3-12 フェトラスの「口にしたいヴァベル語」・第8位
リーン、という鈴の音がマン・ゴーシュという両刃の短剣から鳴り響く。どんな構造なのか、と戸惑う事も無い。敵は聖遺物、超常の物。常識で計れない物を推理しても無駄だ。
しかし。無駄なのだが、その鈴の音はあまりにも危険すぎる。
フェトラスがいきなり昏倒したら、脱出が困難になる。いっそこいつらを皆殺しにする方が楽なのかもしれない。
「クッ、フェトラス!」
彼女を背にしながら声を掛ける。
「はい!」
とても元気な返事があった。
リーン。
「どうすればいいのお父さん!?」
リーン。
「……お父さん!?」
リーン。
誰も動かなかった。
ネイトアラス使いも。シリックも俺も。娘が昏倒したら殺せと命じられた王国騎士達も。
「……えーと、お父さん? 無視は寂しいかなぁ」
ここで俺は自分のまばたきが多い事に気がついた。
状況をくまなく見据えすぎて、テンパっていたらしい。
だがネイトアラス使いと目が合って、奇しくもアイコンタクトをしてしまった。
問い――――違うのか?
回答――――違ぇよ!
「――――――――。」
「……フェトラス、今一番なにが食べたい?」
「おさしみ!!!!」
絶叫気味の即答。もしかして我が娘は本気で腹が減っているのだろうか。
そしてその間抜けな叫びは、ネイトアラス使いの表情を曇らせた。
「――――これはどういうことだ。そこの娘、確かフェトラスと呼ばれていたな」
「うん。フェトラスだよ! お兄さんのお名前は?」
深いフードがついたローブを羽織っていたネイトアラス使い。彼はそれをゆっくりと頭から取り去り素顔を晒した。
声の通り、見た目も若い。
身長が高く、ほっそりとした男で、騎士というよりは学者に近い風貌だった。
切れ長の目。肩まで伸びた長髪。フードを外すときには髪がまとまりつつ、けれどもサラリと流れた。手入れが行き届いているのだろう。男の長髪なんざ好きではないが、実際よく似合っている。
美丈夫と言って差し支えないだろう。
だがその瞳は冷ややかで、ともすれば絶望に慣れているようにも見える。
全開に近い戦闘態勢を取っている俺はそんな情報を瞬時に読み取り、「ウチのプリティな娘を視界に収めているとはとても思えない表情だ」という感想を抱いた。
そんなネイトアラス使いが自己紹介を始める。
「――――ザークレーだ。翠奏剣ネイトアラスの使い手たる王国騎士の一員。即ち民を護り、穏やかに魔王を殺す者だ」
「わぁ。そうなんだ」
「――――――――。」
「それは、えーと、お疲れ様です?」
リーン、と。何度目かの鈴の音。
「――――――――。」
リーン。ダメ押しのように、再び鈴の音。しかしフェトラスは首を傾げるばかりで、昏倒はおろかあくびをする事すらなく平然としていた。
ザークレーと名乗ったネイトアラス使いは、掲げていたマン・ゴーシュをそっと降ろして、納刀した。
「――――騎士団、休め。戦闘行為を一時中断する」
下された命令は即座に遂行される。ザッ、と音を揃えて王国騎士団の面々は戦闘の構えを解いた。
「…………」
事を推移を見守っていた俺だが、未だに呼吸の荒いシリックを見て彼女に声をかけた。
「一体全体、どうなってんだ?」
「……ここにいる者達が、なにやらフェトラスちゃんを襲うような相談をしていたので、ちょっと制圧しようかと」
「聖遺物使いと王国騎士団四人を相手に、一人で?」
呆れた声を発すると、ようやく彼女は全身から力を抜いた。
そして、誰も何も喋らなかった。
ただ翠奏剣ネイトアラス使い、ザークレーのため息が聞こえただけだった。
しばらく本気で誰も動かなかった。
しかし俺は段々と脳みそが冷めてきていたので、とりあえずシリックを手招きしてこちらに引き寄せた。彼女はそれに素直に従い、止める者は誰もいない。
「えっと、何が何だかよく分からんが、そろそろ帰っていいか?」
「――――どこに帰るというのだ」
「家族が帰る場所と言ったら一つだけだろ。我が家だ」
「――――道理だ。しかし私はそれが嘘だと知っている。そしてお前もまた、私の事は知っているだろう。数時間ぶりだな、人間」
「言ってる意味が分からんな。とりあえずこんな時間帯だ。寝入ってる人々を騒音で起こして不安にさせるのが王国騎士団の仕事か? 違うだろ」
「――――我らの仕事、任務、遂行すべき信念はただ一つ。魔王を殺すことだ」
「そら結構。いつもありがとうよ。じゃ、引き続き頑張ってくれよな」
行くぞ、とフェトラスの手を引き、俺はゆっくりと後ずさる。シリックはガチガチの緊張こそ解いていたようだったが、いざとなればすぐに対応出来るような体さばきを見せながら俺達に付き添った。
「――――待て。いくつか確認しなければならないことがある」
「なんだよ。俺達が犯罪者にでも見えるのか? ああ、それともシリック……こいつか? そりゃ王国騎士団と剣を交えたってんなら取り調べ対象かもしれんが、聞けば俺の娘を襲うおうとしてたんだって? そりゃ交戦も仕方ないだろう。だが何やら誤解があった様子。俺達は心が広いから忘れてやるよ。じゃあな」
口早にそう言ってはみたが、ネイトアラス使い・ザークレーが拾ったのは一つの言葉だけだった。
「お前の、娘?」
「ああ。フェトラスは俺の娘だ」
「――――ふむ」
緊張感と、静寂。
どうする。やはり皆殺しにするか。
その空気を破壊したのは、一つの音色だった。
ぐぅー。
鈴の音には程遠い、何やら愉快な音色だった。
「…………あー、フェトラスさん?」
「違う。違うよお父さん。わたしじゃない。わたしのお腹の音じゃない。よしんばわたしのお腹の音だったとしても、そこにわたしの意思は介在しないからわたしのせいじゃない」
「すまん。娘が腹ペコらしいので、マジでそろそろ帰らせてくれ」
「お腹空いてないもん!!!」
「フェトラス。ステーキとお刺身、どっちが食いたい?」
「どっちも!!!!」
よし、どっちも食わせよう。俺はそう誓った。
誓うという行為を俺は滅多にしないのだが、それでも誓った。どっちも食わせる。
そして風と水の音に混じって、笑い声が聞こえてきた。
「クックック……」
翠奏剣ネイトアラス使い・ザークレーだった。
「すまない。どうやら何か誤解があったようだ。そこの娘に食事を振る舞うついで、話しを聞かせてもらいたい」
ザークレーは完全に戦闘態勢を解いた。もしかしたら腹ペコフェトラスを見て緊張感がそがれたのかもしれない。
だが俺は逆だ。フェトラスの命を狙った聖遺物使いと食事を共にする? 冗談きつい。なんなら『今すぐ殺したい』ぐらいあるのに。
「!?」
そして、ようやく俺は気がついた。
電光石火で、つまりカウトリア並みの速度で自分の状態に気がつく。
王国騎士団を敵視。
聖遺物を恐怖し。
人間が人間に見えず。
淡々と皆殺しを検討する、その異常性に。
この感覚は人間のそれではない。どちらかといえば魔の領域。……そんな先ほど抱いた感想が別の概念にすり替わる。
俺の思考形態は、完全に魔王よりになっていた。
そのあまりの異様さに俺は少し震えた。
だがそれとほぼ同時、袖をクイクイと引かれる。
「お、お父さん。なんかご飯おごってくれるみたいなんだけど、これを断るのは失礼なんじゃないかな」
「……フェトラス。あんまりはしたない事を口にするんじゃありません」
「うっ……で、でも……さっきもティリファさんが……」
「――――ティリファ? なんだ。既にティリファとも会っていたのか?」
「うん! さっき王国騎士団? の、えーと、シブ? っていうの。そこで……」
ザークレーは片手で額を押さえてため息をついた。
「――――ティリファが支部にまで連行しておきながら、解放しただと? おい、まさか……いや、そんな気配は無かった。音も、光りも、爆発も。ならば毒か? ――――こんな娘が?」
ため息はより一層大きくなった。
そして小さく「まぁティリファがいながら壊滅されたはずもないか」と小声で言った。
「――――フェトラス。君は会食と取り調べ、どちらが好きかね」
「かいしょくって、つまりご飯? ご飯好きだよ」
「――――ならばそこの男、フェトラスの父よ。お前は戦争と会談どちらが好きだ?」
その質問は、つまり「どちらにせよ支部に連行する。待遇を決めろ」という命令に等しかった。
「チッ……どっちもゴメンだね。おたくら、俺の娘を襲おうとしてたんだぞ。怖すぎるわ。そんな恐怖からは逃げるに決まってるだろうが」
「――――ならばこの場でその娘の素性を問いただしてもいいのかね? 本当に?」
念を押すような言い方。
本当ならばとっとと逃げ出したい。
だが……そうだな、少し冷静になってみるか。
このまま逃げてしまえば指名手配待ったなしだ。今度こそ問答無用で、「疑わしきは処刑」ってな感覚でエゲつない追っ手がかかるだろう。
即ち俺が取るべき行動は、皆殺しか、あるいは『ごちそう』でフェトラスの魔王の気配を盛大に誤魔化すかのどちらかだ。俺はどちらを選ぶべきなのだ、
「あ」
ふと、自分の異常性の無意味さに気がついた。
(俺がここでコイツ等を皆殺しにしてしまったら……フェトラスはどう思うだろう……)
俺の娘は、俺の言いつけ通りに必死に魔王の気配を隠している。そんな彼女が一生懸命に頑張ってることを、俺が台無しにしていいのか? いやよくない。
フェトラスが魔王を隠しているのに、俺が魔王みたいになってどうするんだよ。
今度は俺が深いため息をついて、ネイトアラス使い、ザークレーに告げた。
「色々と条件がある。こんだけ騒がせたんだ。シケた飯なんてお断りだぞ。ウチの娘はステーキと刺身をご所望だ。ついでに言うなら王国騎士団の支部もお断りだ。理由はさっき言った。怖すぎる。あと武装解除は当然として、同席するのはお前だけだ」
「一つ以外は飲もう」
素早い返答だった。
「――――ティリファも同席させてもらう」
マジかよクソッタレ、なんで聖遺物使い二人(シリックも合わせれば三人だけど)と飯なんて食わなきゃならんのだ。
聖遺物が三つも集まって、魔王とご飯を食べる。
だめだ。想像出来ない。どんな絵面だよ逆に笑えるわ。
そして娘の腹の音がまた鳴り響く。
「んっ、んっ、んっ」と小声を漏らしながら、顔を真っ赤にしたフェトラスは自分のお腹を両手でポコポコと叩いていた。もうだめだ。ウチの娘が可愛すぎる。
そんな姿を見て、俺は安心した。
フェトラスが「可愛らしい女の子」じゃなくて「全てを統べて殺戮する精霊」に見えるヤツなんざこの世にいない。
はぁー、と半笑いでため息を吐いた俺は「もう何でもいいからさっさと案内してくれ」とザークレーに答えたのだった。
案内されたのは、港の飯屋だった。
ザークレーが先導し、俺達がその後を追う形だ。
ちなみにさっきまでいた騎士団は解散していた。交戦したシリックに対しては何か思う所もあったかもしれないが、聖遺物使いと普通の騎士では権力が大きく違う。彼らは「事のあらましをティリファに報告しろ。解散」という命令に素直に従って夜明けの街に消えていった。
道中、俺達は無言だった。
距離が近すぎるから内緒話も出来やしない。
なので俺はフェトラスに「ラベルの文字は?」と質問した。そして彼女は「まず淡泊なお刺身から食べて、その後にしっかりとしたお肉をいただいて、最後にあっさりとしたスープをいただけたら幸いです」と死ぬほど真面目な顔をして言った。言った直後に味を想像したのか「ふにゃあ……」とだらしなく笑った。とんでもねぇ信頼感だ。
「ざ、ザークレー様!?」
港の飯屋に到着するなり、給仕が顔色を変えた。
「お、おはようございますザークレー様。何かご用でしょうか」
「――――食事を。この四人で個室を使いたい」
「ザークレー様が!? あ、いえ、失礼しました! すぐにご準備いたします!」
給仕は目を白黒させながら「オヤジー! ウチに個室ねぇけど、ザークレー様が個室を使いたいってよー!」と叫んだ。
それに対する返答は「ああん!? 個室ぅ!? そんなシャレたもんウチにわるわけねーだろ! だいたいザークレー様って、そんな馬鹿な話しがああああああザークレー様!? 本人!? なんで!?」というオヤジの驚愕の台詞だった。
すったもんだあり、俺達は何と飯屋の……事務室? なんて言えばいいんだこれ? とにかく謎の個室に案内された。
かなりの無茶ぶりだったらしく、掃除も行き届いていない。テーブルクロスが新品だったが、どう考えても飯を食う場所ではなかった。色々なものが布で隠されているが、きっとここはスタッフがまかないを食べたりするスペースなのだろう。
「ご、ご注文は」
「――――メニューを彼らに」
「へいッ!」
秒で差し出されたメニューは俺に手渡される。チラッと見たが、かなり雑なメニューだった。男らしいというか何というか。味を楽しむというより、腹を満たすことに特化したようなメニューだった。
見慣れない料理名も多かったので俺は素直にシリックにパスした。
「俺にはよく分からん。フェトラスが好きそうなのを選んでくれ」
「えぇ……? といっても、私も見慣れない料理が多いので……もうシェフに任せた方がいいんじゃないですか? お刺身とステーキ、って」
「それもそうだ。しかしせっかくのオゴリだしな。なんか食いたい物があったら遠慮無く頼めよ」
何故ならこれは『ごちそう』だからな。
「フェトラス。腹一杯食っていいぞ。ただし食べ方は上品に。よく噛んで、大人しく、だ」
「そのメニューの左上から右下まで全部!!!!!!!!!」
「バカヤロウ」
俺が爆笑しながらそう言うと、フェトラスは顔を真っ赤にして、
「こ、この台詞を一回言ってみたかっただけなの! 本気じゃないよ!」
と両手を顔の前でブンブンとふった。
「――――食えるのなら、メニューの全てを食っても構わんぞ」
ザークレーが試すようにそう言う。
俺はあえて何も言わずに「だってよ、フェトラス?」と意地悪く笑った。
「どうする? 全部食うか?」
「食べられるわけないじゃん。お父さん馬鹿なの?」
この野郎。
「ねぇねぇザークレーさん。わたし字が読めないんだけど……何かオススメはありますか?」
「――――おすすめ」
「うん。ザークレーさんが好きな食べ物」
「――――あまり外食はしないのでよく分からないが、魚をハーブと一緒に焼いた物は好きだな」
「美味しそう! それ食べたいです!」
「――――刺身とステーキを所望していると聞いたが?」
「えっ、あ、と……それも食べたいなぁ…………えへへ……」
フェトラスはチラりと俺を見た。
「…………わたし、お下品?」
「みんなでちょっとずつ食えばいいさ」
「お父さん天才だね!! うん! それ最高! みんなで食べよう!」
その台詞を聞いたザークレーは、いよいよ身体から緊張を解いたのだった。
そしてそれは、俺とシリックも同様だった。
だが瞬間、まるで爆発するような音が耳に飛び込んできた。
緊張を解いた身体が動作不良を起こしたみたいに跳ねて固まる。
なんだ? 何が起きた!?
「ハァ――――ティリファめ!」
そんな忌々しそうな呟きで、俺は何が起きたか察したのであった。