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真っ白な紙飛行機

 百円玉握りしめた子供が自動ドアを潜った。目を輝かせて色々な簡単なおもちゃを見上げている。僕は傍からその子を眺めていた。同じく僕の手の中には百円玉があった。余っていた。全く違って僕にとってもその小銭は大事だった。真っ暗な財布の穴に、まるで落とし穴に、しまえば何も響かないくらいに、大事だった。あれから僕はどう変わった。同じものを持っているのに、年齢は嘘をつかず、僕を追い詰めていた。

 幽霊や殺人鬼が怖かった夜と同じ見た目の空が広がっていた。今じゃ、それらから守ってくれるヒーローのほうが怖くなっていた。たびたび警官が公園の前を通ると、心臓が軋んで千切れそうになる。冷たい風がつくる、温かい息の、形作るのも、臭いばかりでなく見えてしまって煩わしい。全てを失ったのに、まだ何かを失い続けているような、砂の建物がだんだんと、その砂粒が下に流れて崩れていくように、僕の心は削れている。

 どこにも届かない声。何一つ聴かなかった耳。都合のいい頭の、フラフラするのを誤魔化す瞼の隙間。ベンチに横たわって、長くなった髭と会話する。お互い邪魔になったなと。このまま死んでしまいたい今夜も擦り減った本能だけで跨ぐ。


 もしも誰かを傷つけないように生きてきたのなら、誰かを無視する事なんてなかっただろう。散々無視をされて、減るだけの腹が僕の存在を知らせるだけになって、だったら消えてしまいたいのに、どうするつもりにもならない。


 朝はまれにタバコが転がっている。たまに細く濁った筒が落ちている。僕は未だ、そうなれずにいた。そうする勇気すらないのだから。僕が他人と関わろうとしなかったのは、僕が臆病だったからだ。誰かの記憶に残るのすら怖かったから、こうなってしまった。

 昼は今も、自動販売機にお釣りが残ってないかと願ってしまう。まだ救いがあると妄想するように。ランドセルを飾る子供たちに、申し訳なさそうな目を向けられ、恥ずかしくなって現実に戻った。

 何もすることがない。したいことがない。したいことは全部して、全て失敗したから。もう何も思わなくなってしまった。しいてあるのなら、涙の出ない哀しさと寂しさだ。風当たりはいつも切なく、肌が鑢に撫でられるようだった。

 また夜が来て、丸まる。空腹を誤魔化して、眠気を捻出する。大きな芋虫は、小さな芋虫より弱弱しく、じっとしたまま、目を瞑る。蛾であっても飛べるのなら幸福だろう。


 意味の無い言葉を吐く。息を吐く。だから一人ぼっち。滞留した僕の人生は現象となれず、お金になれない。価値を失っても、まだ鳴り響くこの音に、何の意味があるのだろう。好きにもなれず、嫌いにもなれず、何にもなれない。なるつもりのなくなって、まだこの日々が続いてしまうのは、これからも繰り返してしまえば、真っ白になって、けれど怖くて真っ白になれず、しがみついてしまう。

 無駄な人生になることがきっと怖い。憧れが無いのに怖いのだ。違う、それが無いのに生きてしまえる残酷さに耐えられないのだ。無駄な人生が無いのなら、どんな人生も無駄なのだろう。


 身体は抗えない。無理して留まろうとした漬けがついに回ってきた。寒いある日夜中、僕は足の芯から、ずっと貼って緊張していた紐が弛むように、弾性力の失くしたバネのようになって、崩れ倒れてしまった。

 ちょうど頭の隣に、小さな木の根があった。縮れた糸のような細い根だった。僕はそうか、土になるのか。そう悟った。諦めた。気力も元気も、余裕が無いと暴れられる力すら入らなかった。それにやけにふかふかの、柔らかい土が、だんだんと体温の返って温かくなる土が、心地よかった。

 僕はまともな人間にはなれなかった。できることならなりたかったけれど、たぶん無理だったろう。楽しそうに話す人が、動く人が、嘘をついているようにしか見えなくなってしまったときから、僕にはもうそんなものを求める力はなくなっていたのだから。

 数え切れないほど閉じた目の、最後が閉じていく。閉じようとして閉じなくても、消えていく心。やっと力を抜けるという安心感。僕はそのまま土の一部となるように、雪の溶けるように、亡くなった。



 今、そこに白紙がある。薄っぺらい、どこかの木の一枚。誰かはそれに手紙を書いて、それに夫婦の名前を書いて、または銀行強盗の計画を練って、指名手配犯の顔を移して、あるいは別れを涙で綴って、あるいは言い遺すことを想って、そして君は紙飛行機を折っている。誰かに届けと、宛名の無い手紙を自分の言葉で記して。透明のような真っ白な紙飛行機が飛んでいる。あれはきっと開けば色がついている。

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