3-21 誰も殺さない瞬殺
最初に動いたのはネイトアラスだった。
リン、リン、リン、と。
まるで小さな女の子が怖くて泣いてしまったような、弱々しい音色だった。
「散開ッ!」
ティリファの吼えるような命令で、三人の王国騎士と、三英雄が散らばる。
それとほぼ同時、魔王フェトラスは片手をそっと上げ、告げた。
「 【虚環硝子】 」
「ぬおっ!?」
俺は不可視の圧力で軽く吹き飛ばされ、後退。それはシリックも同じようだった。
彼女から離れるわけにはいかない。自然とそう考えてフェトラスの元に駆け寄ろうとするが、空気がめちゃくちゃ硬くて、それ以上は指先一つ進めることが出来ない。
「なんだ、これ」
「見えない器、って感じの魔法かな。お父さん達は危ないから下がってて」
そう答えたフェトラス。そうだ、これに似た魔法を俺は見たことがある。かつての住居があった浜辺で、彼女があの最悪の魔法を使った時だ。あの時は闇の環のようなものだったが、今回は透明になっている。
視線を戦場に戻せば、俺達同様に三人の王国騎士達も弾き飛ばされたようだった。魔王フェトラスは英雄以外を除外したのか。ついでに言うと、馬車の側にひかえていた行者は遠く離れた所で「あわわわわ」と震えている。どうやら事情を全く知らない方らしい。まぁそれはさておき。
六人によるフォーメーションがあったのだろうが、それは即座に壊滅させられている。領域内に残された三英雄はジリジリと立ち位置を変えた。
フェトラスに対峙する三名。
先頭には襲撃剣グランバイドを構えたティリファ。
ややおいて、消失剣パラフィックを掲げたドグマイア。
そして最後方に翠奏剣ネイトアラスを抱きしめたザークレー。
「……銀眼、か。マジかよ。どうなってんだこれ」
「――――私が聞きたい」
「しかも今、さらっとフォースワード使ったよね」
苦悩、悲痛、苦笑い。そんな表情を浮かべた面々であったが、各々が構えた聖遺物からは戦意のようなものが見て取れた。
ドグマイアは探るように呟いた。
「ふん。初撃で皆殺しにせず、俺達英雄以外を隔離するとはな」
「危ないからね」
ザークレーは悲嘆にくれた。
「――――分からない。ああ、魔王だ。魔王がそこにいる。なぜだ。なぜ私は、アレが、可愛らしい少女になぞ見えていたのだ。もう無理だ」
「確かに。もう可愛くは、見えないだろうね」
ティリファは深呼吸を一つして、表情を切り替えた。
「街中で戦闘にならなくて良かったよ。銀眼。覚悟はいい?」
「貴方の言う通り」
魔王フェトラスは両手を広げた。小さかった背中が、少し大きく見える。
「セストラーデでこんな事にならなくて良かった」
彼女はいま、どんな表情を浮かべているのだろう。俺はこの見えない壁に穴はないかと悪戦苦闘しつつ、ことの推移を見守った。
ティリファが魔王に問いかける。
「何が目的なのフェトラス」
「目的?」
「ええ。殺戮の精霊。しかも銀眼。でも貴方は誰も殺さなかった。そんな風にも見えなかった。一緒にご飯を食べたよね。ボート乗り場まで案内もしたね。楽しい時間だったよ。だからドグマイアが『フェトラスは魔王だ』って言った時は、『あんなカワイイ女の子が魔王に見えるわけ?』って、反射的にドグマイアの脳みそを心配したくらい。でも……やれやれ。ドグマイアが正しかったか」
こんな事になってほしくはなかった、と。
ティリファは力なく笑った。
「フェトラスはどうして……どうして、力を隠し続けたの?」
笑い方こそ力はこもっていなかったが、その手が握りしめるグランバイドからは闘気が立ちこめていた。それをながめた銀眼の魔王は淡々と答える。
「力を隠した理由、ね。......言うだけ無駄かな。きっと今の貴方には理解出来ない」
「チッ……」
舌打ち一つ。ティリファは雄々しく声を張り上げた。
「何だかんだ、この三人が共闘して魔王と戦うのは初めてかもね! でも出来る! あたし達は英雄だ! その重責を背負う以上、銀眼との交戦は宿命だ! それが今日この時だっただけ!」
それはビリビリと空気が震えるような咆吼だった。
「我らこそ王国騎士! 英雄なりし、聖義の使者! 行くよッ!」
ティリファは大声で吼え、グランバイドの切っ先を魔王フェトラスに突きつけた。
途端、重厚な剣が羽毛のように舞う。
襲撃剣グランバイド。その名に相応しく、凄まじい速度でグランバイドは襲撃を果たした。詰められる距離。それは人間には決して出すことが叶わない速度で、まるで強い磁石が引き合うかのように二人は向き合った。
「 【灰遠】 」
手短に唱えられた呪文。
魔王フェトラスは眼前に灰の山のようなものを出現させ、優しくその勢いを殺した。
灰の山に突っ込んだティリファは目視していた魔王フェトラスを見失ってしまったのだろう。
「!?」
「よっと」
ひょいっと避けた彼女のそばを、やや減衰した勢いでグランバイドを構えたポーズのままティリファは通過していった。
そして見えない壁にブチ当たった。
「ガハッ! ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ、ゲホォッ!」
灰をもろに吸ったのだろう。ティリファは異様に咳き込んで、目をこすり、頭をふらつかせながら立ち上がった。
……えげつない。
そう思った次の瞬間には「 【水鎖】 」と呪文が唱えられ、ティリファは水で出来た蛇のようなものに巻き付かれた。
「あなたが一番怖い。強いし、真っ直ぐ。でもそれだけでしかない。対処が一番簡単だよ。興味深くもなんともない。……顔を洗って、ついでに頭を冷やすといいよ」
優しく声をかけられたティリファは、真っ赤になりつつある目を見開いて、全身に力を込めた。
「ツッ、なめんなぁ!」
「うわ。破られそう? 怖いなぁ。水鎖――――【氷弦】」
あっさりと呪文は重ねられ、氷で出来た縄のような物が、水の鎖に巻き付いていく。いいかなる手段を用いても、もう脱出は不可能だろう。硬度を持った水、という不思議現象に「氷は水よりも硬い」という分かりやすい強化が付与された。
(さっき初めて知った『氷』をもう使いこなしている……)
普段だったら「ウチの娘は天才だな」とかほざいた所だが、今は違う。あそこにいるのは彼女が自称した通り、魔王そのものなのだから。
天才的な魔王……旅をして、知識と経験を積めば、いったいどんな殺戮を可能にするというのだろうか……。
「クッ、うぅ……!」
硬いだけならまだしも、氷はその身を凍てつかせる。
ティリファは苦悶の表情を浮かべ、悔しそうに魔王フェトラスを睨んだ。
「……あれ? 消えてる」
「!?」
即座にフェトラスの呟きを理解する。ティリファの行動に目を奪われてしまっていたが、その隙にドグマイアが消失剣パラフィックを使用したのだろう。その姿はどこにも存在しなかった。
ティリファの表情の種類が変わった。仮初めの獰猛さ……意識を自分に向けさせるための威嚇が消え、残念そうな笑みが浮かぶ。
「気がつくの早すぎでしょ……あたしってそんなに眼中無い?」
「いいえ。さっきも言った通り、この中ではグランバイドが一番怖い。そして――――」
魔王フェトラスはニコリと笑った。
「消失剣パラフィック。あなたは一番面倒くさい」
魔法で作られた灰の山が消えていく。
代わりに生み出されたのは【凍原】。
とても薄い氷が、大地に張られた。
そしてパキリ、と小さな破壊音が聞こえる。
真白く冷やされた大地。そして、音のした方向に視線をやれば、とある地点の氷がひび割れていた。
すかさず唱えられたのは【水鎖】。ティリファを捕らえたのと同じ魔法。
何も無い空間に、ぞわりと水の鎖が巻き付く。
「消失って、どこまでを指す能力なのかな? まず姿と形が消える。それは見ての通り。じゃあ重さは? 体温は? ええ、きっとパラフィックの能力を最大限に使えば、そのどちらも消えるんだと思う」
魔王フェトラスは、その氷が砕けた音がした方向に微笑み続ける。
「でも貴方は言った。代償を払い続ける、と」
『よーし。腹を割って話してやる。俺は個人的な事情でロイルさんを監視したい。その際にパラフィックも多用しちまうだろう。悪いがこれは絶対だ。こいつらがこのセストラーデに滞在すればするほど、俺は代償を支払い続ける』
「どんな代償かは知らない。でもあなたは単独での暗殺じゃなくて、共闘を選んだ。つまり払えるだけの余分な代償を今は持ち合わせていないんじゃないのかな?」
なんだ。
「だったら節約したいよね」
なんだこの理解力は。
「重さか体温。どっちか一つでも残っていれば、わたしには十分だよ」
なぜ初めて戦う聖遺物の能力を、そこまで推理出来る。想像出来る。知っている。
ドグマイアの未だ姿は見えない。
だが、薄く貼られた氷は、一部が確かに壊れている。
それは最早、そこにいると表明しているに等しく、なんの脅威も無い。
「……クッソ!」
フェトラスが魔法を解除する気が無いということが分かったのだろう。忌々しそうにドグマイアの姿が出現した。
「と、縛ってはみたものの、貴方も突破しそうね。パラフィックの能力はちょっと特殊だから……存在をほとんど消失されたら、その鎖も意味が無さそう。ほんと、油断ならないよね」
「なっ!?」
「【糸雷】」
凄まじく細い雷が、ドグマイアの右手を狙い撃つ。
「【封凍】」
痙攣するかのように跳ねた右手。一瞬だけ手放されたパラフィック。そして、それは氷の塊で封印された。
「これで大丈夫。大人しくしててね?」
誰もが呆然とした。
英雄。その言葉の意味と重みを背負うものが、まるで子供扱いだ。
そしてドグマイアはまさしく子供のようにわめき散らした。
「貴様、貴様……貴様何なんだ!? 何なんだ一体! どうして、どうしてそこまで戦闘慣れしている!?」
「戦闘慣れ?」
「強すぎるじゃねぇか! 銀眼ってだけじゃねぇ。聖遺物への対処が早すぎる! 明らかに世界の脅威だ! そんな者が、無名で過ごせるはずがない! そこまでの強さを誇っているのなら、とっくに国家形成しているはずだ!」
ふわりと、銀眼の魔王は首を傾げた。
何を言ってるの? と顔に書かれている。
「……魔王の全ての行動は殺戮に至る。貴様は殺戮という本能を抑圧して、最終的に一体何をどれだけ殺すつもりだッ!」
「…………貴方も、わたしの話しは聞いてくれなさそう」
ふっ、と。興味を無くしたかのように魔王フェトラスはドグマイアから視線を外した。
そして離れた所で震えているザークレーを見つめる。
「――――クッ!」
その手が持つネイトアラスは、ずっと、ずっと鳴っていた。
リン。リーン。リン。リリン。リーン。色々な音色を立てて、戦っていた。
魔王フェトラスは自らが貼った氷の膜を、パキリ、パキリと踏み砕きながらザークレーに近寄る。
「やめろ、おい、やめろ! ザークレーに手を出すな!」
ドグマイアが必死の形相で叫ぶが、魔王フェトラスは止まらない。
「そいつは、本当なら戦いたくないヤツなんだ! 殺さないでやってくれ! 頼む!」
「知ってるよ」
魔王フェトラスは、ザークレーの眼前に立った。
「翠奏剣ネイトアラス。あなたは論外」
「――――う、うああああ!!」
ザークレーは裂帛の気合いを、ありったけの勇気を込めて、叫ぶ。
そしてその短剣を振りかざし、魔王フェトラスに迫った。
「あなたは一番、優しい」
精霊服。持ち主を護る、命無き意思。
フェトラスの精霊服は右半身だけを黒く染め、硬化。そしてネイトアラスによる一撃を防いだ。
「その音色。眠くなるっていうよりも、弱体化に近いのかな。その音色を一つ聞くたびに、力が発揮出来なくなっていく。でもそれだけ。湖の水をコップで掻き出してるようなものだよ」
「――――だめ、か……」
「戦いに……聖遺物に向いてないよ、あなた」
「――――あ、ああ……ああ……」
「貴方は縛る必要も無さそう。だから、これだけもらっておくね」
魔王フェトラスは穏やかにそう言って、腰を抜かしたのであろうザークレーからネイトアラスを奪い取った。
それはザークレーが戦意を消失していたから、というよりは呼吸の合間を狙ってかすめ取ったような、鮮やかな没収だった。
反射的にザークレーが手を伸ばす。
「――――か、返し……」
「わたしね」
銀眼の魔王は、彼を見つめた。
「わたし、あなた達聖遺物に負けることはあっても、貴方達人間に負ける気はぜんぜんしないよ」
「――――」
銀眼にのぞき込まれたザークレー。
コヒュッ、と。呼吸の仕方を忘れたような吐息が聞こえた。
こうしてザークレーの戦意は完全に殺戮されたのであった。
終わった。
終わってしまった。
ティリファは氷で縛られ。
ドグマイアはパラフィックを封じられ。
ザークレーはネイトアラスを奪われた。
終わってしまった。
こんなもの、戦いですらない。
全員が殺すために動いたのに、その全てを魔王フェトラスは軽やかに受け止めた。
彼女は攻撃すらしていないのだ。
灰の山を作り、封じた。
薄い氷を大地に作り、封じた。
それで終わりだ。
あまりにも一方的すぎる。誰も殺していないが「瞬殺」としか表現出来ない。
これは戦いではない。
では何だ? 適切な言葉が浮かばない。
ああ、実際ドグマイアの言った通りだ。
強すぎる。
賞金首は、殺すよりも生け捕りにする方が難しい。
そして魔王フェトラスは、英雄を全員生け捕りにしてみせた。
もう一度言おう。強すぎる。
「…………?」
最早誰も戦えない。しかし、魔王フェトラスは誰も殺さなかった。
そして未だ、見えない壁は展開されている。
今から、何が始まるというのだ。
怖くなった俺は思わず彼女の名前を叫んだ。
「……フェトラス! フェトラス!」
「ん? なーにお父さん?」
ぱっ、とこちらを振り向いたフェトラスは、既に目を黒に戻していた。
「んんん!?」
「わーい。勝った勝ったー! 完全勝利ー!」
ブイっ! と指を二本立てる彼女。にひひ、と笑うその姿はまるで子供だ。いや実際子供なんだが。
てってってとこちらに駆け寄ったフェトラスは、満面の笑みを浮かべた。
すぐ近く。壁の向こうで笑っている。
「見てた? 見てた? すごいでしょ。上手に出来たでしょ」
「じ、上手って、お前」
「テレザムさんの時にも言ったじゃん。わたしも何か出来る、って」
「あ…………」
「どうかな? どうだった? わたしもやれば出来る子って、分かってくれた? 誰も殺さないで、戦えたよ」
俺の視界が、涙で揺れた。
「戦うなってずっと言われてたのに、勝手に戦ってごめんなさい。でも、ほら……わたし、上手に出来たよね?」
フェトラス。
「えっと……だから……」
少し言いよどんだ彼女だったが、やがては精霊服の裾を握りしめながら、はっきりと宣言した。
「きっとわたしは、これからもこういう事するんだと思う。正直に言うね。自分でもやれるって自信がついちゃった。だって予想以上に簡単だったんだもん。だからユシラ領での時みたいに、お父さんの帰りを独りでずっと待つのは、もう無理だと思う」
英雄三人と相対して、簡単とはよく言えたものだ。俺はそんなことに少し驚いたけど、そんなことは全然重要じゃなかった。今はただ、勇気を振り絞って告白する彼女の表情に見とれていた。
「きっとわたしは待ったり応援したりするだけじゃなくて、自分でも戦うんだと思う」
ごめんなさい、と彼女は頭をさげた。
「わたしは戦う。自分のために、お父さんのために」
「フェトラス……」
「魔王だから嫌われて、銀眼だから恐れられて、殺戮の精霊で……人間じゃなくて」
フェトラス。お前。
「戦うなってお父さんの言いつけも守れない、悪い子」
「だけど」と言って彼女は一度うつむいた。
「……だけど!」彼女は顔を上げて、下唇を噛んだあとに、こう尋ねた。
「こんなわたしだけど、これからもお父さんの娘でいて、いい?」
その震える声を聞いた瞬間に感情が爆発し、俺は見えない壁を全力で殴りつけた。そして、それを受け止めて壁は砕け散る。
俺は彼女に駆け寄り、そのまま抱きしめた。
「いい、かな。聖遺物に狙われたり、たくさん心配とか面倒とかかけるけど」
「いいに決まってるだろうが!」
「本当? これからも大変だよ?」
「舐めんな。俺を誰だと思ってやがる。お前のお父さんだぞ」
「……えへへ。でも本当にいいの? ご飯とかいっぱい食べるよ?」
「くだらねぇ心配なんかすんな。好きなだけ食わせてやるよ」
「ものすご~~~くいっぱい食べるよ? お金大丈夫?」
「笑わせんな」
俺はボロボロと泣きながら答えた。
「ううん。これからもたくさん笑ってもらう。楽しく幸せで元気に笑ってもらう」
フェトラスはそう言った。
「覚悟してよね」
どうやら俺は、もう娘には色んな意味で勝てないらしい。
「シリックさんも、心配かけてごめんなさい」
「本当よ。すごく、すごく心配だったんだから……」
「ごめんなさい。でもほら、誰も殺さなかったでしょ?」
「私が心配したのは、フェトラスちゃんが怪我することよ」
「…………ありがとう」
フェトラスはシリックを抱きしめて、嬉しそうに頬ずりした。
やがて二人は離れ、フェトラスは俺にネイトアラスを差し出した。
「えっと、じゃあちゃんと終わらせてくるから、これ預かっててもらえる?」
「あ、ああ……別に構わないが……終わらせてくるって、今から何をするつもりだ?」
「えっ。わたし言ったじゃん」
そして彼女は、俺の中にあったささやかな疑問に答えてくれた。
これは戦いではない。
これは。
「自己紹介だよ」
(コミカルパート)
ロイル「お前が銀眼になった時は焦ったぞ……」
フェトラス「え。なんで?」
ロイル「いや、だって」
フェトラス「ま、まさかわたしがみんなを皆殺しにするかと思ったの?」
ロイル「…………」
フェトラス「ひどくない!? 普段のわたしを思い出してよ! わたし、そんなことする子!?」
ロイル「いや、だって銀眼状態だったし……」
フェトラス「ひどい! わたし、かなしい! つらい! アイス食べたい!」