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迎撃海域  作者: 伊藤 薫
第2部:蠢動
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[4]

 本条は横須賀から電車で横浜に向かった。窓際の席で揺られながら、伍代と相談して同期の真田を上司に密告した苦い記憶を思い出していた。

 8年前、横須賀で一緒に酒を酌み交わした時、真田は本条にある相談をした。

「実は学生時代のサークル活動を通じてロシア大使館の外交官と知り合った。今も時どき会っている。ロシア人の友人がいるとまずいだろうか」

 翌日、本条はその話を伍代に伝えた。伍代はこう言った。

「本条、その話はすぐに情報保全隊に伝えないとダメだ」

「ですが、あいつの立場が危なくなるでしょう。ロシア人との関係を断てばいいだけじゃないですか。事を荒立てる必要はないと思いますが」

「そういう次元の話じゃない。聞いてしまった以上、組織に対して黙ってたら、こっちに火の粉が降ってくる。警察はロシア外交官の行動は徹底的にマークしてる。後で警察から本省に通報されると、あいつがさらに窮地に陥ることになる」

「密告みたいなことはしたくないんです」

「これは密告じゃない。自衛官の職業的良心として、組織に伝えなくてはならないことだ。とにかく俺がこれから保全隊に行って、今お前から聞いた話を伝えてくる」

 数日後、東部情報保全隊で防諜を担当する課長補佐から、伍代と本条の2人で朝霞に呼び出された。課長補佐は本条に対し、真田から聞いた時のやりとりを出来るだけ正確に再現するようにと命じた。聴取は伍代の同期である伊東敏也・一等海尉がメモを取っていた。

 本条は記憶を整理して報告した。本条の報告を聞いていた課長補佐は次第に、顔に深刻な表情を浮かべる。

「本省にも報告せざるを得ませんね」伊東が言った。

 伍代が口を挟む。

「お願いしたいことが」

「何だ?」課長補佐は答えた。

「本条からこの話が伝わったということが分からないようにして欲しいんです。本条は同期を密告するような卑怯な真似をする人間じゃありません。本省のことを心配して私に伝えてくれたんです。それから、同期を守って欲しいと本条は強く私に言いました。同期にもあまり厳しい対応をしないようにして欲しいんです」

 伍代がリスクを負って自分を庇おうとしていた。本条は胸が熱くなった。

「本条君には迷惑をかけないようにうまく伝える。その同期にこちらがどういう対応をするかは、調べた後のことだ」

 課長補佐は念を押した。

「この話は一切口外しないように。私以外にも何も言わないように」

 伍代と本条は「分かりました」と答えた。

 それから1か月くらい経った頃、2人は再び課長補佐に呼ばれた。近くベルリンに赴任することになったため、赴任前に伍代と本条を誘って昼食を共にした。その席の話題は当然、真田の話が多くを占めた。

「あの件について君たちが教えてくれたことに対して、本当に感謝してる。相手のロシア人はGPU(連邦軍参謀本部情報総局)の筋だった。おそらく警察もマークしてたと思う。早く気づいてよかった」

 本条は尋ねた。

「真田は大丈夫でしょうか。本省からマイナスの評価をされることが心配です」

「一応、大きな問題はないということで処理した。しかし、彼の行動は注意深く観察してる。警察も見てると思う」

「しかし、大学時代にサークルで偶然知り合うようなことは十分あると思いますが」

「私たちとしては、こういう対応を取らざるを得ない。GPUにはこれまで酷い目に遭わされてきた。性悪説に立たないと、私たちは生きていけないんだ」

 その晩、伍代と有楽町の居酒屋で酒を飲んだ。本条は酔った勢いでこう言った。

「ぼくは無実の同期を陥れてしまったような気がします」

「本条、今後もこういうことはいくらでも起こる。俺は親父が外交官だったから、いろんな人間模様を見てきた。ロシア人と付き合ってるという話をお前が同期から聞いてしまったんだから、ああするしかなかった」

「保全隊には黙って『ロシア外交官と付き合うのはやめろ』と言うこともできました」

「真田がそれでも接触を続けたら?」

「・・・」

「あまり深く考えるな。俺たちは自衛官としてやるべきことをやった。それだけのことだ。後は忘れてしまえばいい」

 1年後、真田は防大を自主退学した。その後の行方は不明だった。

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