日本国は手を抜けない(7)
汎地球的パートナーシップ協定(Global Partnership Agreement)が発効したのは、昭和二十八年(西暦一九五三年)のことである。
有り体に言えば、アメリカ・イギリスを中心とした「西側」諸国を、従来の「NATO」「PACTO」という二つの機構で分けられていた状態から、一つの条約に発展的解消して包括して纏める、政治的・軍事的・経済的な攻守同盟だ。
極東戦争で失墜した米陸空軍の主戦派によって発生した、全世界的な政治的・軍事的なリ・バランスに対応して、ウォレス米大統領政権に代わって台頭したアイゼンハワー新米大統領が掲げた主要政策の一つでもあり、最初に実現した政策の一つでもあった。
ちなみに事前折衝はウォレス前大統領政権時代から既に始まっていたが、二〇年もの長きに亘り政権を担い、そして無様に中国大陸から叩き出された米民主党政権の成果とすることを誰もが渋り、共和党から「地球儀を俯瞰する外交」を掲げて大統領選挙に出馬した、連合国遠征軍の元最高司令官であったアイゼンハワーが政権の座に着いて、初めて情報がオープンになったという経緯がある。
従来の軍事的(そして割と片務的)な同盟条約に過ぎなかったNATOとPACTOに対し、汎地球的パートナーシップ協定(GPA)は、軍事以外の多岐に渡る項目についても、互いに互いの不足する部分を補い合う、従来の独善的なアメリカ政治からすると極めて先進的で双務的な条約だった。
通貨スワップ協定や貿易自由化など、特に締約国間で恩恵の大きかった経済的側面が強調されることの多いGPAだが、実態としては、非常識なまでに肥大化していたアメリカ軍のスリム化を図るため、米陸空軍の縮小による防衛費削減で浮いた予算を海軍と同盟国への投資に回し、その余勢で同盟国の軍備を強化させ、防衛コストを抑制するという、やや迂遠な軍事的見地から発案された条約だったことは、念頭に入れておくべきであろう。
元軍人であるアイゼンハワーらしい視点からの政策だったと言える。
そして彼は陸軍出身であるにも拘らず――或いは世界を股に掛けて戦争を戦ったが故に――、全世界規模で最もコストを抑制しながら大規模に展開し得る兵力、即ち海軍力の育成に並々ならぬ努力を傾けた人物でもあった。
昭和二十六年(西暦一九五一年)以降の米軍再編に於いて、政治的・予算的に優位に立った米海軍は、大型化する一方の艦上機開発事情を勘案し、後に「スーパー・キャリアー」「メガ・キャリアー」と呼ばれることになる超大型空母のみで保有空母を統一し、日英海軍当局者がアホになってしまう程に造った護衛空母やエセックス級空母は、廃艦するか同盟国に(戦力価値を考えれば捨て値で)売り払う方針を固めた。
米軍再編前後から米国が建造した超大型航空母艦は、次の様になる(いずれも戦時急造の手法で建造されたため、建造開始から三年半程度で就役)。
・フォレスタル級(プレ・メガ・キャリアー)
1951年度 -> フォレスタル
1952年度 -> サラトガ
1953年度 -> レンジャー
1954年度 -> インディペンデンス
・キティホーク級(メガ・キャリアー)
1955年度 -> キティホーク
1956年度 -> コンステレーション
1957年度 -> アメリカ
1958年度 -> エンタープライズ
・ユナイテッド・ステイツ級(メガ・キャリアー)
1959年度 -> ユナイテッド・ステイツ
1960年度 -> ニミッツ
1961年度 -> フィリピン・シー
1962年度 -> マケイン
これに大規模近代化改修を行なったスーパー・キャリアーであるミッドウェイ級三隻(「ミッドウェイ」「ルーズヴェルト」「コーラル・シー」)を加えた総勢十五隻の超大型航空母艦とその艦載機と護衛艦、そして強化した同盟国の友軍から成る、圧倒的な「パワー・フロム・ザ・シー」によって、三段階の防衛ラインを洋上に描き出し、東側世界からの攻撃を圧倒するというのが、極東戦争以降の米国国防方針だった。
一年に一隻ずつ、これらの超大型航空母艦が戦力化される毎に米海軍からエセックス級は放り出され、他国で余生を全うすることになった。中でも最も数奇な運命を辿ったのは、日本国に売却された十番艦「タイコンデロガ」改め「ふよう」であったが、同艦の話はもう少し後の項目で触れることになる。