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迎撃海域  作者: 伊藤 薫
第3部:衝突
22/35

[3]

 陸は艦長室で1人、ある書類に眼を通していた。艦長室の金庫に保管されていた北海艦隊司令部から交付された警戒配備命令である。その内容は「長征14」と2隻のキロ級潜水艦K-236とK-157はソブレメンヌイ級駆逐艦「広州」と合流し、駆逐艦の指揮の下で日本の水上艦艇や潜水艦を牽制するというものだった。

 陸は政治委員に不満を漏らした。天下の原潜が水上艦艇の補助戦力であるかのような扱いを受けるとは何事か。青島(チンタオ)の司令部はこの艦を何だと思ってやがる。政治委員は肩をすくめるだけだった。原潜自体が備える価値をあまり理解していないようだった。陸は命令書を金庫にしまった。少し横になろうかと考えていたその時、発令所の声をモニタする天井のスピーカーが鳴った。

《発令所、ソナー》水測長が報告した。《海底付近で一過性の機械音を探知しました。真正面です》

 陸は発令所に飛び込んだ。インターコムを手にした楊が言った。

「ソナー、こちら発令所。距離は?」

《なんとも言えません。信号が弱かったので》

 陸が楊からインターコムを受け取る。

「艦長だ。ソナー、推測は立てられるか?」

《現状のデータだけでは、何とも言えません》

 楊が助け舟を出した。

「遠方かもしれないですし、距離は近いのに接触を捉える角度が好ましくなかったとも考えられます」

 陸はうなづいた。

「艦長、ソナー。一過性の機械音とのことだが、どんな音だ?」

《ゴツンという音です。魚雷を装填中なのかもしれません》

「おそらくキロ級だ。あのオンボロが不用意に音を立てたんだろう」陸は言った。「改装で近代化したとはいえ、艦は古いには違いない」

 楊はうなづいた。

「彼らはもっと慎重にやるべきですね」

 発令所になじみの薄い声が響いた。政治委員の張が口を開いたのである。

「陸艦長、この艦が敵に捕捉される恐れは無いのだろうか?」

「それはもちろんあります。しかし、その可能性は限りなく低いでしょう」

「なぜ、そう言い切れるのか?」

 張は堅い声で尋ねた。大連を出航する前、長期の航海で潜水艦に乗るのは今回が初めてだと話していた。陸は説明を始める。

 尖閣諸島周辺の海域は太平洋からの暖流―いわゆる黒潮と日本海・東シナ海・台湾海峡からの海水が混じりあい、海のシェルターと呼ばれる変温層がいくつも存在している。海水温のそれぞれ異なる層の境界付近は、音の伝わり方が大きく変わる。変温層に入りこんだ潜水艦はソナーによる探知が難しくなる。これに潜水艦自体の性能が加わる。

「この艦は商級ですが、ただの商級ではありません」陸は言った。

「それはどういうことです?」

「商級がロシアのヴィクターⅢ級をベースに造られてることはご存じでしょう?」

 張はうなづいた。

「その認識は間違いです。この艦はヴィクターⅢ級そのものなのですから」

 発令所に入ってきた通信士官が陸に進言した。

「艦長、そろそろ艦隊司令部から通信が入る時間です」

「通信ブイを海面近くまで浮上させて受信しろ」

 しばらくして、通信士官がテレタイプから破りとった紙を手に入ってきた。陸は紙を受け取る。北海艦隊司令部からの指令だった。陸は紙にざっと眼を通した。

『指令:第2区域―久場島の南へ前進せよ。警告:諜報結果によれば、第2区域で日本の海上自衛隊「おやしお」型、もしくは「そうりゅう」型潜水艦が航行している可能性がきわめて高い。ただちに対潜戦態勢に入れ。繰り返す。ただちに対潜戦態勢に入れ』

 陸は紙片を握りつぶしながら、苦笑をもらした。こんな警告が何かの役に立つと本気で信じている人間が司令部にいるのだろうか。日本の潜水艦が、自国の領土と主張する尖閣諸島の沖合にいるのは当たり前のことだ。

 しかし、白い紙にくっきりと黒字で打たれた警告文は、陸の気分を高揚させたことも事実だった。大連を出港してから、すでに長い時間が経過している。緩みかけた乗組員の士気に活を入れるにも好都合だ。

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