5月
術をほどくときは丁寧に。
eの飾り文字を消す時に、インクで塗りつぶす無粋な術者もいるが、僕はその文字の輪郭を生かして小鳥の絵に変化させるよう線を書き足す。この陣形は僕のオリジナルで、もちろん特許を取っている。サイン代わりってわけ。
定着率を良くするために強い言葉(ワード)を使うことを僕は好まない。強い魔方陣は、融通がきかない。ただ長持ちする効果を求めているだけだったら、街の有象無象に頼みに行けばいい。と、いささか乱暴に思うが、上客の前でもちろん、そんなこと口に出すわけないだろう?
温度を調節する文字列を少し低めに設定して、自然な覚醒を促す。
アロマは、薔薇の香り。華やかな彼女の雰囲気に合うようにと、これも僕自身が調合したものだ。彼女が屠った獣の血の、むせ返るような残り香を上書きするように、強く、強く。
心地よさそうに眠っていた被術者が、香りに引かれるようにゆっくりと目を覚ます。この瞬間が、一番好きだ。彼女の髪はもったりと重く、ふるりとそれがもたげられた。
ロザリー・ファシネは戦士だ。
前線職である彼女は、紅一点の戦女神の「役割」をきちんとこなすべく、身だしなみに手を抜かない。
美しい人だ。おっぱいも大きいし。
半覚醒の被術者が、良い夢の続きをまさぐるように、うっとりとこちらに手を伸ばす。
こういうことはよくあることだが、ど、どどど、童貞、の僕にはいささか刺激が強すぎる。ごほん。
やんわりと押し返すのも大変なんだからな。お客様の手前、あまり挙動不審な態度は取れないし、(僕はいたって健全な青少年だが、女性好きだと公言するが)同業者はゲイが多いので、うっかり自分がチェリーちゃんだということがバレると、職場で別の意味でも危険度が増すんだ。
いや、しかし、こういう紳士的な態度の積み重ねってやつが、口コミとなって僕への依頼が増えていっているわけだから、日頃の行いって大切なんだよ。好きで童貞やってるわけじゃないんだ。モテないからなわけじゃないんだ。お客様への信頼を裏切るわけにはいかないんだ。そうだろう?
はっきり言って、この分野の術に関しては、当代で誰にも負ける気はない。
それは、アフターサービスも込みでの話。当然、それ相応の報酬を先払いでいただいていますしね。
僕は心をリラックスさせるハーブティーを用意した。
拘束具を連想されるチェアを元の位置に戻し、彼女にやさしく声をかける。
「ご気分はいかがですか?」
「ええ、最高よ」
ロザリーは艶めいたルージュで彩られた唇で、少しかすれた声で囁く。し、刺激がきついんですってば。
僕は営業用のスマイルを顔に貼りつけて、彼女に彼女自身の今の姿を確認してもらった。
「いつもながら完璧」
「ありがとうございます」
「んー。でも」
「なにか、問題が?」
仕事に異議を唱えられることはめったにない。
「フィールドだと、ろくにお手入れできないでしょ。もうちょっと、長持ちするようにならないかしら」
なんだ、そんなことか。
「そうですね。定着の魔法は、実はそんなに難しいものではないのですが……」
「なぜやってくださらないの?」
「月に一度、貴方をこうして独占できるのは、特権ですから」
美しい髪を一房手に取り、愛おしむように手で撫ですさぶ。
「嘘をおっしゃい。いつも予約を取るのが大変なのよ、あなたのところ」
僕は掌に包んだ彼女の髪に防汚のヴェール魔法をかけ、仕上げを施した。
「髪自体は生命のないものなので、定着を強めても問題はないのです。しかし、生え際はそうはいかなくて。巻きを徐々にほどけるようにしておかないと、伸びしろに歪みが生じてきてしまうんです。あまり強い術をかけてしまうと、リセットする度に断髪するか、麿(聖職者のじいさんの流行)みたいに半端なまま我慢していただくことになっちゃいますからね」
「たしかに、麿はご遠慮したいわね」
ロザリーは戦士の身のこなしで、ひらりと椅子から立ち上がった。
「ここに来ると、私は女性なんだなって素直に思えるような気がするわ」
「自分はロザリー様の美しさを引き出す、お手伝いをしているだけですよ?」
「前線の脳筋どもに、その台詞聞かせてあげたいわね」
くすくすと上品に笑う。その手には、隠し切れない剣タコがあるが、それもまた魅力だと僕は思う。
「今夜はお暇かしら?」
「デートのお誘いですか?とても残念ですが、先約がありまして」
「そう、そうよね」
お誘いきたー!!
しかし、先約は断れないのです。信用商売なのです。くすん。
「冒険者組合主催で、先日仕留めた一角獣の群れの解体&バーベキューパーティがあるのよ。んもう、せっかくキレイにしてもらったのに、すぐに煙臭くなっちゃうじゃない?どうにかならないこと?」
あ、そうですか。そういうことですか。
「今回おかけしている防汚の魔法は、一週間くらい効果が持続しますので、ご安心ください。ちょっとくらいの煙臭さや返り血なんかも、エア・シャワーで落ちますよ。アロマは、この空間だけで有効なものなので、食べ物の匂いと薔薇の香りが混じって気持ち悪くなることもないと思いますし」
「んもう、そういうことじゃないんだけどなぁ」
「えっと、あと、まだご不明な……」
ロザリーはお姉さま的な色っぽい顔を崩し、少し甘えた表情で、こちらを上目遣いで見るのですが……。
「あなたニブそうだから、教えてあげる。こういうときはね、『パーティを早めに抜け出して、ホテルの部屋で施術の続きをしましょう』って言ってほしいものなの、よ」
や、ややや、やめてください。童貞をからかって遊ぶのはやめてください。
(ていうか、そんなに僕が童貞なのってバレバレなんでしょうか。僕の紳士な演技力って通用していないのでしょうか)
しかも、その教えていただいた台詞、高度なテクニックすぎて、僕の人生で使わせてもらう機会はたぶん絶対ないと思いますっ!
「巻き髪の錬金術師さまがエスコートしてくれたら、冒険者の女の子たちみんなに自慢できるのに。……女の子だけじゃないわ。あなた、一部の男たちにも人気あるのよ、ご存じ?」
「は、はは、は。ご冗談を」
「ふふふふふ、パーティっていっても、解体&バーベキューじゃムードなんてないわよね」
悪戯が成功したときの顔で笑う。ちくしょー、そんな顔も魅力的だ。
「また来月、お待ち申し上げます」
「ええ、また来月」
表通りまで、お客様を見送り頭を下げる。
道行く人たちが、みんなロザリーを振り返る。それが僕にも誇らしく思う。
巻き髪の錬金術師。それが僕の二つ名だ。