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第二十一章 再会と混沌(1)

 それは遠い昔、豪勢な宮殿の片隅にあるハーブ園での出来事。ローズマリーの香るこじんまりとした空間が、ソフィアとサイフォスの出会いの場所だった。


「こんにちは。」


 ハーブの手入れをしていたソフィアが花壇から顔を上げると、その後ろにはこの世界一の権力者、記述者テクスターサイフォス=ライトロウの姿があり飛び上がった。


「―――サイフォス様!?」


 雇い主である彼を間近で見るのは初めてだった。蜃気楼でも見ているかのように、ソフィアは動転する。


「ごめんね、仕事中に。ソフィア=ワーグマンさん、だよね?」

「どうして、私の名前……!?」

「どうしてって…、僕が侍従女の名前を知ってたらいけないのかな?」


 いけなくはないが、ソフィアは宮殿の各所整備を任された末端の小間使いだ。記述者の彼にとっては、ただ住まいを掃除しながらあちこちをうろついているだけの存在。空気にも近しく、サイフォスが目を付けあまつさえ話しかける様な存在ではない。


「君とね、ちょっと話をしてみたいと思ってたんだ。」


 そう言ってサイフォスは庭園のベンチに腰を下ろした。ソフィアは状況が読み込めず、何故サイフォスがこんなにも普通に自分と話しているのかわからない。ソフィアのうろたえる姿が面白いのかサイフォスはこちらを見てにやにやと愉しそうに笑う。


「君ここにきて二ヶ月くらいだったよね?」

「は、はい……。」

「その二か月前の採用面接でちょっと面白い事を聞いたんだけどね。……君、僕の方に付きたいって自分から申し出たってホント?」


 ソフィアはびくりと縮こまった。まさか侍従採用の時の事をサイフォスに知られているなんて思いもよらなかった。


 元々、ソフィアは宮殿の近くにある城下の町娘だった。五人兄弟の末子、姉二人と兄二人に可愛がられて育ったソフィアだったが、家は貧しく幼い頃からソフィアは将来のお金を稼ぐために働きに出ていた。先の職場をクビになり、何か実入りの良い仕事は無いかと探していた時、たまたま街で宮殿侍従の求人を知ったのだ。その採用面接で、二人の記述者であるシャスティとサイフォスどちらかの宮殿に派遣されるか決まるのだが、希望を聞かれたソフィアはサイフォスの宮殿で働きたいと申し出た。



「どうして僕の方に付きたいって答えたの?」

「……あなたにお仕えしたかった、という単純な理由ではいけませんか?」

「ダメだね。僕が納得いく動機を教えてくれないと。どうして記述師でも侍従でもわけ隔てなく目をかけてくれるシャスティじゃなくて、他人に碌に構いもしない僕の方に付いたのか、その理由をね。」


 給料も実力次第でアップするし、贅沢な生活も約束してくれる。確かにシャスティが雇う者たちは皆華やかで美しく、自信に溢れる者たちばかりだった。それは男女問わず皆そうだ。ここにはシャスティとサイフォス、二人の記述者が宮殿を連ね、そこに仕える侍従も同数いたが、権力とカリスマ性で侍従たちの人望を集め多くの人間を虜にするシャスティに対し、侍従は宮殿の掃除役としか思っていないのではないかというほど、一切彼らに構わないサイフォスとでは、必然的に扱いの差にも違いが出る。それは一般市民たちの間でも周知の事実であるため、侍従となった者たちのほとんどがシャスティに付きたいと願っている。シャスティも望む者ならいくらでも受け入れようというスタンスを崩さないので、自然と従者たちもシャスティの方に流れて行った。今、サイフォスの宮殿にいるのは、最低限宮を運営できる程度の人間しかいない。


 言っている事はある種の自虐だったが、サイフォスは逆に愉しんでいる様にも見えた。

 きっと自分の様な奴に率先して仕えようするソフィアが物珍しくて仕方ない、だから、からかいたくなったのかもしれない。

 きっと普通の人間では計りしれない長い年月を生きる彼にとっては、こんなやり取りも戯れの一つなのだろう。それに気づいたソフィアは幾ばくかの怒りを感じ、同時に裏切られたような心地がした。だから、言ってやった。


「―――あなたにお仕えするのが一番楽だと思ったからです。」


 サイフォスは少し目を丸くした。彼が予想していたのとは違う答えだったらしい。彼を出しぬけた事にソフィアは少し愉快になった。


「私は末っ子として兄弟の中で甘やかされて育ちました。だからなのかはわかりませんが、私はいつも我を通して思った事をずばずば言って、そんな気が無いのに周囲の人間を怒らせていました。両親や姉兄たちはそれでも許して下さいましたが、そうでない者とはいつも口論ばかり起こして、それで仕事も何度かやめさせられました。だから思ったんです、私は必要以上に人に関わらない方がいいのかもしれないって。何度改めたって結局人は早々変わらないんです。

 でも生きるためにはお金が欲しい。そんな時、この宮殿の侍従の求人を見て思いました。雇い主が記述者程の存在なら碌に接する事も無いまま仕事が出来る、しかも極力人と関わろうとしないサイフォス様なら私の事など存在を知らぬまま放置して下さると思ったのです。」


 シャスティとサイフォスの人となりについては城下でも噂になっていた。誰からも好かれる陽のシャスティと、誰をも拒絶する陰のサイフォス。お仕え出来るならどちらがいいかと言われれば、多くの人間は前者を選ぶ。でも、人との関わりを極力避けたいソフィアは後者を選んだのだ。まあ、今日こんな所で自分に話しかけてくるなんて、サイフォスに対する認識は少し改まってしまったのだが。


「雇い主の、しかも記述者ともあろう方にこんなことを言うのは不敬だと思います。でも、それが私の本音なのです。……お気に召さなければどうぞ解雇して下さい。」


 また城下に戻って仕事を探さなくては、と鬱々とした気分で頭を下げる。すると、その頭上から押し殺したような笑いが聞こえてきた。顔を上げると、サイフォスがベンチで苦しそうに腹をよじらせて肩を震わせている。


「…っ、君…いいなぁ、面白い。」

「えっ。」

「『あなたは本当に尊敬できる方です。』なんてお世辞述べられたら失望するところだったけど、その答えはちょっと面白かったな。君のはっきりした物言い、確かに人によっては怒るかもね。でも、僕は結構好きだよ。」


 好きだと言われて、かっと顔が熱くなった。なんだろう、褒められているのだろうか、これは。


「僕もね、人と関わるのが大嫌いなんだ。だからずっとこの人の少ない広い宮殿に閉じこもってる。やだよね、顔色窺って生きるなんて御免だ。」

「は、はあ……。」


 笑いながら人と関わるのが嫌いだ、等と話すサイフォスを見て、ソフィアは呆気にとられていた。今目の前にいるのは、自分が思い描いていた高尚な記述者とは全く違う。自分の膝を叩きながら笑う、ただのちょっと捻くれた青年だった。


「でもね、それでも僕は人間が好きなんだ。僕の知らない感情を知っている人間が、本当に愛おしい。だから人との関わりを完全に断つ事が出来ない。……だからかな、あえて僕に仕えたいだなんて言ってきた君と凄く話したくなったのは。こんな僕にわざわざ近づいて来た君に、好奇心と猜疑心とちょっとした愛情が生まれたからね。」


 サイフォスの穏やかな瞳がソフィアを射抜いた。その瞬間、ソフィアの鼓動が一段と早くなった。彼から目が反らせない。穏やかでそれでいて悲しそうに笑う彼の姿から。


「ねえソフィア、もしよかったら僕の話し相手になってくれないかな?暇な時でいいからさ。」

「で、ですがそれは……。」

「僕を怒らせるのが怖い?心配しなくても僕は滅多な事で怒ったりしないよ、君に悪く言われても構わない、ずばりと指摘される方が僕としては在り難いから。僕はありのままの君の本音を聞いてみたい。対等に話してほしい。」


 サイフォスは立ち上がり、ソフィアに近づいた。自分とは違う大きな手がソフィアの手を包み込む。土で汚れたままのささくれだった手にもサイフォスは嫌な顔一つしなかった。


「君は僕に媚びる事も怯える事も気遣う事もせず、ただ自分の素直な気持ちをぶつけてくれた初めての人間だ。僕は君の事がもっと知りたい。君にも僕の事もっと知ってもらいたい。ダメかな?」

「人と関わるのが大嫌いなのに、……ですか?」

「そう。今まで人を蔑んで生きてきて、無駄に長生きしちゃった爺の戯言だと思って、協力してよ。」


 彼は冗談めかして、それでいて寂しそうな声で告げた。その言葉で彼は今、孤独である事に嘆き悲しんでいる事がわかった。それはきっと、ソフィアも同じ―――


 それから、ソフィアはサイフォスと度々話をするようになった。他愛のない会話の中でソフィアがサイフォスとシャスティの諍いを知り、彼を支えるため彼の最も近しい付き人ととして志願したのは数カ月後の事。彼を記述者としてではなく一人の人間として愛するようになり、その想いが実を結んだのはそれから一年後の事だった。



 ◆

「ソフィアさん、今手空いてるかい?」


 中庭で記述術の練習をしていたソフィアに声をかけてきたのは、ソフィアが居候しているアパートの大家の女性だ。二階を見上げると、恰幅の良い女性がこちらに手を振っている。


「ちょっとお使い頼まれてくれないかい?」

「お使い?」


 階段をどたどたと駆け降り来た大家は、ソフィアの元に来ると小さなメモ用紙を手渡した。


「中央マーケットで買い物して来て欲しいんだよ。これ買い物リスト。場所はわかるかい?」

「……いいえ。」

「ここの通りを王城に向かってひたすらまっすぐ歩いて行けばいい。人が沢山集まってる広場があるからすぐわかるよ。」

「え、えっと……。」

「頼むよ。あたしこれから来客があるんだ。お礼はするからさ。」


 そう言ってソフィアに向かって手を合わせた。お世話になっている身として、無下に断る事も出来ず、ソフィアは承諾すると、


「ありがとね。っと、こうしちゃいられない、じゃ、頼んだよ。」


 大家はメモと財布を押しつけて走って行ってしまった。ソフィアは全く乗り気ではなかったが承った以上放棄するわけにもいかず、ため息をついて出かける準備をした。


 ヴェルナーに紹介されてこのアパートに来てから今日で三日目だが、ソフィアはあの大家に若干苦手意識を持っていた。さっきの様に強情な所もあるが、何より世話焼きなのだ。元々顔見知りだったらしいヴェルナーはともかく、まだ出会って間もないソフィアにも気さくに話しかけてくる。

 ソフィアにとってそれは苦痛でしかなかった。なにせソフィアは長い間一人であの書架に閉じこもっていた。そこにはソフィア以外の人間はおらず、彼女が向き合っていたのは何万という本だけだ。


 ヴェルナーが来るまでずっと一人だったソフィアは、人との付き合い方を忘れてしまっていた。もともとサイフォスといた時も自分は社交的な性格ではなかった。不遜な態度をとって理解されない事も多かった。

 シャスティとの一件があってからは、人を信用する事も怖くなった。普段、不遜な態度を取っているのは近づかれるのが怖いからだ。警戒を解けないだけの臆病な人間だ。


「はぁ……。」


 俯いて通りを歩く。ソフィアが滞在しているアパートは商業区画にほど近い貧民街地区だそうで、少し中心地の方角に進めば、その情景ががらりと変わる。通りには沢山の人々が行き交い、繁盛している店の前には人が群がっている。道行く人々を眺めながら、この世界が自分のいた世界と何ら変わらない情景を描き出している事を思い知らされる。

 サイフォスを探すために勢いでこの世界に来てしまったはいいが、本当にそれでよかったのだろうか。ここに来てからソフィアはヴェルナーに迷惑ばかりかけている。思い出せば思い出すほど自己嫌悪に陥っては暗くなる。


 そんな事だから、知らないうちに通りの中央にふらふらと躍り出てしまった。


 ガラガラガラガラ―――


 車輪の音にはっと顔を上げると、眼前に疾走する馬の姿が迫っていた。


「――――!!」


 歩道から悲鳴が聴こえたが、当人のソフィアは迫りくる馬車をまるで他人事のように見ていた。一瞬青ざめて何かを叫んでいる御者と目があった、その光景がゆっくりとスローモーションで再生される。


「危ない!」


 その時、ソフィアの傍に人影が躍り出た。その影に押し倒されるようにソフィアは地面を転がった。

 何が起こったかわからず、痛みに身体をさすると、御者が血相を変えて駆け寄ってきた。


「お、お嬢さん方!無事かい!?」


 まるで御者の方が酷い目にあったかのように慌てふためいた顔をしているので、ソフィアは逆に冷静になってしまった。


「は、はい。」

「大丈夫です。」


 すぐ傍で女の声が答えた。そこにいたのは淡い色の上等なドレスを着た女性だった。年はまだ若い、腰まで届く栗色の髪に薄く化粧の施した顔。いかにも育ちのいいお嬢様だが、転んだせいか砂埃だらけな上にめくれ上がったスカートから見える足にはかすり傷が覗いていた。だが、女性は気にした風など全くなく、服装を整えるとさっと立ちあがった。慌ててソフィアも立ち上がる。


「本当かい?怪我なんかは?」

「い、いえ……、大丈夫です。すみません、道路に飛び出したりして……。」


 ソフィアは何度も何度も怪我がないかと問う御者に頭を下げた。ようやく納得した御者はもう一度頭を下げると、馬車を引いてその場を後にした。遠巻きに状況を見ていた通行人も徐々にその場を離れていく。


 ソフィアはちらりと隣に立つ女性を見た。


「あの……、ありがとう。」


 おそらくソフィアを助けてくれたのであろう女性に頭を下げると、女性は朗々と微笑んだ。


「いいわよ。……それにしても、びっくりしたわ。なんかふらふらと歩いてて気になって見ていたら、突然通りの真ん中に躍り出てきちゃったから。」

「うっ……。」


 自分の不注意を全力で呪いつつ、もう一度女性に頭を下げる。


「あの、何かお礼を。」

「いいわよ、お礼なんてお互い無事だったんだから。」

「いや、でも……!」


 命の恩人に何もしないのは目覚めが悪い。なんでもいいから何か出来る事はないかと懇願すると、女性はうーんと考え込んで、


「あなたは中央市場に行くつもりだったの?」


 女性はソフィアの顔を覗き込む。この通りの先に目指していた中央市場があるらしい。その方角に向かっていたソフィアを見て、そう確信したようだ。

 ソフィアが頷くと、女性はパッと顔を輝かせて、ソフィアの手を握った。突然手を握られて、ソフィアはびくっと身体を強張らせる。触れた手は華奢だったが、お嬢様の手にしては少し荒れた、思いのほかしっかりした手だった。


「なら少し付き合ってくれない?私、少し息抜きで散歩してたんだけど、市場の方にも行ってみようかなって思ってたの。せっかくだから一緒に回りましょう?」

「え、一緒に……?」

「うん、最近ちょっと気が滅入ってたから気晴らししたいの。一人より二人の方が気が晴れると思うから。」


 自分とはまるで違う、明るい笑み。だが、ソフィアはその笑顔にどこか懐かしさを感じた。その懐かしさが何か分からないまま、ソフィアは彼女に手を引かれて歩き出す。


「そういえばまだ名前言ってなかったわね、私はアイリ=ジュンア。あなたは?」

「ソフィア、……ソフィア=ワーグマン。」


 その女性、アイリはソフィアを連れて中央広場の方へ向かった。

ローズマリーの花言葉は、「誠実」「変わらぬ愛」「記憶」「想い出」「静かな力強さ」。フランスには「あなたが来てくれたので私の悩みが消え去った」というのもあるそうですね。

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