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第二十章 困惑(2)

 よれよれのベストにシャツ、底の外れかかったブーツ、最下層労働者の格好。顔を見ればただの変装だと認識できるが、あまりにも自然体な着こなしにドメルトは感心した。その男は、ドメルトに気づくと、周囲に怪しまれない程度に小さく敬礼する。


「お呼び立てして申し訳ありません、少将。……それ、変装ですよね?」

「当たり前だ。こんな所で軍服着てうろついていたら、わざわざ本部の外で落ち合う意味がないだろう。」


 言いつつ、今度は自分の今の格好を見下ろした。出来るだけ質素に見える服を選んできたつもりだったが、どうも背格好からは軍人の姿勢が抜けきっていないらしい。ごく自然に貧民街の人間になりすます目の前の男とは対照的に、それは到底変装に見えない、滑稽な姿だった。男の表情もそれを雄弁に語っている。少し引いた笑いに、ドメルトは苦虫をかみつぶした顔をすると、男の向かいに仰々しく腰掛けた。


「まさかお前が本部に顔を出す前にこちらが呼ばれるとはな。予定より二日の遅刻だ。任務に関する事、と聞いているが、一体何をしていたんだ。」


 ドメルトが男を睨みつけると、男はその銀の双眸をぎくりと細める。先日、ドメルトが自身の補佐官として引き入れた男、ヴェルナー=ライトロウは、あたふたと言い訳を始める。


「いえ……、少し知人と会っておりまして。その後も、事故に巻き込まれたり、色々と。」


 そう言って頬を掻くヴェルナーの右手には包帯が巻かれていた。そういえば、帝都に渡る途中乗船したヴァイパー号の爆発事件に居合わせたとの報告があった事を思い出す。


「右手負傷したのか?」

「ええ……、まあ。」


 まだうまく動かせないらしい。よく見ると酒を持つ左手がやけにぎこちない。利き腕ではない方を無理に使っているのがみえみえだった。


「ヴァイパー号の事件は、蒸気機関の誤作動だと報道されたが、違うらしいな。何があった?」

「襲撃です。軍事顧問を名乗っていた男の。」

「何……!奴らと接触したのか!?」


 思わず声を張り上げてしまい、ドメルトは慌てて口を押さえた。軽く咳払いすると佇まいを直す。


「……それで、そいつは何故船を襲った?」

「どうも、その、俺を狙っていたようです。」


 すると、ヴェルナーは少し戸惑ったような顔をし、一瞬逡巡した。そして、ドメルトにしか聞こえない低い声で呟く。


「ドメルト少将、これから俺が話すお話を戯言だとか冗談だとか世迷言だとか、そう思わずに信じて下さると誓っていただけますか?」

「なんだ藪から棒に。」

「お願いです。それをお約束できない限り、この話はできません。」


 何を言い出すかと思ったが、ヴェルナーの眼は真剣だった。その三白眼の眼光は、ドメルトでさえ一瞬怖気づいてしまうほどだ。


「……わかった、約束しよう。話せ。」

「ありがとうございます。」


 そして、ヴェルナーはドメルトにゆっくりと語りだした。




「この世界が「記述」の世界……記述者同士の争い、……本の中の―――」


 ヴェルナーの話を聞きながら、ドメルトはかつてないほど混乱していた。ヴェルナーが話しだした突拍子もない世界の真実、それはまるで幼い頃読んだ童話や絵本の物語の様だった。

 そんな夢物語が現実にあるというのか、ドメルトは目を白黒させながら一通り話し終えたヴェルナーを見る。まるで信憑性の無い話だが、残念な事にヴェルナーの目に嘘は見えない。これでも長年軍人として生きてきた者として、相手が嘘を言っているかどうか位はわかる。


「自分の言葉だけでは信じられないというのでしたら、今軍部の研究所に出向しているマルス=パヴコヴィック博士にも聞いてみてください。彼もきっと同じ事を言うでしょう。」

「パヴコヴィック博士、記述術の権威か。まさか彼も知っているのか?」


 ヴェルナーははっきりと頷いた。ヴェルナーだけならともかく、記述術の真理に最も詳しいとされるパヴコヴィックの名が出てしまうと、もう信じざるを得ない。

 ドメルトは少し苛立ったように、注文した安酒を煽ると、ヴェルナーに問い詰めた。


「で、お前はこの世界を創造したサイフォスと接点を持っており、そのサイフォスと敵対していた―――シャスティ、……だったか?とかいう記述者の命を受けて、この世界で暗躍しているのが軍事顧問を名乗っている連中で、お前はその軍事顧問の一人、イザイア=バルベリーニにヴァイパー号で奇襲を受けたと……。」

「そういう事です。」


 至極冷静なヴェルナーに対して、ドメルトは話について行くのがやっとの思いだった。勿論上官である自分がそんな余裕の無さを部下に悟らせるわけにはいかず、毅然と振舞ってはいるのだが。


「そのイザイア=バルベリーニの目的とはなんだ?何か聞いたか?」

「ヴァイパー号を襲った件については、俺に何か聞きたい事があったみたいです。……メテルリオンでの一件について。」

「メテルリオンの?」

「はい。奴は俺がメテルリオンで何をやったのかを聞きだしたかったようです。……生憎、俺自身もメテルリオンで何が起こったのか、詳しい事はわかっていませんが。」


 確かヴェルナーが、二年前行方不明になった時、最後に向かった場所がメテルリオンだった。


「記憶が無いのか?」

「記憶が無い……、というより何が何だかわからない、と言った方が正しいですね。ただ、奴らにとって、その何かが非常に気がかりになっているらしくて。」


 ヴェルナーは自分の事のはずなのに、まるで他人事の様な口ぶりで話す。彼自身もいまだ相当に混乱しているのが見て取れた。


「では奴らの目的は何だ?さらに追及するなら、奴らが軍部に加入してまで成し遂げようとした事とは何だと思う?」

「……これはあくまで自分の想像なんですが、奴らはこの世界を破壊しようとしていたのではないかと。」

「破壊……?」


 随分物騒な単語だ。この世界を破壊するとは、一体どんな意味合いなのか。


「文字通り消し炭にするという事です。先ほどお話しした通り、この世界は本に書かれた「記述」により構成された世界です。だから、その「記述」が失われれば、この世界も崩壊する。

 イザイアは船の上で人を虫けらのように殺しました。この世界にいる限りでは、こうやって「記述」を消す事が出来るのだと。裏を返せば、『こんなちまちましたやり方でしか「記述」を消せない』という事でしょう。彼らは消したいんです、この世界を。「記述」の根本から滅却させ、跡形もなく消滅させたいんだと思います。国を消すなど途方も無い話しに聞こえますが、書架ライブラ…この世界の全ての「記述」が収容された場所にいけばそれが可能なんです。例えば書架にある本に火を放てば、それだけで『オルセン帝国』は消滅するんです。」


 何事も無いかのように述べているが、よくよく考えてみればそれはとんでもないことだ。今まで自分が暮らしていた世界が、ある日突然消滅する。たった一部屋に火を放つ事によって。ドメルトはヴェルナーに悟られないように肩を振わせた。


「なら、奴らを擁護している上層部の連中は、世界の破壊にも同意しているという事か?」

「それは……、まだわかりません。上層部がこの世界の真実をどこまで容認しているかにもよります。もしかしたら何らかの利害関係を結んでいるだけかもしれない。或いはまだ別の目的があるのかもしれません。」


 その辺りの事は、実際に上層部に探りを入れてみなければわからない、という事だろう。


「軍部の方はこれから本腰を入れて、と言ったところだな。で、あと一つ、お前の事はどうなんだ?」

「俺の事?」


 ヴェルナーは不意をつかれたように目を丸くした。


「お前がメテルリオンでやった事についてだよ。そのイザイアって奴が、軍関係者や貴族も多数乗船しているヴァイパー号を襲撃してまで、お前に聞きたがっていた事なら、かなり重大な事なんじゃないのか?」

「あー。」


 ヴェルナーはばつが悪そうに目を反らす。自分の事は特に議題に上げるつもりはなかったらしい。


「……本当に自分でもよくわからないんです。なんであんな事になったのか、本当に。」


 黙り込んでしまったヴェルナーに、ドメルトはしょうがないなと、ため息をつくと彼に助言する。


「ジュンア夫人には話を聞いてみたのか?彼女がメテルリオンに行く事が一つの鍵だったとしたら、彼女の周囲にも何か変化が起こっているんじゃないのか?」


 ヴェルナーはまたしても目を見開いた。この反応では、おそらくまだ彼女に会っていないのだろう。どうもこの青年は頭が回るくせに、肝心なところが抜けている。


「一度ジュンア氏の屋敷を訪れてみろ。そこで何か新しい情報があったらまた教えてくれ。」

「はい、わかりました。……すみません。」


 何故か気落ちしてしまったヴェルナーに、ドメルトはにやりと笑いかけた。


「何を落ち込む事がある?今日お前は十分すぎるほどの情報をくれた。初仕事にしては上出来もいいところだ。」

「……!はい、ありがとうございます!」


 思わず大声を出してしまったため、周囲の客が一瞬こちらを向いた。ヴェルナーは顔を赤らめて苦い顔をする。こういう所はまだまだ年相応の青年らしいと思った。


「とりあえず、外でしか出来ない話はこんなところか……。お前明日は本部に来るんだろうな?」


 確認というよりも、むしろ来いと脅迫する様な口調でヴェルナーを睨むと、ヴェルナーは顔を引きつらせてぶんぶんと頷いた。


「ただ、イザイア達軍事顧問は、おそらく俺に目を付けています。少将が思っているほど、本部では動けないかもしれません。」

「ああ、それなんだがな。最近その軍事顧問共の動きがおかしいんだよ。」


 きょとんとしたヴェルナーにドメルトは続ける。


「軍事顧問は元々元帥が招き入れたそうなんだが、最近その元帥の命ですら無視して独自に動き回っているらしい。ヴァイパー号の一件だってそうだ。元帥もその事に相当はらわたが煮えくりかえっているようだった。」


 軍部のトップである元帥がそれはそれは恐ろしい顔で兵たちの前を闊歩していた日には、兵たちも震えあがって碌に仕事にならなかった。


「それはつまり、イザイア達はすでに軍とは別の意思で行動しているという事でしょうか?」

「かもしれんな。だからおそらくお前の事を一々元帥らに報告しているはずはないと思うぞ。自由に歩き回れるはずだ。」

「それは、喜んでいい事なのでしょうか……?」


 ヴェルナーは複雑な顔をしたまま固まった。


「とにかく、明日俺の兵舎へ来い。そこで正式に補佐官としての業務開始だ。いいな、これ以上待たせるんじゃないぞ。」


 もう一度、釘を刺したドメルトは酒代をテーブルに置き、酒場を後にした。


 兵舎へ戻る間、ドメルトはドメルトで先ほどのヴェルナーの話をもう一度頭の中で反芻した。

 あの軍事顧問は本当にこの世界の外からやってきたのだろうか?彼らがこの世界を消し去ろうとしているのは本当なのか?何故軍部に入り込んだ?そして何故、今は軍部から離れようとしているのか?


 軍の上層部は、この世界の真実に気づいているのか?

 だとしたらどこまで?誰まで?


 ドメルトの脳内で新たな疑問が浮上する。どうやらドメルトの方でも調べねばならない事がありそうだ。

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