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迎撃海域  作者: 伊藤 薫
第1部:訓練
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[3]

 潜航した「ひりゅう」の艦内は静かだった。艦は6ノット(時速約11キロ)のゆっくりとした速度で、太平洋を北上していた。

 潜水艦乗りの仕事は6時間ごとの三交代制である。深い海の中で、長い時には1か月以上も潜ったまま作戦行動に従事するには、タフな神経の持ち主でなければ務まらない。

 潜水艦の乗員は水雷科、船務科、航海科、機関科、補給科、衛生科のいずれかに属している。全員が3つの哨戒直グループのいずれかに属し、幹部が務める哨戒長の下、任務に当たる。

 出港2日目、本条は真夜中の零時から朝6時までの哨戒長付(哨戒直の責任者である哨戒長の補佐役)が明けた後、船務長の森島智・一等海尉と2人で朝食をとった。朝食とはいえ、白身魚のフライがメインの重いメニューである。

 潜水艦の食事は6時間の哨戒直のローテーションに合わせて1日4回で回ってくる。「ひりゅう」の場合は基本的に朝の6時と夜の6時は重めの食事、正午と零時は軽めのメニューが提供される。

 普段は話し上手、饒舌な森島は口数が少なかった。昨日の朝の出港から今まで、よく寝られなかったのだろうか。食事が終わった後も森島は黙って通路で隔てられているだけの士官居住区の三段ベッドの中段に潜り込んだ。本条も作業服を着たまま、同じベッドの最上段に上がった。横臥すれば腕が突き出そうな幅60センチのベッドに横になるなり、すとんと深い眠りに落ちた。夢も見なかった。

 こんこんと眠っていた本条は誰かに肩を揺すられて眼を覚ました。士官室係の若い海士だった。時計を見る。もう正午である。目覚まし時計を使えば、狭い寝室に眠っている他の乗員まで起こしてしまいかねない。寝ている幹部を起こすのは、士官室係の仕事だった。

 上体を起こす余裕のないベッドの上でそっと体をずらし、足で段梯子を探るようにして降りる。ベッドの下にしまっていたスニーカーを履いた。潜航時に汗ばんだ肌着と靴下は取り換えたが、作業服は寝ていた時のままだ。

 今回の訓練は期間が4週間以上となるため、作業服と肌着、靴下は大きなボストンバッグが一杯になるほど持ち込んでいた。日程が突然、延長される可能性まで考えても肌着は3日に1回、作業服は2週間に1回に着替えるのが精々だった。

 本条は士官居住区から通路に出る。トイレを素早く済ませた後、鏡に顔を映して目脂がないことだけ確認した。

 幹部用の食堂は誰もいなかった。本条は眠気覚ましにコーヒーを頼み、トマトサラダとトーストだけで昼食を終えた。2週間も経てば、トマトやレタスなどの新鮮な野菜類はほとんど無くなってしまう。サラダは出航したての今だけの贅沢である。

 本条は発令所に向かった。東シナ海を北上中の台風の進路が気になっていたのだ。各区画を仕切っている隔壁に設けられた小判型のハッチを、長身の背中を丸めて通り抜け、発令所の海図台に歩み寄った。「ひりゅう」が予定航路上を遅れもなく航行していることを確認してから、気象予測を担当している太田・三等海曹に声をかけた。

「ちょっと見せてくれないか」

 本条は太田から手渡されたポスターサイズのファックス紙を海図の上に置いた。予定航路に台風の進路を重ねる。

「台風2号と本艦の最接近は明後日、三陸沖あたりかな」

「そうですね。この台風は転向点を過ぎて、速度も徐々に速くなっていますし、気圧配置からいっても、日本海に向かうことはまずありえませんね」

 艦の安全な航行計画をたてるのは、船務士の仕事の1つだった。「ひりゅう」はこれから三陸沖を北上し、津軽海峡を経由して日本海に出る予定だった。「ひりゅう」にとって最も厄介なのは、100~200メートルと水深の浅い海峡で台風と遭遇することである。

「台風は大丈夫か」

 沖田が発令所に入ってきた。艦長も台風の進路が気になるのか。本条がひと通り状況を説明する。寡黙な沖田は「そうか」とうなづいただけだった。自ら航路図にざっと眼を通してから、沖田は発令所を前部扉から出て行った。発射管室に向かうのだろう。

 狭い潜水艦で個室を持っているのは、艦長ただ1人である。たとえ上級部隊の潜水隊司令や群司令が乗艦しても、艦長室は使えない。艦長は潜水艦の中で起きる全てのことに直接、責任を負っており、上級部隊の指揮官もその責任に敬意を払うことが伝統になっているからである。

 そのため、艦長と副長には息を抜く間もない。乗組員は当直が明ければ身体を休められるが、艦長に当直交代の声を掛けてくれる者はいない。艦長の当直は出港した瞬間から自艦が横須賀に着岸するまで終わらないのだ。

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― 新着の感想 ―
潜水艦のことが詳しくて引き込まれます。 艦長は大変そうだ……。 この先が楽しみです。
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