手と手、光と影
季節が移り変わろうとしていた。朝日が昇る前に、起床するのがシルフィエッタの日課だった。
朝晩の冷え込みが強まると、ぼやけていた思考の輪郭がはっきりとしてくるように思えた。
その日は学院に登校し、何事もなく一日が終わろうとしていた。
帰り道、シルフィエッタは、リーゼと並び、揺らぎ落ちた葉を踏みしめてながら歩いていた。
「前期の講義も、あと少しかぁ」
シルフィエッタが、そういうと、リーゼは、それまでの笑顔をほんの少し巻き戻して真顔になった。
「あれってレイナード君じゃない?」
少し先の通りに腕組みをして立っている、その姿は学校帰りの二人とは違って、騎士隊員の正装に剣を帯びていた。
「何だろう? 報告だったら、後でいいのに」
「そういうのじゃないと思うよ。あ、でもシルフィーは真面目すぎる変人だし、彼もまた似たようなものだからなぁ」
「あ! シルフィー」
シルフィエッタに気づくと、レイナードは笑顔で手を振った。それから走って近づこうとすると、シルフィエッタが大きな声をあげた。
「あれ? あそこに、アドワースもいるじゃない。おーい、こっち、こっち…………っておい、お前! 何で逃げるんだ!! 待て、こらーっ!」
あっという間に走り去ってしまった。
置いてきぼりをくらって、呆然とするレイナードの目の前で、リーゼはくるりと振り返り、微笑んだ。
貴族にしては、短すぎるぐらいに切りそろえた髪が、ふわりと風に揺れた。
「レイナード君てさあ、シルフィーのこと、好きでしょう?」
「え?」
「隠してもわかるよ。だって、いつもそばで見ているんだもん。シルフィーは気付いてないみたいだけれど」
「……えっと」
「そんなシルフィー大好きっ子なレイナード君に、お願いがあります。」
「な、何でしょう?」
「握ったその手を離さないで」
その時、リーゼが口にした言葉を、僕は何かの冗談だと思った。しかし直ぐにそうでないことがわかった。僕を見つめる彼女の瞳は少しも笑っていなかった。
「あの子ってね、何でも一人で出来てしまいそうでしょ? でも、そうじゃないの。誰かが、しっかりと手を握って、引っ張ってあげないといけないの」
リーゼは、僕から目を逸らさずにいった。
「今まで、その役割は私だった。でも、ついさっき思ったの。もしあなたがやってくれるなら、それもいいかなって」
リーゼが何をいおうとしているのか、僕には直ぐわかった。つい先日、僕は彼女の弱さを知ってしまったから。
「だから、レイナード君、お願いします。手と手を繋いで、絶対に放しちゃダメだよ! それとね、もしも……もしも、私がね――」
その時、シルフィエッタの声が響いた。
「リーゼ、レイナード、何やってるのー? 早くー!」
「ごめん、今行くー!」
慌てて走っていく、リーゼの背中を見ながら、僕は考えていた――
恋とか、愛とか、言葉にしなきゃ伝わらないのに、ただひたすらに、恥ずかしいと胸の奥に仕舞い込んでしまう。長い人生を振り返ってみるなら、それもいい思い出になるのかもしれない。
だけど、もし明日、全てが終わってしまったなら……果たして僕は、後悔しないでいられるだろうか?
当時の僕は、違和感を感じていた。喉の奥に何かが張り付いているような、不快な違和感だ。
自分を取り巻く世界が、周りと切り離されて少しずつ早まっている――そんな、不安が常についてまわった。
そういったとき、僕は、つい後ろを確認してしまう。もちろん、誰もいないのだけど。
僕は、ちらりと背後を覗き見て、皆の方へ向き直った。シルフィーが、アドワースの首に腕を巻いて締め上げているのが見えた。走り寄ったリーゼが笑っていた。
いつもの光景を見て、僕の気持ちは軽くなった。仲間の存在が、何か得体のしれないものに、流されてしまいそうな僕を繋ぎとめていた。
僕は走って皆の元へと向かった。
レイナードが立ち去ってその姿が見えなくなると、建物の陰が揺らめいた。
陰の中に、漆黒の影が佇んでいた。
フードを深く被ったその影は、長いまつ毛を瞬かせ、囁くように呻いた――
「ああ、全くもって、度し難いな……いつだって、お前は私を苛つかせる」




