「序章」
俺は魔王を拾った。
「あうー」
魔王とは、ある精霊の名称だ。
「あうぅ……」
成長しきった魔王はとても強い。
だが個体数がとても少なく、大人にまで成長するのは珍しい。というか強い魔王がゴロゴロいたら、このセラクタルと呼ばれる世界はとっくに滅びているだろう。
「あう? あー」
だいたい成長しきってなくても『魔王』という精霊は強すぎる。何もかもを食らいつくし、気が向けば破壊し、意味も無く何かを殺す。遊び半分で人間の国を滅ぼした若い魔王もいた。
「あう~あう~あう~♪」
まぁ、そんな魔王だが、このくらいの赤ん坊だったら野良犬よりも弱そうに見える。
「あうーzzz……あうーzzz」
さて。
目の前にいる、幼き精霊。
目にした瞬間、絶殺を誓わなければならない人類の敵。
魔王。
それを俺は――――殺さない事にした。
「zzzzzzz」
だってここは世界の果て。とても大きな無人島。人間と呼ばれる生き物は俺しかいないのだ。
「………あうっ!?」
俺以外に誰もいない島。いるのはモンスターと動物ぐらい。だからここで言葉を交わす事が出来るのは、成長した魔王ぐらいしかいないのだ。寂しい話しだ。というか実際寂しい。孤独すぎてつらい。
――――そしてその孤独が、俺が死ぬまで続くのだという事実。
きっと俺は何も遺せず、まるで獣のように死んでいくのだろう。
「ああぁぁぁぁ………うっ!」
だがここにきて、魔王が現れた。
魔王が強いとか怖いとか、そういうのは一旦おいておこう。重要なのは「成長した魔王は喋れる」ということだ。会話が出来るのだ。お話しが出来るのだ。おしゃべりを楽しめるのだ!
そして割と重要なことがもう一つ!
「えぅ?」
「なんか妙にかわいい!」
そう、可愛らしいのだ。
魔王なのに。恐怖の象徴なのに。人間の敵なのに。かわいい。
「なんなんだお前は。さっきから黙って見てりゃぁご機嫌に鼻歌をうたったり、ぷるぷるモジモジしやがって」
「あう」
魔王と出会ってしまった、という事実は俺に激しい動揺をもたらした。しかし見れば見るほど、考えれば考えるほど、こいつを殺すという反射的な思考は遠のいていった。
そして出た結論は。
(コイツなら、この寂しさを埋めてくれるかもしれない)
そう、俺は虚しすぎて発狂寸前だったのだ。
「会話が出来そうな相手」をついに見つけた。
魔王でも何でもいい。俺は孤独じゃなくなる。
その希望が俺を活かし、こいつを生かす。
両者が得する美味しい話しだ。
俺は改めて魔王を見つめ、優しく語りかけた。
「将来に期待だな」
「あう?」
「色々教えてやるから、話し相手になってくれよ」
「?」
「……ところで、お前の名前は?」
「??」
「名前だよ、な・ま・え」
「あうー」
「……うーん。会話が成立しない」
「あう~あ~~う~~」
「まぁいいさ。この世界に生まれたんなら、いつか神様が言葉を授けてくれる」
くりっとした黒い目が、俺を真っ直ぐに見つめてくる。
俺はそんな魔王を抱きあげて、微笑んだ。
「お前の名前は、俺が考えてやるよ」
ここは無人島……っていうか大陸って呼んだ方がいいかもしれんな。まぁ、途方もなくデカイ。
『未開の地を切り開く』という名目でやって来たが、ようするに島流しだ。生活用品だけは持たされたが、補給は無い。いまある物資が俺にとって最後の文明と言えるだろう。
本国に戻れる日は多分永遠に無い。だいたい俺は一人ぼっちだぞ。開拓なんぞ出来るかアホめ。実質死刑じゃねーかボケが。開拓しても誰がそれを認めるっていうんだタコが。
「でも生きてるからいいか」
「あう」
遙か遠くの故郷を想って(呪って)いると、魔王が自分の指をしゃぶり始めたことに気がついた。
「ん? なんだ。腹減ってんのか?」
「……あう?」
その存在の意味とは不釣り合いな、可愛らしい外面に俺は保護欲をそそられた。
「そうか、そうか。よしよし。この干し肉でもしゃぶってろ」
魔王は精霊だがモノを食う。それに親もいないままに発生するのだから、まさか乳でなければ受け付けない、などということはあるまい。こいつらの本質は徹底的に『暴食』だ。
そして目論見通り、魔王ベイビーは俺が差し出した干し肉をしげしげと見つめ、おもむろに噛んだ。
俺の指を。
ガブッって。
指かまれた。
「痛っ! なにすんだこの野郎。ってかこんなにちっこいのに歯ははえてんだなお前」
「うべー」
たら、と指から血が流れる。よだれにもまみれてる。俺は小さく悪態をつきつつ、魔王の口に干し肉を突っ込んだ。
「あう」
「うまいか? 歯が生えてんなら食えるだろ。くっちまえ」
「…………っん」
「ひ、一口で丸呑みとは……。恐れ入った。将来が楽しみだ」
「あうー」
「…………さて、とりあえずはこの魔王でも育ててみるか」
いつかは話し相手くらいになってくれるだろうし、なにより人型というのがいい。なんというか希望が持てる。
流石に魔王だから、いつか俺も殺されるかもしれんが……。
「ま、いいか。どうせ死んだも同然だ。なら、寿命が来るまで楽しく生きてやる」
「あう!」
「そうか! お前も同意してくれるか!」
魔王ベイビーは俺を見ながら、片手を大きく突き上げた。おや、会話は出来なくても意思疎通は出来そうな感じか?
「よし、俺に付いてこい! 俺がお前を立派に育ててやるぜ!」
「あうううー!!」
力強い返事だ。
そう、それは明確な返事だった。
(コミュニケーションが成立し始めている……)
五分前にはただの無垢だったのに、少し俺が語りかけた程度で、早速言葉を理解し始めたような反応だ。何だか空恐ろしくなる。
「……せ、成長しても、俺を殺すなよ?」
「あう?」
「……ま、その時はその時ってことで。とりあえずは楽しくやろうぜ」
「あう!」
俺はとりあえずナップサックを背負いなおし、魔王を抱いた。
「しかし、こうして抱くと……マジで人間みたいだな」
魔王は人型だ。パッと見は子供そのもの。一歳児くらいの体型だろうか。
体重も軽く、動きも弱々しい。
色々と思うところがあったが「ま、いいか」といつもの口癖を言い、俺は魔王をしっかりと抱き直した。
とりあえず、俺の家に戻ろう。家と言っても、洞穴に布団がしいてあるだけの悲しい家なのだが。あそこに行けば、とりあえずは落ち着くことが出来る。
「あう~」
「こんな干し肉じゃなくて、ちゃんとしたメシをやるからな」
「あう」
「といっても、そろそろ備蓄食糧が尽きるんだけどな……まぁ、いざとなったらモンスターを食うだけだ」
「ガルルルルルル……」
「はい?」
魔王を抱いたまま首を真横に向けると、なんかモンスターがこっちを睨んでた。
「マジすか」
それから。家に戻る途中、三回ほどモンスターに襲われた。
「…………あれか、お前のせいか」
「あう~?」
俺は苦笑いを浮かべながら、魔王を高い高い~してやった。
「お前がモンスター呼んだんだろ? お?」
「きゃっきゃっ」
「なに笑ってんだこの野郎」
魔王の習性――――幼い頃の魔王は自分と同レベルのモンスターを呼び寄せる性質があるらしい。フェロモンとか呼ばれるヤツだ。
戦ってエサにするためなのだろうか。しかしまぁずいぶんと景気よく呼び寄せるもんだ。
魔王を抱いているせいか、酷く不格好な戦い方になってしまった。返り血が臭い。
「それにしても……」
自分が殺したモンスターを見る。
たしかに、それほど強いわけじゃない。ハッキリ言えば雑魚だ。
だがしかし、この赤ん坊みたいな生き物が戦って勝てるような相手じゃない。同等どころか、明らかに格上だ。
「…………」
(そんな風に見境無しだから、成長出来ずにモンスターに殺されるし、人間に討ち取られるんだよ。それとも勝算でもあるのか? 戦えるのか? 戦えないだろ。言葉を使えないくせに、呪文だけは唱えられるのか? そもそも、お前の身体の数倍はあるぞ? どうやって食うんだよ)
「あうー」
(見たまんま戦闘能力ゼロじゃねーか。ってかほっぺた超プニプニだな)
「あみゅ」
「……ま、いっか」
心の声は、自分だけにしか聞かせない。
「魔王の習性ねぇ……。どうせあれだろ。腹減ってるからモンスター引き寄せて食っちまおうとか、そういう獣じみた原始的本能みたいな感覚なんだろ」
「あう?」
「……干し肉でも食ってろ。腹が満たされりゃモンスター呼ぶ必要もなかろう」
「あ! うー!」
早速味をしめたのか、干し肉を目の前でチラつかせると俊敏な動作でそれは奪われた。
そして一生懸命に干し肉を丸呑みする精霊・魔王・ベイビーを見ていると笑えてきた。
それだけでいい。
笑ったのなんて、久しぶりだった。
この地に送られて一ヶ月。俺は魔王を拾った。
殺戮の精霊、魔王を。