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第十八章 それぞれの想い(1)

 ユートレイの街並みは今日も煌びやかだ。日もとっぷりと暮れた宵の刻だというのに、街中には観劇や賭博場へと向かう人々で溢れかえっている。彼らは皆上物のスーツやドレスに身を包み、その顔にこれ以上ない悦楽を浮かべている。

 貴族と成金が謳歌する楽園、それがユートレイだった。

 ここにいる者は大抵、帝都から余暇を求めて訪れた豪遊者たちだが、居を構える者や旅の経由地としてやってくる平民も大勢いる。そういった者のための居住区や宿場は、街の郊外に用意されているのだが、その一帯は華やかな中心街に比べると、打って変わって辛気臭い空気が漂っていた。


 そんな郊外地区の坂道を、ヴェルナーは息を切らして登っていた。春とはいえまだ冷える晩なのに、身体は火が灯った様に熱く、頭もくらくらしていた。

 それだけならまだしも、ヴェルナーの背には蚤虫の如く張り付いた女性が、ヴェルナーの首にしがみついたまま、ズルズルと引きずられていた。長い白銀の髪は乱れ、顔は青白くその整った眉は苦痛に歪められている。形のいい唇からは微かに唸り声が聴こえるが、本人は意識がすでに無いらしい。


「ソフィア……、起きるなら起きる、寝るなら寝る、どっちかにしてくれ……。」

「……。」

「つーか、苦しいんだが。さっきから首絞まってるぞ、おい!」


 必死に抗議するが、意識が朦朧としているソフィアには全く効果が無い。にもかかわらず、ヴェルナーの首に巻き付いた腕は一向に力を緩める気配がない。

 どうしてこんな事になったのか。話は今日の夕刻、およそ五時間前にさかのぼる。




 インサルーナから徒歩でユートレイに到着した。派手派手しい街に怖気づきながらも、まずソフィアの行方を捜す事にする。この街にいるとしたら、宿場の方を手当たり次第に当たってみれば、泊っている宿もわかるだろう。なにせソフィアは白銀の長髪に全身真っ白なコートを着用している。宿主でなくとも、彼女の姿を覚えている者はいるはずだ。

 多少骨は折れるが、見つけるのは不可能じゃない。そう思っていた矢先に、その意中の人物はいとも簡単に見つかった。

 中心街から少し離れた庶民向けの酒場の前を通った時、中から一際大きな歓声が上がった。驚いてヴェルナーは思わず立ち止まる。


「いいぞー!姉ちゃん!」

「親父もう観念しろよ!酒代くらい何だってんだよ!」


 そんな野次が店の外にまで響き渡る。一体夕刻から何をやっているのかと、酒場を覗き込むと、人ごみの中心にいる人物を見て血の気が引いた。


「……!あいつ、何やってんだ!?」


 酒場の中心で大勢のギャラリーに囲まれ、酒を煽っていたのは他でもないソフィアだった。すでに相当量の酒を平らげたのか、彼女の前には両手では数えきれないほどの空のジョッキが無造作に転がっている。目も虚ろになり頬も紅潮して、完全に出来あがっていた。

 ヴェルナーは血相を変えて酒場に乗り込む。勢いよく扉を開けると、酒場の客が一斉にこちらを振り向いた。

 ヴェルナーの軍服に一瞬顔を引きつらせる者もいたが、それよりも先にヴェルナーの存在に気づいたソフィアが、目をひんむいてこちらに向かってきた。


「ヴェールーナーー!!!」

「わっ、何だよお前!……て、酒臭!」


 ソフィアの全身から発せられるに酒気に思わず顔をしかめるが、構わずソフィアはヴェルナーの胸倉を掴んで顔を引き寄せた。


「お前!一体いつまで私を待たせる気だったんだ!」


 怒鳴るソフィアの目は焦点が定まっておらず、呂律も回っていなかった。完全に泥酔している。一体どれだけ飲めばこんな状態になるのか。首をがくがく揺すられながら、ヴェルナーは驚愕する。


「なんだ、待ち人って軍人だったのかよー。がっかりー。」

「俺だってソフィアちゃん狙ってたのになー。」


 状況の読みこめないヴェルナーに構わず、周囲の客が口々に愚痴をこぼす。誰でもいいから説明してほしいと、半泣き状態で辺りを見回すと、小汚いエプロンをした不機嫌そうな髭面の男が、ヴェルナーの前に立ち何かが書かれた紙を突き付けた。


「……酒代。」

「へ?酒代?」

「その姉ちゃんが、三日間で飲んだ酒代。連れが来たらそいつが払うって言った。」


 我知らずに素っ頓狂な声を上げて固まった。突き付けられた領収書の額を見てみると、酒代にしてはとんでもない桁数の金額が書きなぐってあった。ヴェルナーは未だ自分の首を揺り動かしているソフィアを見下ろす。「遅い、遅い。」とうわ言のように繰り返す女を見て、ヴェルナーは眩暈で倒れそうになった。


「この姉ちゃん。つけは禁止だっつってんのに一向に払わねぇ。軍人さんが払ってくれるんだよな?」

「いや……、それは……。」


 さすがにヴェルナーとてこんな額いきなり払えない。本気で困っていると、客の一人が茶々を入れた。


「いやいや親父さん。そりゃ違うでしょ?払う代わりに、客と飲み比べして勝てたらチャラにするって姉ちゃんと賭けしたじゃん。それ、飲み比べした時の代金も入ってるでしょ?」

「おい!余計な事を言うんじゃない!」

「まったくおっさんも往生際が悪いなぁ。ソフィアちゃんが連勝してたからって、その軍人さんに払わそうなんて。」


 すると、客が一斉にどっと笑い転げ、店主は顔を真っ赤にして領収書を握りつぶした。

 なんとなく、状況が読めてきた。要するに、ヴェルナーに払ってもらおうと、ソフィアが後払いで酒を飲んでいた所、この店主にどやされて売り言葉に買い言葉で、飲み勝負を始めた。ソフィアが勝ちそうになって、あわやという所でヴェルナーが割り込んできたものだから、ここぞとばかりに全て押し付けようとしたのだろう。

 ヴェルナーはため息をつくと、出来るだけ店主の逆鱗に触れぬよう真摯にお願いした。


「あの、こいつが自分で頼んだ分の酒代はお支払いしますので、それで勘弁してもらえませんか。こいつももう限界みたいですから、許してやってください。」


 予想外に丁寧に頭を下げられたせいか、店主は僅かにひるみ、ぐっと唇をかんだ。騒がしかった店内が妙に静まり返る。皆、店主の反応を待っていた。が、


「……やっぱり駄目だ!勝負に勝つか、酒代全部払うまでは帰さんからな!」


 店主の喚き声に、ヴェルナーよりも早く周囲から野次が飛ぶ。


「なんだよ親父!器が小さいぞ!」

「そうだ、そうだ!この根性無し!」


 容赦のない罵倒に、ますます店主の顔が赤く染まった。これでは収拾がつかないではないか。ヴェルナーがやけになって天井を仰いでいると、一人の男が閃いたとばかりにとんでもない提案をした。


「そうだ!勝負の続き兄ちゃんがやればいいんじゃねぇの?どうせ支払うのは兄ちゃんだし、兄ちゃんが勝てばおやっさんも文句ないよな?」


 ヴェルナーは思考停止した。今、何といった?飲み勝負の続きを俺がやれと―――?

 その提案に、客の間で俄かに喝さいが起こる。まさに名案とばかりに拍手をする者までいた。


「ふむ、それなら俺も文句は無い。軍人さん、あんたが勝てば酒代は全てチャラ、負けたらあの姉ちゃんが飲んだ分とあんたが飲んだ分、全額支払いだ。」


 店主もころっと気分を良くし、のりのりで酒を注ぎ始めた。ヴェルナーはもはや自分に何が起こっているかわからず、中央の椅子に座らされ目の前に置かれたジョッキを茫然と見つめた。

 結局、酒代などどうでもよいのだ。ここにいる連中はとにかく血の滾る様な勝負が見たいだけ、それに気づいたヴェルナーは腹をくくって、ジョッキを思い切り飲みほした。




 結局、勝負はヴェルナーの勝ちで終わり、あのバカ高い酒代を払わずに済んだ。だが、さすがに申し訳なかったので、ソフィアが自分で頼んだ分だけ支払って酒場を後にした。

 酒場に入ったのは夕刻だったが、辺りはもうすっかり暗い。何時間飲んだのか、何杯飲んだのか、何人と勝負したのか、正直なところよく覚えていない。ヴェルナーはそこそこ酒には強いという自負があったが、今日ほど飲んだのはおそらく人生で初めてだった。


 頭の奥が割れるように痛む中、ソフィアが泊っているという宿屋を目指して坂道を登る。どうせ、宿屋にも後で連れが払うだのなんだの言いくるめているだろうから、それを処理する事を考えただけで、ますます頭痛が酷くなった。

 ソフィアは相変わらず泥酔し意識が朦朧とした状態で、ヴェルナーに引きずられている。ソフィアは女性にしては身長も高くすらりとした体躯のため、ヴェルナーが肩に担いでもズルズルと足を引きずっていた。本当はおぶってやろうと思ったが、ソフィアが拒否した。いっそのこと意識が無くなってしまえば、さっさとヴェルナーが運べるものを、知らずのうちに舌打ちをする。


「ずっと……待ってたんだ……。」


 先ほどからソフィアは、待っていただの遅いだのとうわ言のように繰り返す。ヴェルナーと別れてから、三日しかたっていない。そんなに責められる程放置した覚えは無いと、ヴェルナーは抗議したくなった。


「遅いじゃないかぁ……。」

「……悪かったって!こっちも色々あったんだ!」

「どうして来てくれないんだ……。」

「来てくれないって、来てやっただろ!?」


 この期に及んで何が不満だというのか、さすがに我慢の限界の来たヴェルナーは背にしょったソフィア突き放すと、道に倒れ込んだ彼女に怒鳴りつけた。


「お前な、いい加減にしろよ。俺がどんだけ迷惑被ったかわかってんのか!?」

「……。」

「おい!何とか言え!」


 乱暴に肩をゆすると、ソフィアは視点の定まらない目でなおもこう呟く。


「だって、迎えに来てくれない。」

「だから、俺は迎えに―――」

「あの人は迎えに来ない。」


 そこで、はたと手を止めた。すると、ソフィアの瞳から一粒の涙がこぼれおちる。


「私はあの部屋でずっと待ってたのに……。なのにあの人はいつになっても来ないじゃないか……!」

「お前―――」

「サイフォスはきっと私の事なんか忘れたんだ。私の事置いて行ったんだ……!だから待っても来ないんだ。」

「……いや、そんなことないだろ。」


 ヴェルナーはようやく悟った。ソフィアが待っていたのはヴェルナーじゃない。この街にくる前から、あの本に埋もれた部屋にいた時から、彼女が待ち望んでいるのはたった一人、サイフォスなのだ。

 泣き崩れるソフィアを見ると、ヴェルナーは怒れなくなった。ヴェルナーにもわかる。突然サイフォスがいなくなったあの日、自分もあの家でずっとサイフォスの帰りを待っていた。一日中扉の前に張り付いて、それからいてもたっても居られなくなって部屋を飛び出した。泣きながらサイフォスの名前を呼んでいた。


 今のソフィアは、あの頃のヴェルナーだ。恋人を探すために、記述世界に乗り込んで右も左もわからず不安に駆られながら、それでも必死でサイフォスを探そうとしているのだ。

 ヴェルナーはそれから沢山の人と出会い、サイフォスの事を忘れる事が無くとも、寂しくはなくなった。

 でも、ソフィアは?

 サイフォスに置いて行かれた後、ずっとあの部屋で一人孤独に本を読み続けていた。彼女は今でも、あの頃のヴェルナーのままなのかもしれない。


 ヴェルナーは座り込んでしまったソフィアを有無を言わさずおぶった。ソフィアは一瞬抵抗したが、そのままヴェルナーの背に身体を預け呟いた。


「……お前なんか嫌いだ。」

「……ああそうかよ。」


 嫌いで結構だ、と吐き捨てるヴェルナーの背中でソフィアがまた口を開く。


「お前は、私の知らないサイフォスの事、たくさん知ってる。私より多くの時間をサイフォスと過ごしてる。……お前なんか大嫌いだ。」

「お前だって俺の知らないサイフォスの事、たくさん知ってるじゃねぇか。子供かよ。」

「子供じゃない。」

「子供じゃねえか……って!首を絞めるな!」


 ソフィアのささやかな抵抗にのたうち回りながらも、不思議と怒りが湧いてこなかった。彼女の素の部分が、彼女の想いが、ほんの少し垣間見られたからかもしれない。

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