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第十六章 その面影(3)

「いいか、ここにある記述そのものが『オルセン帝国』だと言ったが、理論上は少し違う。もし、ここにある記述が先ほどの飴菓子の様にその場で具現化したら大変な事になるだろう?

 そこで記述者たちはまず核本(コアテキスト)というのを創るんだ。記述世界の基盤、絵で言うとカンバスの様なものだ。記述世界一つ分を具現化する異次元だと思ってくれ。

 記述者は核本とここにある記述の本を導線で接続して記述世界を具現化する。記述の書で世界を創り、核本にその内容を転送し具現化する事で、記述世界は実態のある世界になるんだ。


 次に記述世界に入る手段だが、本来記述者はその手段として、接続書というのを持っているのだが、これは記述者の元にしか無く、当然この書架には所蔵されていない。

 だが、接続書以外にも核本へと通ずる道がある。それが、核本とここにある記述が繋がる導線だ。お前がこの世界に迷い込んできたのは、おそらくその核本とここにある記述が何らかの作用を持って逆流し、お前がその波に流されてきたのではないかと思う。つまり、その導線を通ってもう一度核本へアクセスする事が出来れば、記述世界に戻る術はある。


 本来ならその理屈はわかっても記述そのものに干渉できない私では開く事は出来ない。でもお前なら……、記述を改変し具現化できるお前ならそれが出来るかもしれない。」


 ソフィアの理論は決して納得できないものではない。だが、それでもヴェルナーには一抹の不安が残る。


「でも、俺はつい最近まで記述を操るどころか見る事さえ出来なかった人間なんだぞ?そんな高度な事出来るかよ。」

「お前は先ほど記述を見事に具現化し、物を操って見せたではないか。要領は同じだ。核本と記述を結ぶ導線に、『連れて行け』と命じればいい。」

「そんな簡単でいいのか?」

「それでいいんだ。記述術とは我々が思うほど複雑ではない……、と昔サイフォスが言っていた。案外念じて唱えるだけで出来るかも知れない。」


 ソフィアはにやりと笑いかけるが、ヴェルナーはまだそれを鵜呑みに出来なかった。だが、少なくともソフィアは自分より記述の事をわかっている。サイフォスと共に過ごし、長い間この書架で記述に触れてきた彼女だからこその絶対の自信なのだろう。

 ならば乗っかるしかない。帰る方法があるのなら、どんなことでもやってやる。




 その後、ソフィアとヴェルナーは簡単に準備を済ませた。もともと何も持たずに転がり込んだヴェルナーはともかく、長年ここで生活していたソフィアは物の整理で忙しそうにしていた。

 ふと、ヴェルナーはある事を思い出してソフィアに尋ねる。


「なあ、そういえばここにもう一人女の子いただろ?あいつは連れて行かなくていいのか?」

「女の子?」


 寝室の書棚の整理をしていたソフィアは怪訝な顔でヴェルナーを振りかえった。


「さっきいただろ。五歳くらいの亜麻色の髪に緑の目の―――。」

「何を言ってるんだ?ここには私しか住んでないぞ?」


 ソフィアははっきりと断言した。あまりにも迷いのない答えだったので、ヴェルナーは反論出来ずに黙り込む。

 ヴェルナーは確かに少女を見た。人物名鑑の場所を教えてくれたのもあの子だ。それなのにソフィアはそんな子供はいないという。そう言われれば、少女はほとんど姿を見せず、突然現れたと思ったら、突然と消える。ヴェルナー自身の印象にもあまり深く残らない。

 まるで幻影か幽霊の類だ。いや、まさか本当にそうなのか。


「準備出来たぞ。……何を難しい顔をしているんだ?」


 顔を上げると、手荷物を下げたソフィアが訝しげな顔でこちらを見下ろしていた。ヴェルナーは慌てて椅子から立ちあがると、書架へと移動する。




「で、記述はどれを使うんだ?」


 導線を確保するためには、その時代を記した記述の書を使わなければならないらしい。順当にいけば、ヴェルナーが飛ばされた時期一八〇八年の頃のものを使う必要があるのだが、


「これを使おう。お前が飛び出してきた本だ。」


 ソフィアが差し出したのは、ここに来た初日にヴェルナーに見せた歴史概説の本だった。『第三次イシル独立戦争とオルセン帝国の滅亡』、時代は一八〇八年から一八一〇年。


「この中のどこに飛ぶかはわからんな。だが、これが一番歴史の流れを捉える上で簡略的だし、導線も複雑じゃない。何より、お前が通ってきた導線なら、その方がやり易かろう。」

「俺にはよくわからないから、あんたの判断に任せるよ。」


 ヴェルナーは手渡された本の表紙に手をかざす。ソフィアがその隣によって来た。


「行くぞ。」

「ああ、頼む。」


 本に向かって念じる。


『導線を開けろ。俺とソフィアを核本まで連れて行け』


 すると、ヴェルナーの指先から垂れた光の糸が、本の表紙にスラスラと字を綴った。その瞬間、本が急激に熱を持ち始め、それに呼応するかのように辺りが揺れた。周りの背景が集束する。目が眩むほどの光がヴェルナーたちを包む。

 何かに吸い込まれる感覚がして、ヴェルナーは呻いた。身体が引っ張られる。身体が分解され、本の中に溶け込むような、そんな不思議な感覚だった。

 意識が途切れる瀬戸際、視界の隅に小さな影がよぎった。亜麻色の髪にエメラルドの瞳、―――あの少女だ。


 いってらっしゃい。


 そう言って、少女は笑ってヴェルナーたちを見送った。そこで意識は途切れた。


 ◆

 気がつくと、ヴェルナーは真っ暗な闇の中に立っていた。先が見えない程の深い闇、だが、不思議な事にヴェルナー自身の身体はよく見えた。


 ―――ここはどこだ?


 まさか失敗したのだろうか。ソフィアの姿も見えない。ソフィアどころか辺りには何もない。生き物の姿はおろか、空も大地も無い。

 無の世界。そう呼ぶにふさわしい場所だった。

 ヴェルナーは不思議と恐怖を感じなかった。ここには確かに何もない。でも、それでいいのだと、直感が示していた。なぜならここは、


「ここは世界を創る前の、始まりの場所。何も描かれていない核本の世界だ。」


 背後から声が響いた。振り返ると、そこには背の高い痩せた男が立っていた。前髪は長く顔はよく見えないが、その口元は緩やかな笑みを湛えていた。


「ヴェルナー、世界を創造するためにはまず何が必要だ?」


 男が名前を読んだ事に、ヴェルナーは驚かなかった。自分の名前を知っていてもおかしくない。何故だかそう確信できた。


「世界を乗せるための大地。」

「そうだ。さあ、創ってごらん。」


 ヴェルナーは目を閉じると、果てしなく続く大地を思い描いた。すると、周囲が俄かにざわめきだし、土の濃い匂いが鼻腔を刺激した。足が砂利を踏みしめる感触がする。目を開けると、何もないはずの暗闇の中に広大な大地が広がっていた。


「地面は創った。さあ次は何を創る?」

「……空か?」

「正解だ。さあどうぞ。」


 男の言うがままに、ヴェルナーは空を思い描いた。果てしない、どこまでも続く天空。何の迷いも無く、それはヴェルナーの目の前に広がった。

 だが、空は暗かった。星も見えない。ヴェルナーは少し寂しさを感じた。


「まだ空が暗い。明るくしよう。」


 ヴェルナーは頷くと、天に燦々と輝く光、太陽を創造した。すると肌に刺すような刺激が落ちる。目を開けると、空には天高く上る太陽があり、一面の蒼が広がっていた。

 すると、地面から這うように緑の草が生えてきた。まるで時を早送りするかのように、あっという間に、辺り一帯が草原に変わっていく。


「太陽の恵みは植物を生んだ。……海も欲しいなぁ。」


 男が言い終わる前に、ヴェルナーは右の視界に海を創造した。潮の香りと規則的な波の音がヴェルナーのいる場所に届く。

 やがて、芽吹いた芽は木となり、林となり、森となった。海から原初生物が湧きあがり、それは目まぐるしい速さで進化を始める。


「これが世界の起源だ。まあ、少し荒削りだけどね。」


 男は満足そうに笑いながらヴェルナーの方を向いた。その表情は上手く窺えなかったが、ヴェルナーの内心はひどくざわめいた。何故だかわからないが、この男から目を反らせない。

 そうしているうちに、ヴェルナーの周りでは人が生まれ、家を立て、集落を作り始めていた。


「文明が生まれた。ここからはもう僕たちの手を借りずとも人間は自ら歴史を歩んでいく。」

「……これが世界を創るという事なのか?」


 ヴェルナーの問いに、男はにこりと笑った。


「そうだ。これが記述術だ。案外簡単だろう?だが、僕たちが出来るのは、世界の土台を創り、人間を創り、彼らを導く最低限の指針を創るだけ。実際に歩んでいくのは彼らだ。」


 男の視線の先にあるのは、石畳の道を笑いながら歩く家族の姿、重い荷を担いで行商する商人の姿。文明の中で息づいた命ある人間の姿だった。


「僕らは決して神などではない。僕らの力は、ただ新しい生命と、彼らの喜びや悲しみを生みだすだけだ。」

「……。」

「僕はこの力を正義だと思わない。それが何のためにあるのか、僕はその意義を見いだせていない。……それでも、僕は自分が生み出した世界と人を愛している。」


 ズン、と鈍い音がなり、身体が揺れた。どこからか鬨の声がする。ヴェルナーは思わず辺りを見回した。遠く向こうの方で、金属が擦れる音、誰かの悲鳴が聴こえた。そのはるか向こうで白煙が立ち上る。


「……争いが始まった。」


 男は悲しそうに呟いた。


「人はいつだってそうだ。何かを得るために争わずにはいられない。どんなに幸福な世の中を創ろうとしても、必ず最後には争いが生まれる。」

「たとえそれが、記述者の創った世界でもか?」


 男はまた、黙ったまま答えない。今度は笑う事もしなかった。やがて、男はヴェルナーに向き合うと静かな声でこう言った。


「ヴェルナー、今日君が使ったその力の感覚、よく覚えておきなさい。そして君に与えたその力が何を生みだし、何を守り、何を脅かすのか、よく考えなさい。その上で、君が何を成せるのかを知りなさい。」

「……。」

「その力の代償は大きい。君がどうなるかは私にもわからない。でも、記述から生まれた君だからこそ成せる世界が私にはあると思っている。私はそれに期待したい。」


 ヴェルナーの肩に手が置かれた。その感触がひどく郷愁を誘う懐かしいものに感じた。その理由をヴェルナーはもう察していた。ヴェルナーの記憶にある男と、今目の前にいる男。その容姿や雰囲気はまるで違えど、その面影は無理なく二つに重なる。


「さあ、もう行きなさい。君がいるべき世界が待っている。君がそこで何を成すのか、僕はここから見守っているからね。」

「……わかったよ、サイフォス。」


 雷の音がした。ヴェルナーはその瞬間、再び光に包まれた。メテルリオンで感じたあの感覚に似ている。意識が途切れる直前、もう一度サイフォスと微笑みあった。彼の残滓は光に搔き消えて、もう何も見えなくなった。

第十六章完。

舞台はオルセン帝国へ戻ります。

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