突き刺した。
「どうかな? ちゃんとティリファさんの好きな色が出せてる?」
「それ以上だ。こんな光景、きっと世界中のどこにも無い。想像以上だ。あたしの好きな色で満たされた世界だなんて、なんかもう気恥ずかしくなるくらい……うん。正直に言うね。いまあたし、感動してる」
全身から力が抜けたように、ティリファは水平線の彼方を見つめた。
「綺麗だね」
それはここにいる全員の感想だった。
「ザークレー。ちょっと聞いていいかな」
「――――なんだ」
「銀眼の魔王が現れた。半径百メートル以内の人間はどうなる?」
「――――全員死ぬ」
「短時間でフォースワードが二つ唱えられた。結果はどうなる?」
「――――地形すら変わる大惨事だ。戦争でもやっているのか」
「ついでに言うなら、ダブルワードも複数唱えられた」
「――――完膚なきまでの蹂躙だな」
「そうだね。全くもって、その通りだ」
だけど誰も死んでない。
そんな光景の中。戒めを解かれたティリファの前に、フェトラスが歩み寄った。
「こんにちは、 フェトラスです」
「……ティリファだよ」
そこには、魔王も英雄もいなかった。
「お父さんが好きです。シリックさんが好きです。食べることが好きで、絵を描くことも好きです。お昼寝も好きだけど、ゲームをしたりするのも好きで」
蒼の中。彼女は両手を大きく広げて、花のように笑った。
「わたしの好きな色は、こんな色です」
スゥ、と。フェトラスが纏う精霊服の袖口に、景色と同じ色が浮かんだ。
小粋なことしやがる。
すとん、とティリファは幻想の水の上に座り込んだ。
「そっか。あなたもこの色が好きなんだね」
「うん! 最初は水に映った青って何だろう、って意味が分からなかったんだけど、ボートに乗ってる時に一瞬だけこの色が見えたの。そしたら、分かったの! 『ああ、この色なんだ!』って! そしたら今まで気がつかなかった色が、たくさんたくさんあるって気がついて、なんかすごく嬉しくなったんだ!」
フェトラスは熱く語った。
それを見てティリファが苦笑いを浮かべる。
「そんで、再現するためにフォースワードを唱えたっていうの? すごいね。すごすぎて意味が全然分からない。アイスを食べるために氷山を買い占めるってレベルで意味不明だ」
「そ、そんなに変な事したかな……」
「まぁ、でも……うん。とても綺麗だ。魔法ってこんなことも出来るんだね」
「えへへ。って、うわぁ!? なにこれ!? 精霊服に色がついてる!」
いま気がついたんかい。っていうかやっぱりお前の意図じゃなかったのか。
「わー! わー! みてみて! 綺麗な色がついてる! すごい! わたしの精霊服すごい!」
小躍りするフェトラスを見てティリファは、とても優しい笑顔を浮かべた。
「――――参った。あたしの完敗だ」
はしゃいでいたフェトラスが聞き返す。
「えっ?」
「なんでもない。……あたしもこの色が好きだよ」
浮かべた表情は穏やかで、実はティリファが見た目相応に幼いのだと俺は気がついた。
そして、全員の視線がドグマイアに向かう。
最初はわめき散らしていた彼だったが、今ではもうすっかり大人しい。
さぁ、最後の自己紹介だ。
「こんにちは、魔王フェトラスです」
そう言って俺の娘は、笑った。