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第二十一章 再会と混沌(3)

 事務室には見知った顔の先客がいた。書類に埋もれていた小さな人影がこちらに気づく。


「やあ青年。君がこんな所に来るとは珍しいな。」

「お邪魔します、博士。」


 二日ぶりに会うパヴコヴィックは、忙しそうに事務所の机の一角を占領している。相変わらず本や書類に埋もれ、驚くべき速さでそれを処理していた。


「博士、お知り合いでしたか。」

「ああ、少しな。君たちは相談事か?お邪魔ならば退散するが?」

「いえ、そんな事は。こちらこそお邪魔します。」


 共有机の開いているスペースにヴェルナーとエルノーが座る。エルノーの隣でパヴコヴィックが忙しなく書類の整理をしている。そんな中、ヴェルナーはここに来た本題を切りだした。先ほどドメルトに手渡された封筒を開け、中身を確認したエルノーは、眉を寄せて呟いた。


「反政府組織の首謀者がイシルの関係者、か……。それで俺にイシルの内情について情報を寄越せと、そういう事だな?」

「ええ、イシルの人間を何人か手引きしている、という見解が上がってまして。ですが情報が心もとなく、元イシル共和国の人間であるあなたに心当たりがないかお聞きしたいのです。」


 暴動を企てる革命家や危険思想の持ち主など、もしイシルでも有名な人物がいれば、そいつがオルセン帝国に侵入し裏で糸を引いている可能性もある。だが、元イシルの将軍であったエルノーは、その問いに難しい顔をした。


「と言ってもなぁ……、イシルの策謀家なんざごまんといるし、その全てを伝えるのはさすがに無理だな。」


 エルノーは首謀者の情報が書かれているのであろう用紙を渋い顔で見つめると面倒くさそうに吐き捨てる。


「……そうですよね、すみません。」


 確かにいきなり押しかけて、そんな事を聞かれてもすぐに答える事など難しいだろう。有力な手がかりが得られそうにないと踏んだヴェルナーはがっくりと頭を下げたが、エルノーは逆ににやりと笑う。


「構わないよ。わざわざ俺の元にお前を寄越した理由は大体察しがついているからな。」

「理由、と言いますと?」


 わからずに首をかしげるヴェルナーに横からパヴコヴィックが口を挟んだ。


「牽制だろう。イシル人を手引きしている奴がいると聞いて、軍が真っ先に疑うのはエルノー君だろうからな。」


 それを聞いてヴェルナーはぎくりとした。つまりドメルトがヴェルナーに課した任務というのは、組織の首謀者について聞くというのは二の次で、本来の目的はエルノーの関与の有無を探りいれる事だったらしい。軍はここまで調査の手を伸ばしている、という意思表明なのだ。本人の前でそれを知ったヴェルナーは思わず青くなるが、対するエルノーは全く気分を損ねてはいないようで、むしろカラッとした笑みを浮かべていた。


「まあ、イシル関連と聞いて真っ先に疑われるのは俺だろうからな。ただ、一応保身の為に言っておくが、俺はその反政府組織とは一切関わりが無い。加えて言うなら、俺はもうイシルを見限った人間であり、むしろイシルに追われる人間なのだから手引きなど到底できるわけがない。そもそも俺はあんたら軍に監視を付けられているんだから、そうそう自由に動けるわけなどない。……と、上官に伝えといてくれるか?」

「は、はい。」


 ヴェルナーが思わず姿勢を正し言伝を受け取ると、エルノーも満足げに頷いた。


「しかし、こいつなぁ。イシル族を手引きしてるってのは間違いないのか?」

「実際に捕縛されたイシル人がそう証言したそうです。『仲間に引き込まれた』と。その発言を鵜呑みにするのは早急ですし、その後、隙をついて自害したそうなのでどこまでが真実なのか定かではありませんが。」

「仮にそうだとして、イシルの人間をリスクを冒してまで奥地まで手引きする必要性がどこにある?」

「帝国を破滅させるために内部から攻撃を仕掛けるためではないのですか?」


この数十年、オルセンと度々交戦に陥ったイシル共和国。そのどれもで十分な成果を得られず、さらには切り札となるオーリクすら奪われてしまい、純粋な戦争による勝利が見込まれなくなった彼らが、別の切り口からオルセンの瓦解を狙う、というのは別段おかしくない考えではないだろうか?

だが、エルノーは今だ渋面を崩さず、こんなことを聞いてきた。


「……時にお前はイシルの情勢をどこまで知っているんだ?」

「あまり詳しくは。三十年ほど前にオルセン帝国からの独立宣言した、という事と、現在の政権は十年ほど前にクーデタを起こし実権を握った急進派の政党である、という事くらいでしょうか。」


 正直なところ、イシルの情勢については、ヴェルナーくらいの世代の人間はほとんど知らない。国勢に明るい方の軍人でさえこの始末だ。それだけイシルの内情には靄がかかっている。


「まあ、敵国に内輪の揉め事なんか流せるわけねぇからな。せっかくだから、お前にも教えといてやるよ。」


 エルノーは、椅子に座り直すと一呼吸置いてその口を開いた。


「俺がオルセンに亡命したのはな、なにもあの戦争で失態を犯したからだけじゃねぇんだよ。」

「他にも亡命に至る理由があったという事ですか?」

「ああ……、はっきり言う。今のイシル政権は気が狂っているとしか思えない。」


 本当にはっきりとした断言だった。エルノーの表情は嫌なものを思い出したかのように苦々しげに歪められている。


「今の政権は十二年前になるか、オルセンとの和平を結ぼうとした前議会長ブノワ=ラパトゥールを処刑したグラニエという男だ。強硬なやり口に独裁的な議会運営。過剰な軍事投資に反議会狩りは目に余るものがある。特に反議会狩りは酷い。少しでもグラニエに異を唱えようものなら、容赦なく断頭台に送られる。」

「恐怖政治か……。確かにそんな男が国のトップでは亡命もしたくなるな。」


 半ば面白そうに口を挟むパヴコヴィックに対し、エルノーが咳払いすると、さらにこう続ける。


「勿論奴だってけして無能な男ではねぇんだ。ラパトゥールを殺し、議会を掌握した後、奴は戦後の経済恐慌からの復帰にも尽力した。過剰な反議会狩りも国内の情勢を安定させるためのものだとすればまだ納得がいく。だが、それでも俺はあいつを支持できなかった。二年前の戦争でも俺がどんだけ停戦を訴えようとしたか。」


 だが、エルノーにはそれが出来なかった。公的に異議を唱えてしまえば、おそらくエルノーはオルセンに進軍する前に首を切られていただろう。イシル国内を脅かす絶対的な権力、ヴェルナーには想像できなかった。


「俺が命からがら帰ってきた後、奴は敗戦の失態を全て俺に被せて俺を殺そうとした。八割方俺の判断ミスのせいだと思っているが、それでもその判決に納得がいかず、俺はオルセンへ亡命した。」


 やり切れない怒りを抑えるようにエルノーは笑う。


「お前から見れば、俺は自分が可愛いがために祖国を裏切った卑怯者何だろうな。」

「それは……。」

「いいさ、実際俺はそうなんだよ。臆病者だ。戦場で敵味方問わず多くの兵の命を奪っているくせに、いざ自分が死ぬとなると怖くなったんだよ。……はは、指導者が何だのと言い訳しても結局逃げた理由はそれだけだ。」


 自虐的に笑うエルノーにヴェルナーは言葉が無かった。ヴェルナーだってエルノーの立場にいたら同じ選択をしたかもしれない。オルセンを裏切って、生き延びようとしたかもしれない。


「いいんじゃないか、臆病者で。そういう奴ほど長生きする。」


 気を暗くする二人とは対照的に、隣で鼻歌を歌いながら書類を読んでいたパヴコヴィックは何気なくそう言った。


「軍人は臆病な位がちょうどいい。今上に立っている奴は大抵がそういう奴だ。昔から決まっている。」

「……博士は身も蓋もねぇな。」


 冷や汗を垂らしながら苦笑いを浮かべるエルノーを見て、ヴェルナーは少し安堵した。彼は自分の選択を間違っているとは思っていないらしい。残してきた祖国の民を憂う事はあっても、その言葉の通り後悔する事も無くすっぱりと見限ってきたのだろう。


「つまりだ。俺が言いたいのは、イシルの政権も決して一枚岩じゃねぇってことだよ。グラニエに陶酔する者もいれば、それに密かに反旗を翻そうとしている勢力もいる。そういう事を踏まえても、これが単なるイシル共和国の工作であるとは特定できないってことだ。……しかし、この首謀者、イシルに関わりがあるという点では案外当たりかもしれない。」


 エルノーは眉を寄せてもう一度資料を一瞥する。どうやら、そこには首謀者らしき人物の簡単な特徴が書かれているらしい。どういう事か、ヴェルナーがエルノーの言葉を待っていると、エルノーは突然ヴェルナーに問うてきた。


「イシル族とオルセン人の身体的特徴の違いだよ。おそらくこの首謀者はそれを隠している。顔にあるものをな。」

「顔に何か特徴があるんですか?」

「ああ、……そうか、最近の若いもんはイシルの人間にあった事が無いから知らないのか。」


 エルノーは納得したように頷くと、突然ヴェルナーをじっと見据えた。穴があくほど見つめられて、ヴェルナーはたじろぐ。


「何でしょうか?」

「俺の顔、どこかお前らと違う所ないか?」

「違う所?」


 何かのクイズだろうか。ヴェルナーはエルノーの顔をつぶさに観察する。鼻筋の通った端正な顔、肌の色もオルセン人と何ら変わりない。一つ特徴的なものがあるとすれば、


「目、ですか?」


 エルノーの瞳は右が金色、左が茶色のオッドアイだった。遠目で見ただけでは、少し色素が薄いだけかと思ったが、よく見るとその輝きは全く異なる。


「そう、目の色だ。イシル族ってのはオルセンの人間と元の人種は一緒なんだが、ある遺伝的な疾患を持っている。これがこの目だ。両親がイシル族の人間ならば、ほぼ確実その子供はオッドアイになる。その子供も、その次の子供もだ。イシル共和国の国民の七割近くがその遺伝的な疾患によって両目の色が違う。」


 初めて知る事実にヴェルナーは息を飲んだ。

 二年前メテルリオンで鉢合わせした若いイシル兵の顔を思い出す。そういえば、確か彼もエルノーの様に両目の色が異なるオッドアイだった。


「確定要素ではないが、目の色が違えばそいつは高確率でイシル族だ。本人もそれがわかってるだろうから、眼帯で隠してるんじゃないのか?」

「眼、帯……?」


 エルノーは資料を掲げると、投げやりにこう言った。


「まあ、それ以外にもこんだけ背格好の情報が揃ってるなら、さっさと公表して指名手配しちまえばすぐ見つかるだろう。今時大槍持ってる眼帯の若い男なんてオルセンでもそんなにいないだろうしな。」


 ―――え?


 エルノーの発した首謀者の人相にヴェルナーは硬直した。考えるより先に思考が停止した。突然固まったヴェルナーにエルノーは眉を寄せる。そのエルノーの手からパヴコヴィックが書類をかすめ取った。

 エルノーに抗議する間も与えず、パヴコヴィックは険しい形相でその資料に目を通す。全てに目を通した後、彼はヴェルナーを鋭い目で見上げた。


「青年……、君は首謀者の人相書きを読んでおらんかったのか?」


 何故かそれは、ヴェルナーを責め立てる様な口調だった。我に返ったヴェルナーはかすれた声で「いいえ。」と答える。そもそも自分はただドメルトにこの封筒を渡して来いと言われただけだ。封筒の中身は極秘情報、しっかりと封がされた封筒をヴェルナーが勝手に開けることなど出来るはずがない。

 パヴコヴィックはため息をつく。その瞳はやり切れなさを映していた。


「先に君が見るべきだった。多分こいつの事は、エルノー君より君の方が詳しい。」


 今度こそ、ヴェルナーは戦慄した。首謀者の男、眼帯に大槍を持つ若い男、そして、ヴェルナーの方がよく知っている男。そんな人物、ヴェルナーの思いつく限り一人しかいない。


 扉の向こうで悲鳴が上がったのはその時だった。


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