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第十八章 それぞれの想い(3)

「すまんなぁ、ここに来てから半月ほど経つんだが、まだ荷の整理が終わってなくて。」


 笑いながらハルトマンは机の上に積み上げられた書類の束を適当に片していく。重要書類にもかかわらず、ぞんざいに扱われている様を目の前で見ながら、ヴェルナーは応接のソファに腰掛けていた。


「……お手伝いしましょうか?」

「いや、いい。そんな大した案件のものじゃないから。それにすぐ終わる……よし、終わった。」


 どう見ても、部屋の隅に紙束を積み上げただけの整理整頓では全くない何かだったが、ハルトマンは満足したらしく、ヴェルナーの向かいに腰掛けた。茶を飲むかと聞かれたが、備え付けの流しも大概の状態だったので丁重にお断りした。


「しかし、最後に会ってから随分経つな。元気しとったか?」

「ええ……、まあ。」

「卒業してからはグリアモにいたんだろう?メテルリオンに向かっていたというのは、遠方任務か何かだったのか?」

「……はい。御存じだったんですね。」

「まあな。ヨドの一件も耳に入っていた。指名手配の報告を受けた時はそりゃあもう驚いたが、結果何事も無くて良かった。お前、あの時の戦争に参加していたんだろう?」

「はい……。」


 質問を受け続け、ヴェルナーはそれに歯切れ悪く答えていく。その口調が酷く生気のないものである事は、ヴェルナーもわかっていたが、ハルトマンは気にすることなく会話を続けていく。相変わらずこの人は相手の気持ちなど歯牙にかけない。そう言うと聞こえは悪いが、ハルトマンの場合はあえてそうしている気がする。こちらが気落ちしている事を察して、あえて明るく接してくれようとしている。

 だが、ハルトマンがノルキースの名を口にした時、声のトーンが少しだけ何かを案じたなものに変わった。


「ディランと会ったのもその旅の道中か?」

「……。」

「…あいつと何かあったか?」


 その時ヴェルナーは不覚にも泣きそうになってしまった。うちに抑え込んでいた靄が一気にわき上がるような感覚。親に子供同士の喧嘩の原因を優しく問いただされる時とはこんな感じなのか、と実感した。


「申し訳ありませんでした……!」


 涙腺の緩みかけた目を隠すように、ヴェルナーはハルトマンに向かって深々と頭を下げた。ハルトマンは突然の謝罪にきょとんとしているようだったが、ヴェルナーにその顔は見えない。


「おい、一体どうしたんだ?」

「……大佐にあなたの事をお聞きしました。あなたが俺と出会ってから何年もの間、サイフォスを探してくれていたと。」


 すると、ハルトマンは状況を察したのか、ああ、と気まずそうな声を漏らした。


「俺も色々調べて回ったんだがな、あいにくとまだ情報は掴めていないんだ、悪いな。」


 逆に謝罪するハルトマンに、ヴェルナーはそうじゃないと首を振る。


「本当はわかっていたんでしょう?サイフォスはどこにもいないって。でもあなたは黙っていてくれた。」

「――!なんだ、聞いたのか。軍籍名簿にサイフォスの名前がどこにも無かった事。」


 二年前と同じ真実がハルトマンの口から告げられた。あの時は、その事を受け入れる事が出来なくて、ただノルキースに当たり散らす事しか出来なかった。

 今、同じ言葉を受けてヴェルナーの心に生まれるのは、途方も無い悲壮感。サイフォスが存在しなかった事に対してではなく、それをハルトマンに背負わせていたという事に対しての重み。


「あなたはこの事をずっと重荷に感じていたんでしょう?でも、俺を思って黙っていてくれた。それなのに俺は……、そんな事も知らずに能天気に過ごしていた……!本当に、どうお詫びしていいかわからなくて―――」

「ちょっと待て。なんだ、一体?重荷とかお詫びとか。」


 すると何故か、ノルキースは話がついていけないとばかりに口を挟んだ。顔を上げると、ノルキースの顔には全く心当たりがない、と書かれていた。


「え……?ですから、少将は俺がその事を聞いて絶望するかもしれないと思って、隠してくれていたのでは……?」


 尻すぼみになりつつ問うてみると、次の瞬間ハルトマンは腹を抱えて笑い出した。


「なっ……、何が可笑しいんですか!?」


 ヴェルナーは身をよじって笑い転げているハルトマンに思わず怒鳴った。そこまで抱腹絶倒されるほど面白い事を言った覚えは無い。


「……いやあ、すまん。お前があまりにも突拍子の無い事を言うもんだから……!」

「俺は真剣に話してるんです!それなのに―――」

「ディランにそう聞かされたのか?」


 ズバリ言い当てられて、思わず黙った。首を縦に振ると、ハルトマンはにやりと笑う。


「なるほどね。それでお前ら気まずそうだったわけだ。あいつの事だから感情任せに怒鳴りつけたんだろう?」


 事実はその通りなのだが、肯定するわけにもいかず思わず目をそらす。対照的にハルトマンは実に愉快そうにこちらを見つめている。ヴェルナーはそれが気に食わず、子供の様に口を尖らせた。


「ヴェルナー、なんで俺がお前にサイフォスの事黙っていたか教えてやろうか?」

「え?」

「それはな―――」


 ヴェルナーはごくりと唾を飲み込み、ハルトマンの次の言葉を待った。しばしの沈黙が訪れる。そして―――


「お前に軍を抜けられると困るからだ。」

「……は?」


 ヴェルナーは思わず抜けた返事をしてしまった。するとハルトマンはいけしゃあしゃあとこんな事を言うのだ。


「だってお前、サイフォスが軍にいないって知ったら絶対軍に見切り付けて辞めるつもりだっただろ?」

「そんなことは―――……あるかもしれません……。」


 少なくとも学生時代や新任直後にそれを知ったとしたら、間違いなく辞めて別の手がかりを探そうとしたと思う。ヴェルナーにとって軍は「サイフォスの手がかりを見つける場所」であって、それ以上でもそれ以下でもなかったのだから。


「俺は最初にあった時から、お前は絶対軍にとって欠かせない存在になる、と直感で思った。けどお前と軍を繋ぎとめる唯一の糸がサイフォスで、それが切れちまえばお前はいなくなる。……だから言わなかったんだ。お前を軍に残すために。お前の為じゃない、俺と軍の為にお前を騙してたんだよ。」


 騙す、という言葉は違うのではないか、とヴェルナーは思った。ハルトマンは間違った事をしていない。将校として軍の利益を最優先に考えた結果なのだから。問題なのは、サイフォスの事しか頭になく、将校としての自覚を持てなかった自分なのだから。


「謝るのは俺の方だよ、ヴェルナー。黙っていてすまなかった。」


 今度はハルトマンが深く頭を下げた。古い知り合いとはいえ、上官が、本部の少将が頭を下げる姿に、ヴェルナーは言葉が無かった。


「でもそうか……、ディランはお前を絶望させないために、と言ったのか……。」


 するとハルトマンはまた少し可笑しそうに口を歪める。まだ何かツボに入ることがあるのかと聞いてみると、


「実は軍籍名簿を調べようと言い出したのは他でもないディランなんだ。俺があいつにお前の事を少し話したら、「絶対に調べるべきだ」と言い出してな。」

「そうなんですか?」


 サイフォス探しを手伝っていたというのはノルキース本人が言っていた事だが、これは初耳だった。ヴェルナーは予想外の事実に驚く。あのノルキースが、会った事も無いヴェルナーの為にサイフォス探しを申し出たのか。全く想像がつかない。


「その時あいつはすでにシュトラウツァ勤務だったから、帝都にはいなかった。にもかかわらず、わざわざ軍籍名簿を取り寄せたりして、必死に調べていたな。

 そして、どこを探してもいないとわかった時ひどく落胆していた。……多分、俺よりもな。」


 ヴェルナーは驚きのあまり絶句した。どうしてだろう。会った事もない、見ず知らずの人間の為にどうしてそこまで―――。

「どうして?」心の言葉が口に出た。その答えをハルトマンは静かに語る。


「あいつはそういう奴なんだ。困っている奴は放っておけない。どんな事をしてでも、たとえ自分を犠牲にしてでも、助けようとする奴なんだ。

 態度は天邪鬼もいいところなんだが、根はまっすぐで恐ろしいほど情に厚い。だから、きっとお前の事も放っておけなかったんだ。特にお前には随分と感情移入していたみたいだからな。」

「そんな……!どうして俺なんかに……。」

「似てるんだよお前、若い頃のディランに。きっと俺の話を聞いて察したんだ。だからあいつはお前の事を気に掛ける。自分と同じ過ちを犯してほしくないと思ったんだろう。」

「同じ過ち?」

「あいつは昔地位も名籍もいらない。傍にある人を守るための存在であれば良い。そんな事を上官に言い放つような奴だったんだ。そして、軍の利益よりも何よりも目の前にある人命を優先する様な奴だった。

 その性格が祟って、あいつは十七年前の戦争で自分の連隊を壊滅させるという大失態を犯した。おかげであいつは、准将から大佐に降格、連隊長を降ろされて今じゃこんな僻地勤務だ。」


 ハルトマンが語るノルキースの過去に、言葉が出なかった。あの時、シュトラウツァで初めて対面したヴェルナーを見て、あの怪訝そうに歪められる瞳には何が映っていたのだろう。「地位も惜しくない」と言い放ったヴェルナーにノルキースは一体何を思ったのだろう。それを考えるだけで、ヴェルナーは苦しくなった。


「俺思うんだけどな、お前がサイフォスの事を聞いて絶望するかもしれないと思ったのは多分―――」

「わかってます、……もう、わかりました。」


 ハルトマンの言葉をヴェルナーは制した。

 あの時、ノルキースがヴェルナーに伝えた事、あれは、ノルキース自身の言葉だったのだ。

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