第十八章 それぞれの想い(4)
執務室は今日も静かだった。ここ最近、駐屯兵団の団員は目の回るような忙しさで、日中は町じゅうを飛び回っているため、兵舎はがらんどうになっているからだ。
その原因となっているのが、社会主義者たちを中心に結成された反帝国組織の活動。これらの組織は、十余年前からすでに存在していたが、ここ一年ほどで構成員を瞬く間に増やし、ますます規模を肥大化させ社会問題となっている。今、国中で彼らの暴動やゲリラ演説が多発しており、軍はそれを規制するのに手を焼いているのだ。
シュトラウツァの近隣都市でも、数ヶ月前、市民を巻き込んだ暴動が勃発し大きな波紋を呼んだ。おかげで、シュトラウツァはすっかり静まり返り、今では人より幽霊が闊歩している方が自然な暗い辛気臭い町に様変わりしてしまった。
治安を守る駐屯兵団団長として、この事態を重く受け止めたノルキースは、恥をかき捨て長年距離を置いて来たオルセン軍本部に、暴動鎮圧とその抑止力として援軍を要請した。それはノルキースが連隊長を降格になりシュトラウツァ勤務についてから、初めての正式な要請だった。
一体本部からどんな偉そうな奴がやってきて嫌味を言われるか、そう思って覚悟して出迎えたのがあの男。
「久しぶりだなあ!ディラン!」
到着して早々緊張感の欠片もなく、ノルキースの事を名で呼んだかつての戦友に、張りつめていた緊張と覚悟が一瞬にして霧散したのは言うまでも無い。
だが、ハルトマンが来てくれたおかげで、一時の極限状態が徐々に緩和され始めた。滞在して半月、ハルトマンはこの地にすっかり馴染み、今では駐屯兵たちもハルトマンを頼る様になった。緊張が緩和されたのは本部の連隊の支援があったというだけではない。ハルトマンという、少将にしては珍しくわけ隔てなく気さくに接する存在が功を奏した。
彼は少々横着で、どうしようもない所もあるが、やはり人を引き付ける人徳がある。それはきっとノルキース自身には無いものだ。
だから外回りを部下やハルトマンに任せ、ノルキースは事務仕事を片付ける。自分にはできない事を彼らはしてくれる、それは純粋に在り難い事だ。それに、こうして一人でいる時間は悪くない。そう思っていた時、部屋の扉がノックされた。
「入れ。」
部下の一人が報告に戻ってきたのかと思って顔を上げると、扉の向こうから意外な人物が現れて、ノルキースは思わず目を見開いた。
「失礼いたします。」
敬礼をして入ってきたのは、銀髪の若い将校、ヴェルナーだった。昨日兵舎の廊下ですれ違ってから顔を見なかったが、まだシュトラウツァに留まっていたのか。
「何か用か?」
「はい、今から帝都へ発つので一度ご挨拶を、と。」
ノルキースはヴェルナーの腕につけられた腕章を見る。まだ新しい第一連隊長補佐官の証が輝いて見え、ノルキースは自然と目を反らした。
「随分のんびりしているんだな。さっさと行かんと連隊長殿がお怒りになるんじゃないか?」
「連隊長には連絡を入れてあります。お気遣い感謝します。」
昨日とは人が変わった様に、ヴェルナーはまっすぐノルキースに向き合ってくる。彼の中で、何か心境の変化でもあったのだろうか。そんな事を考えていると、ふいに相手も黙り込んだ。しばしの静寂が部屋を支配する。
「……あなたに、どうしてもお伝えしたかった事があるんです。」
「……なんだ?」
「以前、あなたは俺に「何故将校になったのか」とお聞きになりましたよね?」
「さあ、どうだったかな。」
ノルキースはあまり覚えていないという仕草をする。その心中では、二年前のあの問答が鮮明に思い出されていた。
「あの時の質問にお答えします。俺が将校になったのはサイフォスを探すためです。それ以上でもそれ以下でもありませんでした。」
「……。」
「でも今は違います。俺は自分の力で出来る限り軍の為に何かをしたい。そして、一人でも多くの人間を助けたい。」
はっきりと力強い言葉だった。かつて、ノルキースが問いただした時とは違う、彼に迷いは無かった。そして、ヴェルナーはさらに続ける。
「俺、一つ将来の目標が出来ました。士官学校で教官になりたいんです、ハルトマン少将の様な。」
「教官……?なんでまた?」
「メリノの戦いで思いました。戦場に赴く兵士には年齢や実績、階級など考慮されない。そいつがどんなに未熟でも、敵の前に放り出されれば、一人の兵士として戦わなくてはいけない。
経験が必要なんです。たとえ上官が倒れ、味方が全ていなくなって一人になったとしても、戦場で生き抜くための知恵と経験が。実戦でそれは得られない。なぜなら得られる前にそいつは生きて元の場所に帰れないかもしれないから。だからそうなる前に上の人間が教えなくてはいけないんです。一人でも多くの部下を死なせないために、義勇兵や下士兵卒にも及ぶ学び場を提供する必要があるんです。俺は教官になって生まれや身分に関係なく、武器を取る人間全てにその機会を与えてやりたいんです。」
熱弁するヴェルナーにノルキースは内心驚いていた。彼は気づいているのだろうか、今自分がこの国の軍制の在り方に異議を唱えているという事を。
代々一部の貴族にしか開かれなかった軍事教育、最近では士官学校が創設され平民の多くにもその門が開かれているが、それよりも多くの末端の下士兵卒には到底受けることすらできない制度だ。兵はただ将校の指揮に従い動く駒であれば良い。そう言った概念が長年軍部の間にはある。そうではないのだと、青年は訴えている。軍人になる者にこそ身分はあってはいけないのだと諭している。彼の言っている事は、より突き詰めれば軍事改革の域にまで到達する。
おそらくヴェルナーはそこまで気づいてはいないだろう。ただ単純に、より多く若く弱い兵の為に、生き伸びる術を説いてやりたいと言っているだけだ。
ノルキースは無意識に笑っていた。笑いをこらえるように俯くノルキースにヴェルナーは不服とばかりに抗議する。
「……何かおかしいですか?」
「いや、若いというのは良い特権だと思ってな。」
「なっ、どういう意味ですか!?」
「なんでも思う様にやってみろと言ってるんだよ。」
ノルキースが笑いに歪めた顔を上げると、ヴェルナーはきょとんとした。
「ヴェルナー=ライトロウ。恐れるな。お前が正しいと思う道を進んでみろ。」
「……はい。」
ヴェルナーも笑った。その笑みを見て、ノルキースは安堵した。もうこの青年は迷う事などない。
「俺、いつかハルトマン少将やあなたの様な軍人になります。」
「私か?私の様になどならん方がいいぞ。」
偉大な業績を残し、ヴェルナーを支えてきたハルトマンならわかる。だが、ノルキースなど彼にとって尊敬に値する人間のはずがない。そう言うと、ヴェルナーはいいえ、と首を振った。
「俺はあなた以上に部下を思いやれる人間を知りません。だから、あなたも俺にとって目標なんです。」
なぜ部下にした覚えのないヴェルナーにそう言われるのか一瞬理解できなかった。だが、その心辺りを一人だけ思いだすと、ノルキースは苦々しげに唇をかむ。その様子を見てヴェルナーもクスリと笑った。
「では、すみません。もう時間ですので。」
「ああ、道中気を付けてな。」
「はい……。大佐もお元気で。」
そうしてヴェルナーは名残惜しそうに部屋を後にした。部屋はまた静寂に戻る。
ノルキースはため息をつくと、椅子に強くもたれかかる。思った以上にほっとしている自分に驚いた。
「はー、あいつも大人になったなぁ。あんな事を言う様になったなんて……!」
感傷に浸っていたのもつかの間、傍の窓の外から、気分を害するほどわざとらしい泣き声が聴こえて来た。執務室は一階。窓の外には、兵の憩いの場にもなっている中庭が広がっている。その窓から、憎々しい笑顔をたたえた男がひょいと顔をのぞかせた。
「盗み聞きとは趣味が悪いですよ。〝ハルトマン少将″……!」
「偶然だよ偶然。窓開けっぱなしにしていたお前が悪い。」
ひらひらと手を振るハルトマンに、ノルキースはこれ以上ないほどこめかみを引きつらせた。努めて笑顔を作ろうとするが失敗に終わる。
「な?やっぱりあいつお前に似てるだろ?律義なとことかまっすぐなとことかそのままだ。」
「似てない。俺はあんなに青臭くない。というか、俺の事をホイホイ喋るな!」
「なーに言ってんだよ。お前だって、目標とか言われてちょっと感動しちゃって―――」
「ライリー!!!」
怒りが頂点に達したノルキースは取り繕っていた行儀など忘れ、窓の外にいる友に殴りかかった。
第十八章完。
ようやくノルキースとも和解出来ました。




