第十九章 ヴァイパー号の惨劇(2)
そして、あれよあれよという間に、シュトラウツァを出発しキルシュからこの豪華客船ヴァイパー号に乗り込んで、帝都へと向かう事になっていた。軍人であり第一連隊長補佐官の腕章を付けたヴェルナーは当然乗船可、パヴコヴィックも軍関係者として乗り込み、ソフィアも彼の助手として乗船を許可され、三人での船旅となったのだ。
あっという間の出来事で、理解も何もあったものではなかったヴェルナーは、船内で落ち着きを取り戻し、ようやくパヴコヴィックに話を聞く事が出来そうだ。ヴェルナーの隣では寝台に寝転がって雑誌を読んでいるソフィアがいたが、彼女に構わず博士に質問する。
「あの……、博士。船は今日の夕刻軍港につくそうですが、その前にちゃんとお話をしませんか?」
「ああ、そうだったな。仕事熱心だな、補佐官殿は。」
「もうそのちゃかしはやめて下さい……。」
ヴェルナーがばつの悪そうに咳払いをすると、改めてパヴコヴィックに向き直る。
「二年前、あんたが俺に言おうとしていた事は、この世界が記述によって作られた世界だという事ですよね?」
「……そうだ。」
パヴコヴィックははっきりと肯定した。
「何故この世界が記述の世界だとわかったんですか?」
「二十年以上前の事だ。私はある特定の地方の「記述」を採集する作業を行っておってな、採取したその「記述」の内容を分析したところ、何らかの規則性がある事を発見したのだ。そこで採集できる限りの「記述」を集め検証したら、それはその地域の地誌になった。それも相当に詳しいものだ。それで、様々な観点から考察した結果、その「記述」はその地を構成するより原初的な物質である事にいたり、導き出した結論が『この世界は記述によって描かれた世界なのではないか』という事だったのだ。」
その話を聞いて、ヴェルナーは舌を巻いた。ヴェルナーがこの世界が記述世界であると信じられたのは、あの膨大な書架の本を読み、あらゆる内容に触れたからだ。それでもまだ、その事実を完全に受け止めきれていないのに、パヴコヴィックはたった数行の記述の断片からその真実に辿りついたというのか。しかもそれに対してうろたえる事もせずに、事実をありのままに受け止めているのだ。それだけでもこの男の非凡さが見てとれる。
「この世界を創造した人物については何も知らないんですか?」
「知らない。調べようとした時にイザイア達に邪魔をされてこの体にされてしまったからな。それ以来、「記述」の解読はしてこなかった。」
という事は、パヴコヴィックもサイフォスの事は知らない。ヴェルナーは少し残念そうにため息をついた。その表情をパヴコヴィックは逃さず、突っ込む。
「そういえば、君の方こそ何故この事実を知っている?ソフィア君とも顔見知りの様だし。」
パヴコヴィックの質問に、ヴェルナーは彼にもメテルリオン以降の出来事を簡潔に話した。パヴコヴィックは仰天するどころか、その話を食い入るように聞いている。
「では君は知っているのか?この世界を創った人物を。」
「はい、以前お話ししましたよね?俺はサイフォス=ライトロウという人物を探していると。そのサイフォスこそが、この世界を創った張本人だそうです。」
「なんと!君の知り合いだったのか!だとすると君は随分と面白い立場にいるものだ。羨ましい、そのサイフォスとやらはどんな人物なのだ?」
「ちょっとガサツですが普通の男性でしたよ。まあ、俺も記述者としての彼と過ごしていたわけではありませんから。もうずっと昔の事ですし。」
するとパヴコヴィックは至極残念そうに肩を落としたが、すぐさま虚空を見つめ何やらぶつぶつと呟き始めた。
「となると、イザイア達が狙っていたのはこの世界の創造主という事になるのか。では、彼らは一体何の意思で動いているんだ……。」
「あの……、そういえば、イザイアやランドルフについては俺もよく知らないんです。あなたは御存じですか?」
その質問に、黙ったまま寝転がっていたソフィアも顔を上げた。まるで初耳だという様に、口を挟む。
「イザイアとランドルフとはなんだ?私はそのような者は知らないぞ?」
ヴェルナーは食いついて来たソフィアに事情を説明する。ランドルフがサイフォスとその縁者であるヴェルナーを憎んでいた事を話すと、途端に目を吊り上げた。
「なんだそれは!初耳だぞ、お前なんでその事をもっと早く言わないんだ!」
「いや、俺だってあいつらの正体なんて見当つかなかったし、それに話しきれない事だってあるだろ。」
鬼の形相で迫りくるソフィアをかわし、パヴコヴィックに助けを求めると、少年は渋面になって語りだした。
「私も正直なところよくわからん。ただ一度だけ、奴らの会話を聞いた時に、奴らは『記述者の御心のままに』と言っていたんだ。」
「記述者……!」
聞き覚えのある言葉に、ヴェルナーの顔も険しくなった。彼らがその言葉を述べたという事は、やはりあの連中はこの記述世界の真の姿を知っていた事になる。
「それともう一つだけ覚えているのは、奴らの名前だ。イザイアとランドルフ、そしてもう一人、リーシャという少女だ。」
「リーシャ……?もしかして、リーシャ=アルドネートですか?」
その名を発したのはソフィアだった。ヴェルナーとパヴコヴィックは思わず彼女を凝視する。
「ソフィア、知ってるのか?そのリーシャって奴を。」
「向こうは多分私を知らない。でもリーシャ=アルドネートは私たちの世代に知らない者はいない程の有名人だ。彼女は私たちの世代唯一の消去者で、シャスティに仕えていた侍女だ。」
消去者、記述師の中でもごく一握りの人間にしか現れない能力を持つ能力者。そんな人物がランドルフたちと行動を共にしているという事は、それはもう疑いなく、彼らは記述世界の人間ではなくソフィアと同じ世界の外から来た人間という事になる。
「お嬢さん、シャスティというのは?」
「二人の記述者のもう一人です。サイフォスとはまた別の世界を創造する、神と崇められるのをひたすら喜んでいた男です。」
ソフィアの顔には苦悶が浮かんでいた。確かソフィアは、サイフォスとの仲をシャスティに咎められ酷い目にあわされた。シャスティの事を思い出すのが辛いのだろう。
「だとすると、イザイア達が言っていた『記述者』というのは、シャスティの方だろうな。奴らはシャスティの命で動いていた。となると、彼らがサイフォスと君を殺そうとしていたのは―――、」
「記述者同士で何らかの諍いがあったと見るべきでしょうね。」
以前ソフィアが言っていた。サイフォスとシャスティは価値観の違いから仲たがいをしていたと。もし、その亀裂が頂点に達して、彼らが争いを始めていたとしたら。
少しずつサイフォスを取り巻いていた状況が見えてくる。
「じゃあ、もしかしたらサイフォスはそのシャスティとの争いで行方不明になり、それをシャスティの部下が探してるってことか?」
「研究所でランドルフが青年に話していた感じでは、連中もそのサイフォスとやらを探していたんだろうな。でもそうだとしても疑問が残る。奴らは何故軍に加担している?わざわざ軍に地位をもらって行動している意味はなんだ?…そもそもこの世界に無理やり入り込んでまで何かをしようとしている事自体不可解だな。」
記述者同士の争い、サイフォスの行方、イザイア達の目的、そして軍部。繋がるようで繋がらない、だがどこか関連性を秘めた事象。考える対象が多すぎて頭が混乱しそうだった。パヴコヴィックとソフィアもこれ以上の目新しい情報を持っていないのだろう。とりあえず、この議題は一端ここで打ち止めのようだった。
「軍部に関しては、青年が調べる手はずになっているのだろう。まあ、追々わかってくるさ。気をつけねばならんのは一緒だがな。」
すると、パヴコヴィックは意味ありげに目を伏せた。ヴェルナーは前々から気になっていた事をパヴコヴィックに聞いてみる。
「そういえば、博士はどうして帝都に……?」
「ああ、言っていなかったな。軍の要請でな、オーリクの調査を依頼されたんだ。」
「オーリクの調査……?」
オーリクと言えば、二年前イシルの軍勢から奪った兵器だ。パヴコヴィックの話では、オーリクはあの後帝都に搬送され兵器収容所に安置されているらしい。
「研究者の調べでな、どうやらオーリクという兵器、記述術を使用したものだったらしい。だから、その調査として私にお声がかかったんだ。」
「博士に……ですか。」
「そうだ、自慢じゃないが記述術に関してはこの世で私が一番熟知しているからな。」
それは自意識過剰でもなく、紛れもない事実だ。今この世界でパヴコヴィック以上に記述術に精通している人間はそうはいない。だから、オーリクの調査に彼が呼ばれた。
だが、それでも腑に落ちない。
「良いんですか?あんたはずっと軍に手を貸す事を拒んでいたのに。」
軍に手を差し伸べる気は無い、帝都には赴かないと、パヴコヴィックはかつてそう言っていた。頑なに軍と関わる事を拒んでいたのに。
すると、パヴコヴィックの表情が曇った。軽く目を伏せかすれた声で呟く。
「まぁ……、あれだ。いつまでも我儘は押し通せないという事だな。私もそろそろ潮時だと思ったんだ。」
「そんな……。」
「私は記述術の軍事転用を拒絶して、今までああしてきたんだ。でも、私の知らぬところでそれが行われていた。なら、今更意地を張ってもしようがないだろう?」
そしてパヴコヴィックは自虐的な笑みを浮かべる。
「それにな、私ももう若くない。老いると色々感傷的になってしまってな。今まで断固としてやらんと思ってきた事も寛容になるんだ。悔いの残らないように、余生は効率的に生きねばと思ってしまうんだ。」
思春期の子供の姿をした少年が述べる言葉ではなかったが、ヴェルナーははたと気づく。パヴコヴィックの身体は年々若返りを続けている。では最後まで若返ったら彼はどうなるのだろう。彼の肉体は今十代前半、では、彼の余命は―――。
「なに、私はもう十分生きた。それに若返って今十代という事は、少なくとも後十年は生きられるという事だ。老衰していつ死ぬかわからないより、気持ちは随分楽なんだ。動きも軽いしな。」
少年の笑顔は、ヴェルナーの心を抉った。常人とは違う人生を歩む男、きっと失ったものも多いだろう。それでも彼は、笑うのだ。




