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【第四章:揺らぐ心、目覚めし影】 第一話:交錯する導線

 朝靄の立ちこめる術理学院の中庭で、クララは両手を広げて立っていた。深く息を吸い込み、意識を集中させる。


「フレイムダート、貫け、熱き矢よ……!」


 その声とともに、掌から金色の燐光が奔流のように溢れ出した。マナの奔流が空気を震わせ、制御しきれぬ魔力が断続的に(ほとばし)る。


 空中に複数の火球が同時に生じ、互いに干渉し合って軌道を逸らし、不完全燃焼のまま爆ぜた。白煙と熱風が漂い、焦げた空気の匂いが残る。


 クララは咄嗟に身を引き、唇を噛んだ。「……また、抑えきれなかった……」


 肩を落とし、額の汗を拭う。霊唱術とは明らかに違う。己の内なる奔流と向き合う魔法は、予想以上に難しかった。


「クララ、焦らないで。君の中のマナが多すぎるのよ」


 背後から声をかけたのは、ダークエルフの魔法科講師フィネアだった。幾何文様の耳飾りを揺らしながら、クララの背を軽く叩く。


「魔力を抑えようとしないで。余剰の力は、吐き出すように流すの。『力を止める』んじゃなくて、『通す』の」


 彼女は一歩前へ出て、手を掲げた。「見ていて」

「フレイムダート、貫け、熱き矢よ」


 その詠唱と同時に、掌の先に赤い光が凝縮される。過剰でも不足でもない、まるで針のような火炎が空を裂き、わら人形を貫いた。

 爆ぜるように燃え、わらは瞬く間に灰となった。


「――魔力を“通す”だけ。それだけで、こうなるの」


 クララは頷きつつも、息苦しさを覚えた。精霊との交感ではなく、自己と向き合う術――その感覚にまだ馴染めない。


 授業の終わり際、遠くからセリア・ファインの姿が見えた。彼女は気づいたが、一瞬視線を逸らして足早に立ち去る。


「……あれ?」


 胸にひっかかりが残った。セリアの態度が変わったのは、いつからだったか。皮肉や小言すらなくなり、彼女はまるでクララを“避けている”ようだった。


 夕暮れ、霊唱術の演習室。ほのかに冷たい空気が漂う。


「今日は、精霊との交感練習を行います。各自、詠唱に集中して」 


 ルヴェリスの声に、教室が静まり返る。生徒たちは目を閉じ、詠唱を始めた。


「深林の囁きよ、痛みを抱く者に癒しを与えよ……」


 中級の霊唱術《緑風の詠》。やがて緑光が点り、精霊が姿を現す。

 だが、セリアの前には何も現れなかった。


(……なぜ? そんなはずは……)


 霊素の流れが感じられない。内から沈黙するような違和感が広がる。

 再び詠唱。しかし空間は沈黙を保ったまま。

 焦燥が胸を満たす。できていたはずなのに――なぜ、自分だけ。


「……え、セリア……?」「まさか、失敗……?」


 ざわめきが走る。視線が背に刺さる。セリアは唇を噛み、拳を握る。


(……どうして、わたしだけ)

「……セリア」


 ルヴェリスが静かに声をかける。「心に葛藤があると、精霊は応えてくれないことがあるわ」


 その声音は、慰めのように柔らかかった。


「今日は、少し休んだ方がいいのではないかしら」


 セリアは答えられず、俯いたまま動かない。


 演習終了後、クララは一歩だけ近づこうとした。だがセリアが顔を上げ、冷たい眼差しを向けた。

 それは怒りでも悲しみでもなく、触れるなという拒絶の色だった。


 クララは言葉を失い、イルザとリシュリナに促されて部屋を出た。

 セリアはその場に立ち尽くす。


 その夜、彼女は夢を見る。


「……誰にも必要とされなかった君を、私は見ている」


 冷たいが、どこか懐かしい声。


 翌朝、鏡の中の自分が、わずかに笑ったように見えた。


(……まさか)


 昨日、クララとティオが笑い合っていた姿。


(全部、あの子が……)


 影の声が囁く。


「君の手で、取り戻せばいい。何もかも。君が望むものを」


 * * *


 サヴェルナ市街の雑踏の中、リオは剣を背に負いながら、人波をかき分けて歩いていた。あの男――“イオリ”を探して。


 トルグが言っていた。鍛冶屋に“イオリ”が来た、と。

 そして、リオの脳裏には、あの遺構で目にした異様な光景が蘇っていた。無残に一刀両断にされた魔獣。硬質の石壁を斜めに薙いだ、鋭い斬撃の痕跡。あれは通常の剣技ではない。何者かが、とてつもない技量と意志を込めて放ったものだった。


 その“イオリ”こそが、あの一撃を残した人物なのではないか。

 その人物が街にまだいるのではないか――そんな期待を胸に、リオはあちこちを回っていた。武具店、訓練場、路地裏の食堂、時には酔客が集う夜の酒場まで。


「黒衣の男で、剣を持っている……湾曲した剣を」


 そう聞いて回ったが、手応えのある返事は得られなかった。まるで風のように現れて、跡を残さず消えた幻影を追いかけているかのようだった。


 それでも、リオはあきらめなかった。焦りはあったが、どこかで確信もあった。

 そして三日目の朝、彼はサヴェルナ東門の前に立っていた。守衛詰所の兵士に声をかけ、自らの背の剣を少し傾けて見せる。


「すみません。この剣と似たようなものを持っている人を、最近見かけませんでしたか? 黒い服の……」


 衛兵は剣を一瞥し、腕を組んだまま眉をひそめた。


「……ああ、あの異国人か。顔立ちが、妙に精悍でな。それと同じような剣を持っていたよ」


 そう言って、衛兵は視線を門の外へと向けた。


「詳しいことは知らんが……身分証も見せずに堂々と通っていった。止めようとしたが……あの威圧感と、殺気……思わず通してしまったんだ。たぶん、どこでもあんな感じなんだろうな」


 リオは息を呑んだ。


「どのくらい前ですか?」

「半日ほど前だ。北の“タリス街道”を抜けていったよ。あんたも行くのかい?」


 リオは一瞬言葉を探し、静かに問いかけた。「その街道は、どこへ通じているんですか?」


「タリス街道なら、北の山脈を越えて、鉱業と鍛冶の中心地“クロムヘヴン”に通じている。あの男、無言だったが……まっすぐそっちへ向かったな。目的があるとしたら、あそこかもしれん」


 リオは頷き、腰のポーチから契約従事者連盟の身分証を取り出して衛兵に示した。


「では、僕もその後を追います」


 衛兵が頷くのを見届けると、リオは振り返りもせず、早足で東門をくぐった。

 タリス街道の先――そこに、答えがある気がした。


 道はしばらく丘陵に沿って伸び、森の合間を縫うように続いていた。リオは早足を保ったまま、一刻ほど歩き続けた。


 やがて道が緩やかに下り、木々の切れ間から視界が開ける。そこには、朝の光に静かにきらめく湖があった。


 鏡のように滑らかな水面。ほとりには小さな岩場と草地が広がり、その一角に、ひとりの男が腰を下ろしていた。


 釣り糸を垂らし、まるでこの静寂の風景の一部であるかのように、男は動かない。

 黒衣をまとい、背後の樹木に湾曲した一振りの剣を立てかけている。

 その姿を見た瞬間、リオの中に電流のような感覚が走った。


(……あれが、“イオリ”だ)


 呼吸を整える暇もなく、リオは自然と歩み寄っていた。足音を響かせぬよう注意しながら、釣り人の斜め後方へと近づく。

 男は振り返らない。


「……あなたが、“イオリ”ですか?」


 湖面に風がひとすじ吹いた。男の肩の布がわずかに揺れる。

 そのまま、彼は静かに答えた。


「……そう呼ばれている」


 短くそう返した男は、それでもなお浮きの動きを目で追っていた。

 しばらく沈黙が流れた後、リオは少し戸惑いながら声をかけた。


「何をしているんですか?」


 男はようやく顔だけをこちらに向け、微かに眉を動かした。


「見ての通り、釣りをしている」


 淡々とした返答だったが、どこか芝居がかった響きもあった。

 やがて男は釣り竿をゆっくりと引き上げた。

 その先には、針も餌も結ばれていない、浮きの付いた、ただの糸が揺れていた。


「……これじゃあ、釣れませんよね?」


 リオは思わず苦笑しながら問いかける。「一体、何をしているんですか?」


 男は少しだけ口元を緩めると、こう答えた。


「魚を求めるにあらず、時を待つなり」


 リオは眉をひそめた。「……どういう意味ですか?」


 次の瞬間、男は何とも言えない魅力を帯びた笑みを浮かべ、リオをちらりと見た。


「……お前さんには、分からねぇよなぁ」


 その言葉に、リオはますます困惑し、返す言葉も見つからなかった。


 ※この行為は、中国の古典『封神演義』や関連する伝説に見られる。釣り糸に針をつけない釣りは、太公望(姜子牙(きょうしが))の逸話が由来であり、彼は直釣――すなわち針のない釣り針で、魚ではなく自らの“時”が来るのを待っていたとされる。釣りそのものは象徴であり、運命や天命に身を委ねる静かな意志の表れでもある。


 再び糸を垂らしたまま、男――“イオリ”は湖面を見つめたまま、ふと尋ねた。


「お前さんの背負っている剣、そりゃ“刀”だな。トルグの爺さんに打って貰ったのか?」

「……そうです」


 リオが静かに頷くと、今度は彼が問い返す番だった。


「サヴェルナ北東の郊外にある古代遺構――“フィン断層列遺構”で、いくつも斬撃の痕跡を見ました。あれは……あなたのものですか?」


 “イオリ”は言葉なく、ゆっくりと頷いた。

 リオは静かに立ち位置を正し、しばし躊躇ったのち、意を決したように口を開いた。


「……僕を、弟子にしてもらえませんか」


 その言葉に、イオリの手がふと止まる。

 静かな時間が流れた。やがて彼は釣り竿を脇に置き、ふと視線を上げてリオの背負う“刀”をまじまじと見た。


 その鍔を目にした瞬間――


 イオリの表情が、ほんのわずかに揺らいだ。

 目を見開くでも、驚愕するでもなく、ただ、ごく小さく息を呑むような気配。

 だが彼は何も言わなかった。ただひとつ、何かを深く納得したかのように、目を伏せる。

 そして、ふっと小さく鼻で笑った。


「……いいだろう」


 肩をすくめたイオリは立ち上がり、伸びをひとつ。そして背後の樹木に立てかけてあった湾曲した剣に一瞥をくれる。


「鍛えてやろう。ま、俺流だがな」


 リオの顔がぱっと明るくなる。嬉しさを隠せず、一歩前に出た。


「ありがとうございます! あの斬撃を見てから、ずっと……あなたに教わりたいと思っていました」


 イオリはそんなリオの様子を見て、ふと首をかしげる。


「……名は?」

「あ、すみません。リオ・ナカムラです」


 その名を聞いた瞬間、イオリの表情が僅かに変わる。


「……中村? お前、日本人か? そうは見えねぇが」


 その問いに、リオは目を見開き、そして確信を帯びた声で言った。


「やっぱり……あなたも、同じ世界から来たんですね?」


 イオリは一瞬、何も言わずにリオを見つめ、やがて口元だけで小さく笑った。


「……ああ、そうかもな」

「伊織だ。南雲伊織。この世界風に言えば、イオリ・ナグモだな」

「よろしく、イオリ」


 リオがそう言った瞬間、伊織の拳が無造作にリオの頭頂に振り下ろされた。


「……あいたっ!? な、なんですか!?」

「“伊織”じゃねぇ、“南雲先生”と呼べ。弟子なんだろうが」


 頭を押さえるリオの横で、イオリは再び釣り糸を湖に垂らしていた。

 湖面には再び穏やかな風が吹き、二人の間に、静かだが確かな縁が結ばれていくのを、誰も知る由もなかった。


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