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第十七章 二年後、記述暦一八一〇年(5)

 猶予は三日間与えられた。覚悟が決まったら、インサルーナに残した部下に声をかけろと告げ、ドメルトは帝都へ戻っていった。

 ヴェルナーは再び部屋に戻された。だが、先ほどの独房ではなく、今度はきちんとした客室だった。ベッドもスプリングが利いて身体が難なく沈みこむ。それと共に、意識も深く沈みこむ様な気がして、ヴェルナーは逆に居心地悪くなってしまった。


「……補佐官、右腕か……。」


 ドメルトに言われた言葉は、いまいち実感がわかない。自分がそんな風に、誰かに期待されることなどなかったから。

 だが、ドメルトの眼は本気だった。本気で、軍部に潜む闇を暴こうとしている。恐怖など微塵も感じさせず、それが正義なのだと疑わない。

 ヴェルナーはその度胸に怖気づいていた。それでも、少し冷静になってくると、その潔さに惹かれている自分がいた。


 ベッドから起き上がると、ヴェルナーは自分の掌を見つめた。もう一度、自分に問いかけてみよう。自分が何をすべきなのか、この世界に戻ってきて何を成そうとしているのか。


 サイフォスは言っていた。この世界で生まれたヴェルナーだからこそ成せる事があるのだと、サイフォスもそれを期待しているのだと。

 そして、そのサイフォスを探す手がかりとなるのが、この世界で唯一サイフォスの名を知っていた軍事顧問と呼ばれる者たちの存在。或いは彼らを招き入れた上層部。

 ならば、彼らを追う事で、サイフォスの行方に近づけるかもしれない。その点では、ドメルトの提案は願っても見ない事だろう。


 もう一つ浮かんだ事、それはアイリの事だった。彼女を軍から追い立てたのは、本来存在しないはずの自分、そして、彼女にいわれのない罪を着せた上層部。上層部はなぜ執拗に近衛兵の病を隠したがったのか、何故そのためにアイリは罰せられなければいけなかったのか。それをヴェルナーが暴く事こそ、彼女に対する罪滅ぼしになるのではないか。


 そこまで考えて、はたと気づき、ヴェルナーは笑ってしまった。


 ―――なんだ。もう答えは出ているではないか。


 サイフォスを追う事、アイリの罪の真相を知る事。それらは、ヴェルナーにたった一つの道しか示さない。


「……やってやろうじゃねぇか。」


 腹をくくってそう呟いた時、自分がいかに獰猛な顔で笑っていたか、ヴェルナー自身は気づく由も無かった。


 ◆

 翌日、辞令を受けると申し出ると、ドメルトの部下の若い兵はすぐさまヴェルナーに必要なものを進呈した。軍資金に新しい軍服、その他旅に必要な手荷物。そして、手渡されたいくつかの勲章バッジを眺め、ヴェルナーは眉を寄せる。


「そちらは大尉の階級章です。中尉の時の物と取り替えて下さい、前のはこちらで預かります。それから、こちらは名誉勲章です。常に付けている必要はありませんが、式典等で必ず必要になります。最後にこちらの腕章は、連隊長補佐官のものです。こちらは常時着用するようお願いします。」


 一通り説明を受けた後、ヴェルナーは指示通り記章を付ける。大した大きさではないのに身体がずしんと重くなった気がした。


「それからこちらも。」


 兵が差し出したのは三丁の銃だった。小型拳銃が二丁と、ライフル銃が一丁。ヴェルナーが愛用していたものと同じものだった。


「グリアモで支給されていたものと同じ型をご用意しました。要望があれば、別のもお渡しできますが。」

「いや、これでいい。ありがとう。」


 メテルリオンで紛失してから、久々に銃を手に取った。慣れ親しんだ形状は、ヴェルナーの手にしっくりくる。空だった両腿のホルスターに収めると、ようやく半身が戻ってきた様な心地がした。


「隊長は帝都でお待ちです。準備が整い次第、本部の詰所に顔を出すようにとのことです。」

「ああ、それなんだけどな……。」


 ヴェルナーは少し申し訳なさそうに頬を掻くと、兵に告げた。


「帝都に行く前に少し寄り道していきたいんだ。その……任務にも関わる事だ。隊長に少し遅れると連絡を入れてくれるか?」


 おそらく隣街で待ちぼうけているであろうソフィアとシュトラウツァへ向かわねばならないし、グリアモの皆にも少し挨拶をしておきたい。シュトラウツァの件は、ドメルトの任務にも決して無関係ではないから、問題ないだろう。


「わかりました。では用が済み次第帝都に来ていただくようお願いします。」


 兵に連絡を任せ、ヴェルナーは建物を後にする。数日ぶりに外に出たが、初めて見た時と同じく、人気のない寂寞とした街だった。心なしか空もどんよりと曇っている。


「あんまり幸先良くないな。」


 ぼそりと呟くと、ヴェルナーは歩き出した。まずは隣街ユートレイでソフィアを拾っていこう。そう思った時、ヴェルナーの鼻先を白い帯状のものが掠めた。

 ヴェルナーは虚をつかれて後退した。謎の物体の正体をよく見ると、それは何か文字の書かれた紙きれだった。紙くずが宙を舞っていたのだろうか、と思った矢先、別の紙きれがヴェルナーの足先を通った。一つではない、いくつも、いくつも。

 気づくと、周り一面に紙きれが舞っていた。風に煽られ、生き物の様にうねっている。そこでようやくこの紙きれの正体に思い当たった。


「これ、……「記述」か。」


 ヴェルナーは今までこの世界で「記述」を見た事が無かった。「記述」はこの世界を構成する物質、空気中や人の体内に宿っているとされるものだ。よく見ると、その紙切れだけでなく、周囲の建物や通りの煉瓦、空の雲にまで、目を凝らして見るとうっすらと文字が浮かび上がって見える。

 これが、記述世界から見た「記述」なのだ。この世界に存在する記述師はいつもこんな世界を見ていたのだろうか。或いは記述者テクスターの力が備わっているヴェルナーにしか見えないものなのだろうか。いずれにせよ、ここがあの書架ライブラで見た本によって構成されているという事を痛感する。ここが虚栄の世界である事を思い知らされる。


 ―――それでも、俺にとってここが現実だ。


 邪念を振り払うように気を散らした。すると周囲を漂っていた「記述」が霧散し、通りを風が駆け抜ける。その通りの奥、街の入口に一台の馬車が停まっていた。

 ヴェルナーが近づくと、馬車の傍に立っていた男がこちらを振り向いた。そして露骨に嫌な顔をする。


「……なんだ、もう出てきたのか。」


 苦々しげに吐き捨てるライムは、いつもの嘲笑を浮かべヴェルナーを見据える。だが、よく見るとその顔には汗が滲んでおり、口元も引きつっていた。


「おかげ様でな。無罪放免だとよ。」

「ほう……?一体どんなあくどい手段を使ったんだ、お前は?」


 ライムは皮肉を込めて言ったが、その目は笑っていない。

 おそらくライムはヴェルナーがすでに免罪になっており、あの辞令が出ていた事も知っていただろう。にもかかわらず、ヴェルナーを捕らえてあの牢にぶち込んだ。以前苔にしてやった事への腹いせか、単純に平民出身のヴェルナーが気に食わないのか。彼の真意は知らないが、ヴェルナーの方はライムを責める気はもう無かった。あの後本部に連絡を入れただけ良心があったのだろうし、まさかその後ドメルトが直々にやってくるとは思いもしなかった故のこの動揺だろう。


「あんたらは今から帝都に帰るのか?」

「お前には関係ない。」

「あっそ。……ああ、そう言えば、俺次から本部勤務だから。今度会ったらよろしくな、大尉。」


 大尉の部分に思い切りアクセントを付けて、ライムの肩を叩いた。ライムはヴェルナーの胸元についた階級章を凝視し、わなわなと震える。

 これくらいの嫌味は許容範囲だろう。

 しかしながら、ライムを責める気など毛頭ないが、ヴェルナーは一つだけ言ってやらないと気が済まない事がある。


「お前、いい気になるなよ……!」

「いい気になったつもりはねぇよ。ただ……、お前は些事だと言ったが、俺には大事(おおごと)だから口を挟ませてもらう。」

「なにを―――!?」


 眼を血走らせたライムを容赦なく引き寄せた。至近距離に迫るライムの顔を睨みつける。



「アイリ泣かせたらぶっ殺す。」



 その瞬間、ライムの眼に恐怖が映った。反論する間も与えず、ヴェルナーは硬直したライムの身体を突き飛ばすと、ライムも彼女が乗っているであろう馬車も振り返ることなく、街の外へ踏み出した。



 記述暦一八一〇年、ヴェルナーにとって二度目となる旅は、穏やかな早春の風の中緩やかに「記述」が舞う、幻想的であり悲壮感に満ちた、そんな始まりだった。

第十七章完。

新たな旅の始まり。

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