3-13 パーティタイム
爆発音、そして騒然とする外。
だが意外な程にざわめきは簡単に収まった。
「な、なんなんだ? 何が起きたんだ?」
「ティリファだ」
長い前髪をぐしゃりと握りつぶしながら、ザークレーはため息を一つ。しかし彼はすぐに体勢を整え、メニューを手に取った。
「――――さて、魚とハーブの焼き物と……何を食べたものか。私にとって料理とはこのように複数名で摂るものではないのだが」
「いやいやいや、爆発音。爆発音したから。なんでそんなに平然としているんだ?」
「――――慣れているから、としか言いようがないな」
確かに外のざわめきはもうほとんど聞こえない。何かしら、例えば危険な物が爆発したなら騒ぎは大きくなるはずだが、そうはならなかった。つまり危険ではないということか。
挙げられた名前について思いを馳せる。
ティリファ・ラング。
小柄で、女の子と呼べばいいのか女性と呼べばいいのか悩む所ではある。
握力が強く、肝が据わっている。魔王フェトラスに気がついている可能性が高い。
(あれ……他にあんまり思い出せるところがない)
その感覚は、例えるなら「昨日みた舞台劇で司会役をしていた人はどんな人だった?」という質問に近い。そしてその時の俺は「劇なんてどうでもいいから、早くトイレに行かせてくれ」という観客だ。
どうもザークレーの最初の襲撃以来、変なスイッチが入ってしまっていたようだ。異常性。魔王性。人間が人間に思えず、まるで自分自身ですらも人間として扱っていないような。
これはよくない感覚だ。「人間として~」とか「普通は~」とか、そういうレベルじゃなくて、単純に危険だ。命のやり取りを簡単に行っていては、身が持たない。
(王国騎士団の面々を皆殺しにして、か……出来るわけねぇのにな)
あいつらは普通に強いのだ。そりゃ一対一なら多少は渡り合えるだろうが、ヤツ等は魔王をリンチするための集団だ。一人倒している間に、残りのメンバーから必殺の剣を五、六発はもらうだろう。
ザークレーの様子を伺う。
最初の頃にくらべると、かなりリラックスしているようだ。まるで戦うことがイヤでイヤで仕方なくて、戦う必要性が無くなったから安堵しているような。
メニューの文字を目で流し見しつつ、色々なことをゴチャゴチャと考えていると、ガチャガチャとやかましく音を立てる者が部屋の中に飛び込んできた。
「ティリファちゃん参上!!」
それは小柄な女の子だった。明るい色をした短髪が両サイドで短く結ばれており、髪留めのアクセサリーは幼さを残しつつ高級品の気配をうかがわせる。
服装はだいぶ簡素だ。少なくとも王国騎士には見えない。ただの私服。これもちょっとした高級品のように見えたが、要所要所で子供っぽい刺繍がされていたりする。
そういう服装や雰囲気のコンセプトが、まるで「子供かな? 大人かな?」という絶妙なバランスと取っていて、それが顔面にも反映されているようだった。
まぁ一言でいえば、キュートな女の子だった。戦う人間には見えない。
が、しかし。
「おい。確か俺は武装解除を条件としてあげたはずだが?」
そのティリファが手にしていたのは、鞘にこそ収まっているが、小柄な体型には不釣り合いの「大きな剣」だった。
でかい。長尺で、柄の部分も無骨。
絶対に重い。これはゴリラみたいな戦士が使うべき武器だ。
俺の冷めた視線を受け止めたザークレーがそのままティリファに向き直る。
「――――ティリファ。上手に言い訳してみせろ」
「あ! ロイルさんだ! 娘さんもこんちゃー! おおっと! お姉さんもいる! 合流出来たんだね。よかったよかったー。あ、アタシはコーンが入ったスープと、サンドイッチをハム大盛で」
ここでガチャガチャと音を立てる物の正体が分かった。靴だ。グリーブとも呼ばれる、金属製の靴みたいなもの。ティリファはそれだけを何故か装備していた。
「――――ティリファ」
「まぁまぁ、詳しいことはご飯を食べながら。もうお腹ペコペコなんだー!」
「ティリファ・ラング!」
ザークレーが小さく怒鳴った。その表情には「呆れ」「失望」が含まれていて、何となく俺はこのやりとりが日常的な物だと察した。
「ちぇ、ザークレーは相変わらずお堅いんだから。はいはい。ごめんなさーい」
「まったく――――」
そのまま会話が終わる。
いや、終わってもらっちゃ困るんだが。
「あのな。武装解除しろって言ったのに、なぜこのお嬢ちゃんはそんな馬鹿みたいにデカイ剣を持ってきてるんだ?」
「あー、これ? これはねぇ、武器じゃないよ。聖遺物だよ。グランバイドっての」
「武器じゃねぇか」
「武器じゃないよー! これは、魔王を倒すための聖遺物! 人には向けない、使わない! だからいいでしょ。だってここには魔王なんていないんだから」
「む」
「それとも何かな。ロイルさんはアタシがペンを持っていたら『尖っているからダメだ。目に刺さったら危ないから』とでも言うのかな? ん?」
からかうような口調だったが、意味深過ぎる。クソが、そこまで言われた俺は「それもそうだな」と答えるしかない。
俺が片手を挙げて許可を出した途端、ティリファは目を輝かせた。
「って、うおおおお!? なにそれなにそれ! それも聖遺物だよね、お姉さん!」
彼女はめざとくシリックが側の壁に立てかけていたミトナスに目を付けた。
「槍だ! 槍タイプは初めて見た! お名前はなんていうの?」
「……ミトナスですよ」
「へー! ミトナス! 赤と黒で存在感抜群だね! 格好いい!」
ふと気がつく。なんか、やけに、というか異様にテンション高いなコイツ。
「お姉さんのお名前は、シリックさんで合ってるよね? 改めまして、ティリファ・ラングです。同じ聖遺物の使い手として、よろしくね」
「ど、どうも……」
「ねぇねぇ、ちょっとだけそのミトナスに触ってみてもいいですか?」
「ティリファ! もういいから座れ。まだ誰も注文すらしていないのだ。このままでは何も始まらんぞ。――――それに」
ちらっ、とザークレーはフェトラスを見た。
「――――あまり空腹でいさせるのも、可哀相だからな」
俺。お刺身と豚肉ソテー。魚介スープ。
シリック。サラダ、鳥肉を焼いたもの。あっさり系のスープ。
ザークレー。白身と香草の蒸し焼き。
ティリファ。サンドイッチ、小ぶりのハンバーグ。シチュー。
フェトラス「えっと、まずこのベーコンの入ったサラダと、ほうれん草のソテー。お魚の揚げ物と、小ぶりハンバーグ。あとお刺身は色んな種類が食べたいです。それとステーキ! よく焼きと半生を両方ください。それからこのお米? これは食べたことがないので、オススメのをください。えっとぉ、それからぁ、卵を使った料理に興味があるので、珍しいものがあったら食べてみたいです。あとはスープなんですけど、ハーブを使った温かいのをくーださい!」
「…………」
「…………」
「――――。」
「うへぇ……」
「あとね、デザートは甘いクリームと果物が入ってるのがいいです!」
まだメニューの文字が読めないフェトラスは、ただ自分の希望を口にした。そしてソレはメニューには載っていなかったのだが、ザークレーとフェトラスの顔を交互に見たウェイターは引きつりながらも「かしこまりました」と答えたのだった。
これにて注文完了。
ふんすー! と鼻息撒き散らしながら、フェトラスはひまわりのように笑った。
「わーい、ごはんごはんー……って、アレ? みんなどうしたの?」
「いや、頼みすぎだろ」
「フェトラスちゃん、その量はさすがに……」
「――――。」
「フェトラスはデブになりたいの?」
「えっ、えっ、だって、何でも食べていいって」
「あのな、朝食にそんなフルコースめいたもん食うヤツがどこにいるんだ……ザークレーに至っては絶句してるぞ」
「だって! わたしとしては朝食抜きにされてもはや昼食ってレベルの時間帯だし! 起きてから結構時間経ってるよね?」
「そりゃそうかもしれんが……」
「それにみんなで食べるんでしょ?」
まぁ、そうは言ったが。
返事をせずに苦笑いを浮かべていると、フェトラスはまるで噂好きのオバチャンみたいな表情を作った。
「え、やだー。まさかお父さん、自分で頼んだ分は独り占めするつもりだったの? やだー。お父さんってば強欲。食欲の魔人だね。よっ、食べ盛り!」
「この野郎」
横腹を突いてやると、フェトラスは身をよじりつつ笑った。
「でも本当に楽しみ。この……お米? お父さんの説明だけじゃよく分からなかったんだ。パンの種みたいなものをふかす? どんな味なのか全然想像出来ない!」
そう言いながらメニューのとある項目を指さす彼女。
「おお……まぁ、味はあんまりしないかな。っていうかお前、字が読めないのに、よくそこがライスの項目だって分かったな」
「絵と同じでしょ? 見て説明受けたらだいたい分かるよ」
うちの子は天才だな。
「そうか。じゃあいつか字もちゃんと教えてやるからな」
「わーい。そしたら色んなメニューが読めるね! 楽しみ!」
俺は苦笑いを浮かべた。
「読めるようになったら逆に大変だな。メニューが多いと目移りしちまう。アレもコレも食べたい、ってなっちまいそうだ」
「そ、そんなことないもん。ちゃんと考えて頼むもん」
「今し方、もの凄い量を注文したばかりだけどな」
「そ、それは……そうだけど……真面目に言うと、ザークレーさんがお魚しか頼んでないから、代わりに頼んであげたんだよ」
「――――いや、私は小食なのだが」
「えっ、そうなの? お魚だけでお腹いっぱいになるの?」
信じられない、というジェスチャーをしてフェトラスは困ったように微笑んだ。
「ハーブが好きなのかと思って、スープはそんな感じのにしてみたんだけどなぁ」
それは分かち合うという行為。
全員が、短く息を吸った。
「あとはティリファさんが頼んだ小ぶりハンバーグ。すごく美味しそうだから、お父さんとシリックさんにも食べてほしくて」
それは喜びの共有。
フッ、と俺とシリックは微笑んだ。
「あー、早くご飯来ないかなー」
ルンルン、と。彼女はテーブルの下で小さく足をパタパタと動かしたのだった。
続々と注文の品がテーブルに並んでいく。
それをフェトラスは片っ端から食っていった。
感想は主に「なにこれ!」「美味しい!」「綺麗!」「いい香り!」「すごーい!」というシンプルなものだったが、表情はそれこそ万華鏡のようにキラキラと変化していった。
合間あいまに「これ食べてみて!」と、皆に勧めていく様はまるで世話好きな人間か、あるいは凄腕の試食販売員か。
「おかしいな。ここ、メニューは豊富だけど安飯しか無い食堂のはずなんだけど、まるで高級レストランにでも来たみたいだ」
そう言いながらティリファは笑っていて、フェトラスにサンドイッチを一切れあげたり、シチューをすくって「はい、あーん」とかやってフェトラスに食わせたりしていた。
……平和だ。
実に平和な光景だ。
何の不備もない。魔王と聖遺物が三本あっても、誰もそんなことを口にしないのだから、ここは戦場にはなり得ない。ただみんなで飯を食っているだけだった。
先ほどのティリファの言葉を思い出す。ペンは武器になるか否か。
なるほど。このフォークとナイフも使い方……いや、持つ者によっては武器にも食器にもなり得るんだなぁ、と俺はしみじみと思った。
今は平和なんだ。だから「油断している今なら二人を殺せる」と考えてしまったこの思考形態は忌避すべきものだ。
「ザークレーさん、このお米を炒めたのにもハーブが使われてて美味しいよ! 一口どうぞ?」
「――――いや、私は……まぁいい。いただいてみるとしよう」
「マジ!? ザークレーが、人が使ったスプーンで!?」
「――――食べづらくなったではないか。フェトラス。すまないがこのスプーンで取り皿に一口分だけ盛ってくれ」
「はーい!」
ザークレーからスプーンを受け取り、いそいそと一口分どころか結構な量を盛ったフェトラス。彼は受け取る時こそイヤそうな顔をしていたが、上品に一口食べると、すぐさまに二口目。そのままもぐもぐと全てを食べ終えた。どうやら気に入ったらしい。
結局の所フェトラスがデザートを食べ終えるまで、誰も確信的なことは口にしなかった。出来る雰囲気では無かったのだ。だってフェトラスがあんまりにも美味そうに飯を食うから。
それはもちろん、食べ終わってから「では本題だ」と言えるような空気ではなかった。
「ザークレーさん、ごちそうさまでした! とってもすごく美味しかったです!」
「――――満腹にはなれたか?」
「もちろん! 今日はおやつもいらないってくらい、たくさん食べれて幸せでした!」
ビシィッ! と一礼してみせるフェトラス。
「それじゃあ、ごちそうさまでした!」
何度目かのお礼。フェトラスは個室から出ようとした。
「って、あれ? お父さん、これからどうするんだっけ?」
「……うーん」
「ああ、そうか、そうだった。ミトナスのことをお話しするんだったっけ」
「あ」
そういえばそうだった。そうだよ。このセストラーデにはそのために来たんだった。なんか忘れがちになるなこの目的。すまんミトナス。悪気はないんだ。
俺は改めてザークレーとティリファを見た。
「何はともあれ、馳走になった。娘も満足したようだし礼を言わせてもらう」
「――――先ほどの詫びだ。気にするな」
「いいのいいの! アタシもお腹空いてたし、迷惑かけたからね! まぁお金だすのはザークレーだからアタシが言うことじゃないけどッ!」
「――――まったくだ。それはそうとティリファ。お前に聞くことがある。なぜロイル達を支部に連行したのだ?」
「うぐぅ!?」
途端にしどろもどろになったティリファはさておき、フェトラスが俺の袖をくいくいと引く。
「ところでミトナスに関してのお話しって?」
「ああ。その事なんだが……うーん、どうしたもんかな……まぁ小難しいだけで、特に楽しくはない話しさ。聖遺物の管理についてだ」
「ふーん……」
「本当に退屈な話しさ。だから……シリック、フェトラスを連れて街の観光でもしててくれるか? 俺はちょっとこいつらと話しをしておく」
「ええ、構いませんよ。じゃあフェトラスちゃん、私とデートをしましょう」
「でーと。……遊びに行くこと! うん! わたし川を渡ってたボートに乗ってみたい!お船と違ってかわいいの!」
フェトラスが元気に片手を上げると、ザークレーの「なぜ支部に連行した」という追求をのらりくらりと交わしていたティリファが返事をした。
「あっ! はいはーい! アタシ! アタシが案内する! 任せてよ、帰還したばっかりだから休暇申請を出すまでもない!」
「――――ティリファ。それは」
「いいでしょザークレー? こんな可愛い女の子と美人さんが二人で歩いてたら、ナンパされたりして大変だよ。アタシがボディーガードしてくる」
「――――この者達がそれで構わないと言うのなら」
「どうかな、ロイルさん?」
ニコニコと上機嫌に笑って見せるティリファ。
「大丈夫。アタシがちゃんと監視しておくよ」
それはどっちの意味でだろうか。
フェトラスとシリックに危害が及ばないための監視か。
あるいは、魔王が暴れ出さないようにする監視か。
だがシリックとフェトラスを遠ざけようとしたのは俺だ。そして一般的な目線で言うと、王国騎士のボディーガードなぞ有能すぎて断る理由がない。
断り文句としては「聖遺物の使い手である二人に用がある」という聞こえの良いヤツがあるけれど、きっとティリファはこのフワフワとした雰囲気を保ちつつ、フェトラスを野放しにすることはしないだろうという予感がした。
「分かった。じゃあ二人を頼む。ただあんまり遠くに行かないでくれよ」
「りょーかい! 中央区域の観光名所を案内してくるから、合流したい時はそこを探すか、もしくは通りがかった王国騎士にでも命令して。ティリファを探してる、って言えばみんな探してくれると思うから!」
俺はシリックに少しばかりの金を渡して、自由に遊んでくるように告げた。思えばあまりゆっくりとした時間を二人には過ごさせる事が出来なかったように思える。俺は男だし、旅にもサバイバルにも慣れているが、二人は違うのだ。
俺の目の届かない所にフェトラスが行く、というのは確かに不安でもあったが、今の俺は何故だか「いざとなったら皆殺し」という謎のテンションがずっとチラついているので、それを否定するためにも俺はシリックとフェトラスを信頼した。
騒々しいのがいなくなって、個室。
「――――さて、茶でも飲むかね?」
「……おう」
楽しい時間が終わったことを俺は知った。
ピリ、とした緊張感。
俺の娘の命を狙ったクソ野郎。
お前はいつか必ず殺してやる。
(って、なーんでそんなこと考えちゃうかねぇ)
俺は失笑してしまい、逆に身体から力が抜けた。
「本当なら酒でも飲みたい気分なんだが。まぁこんな時間から飲むのはロクデナシと相場が決まっている」
俺はゆっくりと座り直して、両手を広げてみせた。
「さて、実は商談をさせてもらいたい」
ザークレーはただ静かに頷いたのであった。