第二十一章 再会と混沌(5)
バズは、二年前死んだはずの親友の姿に驚愕していた。
ヴェルナーは、二年ぶりに再会した親友が黒マントの襲撃者と行動を共にしている事に戦慄していた。
お互い目を合わせたまま、一言も発す事が出来ず唯唯時は流れる。ヴェルナーは変わり果てた友に何を告げればいいのか、何一つ思い浮かばなかった。
だが、そのしばしの沈黙は思わぬ方向から破られる。
「リーダー……?リーダーっすよね?」
水球に拘束されていた男たちの何人かが意識を取り戻していた。冷水を浴びせかけられ、歯をカチカチと鳴らしながら、彼らはヴェルナーの眼前の男、バズにそのまなざしを向ける。
「リーダー……!加勢に来てくれたんすか!?俺たちは―――」
その先を男は告げられなかった。なぜなら、バズが勢いよく回転させた大槍の柄が、男の鼻先を容赦なく殴りつけたからだ。「ぎゃあ!」悲鳴を上げ、男は鼻血を出しのたうち回る。彼を見下すバズの目は恐ろしいほど冷めきっていた。
「加勢だと……?俺に黙って無謀な計画実行して、そんなざまになったお前らを俺が加勢に来ただと……?」
その言葉は、おぞましいほどの怒りを内包していた。徐々に意識を取り戻し始めた他の襲撃者たちも、より一層顔を青くして縮こまる。
殺される。無関係のヴェルナーですらそう思った時、バズが手にした槍の柄を思い切り床にうちつけた。
ガンッ
地面が振動した。床にへたり込んでいた連中は、比喩でもなく何センチか身体が浮いたかもしれない。それほどの怒りと苛立ちを込めた一撃を与えたバズが叫ぶ。
「死にたくねぇ奴はとっとと起きろ!」
へたり込んで怯えていた襲撃者は、その言葉に我に返って一目散に逃げ出した。せっかく拘束した襲撃者を逃がされまいとヴェルナーも追おうとするも、その行く手を大きな槍に阻まれる。
「バズ!どけ!どういうつもりだ!?」
「どういうつもりも無い。あいつらはどうしようもない奴らだけど、今軍に引き渡されたら困る。」
「お前!自分が何をしてるかわかって―――」
いるのか、と問おうとした瞬間、またしても鋭い銀光が身体を掠めた。右肩に鋭い痛みが走り、身体を捻って追撃を回避する。だが、二撃目は訪れず、バズは逆に一撃目で大きく距離を取って入口へと駆けだしていた。―――逃げる気だ。
「待て!バズ!」
「おい、大尉!どこ行くんだ!?」
「ディシュマン殿は、博士をお願いします!」
エルノーの制止も構わず、ヴェルナーはめちゃくちゃに荒らされた収容所を飛び出した。入り口を通った時、最初に出会った二人の兵がぐったりと血を流して倒れているのを見た。
「……どうしてだ…、どうしてだよ!バズ!!」
必死に友の背中を追いながら、ヴェルナーは悲痛な叫びを上げ続けた。
◆
中央マーケットで大家に頼まれた買い物を済ませたソフィアは、アイリに連れられて繁華街のティーハウスに入った。店内は古めかしくも豪勢な装飾が施されており、さながら中世の王宮の様だった。なんとなく、ソフィアが昔勤めていた記述者の御殿に似ていると思った。客人も優雅なドレスに身を包んだお貴族さまばかりで、穏やかな笑みをたたえ紅茶を飲みながら談笑している。貴族の出自でもなければ、ドレスコードも施していないソフィアは少しいたたまれない気持ちで椅子に座り直した。
「ごめん、ソフィアこういうとこ苦手だった?」
ソフィアとは正反対に、アイリはこんな豪華絢爛な空間にもぴったりと馴染んでいた。彼女はソフィアの向かいで申し訳なさそうに手を合わせる。
「いや、だが……こういうとこは入った事ないから。私みたいなのは場違いなのではないかと……。」
「ああ、確かにここは貴族の人がよく訪れるけど、最近は庶民の人も結構来るのよ。今日はあんまりいないみたいだけど、…あ、ほらカウンター。」
確かに、席に座っているのは貴族が多いが、テイクアウト向けのカウンターにはちらほらとそうじゃない者たちの姿も見えた。だが、そうであってもやはりソフィアが場違いなのは否めない。
やがてソフィアの前に一杯の紅茶が運ばれた。精密な幾何学模様が描かれた小さなカップは見るからに高価そうで、ソフィアはそれだけで息を飲む。アイリが口を付けたのを見計らってソフィアもカップに口を付けたが、緊張で味わうのは困難だった。
「美味しい、久しぶりにこの店に入ったけど、やっぱり美味しいわ。」
アイリは嬉しそうに舌鼓を打っていた。その笑顔にソフィアの緊張が少し解れる。
「どう?お口に合うかしら?」
「ああ、美味しい。連れてきてくれてありがとう、アイリ。」
正直美味しいかはさっぱりだったが、そう言うとアイリは酷く安心したように微笑んだ。
「買い物も、色々教えてくれてありがとう。私一人では回りきれなかった。」
「いいよ、そんな。私だって好きな所に連れ回しちゃったし……。」
申し訳なさそうに言うが、この世界の事をまだよく知らないソフィアは、アイリに様々な店や観光地に案内してもらえてむしろ感謝していた。
付き添ってもらえたのがアイリだった事も大きかった。今日一日、この女性と行動を共にしてソフィアは彼女が生粋の貴族の女性だという事はわかっていた。貴族の少しおてんばで、そして少しおせっかい焼きの女性。ソフィアにとってはあまり関わりたくない部類の人間だが、アイリには嫌悪感も劣等感も感じない。何故かすごく安心した。
それからしばらく他愛も無い会話をしながら、紅茶を飲みほした。アイリは、大きく背伸びをするとソフィアに問いかける。
「さて、ショッピングも行ったし、展望台にも行けたし、こうしてお茶も飲めた…と。ねえソフィア、他に行きたい所はない?あ、それとももう時間かしら?」
「そうだな……、私が見たい所は大方回れたが、時間の方は大丈夫だろう。どうせ戻ってもする事が無い。……アイリは、行きたい所もうないのか?気分転換と言っていたが。」
紅茶代を取り出しながら、何気なく質問すると、ふと、アイリが黙り込んだ。顔を上げると、アイリはどこか悲しげな目で笑っていた。
「そうね……、私の方はもう十分かな。ソフィアと話せただけでもすごく楽しかったし。」
楽しかった、と口にする割には、その表情は何一つ楽しそうに見えなかった。その表情に、ソフィアは何故か身を切られるように痛くなった。
アイリとは今日たまたま出会っただけの他人だ。だが、その短い間でもアイリはソフィアによくしてくれたし、とても充実した時間を過ごせた。最初に何かお礼がしたいと申し出たのはソフィアだったが、結局楽しませてもらったのはこっちの方だ。
「……あのっ!」
ソフィアは意を決し、アイリに目を向けた。アイリは少しきょとんとした顔でソフィアを見つめ返す。
「何か……、私に出来る事があるなら、なんでも言ってくれ…。今日のお礼、なにも出来てない……。」
言ってる途中でなんだか恥ずかしくなって俯いた。どうしていいかわからず黙り込んでいると、クスッと笑い声がした。顔を上げると、アイリは本当に嬉しそうに笑っていた。
「ありがとう、ソフィア。」
心からの礼を言うと、アイリは「出ましょうか。」と言って、立ち上がった。ソフィアもテーブルにお代を置くとティーハウスを後にする。
しばらく繁華街を二人で歩いた。時間帯はもうすぐ夕方、皆そろそろ家路につくのか慌ただしくそばを通り過ぎる。繁華街の端に辿りついた時、アイリはぽつりと呟いた。
「私もうすぐ結婚するの。」
「結婚!?……そうなのか。」
おめでとう、というべきなのだろうが、何故かそう言う事が憚られた。今のアイリは結婚前の幸せそうな花嫁には見えないからだ。
「親が昔に決めた許嫁でね。私と同じ階級の貴族だし、なんだかんだ言って昔からの腐れ縁だし、覚悟は決まってると思ったんだけどね……。」
「…嫌なのか?」
アイリは頷かなかった。だが、その沈黙ははっきりと肯定を示している。
「結婚したら今までみたいに外出できないだろうし、今日みたいに同世代の女の子とティーハウスに入る事なんか出来なくなっちゃうし……。はは、要するにマリッジブルーってやつなのかな。」
必死に笑顔を取り繕うとするが、それはすぐに解かれまた暗い顔に戻ってしまう。
「今日もね、その婚約者に言わずにこっそり出てきたの。あの家にいると、息がつまりそうで苦しかったから。」
「アイリ……。」
「でももう大丈夫!今日ソフィアが付き合ってくれたのが何よりのお礼だよ。凄く楽しかった、本当にありがとう。」
アイリはそっとソフィアの手を握った。その手は酷く震えている。その瞬間、ソフィアはやり切れない気持ちでいっぱいになった。
―――どうして、今サイフォスの事が浮かんだんだろう?
握られた手から伝わるぬくもりは、かつてソフィアがサイフォスに初めて出会った時に感じた彼のぬくもりと一緒だった。あの時彼は寂しそうに笑っていた。
(ああ、そうだったんだ。)
初めてアイリを見た時に感じた郷愁と悲観、それはきっとかつての恋人と同じ目で笑っていたからだ。
ソフィアは惑う。ソフィアが出来た事なんて、彼女の苦しみに換算したらほんの一握りしかない。それでも今日出会ったばかりのソフィアを心配させまいと必死に笑おうとしている。そんな彼女が、不安に苛まれているなんて、そんな事あっていいのだろうか。どうして彼女の苦しみを取り去って上げられないのだろう。
誰かいないのだろうか、なにも出来ないソフィアでもなく悲しい顔をさせる婚約者でもなく、彼女を本当の意味で支えてあげられる人はいないのだろうか。
自分にサイフォスがいたように、サイフォスに自分がいたように―――
ソフィアが口を開きかけた時、通りの向こうで銃声がなった。
「なに…?」
アイリが通りを振りかえる、ソフィアも銃声がした方角を凝視した。
続いて誰かの悲鳴が聴こえた。悲鳴はどんどん近くなってくる。銃声も近くなる。
何かがこちらに近づいて来る。
嫌な予感に身構えたその時、左手の建物の影から真っ黒なマントが姿を現した。一人ではない、十、二十、いやもっと。その手には拳銃やナイフが握られている。
ソフィアとアイリはお互いすがりつくように身を寄せ合った。マントの一人が、二人に気づく。
「あ?おい、お前ら貴族か?」
男はソフィアたちを、いや、正しくはアイリの姿を見て舌舐めずりをした。それと共に後方の仲間たちもにやりと顔を歪める。
「ちょうどいい、人質にしようぜ。」
「おい、いいのかよ。そんなことしたらまたリーダーに―――」
「馬鹿!このまま引き下がって帰れるかよ!つーか誰だよ!リーダーに計画バラした奴!」
「今はそんなこと言ってる場合じゃねぇだろ。いいじゃねぇか、保険だよ保険。」
「捕まえるなら早くしろ!さっきの軍人追ってきてるぞ!」
その言葉が合図となり、黒マントの集団がソフィアたちに襲いかかった。ソフィアはアイリの手を掴んで踵を返す。突然現れた奴らが何者かはわからないが、とにかく危険だという事はわかった。奴らに捕まってはいけない。
通行人が悲鳴を上げる中、ソフィアとアイリは走り続ける。だが、元々運動不足も甚だしいソフィアとドレス姿のアイリでは追いつかれるのも時間の問題だった。
―――だめだ、もう逃げられない。
シュワルク区へ続く高架橋にさしかかった時、ソフィアは悟った。
戦うしかない。せめてアイリだけでも逃がさなければ。
「ソフィア!?」
急に足を止めたソフィアにアイリが悲鳴を上げる。ソフィアはアイリを背に庇うと、橋の欄干にそびえ立つガス灯に目を付けた。
―――まだ上手くやれないけど。
「アイリ、頭下げていろ。」
迫りくる黒マントがソフィアたちを包囲した。じりじりとその距離を縮め始めた。ソフィアはコートのポケットから「記述」を取り出す。先日パヴコヴィックに譲り受けた物理浮遊の記述術、その「記述」を勢いよく手前のガス灯に放った。
「記述」がガス灯に巻き付いた瞬間、ベキッと鈍い音がして、巻き付いた根元からガス灯が折れる。
「なっ、何だ!?」
「記述」の見えない黒マントは突然の変異に慄く。変形したガス灯はとうとう欄干から離れ、大きな音を立て宙を舞い、そして止まった。
「ひっ……!?」
「なんで……、ガス灯が宙に浮いてんだ!?」
ソフィアの持つ「記述」に巻かれたガス灯は、その「記述」が見えない者にはまるで宙を浮いているようにしか見えない。くの字に変形したガス灯を掲げ、ソフィアは冷や汗を掻きながら笑った。
「死にたくなかったら……、ここから去れ!」
ソフィアは思い切り腕を振った。その軌道に合わせてガス灯が振り回され、黒マントの集団に直撃する。もろに食らった数人はふっ飛ばされ、動かなくなった。
「何だあの女!?」
「妙な術を使う。記述師か!?」
得体のしれないものを見るように、黒マントは徐々に後退する。たった一振りにソフィアは息切れを起こしつつ、何とか街灯を持ち直す。これは思った以上に神経を使う。だが、一発では奴らが逃げる気配が無い、彼らの戦意を完全に喪失させなければ、逃げられない。ソフィアはもう一度腕を掲げる。
「もう一度来るぞ……!」
「ダメだ!逃げろ!」
ガス灯が再び揺らめく。さっきとは打って変わって及び腰になった連中は、我先にと駆けだした。逃げる背中を追ってガス灯が迫る。だが、その視界の隅に、蹲った女の子が映り、ソフィアは目を見開いた。
「しまった……!」
あの混乱で逃げ遅れたのだろう。少女はがくがくと震えながら通りの隅で泣いていた。連中が逃げ出した事で、ソフィアにもその姿が認識できたが、その時にはすでにガス灯は投擲された後で、その巨大な鉄塊は無情にも少女の方へと向かっていた。
「危ない!」
アイリの悲鳴が聴こえた。ソフィアは必死で「記述」を制御するも、すでに軌道を変えられる状態ではない。ガス灯は驚異的なスピードで少女に迫った。もう間に合わない―――
ガァン!
惨状を目にする事に耐えきれず、ソフィアは思わず目をつぶった。ガス灯に押しつぶされた罪なき少女の哀れな姿を想像して、ソフィアは青ざめる。自分はなんて事をしてしまったのか。まだうまく使えない力を使って、無関係の人間を巻き込むなんて。
だが、その直後、少女の元気な泣き声が聞こえてきてソフィアは目を開いた。
少女を叩き潰さんとしていたガス灯は、なぜかあらぬ方向に転げ落ちている。その代わり少女の傍に一人の黒マントの男が立っていた。
「お前ら……、こんな街のど真ん中で一体何してやがる……!?」
振り返った男は左目に眼帯をしていた。覆われていない片目は、怒りに満ちており周りに群がる黒マントの男たちを睨んでいる。眼帯の男は、細身の大槍を手に携えていた。その先端がやや折れ曲がっている。おそらくガス灯が少女に当たる瞬間、その槍で少女に当たらないよう軌道を変えたのだ。
「俺はさっさと逃げろと言ったはずだ!帝都のど真ん中で騒ぎ起こす馬鹿がどこにいる!?」
どうやら彼がこの黒マントの連中のリーダーらしい。激怒を露わにする眼帯の男に、男たちは一斉にたじろいだ。
その時ソフィアの後ろで息をのむ声がした。振り返るとソフィアの後ろに隠れていたアイリが、立ち上がっていた。その顔は驚愕に彩られている。
「嘘……、あんた、バズ……?」
バズという名を聞いた瞬間、眼帯の男がこちらを振り返った。そして、ソフィアの後ろにいるアイリを凝視すると、彼もまたアイリと同じ顔をして固まる。
―――知り合いなのか?
少なくともアイリは彼の名を知っているようだ。ではこの連中は一体何者か。考えようとした矢先、さらなる混沌がこの場に到着した。
「バズ!!!」
再び男の名を叫ぶ声が、今度はソフィアたちのいる反対側から響いた。黒マントたちの向こうに見えたその影は、見覚えのある銀髪の青年。
「「ヴェルナー!?」」
ソフィアとアイリの声がシンクロした。思わず二人は顔を見合わせる。
「ソフィア……アイリ……、なんで?」
呆けているのはヴェルナーも同じだった。
ソフィア、アイリ、バズ、そしてヴェルナー。四者はただ、お互いの状況が理解できず立ち尽くす。しばしの間静寂が流れた。




