3-16 完璧な光景は儚く哀しい
ドグマイアは普通にハンバーグを食べた。
もりもり食べた。本当に腹が減っているらしい。
その間、俺は堂々とザークレーに問いかけた。
「この英雄サマは何なんだ? いきなり人に聖遺物を突きつけたり、一般市民に殺害予告を突きつけたり。なんか人格が破綻してないか?」
「――――私も驚いているところだよ、ロイル。ドグマイアは変わった男だが、別に狂気的な男ではない」
「いやいや。強烈だろ。この部屋で何回殺されかけたんだ俺」
「もぐもぐ」
「かと思いきや、平然と飯は食うし……何かもうマジで怖いから、正直言うとこの街から出たいんだが」
「それは、もぐ、できない、もぐ」
「――――食い終わってから喋れ。ドグマイアが食べているうちに話しをまとめよう。とにかく私としては魔槍ミトナスを要求する。見返りは金貨三百。その交渉をシリックに持ちかけるが、勝算はあると思うか?」
「たぶん無理だと思う。……だけど、その商談が難航してる間に暗殺されたらたまらない、という所が本音だな。そもそも何故俺を狙うんだ?」
「もぐもぐ」
「そこは答えないんだな。マジで意味が分からん……」
俺は懐からナイフを取りだして、それをテーブルの上に置きつつ手を添えた。
英雄二人はそんな俺を見ても慌てない。
「だから分かる所から話そうと思う。英雄ドグマイア。そのレイピア……聖遺物のことを消失剣と呼んでいたな。そして見ただけで分かる能力は、その二つ名の通り『消失』だ。パラフィックの能力を使っている間、姿を消すことが出来るってわけだ」
「――――」
「そして恐らく、ザークレーの対応から考えるに代償系の聖遺物」
「――――」
「姿を消し、不意打ちでの一撃。まさしく暗殺特化だな」
「――――」
「ごちそうさま」
パンに挟んだハンバーグを食べ終えたドグマイアに俺は向き直る。
「俺の仮説に採点するとしたら?」
「おおむね正解なんじゃねーの? 知らんけど」
ヘラヘラと笑いながらドグマイアは口元のソースを指でぬぐった。
「っていうか、なんでわざわざ能力について尋ねるんだ? 襲われた際の対応策でも考えたいのか?」
「違ぇよ。ザークレーは俺達がミトナスを持ったままこの街を出て欲しくない。俺達は別の聖遺物が欲しい。だったらどうする? どれと交換するか考えて当然だろうが」
「呆れたもんだ。魔王が怖いから聖遺物が欲しいって、すごく変なこと言ってる自覚あるか?」
「これでも英雄もどきだからな」
「魔王が怖いなら、魔王から逃げればいいだけだろうが。サヴァナ期以前ならいざ知らず、今の世の中はそんなに魔王がウロつき回ってる時代じゃないだろ?」
「サヴァナ期とか久々に耳にしたな」
それは兵士としての座学で学んだ単語だった。
簡単に言うと、魔王がめっちゃいた時代のことだ。
月眼を抱いた大魔王が倒されて終わった、人類史の重要な一ページ。
まぁそんなことはどうでもいい。
「魔王は確かに怖い。でも逃げ切れなかったら? その時に足掻けるだけの聖遺物が欲しい」
「いや逃げろよ。そっちの方が生存率高いだろ」
む。これはよくない流れだ。
俺の本音……フェトラスを護るために、強力な武器が欲しい。
ソレは即ち、フェトラスの敵を討つ力。
ソレは即ち、魔族や魔獣ならまだしも、人類と戦う力、という意味も含まれる。
こんな本音を口に出すわけにはいかない。
「……俺は逃げるが、魔槍ミトナスの所有者であるシリックは違うんだよ。ああ、だからさっきも言っただろ? 俺はシリックに魔槍ミトナスを使ってほしくない。せめて使うのならば、別の聖遺物を……」
「ならそのシリックが王国騎士に入隊すればいい」
快刀乱麻だった。
まさしくド正論。
「そうすりゃ魔槍ミトナスは王国騎士団の所有物になる。その提出の条件として『他の聖遺物への選別の義に優先的に選出する』とでも契約しておけば、全員がハッピーじゃないか」
やばい。正論過ぎて反論しづらい。
そう固まっていると、ザークレーがこう呟いた。
「――――私としては、もういっそ魔王や聖遺物になぞ関わるべきではないと思うのだが」
「へぇ。ザークレーはそう思うのかい」
「――――家族がある者は、魔王と戦うべきではない」
「ふむ……ま、それもそうなんだけどな。ついでに言っちまえば、人間はそもそも魔王と戦っちゃダメなんだろうけど」
そして部屋に沈黙が。
気を利かせた店員が「あのぉ……お茶のお代わりとか……」と顔を覗かせたが、俺達の真剣な表情を目の当たりにして「失礼しましたぁ……」と小声で去って行った。
そしてドグマイアが「とりあえず、飯も食ったし出るか?」と提案する。
「――――どこに行くのだ?」
「いや普通にラチがあかないだろ? とりあえずシリックを王国騎士に勧誘してみようぜ。魔槍ミトナス。確かに逃すには惜しい聖遺物だ。このまま野郎三人でうんうん唸ってもしょうがねぇ。ロイルさんもそれでいいだろ?」
「……俺を殺すとか何とか言ってた事に関しては?」
「気が変わったわけじゃないが、とりあえず保留にしとくよ」
なんの保障もない、安い言葉だった。
しかし俺はそれを信じるか逃げるかの二択しか持ち合わせていない。
外に出ると太陽が大きく昇っていた。どうやらかなりの時間をあそこで過ごしていたらしい。
「さて、フェトラス達はどこにいるんだか」
「観光ってたから、とりあえず中央区だと思うぞ。あのお嬢ちゃんはボートに乗りたがっていたしな」
ドグマイアが気さくに答える。抜き身だったレイピア、消失剣パラフィックはきちんと鞘に収められていて、一見すると優雅な貴族にも見える。
聖遺物、か……。
「なぁ、ドグマイアはずっと俺達を監視してたんだろ?」
「おう。ほうれん草のソテー持ってきた店員と一緒にこっそり入って、な」
「……なら、ザークレーが言っていたことはどう思う?」
「はて。どれの事やら……と惚けても時間の無駄か。あのお嬢ちゃんのことか?」
「……そうだ」
「まぁ概ね、ザークレーと同意見だな。ただ少なくとも俺の敵じゃないと見るね」
俺はため息をつきながら嘘も一緒に吐き出す。
「あんな可愛らしい女の子が、誰かの敵になるわけないだろうが」
「確かに。まぁ俺はあんまり気にしてない。ザークレーはネイトアラスが起動しちまったからビビってるだけさ。聖遺物が誤作動を起こす、なんて事は聞いたことないが、そもそも人間が聖遺物を十全に理解しているとは言いがたい」
ふと、その瞬間。俺にはドグマイアの年齢が分からなくなった。若く見えるが、逆に永遠を生きているかのような深いモノを俺は感じ取った。
「……お前、実際いくつなんだ?」
「年齢か? うーん。俺は嘘が嫌いだから、都合の悪いことは黙ることにしてるんだ」
「年を聞かれるのは都合が悪いのかよ」
「あっはっは。今のは俺の言い方も悪かったが、油断ならない男だなロイルさんは。人の揚げ足を取るのが上手いってことは、敵の隙をつく才能があるって事にも繋がる」
ドグマイアはヘラヘラと笑って「殺すには惜しい」と言った。
「頼むから止めてくれよそれ。王国騎士に命を狙われるとか、冗談キツいぜ」
「――――そうだぞドグマイア。なぜそこまでロイルに言うのだ? いや、そもそも何故パラフィックを使ってまであの場にいたのだ」
「都合が悪いから、それについては返答しない」
「――――いや、答えてもらおう」
太陽の下。人通りの中。ザークレーはドグマイアに向き直った。
「――――それはネイトアラスが起動したことと、関わりのあることなのか」
「それは関係無い、と答えておこう」
ザークレーは、基本的には英雄の名に相応しい資質を持つのだろう。街の安全。魔王討伐。平和を望む心がちゃんとあるようだ。だが戦闘意欲が旺盛なわけではないらしい。その証拠に、あの宿屋で彼は俺達三人を皆殺しにするのが手っ取り早い、などと言いつつ、結局はフェトラスと一緒に飯を食ってくれた。
ではドグマイアはどうか。
正直言って、得体が知れない。
つかみ所が無いというよりも、何を考えているのか分からない。それは意味不明という事では無く「俺の知らない事を知っている」ような感じだ。彼の言動を理解するには情報不足ということだ。
そんな、共通点を探すのが難しい性格を有した二人。だけど彼らにはきちんと信頼関係があるらしい。ザークレーが問いただした「ネイトアラスの起動と、ドグマイアの異様な行動には関係があるのか?」という事柄をドグマイアは短い言葉で否定した。それで話しは終わってしまったのだ。
「――――そうか。なら、いい」
「おう」
いいわけねぇだろ、というのが俺の感想だ。
異常事態に異常事態が重なっているのだ。何か因果関係があるはず、と疑ってしかるべきだ。だけどザークレーは納得した。
王国騎士団の会話とはとても思えない。
だが突けばやぶ蛇。俺はシカトを決め込むことにした。
けれども少しずつ追い詰められていく感覚が確かにあった。
日が昇った湖の街・セストラーデ。
輝きは反射し、街中が煌めいている。
その美しい光景の中、中央区の巨大な湖でボート遊びに興じている観光客達。
探すまでも無く、ティリファは湖のほとりに腰をかけていた。
「よう。うちの娘はどこだ?」
「んー? ほら、あっちだよ。二人でボートに乗ってる」
指さされた方向を見ると確かに。ボートをこぐシリックと、身を乗り出して水面に触れているフェトラスの姿があった。
「あああ危ない危ない。落ちる落ちる! フェトラスー! あんまり湖をのぞき込むな! 落ちるぞ!」
慌てて大声を張り上げて注意を促すと、それに気がついたフェトラスがブンブンと大きくこちらに向かって手を振り替えした。遠巻きでも分かるくらい、楽しそうな笑顔だった。
クスッと、ティリファの小さな笑い声が聞こえた。
「ロイルさんはフェトラスのことが本当に大事なんだね」
「まぁな」
「いい家族だ」
よいしょ、と言いながらティリファはグランバイドを杖代わりにして立ち上がった。
「……しかし、すげぇ重そうな聖遺物だな」
「重い。めちゃくちゃに重いよ。でもまぁ仕方が無い。これがグランバイドなわけだし」
「体格に見合ってないが、使いこなせてるのか?」
「あはは。大きなお世話かな」
振り返った笑みは、ちょっぴり凄惨さを含んでいた。
「そりゃ確かに完璧に使いこなせてるとは言いがたいかもしれないけど、グランバイドはあげないよ。あたしの大切な聖遺物だ」
「……すまん。そういう意味で言ったんじゃなかったんだが」
「うぃ。気を付けてね。あたしにも英雄としてのプライドってやつはあるから」
「本当にごめんなさい」
俺は素直に頭をさげた。そりゃそうだ。ティリファは女性だが、魔王殺しの英雄。そんな者に対して「大丈夫? ちゃんと魔王と戦える?」みたいな事を聞くのは失礼を通り越して侮辱であろう。
俺の謝罪を受け取ったティリファはフッと笑った。
「ねーねードグマイア。いつの間に合流したの?」
「聞いて驚け。実は割と最初からあの飯食ってる部屋の中にいた」
「パラフィックを使ったの!? なんで!?」
「必要かな、と思ったからに決まってる」
「…………フェトラスに関係する?」
「お前ら本当に同じ事聞くよな。ちょうどいいや。この街の三英雄が揃ってる今、はっきりと宣言しとく。俺はフェトラスを敵視してない」
その言葉で、ザークレーとティリファは少しだけ力を抜いた。
「どっちかっていうとロイルさんの方が問題かな」
「え、そうなんだ。なんで?」
「個人的な事情を含むから内緒だな」
個人的な事情、ときたか。ますます分からない。
「……俺、お前とどっかで会ったことでもあるのか? 戦場か何かで?」
「さて、どうかな」
「…………」
聞いても無駄、というのはもう何となく分かっている。俺は両手をあげて降参した。
「じゃあ話しを戻すが、とりあえずシリックに王国騎士入隊を勧めてみる、と」
「――――まず魔槍ミトナスの売却を提案してみるとする」
「分かった。どっちにせよ俺はドグマイアが怖いから、今日中にはここを離れたい」
「そんな冷たいこと言うなよ~。もうちょっと観察すれば、殺さないで済む道も見つかるかもしれないぜ?」
「あのな。何故お前が俺を殺したがってるのかも分からない状態で、何をどうすりゃいいってんだよ。せめてヒントよこせ」
「ヒント。ヒントか……そうだなぁ……おいティリファ。お前にはフェトラスがどう見える?」
「ちょっと変な子、かな? でもまぁ良い子だよ」
「ザークレー。お前は?」
「――――複雑だ。天真爛漫にも、傲慢にも見える」
「お前の答え方の方が複雑だわ」
そう言って笑うドグマイアに、俺は尋ねた。
「……ちなみにドグマイア。お前はどうなんだ? 敵視してない、とは言っていたが、俺にはそれが不穏な表現に聞こえるんだが」
「ぶっちゃけるとフェトラスが魔王かどうか、って話しだろコレ?」
場が凍り付いた。
そりゃそうなんだが、直球すぎる。
「んで、俺の見解を言うとだな、アレは魔王には見えない。ならそれが答えだろ。――――だって俺達、ヴァベル語の加護に包まれた、見れば分かる世界に住んでるんだから」
見れば分かる。
話せば分かる。
そんな当たり前のことをドグマイアは口にした。
そしてそれは、ドグマイアの行動理念のヒントらしい。
俺は先ほど自分が抱いた仮定に、確信を得た。
英雄とは魔王を討つもの。
その英雄が口にする、殺害予告。それはつまり。そしてやはり。
「お前が俺を敵視するのは……俺が、魔王に見えるから、なのか?」
半歩、ティリファが下がった。
スッとローブの懐に手を入れるザークレー。
ドグマイアだけが、ニヤニヤとしていた。
「あんたは人間だよロイルさん」
だめだ、全然わかんねぇ。
「そしておめでとう。今の質問でロイルさんは暗殺対象から重要観察人物へ格下げだ」
「は?」
「まぁ将来どうなるか分かんねーけどな」
「いや全然分からん。マジで。さっぱり分からん。お前何がしたいんだ? 俺を油断させたいのか?」
「そこまで小難しく生きてねーよ。殺さなきゃいけない時は迷わず殺す。それだけだ」
「……やっぱ怖いから今すぐこの街を出て行きたいわ」
けれども、楽しそうに遊んでいるフェトラスに戻ってこいとはまだ言いたくなかった。
あれはフェトラスにとって貴重な時間だからだ。
彼女が世界を愛するために、必要な種子。
いつか芽が出て大きな花を咲かせますように。
ふと、シリックも幸せそうに微笑んでいるのが見えた。
急に胸が詰まった。
空は澄み渡り、風が心地よく、湖の波音が可愛らしく。
キラキラと反射する水面。街には虹色が溢れていて、平和だ。
北区と思われる場所にある高い監視塔。年期が入っているようだが、それは白く照らされていて、監視というよりは「見守られている」という安心感があった。
胸が詰まった理由が分かった。
この完璧な光景の儚さに、俺は愛おしさと哀しさを両方同時に覚えたのだ。
フェトラスを護りたい。
ずっと、今のように幸せそうな笑顔でいてほしい。
彼女が世界を愛して、彼女も世界中から愛されてほしい。
だけど――――それは――――。
俺は泣きそうになってしまったので、天を仰いだ。
空が綺麗だ。
これは現実逃避などではない。
空が綺麗だ。
それは、単純な事実だった。
満足したのか、フェトラスとシリックは船着き場に戻って来た。着岸するより早くフェトラスはジャンプして桟橋に降り立つ。
「おとーさーん!」
水の輝きに負けないくらいキラキラとした笑顔で彼女が駆け寄ってくる。
きっと彼女は自分がどんなに素敵な体験をしたのか、細かく説明してくれるだろう。
嗚呼。
俺の胸に飛び込んできたフェトラスをしっかりと抱き留める。
「あのね! あのね!」
嗚呼――――本当に。
これを護るためならば、たぶん俺は世界を敵に回せる。
ジリッ、と。
頭の中でノイズが聞こえた気がした。
俺は直感的に、あるいは神託のように、俺は何かの『鍵』が揃いつつあることを実感した。
きらきらしていた。
いつかの空に見た大きな虹。
それが手の届く所にあった。
七色の虹。
それはとても綺麗なもの。
触れられないけど、「在る」のだと理解した。
見えない。触れられない。けれどもわたしを介してその現象は「虹」という名前が付けられた。
似ている、と思った。
そっか。これも愛なんだ。