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日本国は手を抜けない  作者: 大鏡路地
極東戦争とカタストロフィ
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日本国は手を抜けない(4)

 極東戦争の日本戦線に於いて、戦場が対馬海峡上空の空中戦に固定されたのは、昭和二十六年(西暦一九五一年)四月の事だった。

 全国的に多数の死傷者を出し、九州・山口県・広島県の産業基盤を潰滅させつつも、秩序を回復した地域から順に、全国的にアメリカ大陸から運ばれてきた多数の「旧式」製造設備が据え付けられ、潤沢な米ドルの「無制限」供給により、日本国の戦時生産体制が整い始めた頃合いである。

 連日の様に対馬海峡を戦闘機・戦闘爆撃機が飛び交う中、当座の存立の危機を脱した日本国に対し、米英は戦時賠償として接収していた戦艦「大和」「武蔵」「信濃」「長門」の返還を決定。更に「余剰」していた旧式空母群を供与し往年の日本海軍機動部隊の再組織に着手。自らの機動部隊は台湾へ戦力再編と台湾防衛の為移動した。

 言ってみれば、「カネもモノも出すから、後は自分で頑張ってね」と言ったに等しかったが、対馬海峡上空での攻防だけに的を絞れば、後は日本国だけの力で守れると言うのは事実であったし、大局的に見て戦況が思わしくない大陸戦線の好転の為、米英の機動部隊が中国大陸沿岸へ移動する、と言うのは辛うじて理解出来る範囲の話であった。

 無論、感情論的に納得出来たかどうかは、また別の話だが。

 話を大陸戦線へと戻すと、昭和二十五年(西暦一九五〇年)クリスマス頃の大陸戦線はと言えば、長江を渡河南進した大量の中華人民共和国軍と義勇ソ連軍の群れを、中華民国がほぼほぼ米陸空軍によって撃退した後、長江を境としての砲戦と大小様々な渡河地点確保の為の戦闘に終始していた。

 これが昭和二十六年(西暦一九五一年)六月になると、戦況の固定化に業を煮やした在中米軍司令官・ルメイ米空軍大将の決断により、北中国各地への一〇〇機単位での戦略爆撃の実行と、それに対する中ソ軍の決死の防戦が頻発し、ジェット戦闘機の投入、作戦参加機の倍々ゲームでの指数関数的な増加、とエスカレーションを繰り返していった。

 そして遂には、第二次世界大戦での死傷者数を上回る損害を出してなお、戦局を好転させられない状態の米陸軍からの要請に応える形で、ルメイ大将は禁断の選択をウォレス大統領に迫るに至る。

 即ち「戦争を十日で終了させる最終決定」、大統領命令六六六号と呼ばれることになるそれ。

 長江一帯の敵前線部隊、並びに北中国各地の主な大都市に対する、人類初の核兵器実戦使用である。

 昭和二十六年(西暦一九五一年)八月六日朝、長江以北の各地に、核兵器の閃光が煌めいた。

 その効果は絶大だった。

 後の推定では、軍民合わせて五〇〇万人がその日の内に死亡したと推計されているが、中国大陸では正確な統計は困難を極めるので、実際にはもっと多数が死んでいるだろう。

 その日の内に北中国は半身不随となって国家機能を停止。これを期して米中陸軍は全戦域で渡河を敢行し、北中国軍を各地で舗装材へと転属させていった。

 が、これは新たな地獄の始まりに過ぎなかった。

 昭和二十六年(西暦一九五一年)八月九日昼頃、今度は米中陸軍部隊の頭上や、南中国各地の大都市の頭上へと、損害を一切省みる事なく送り込まれた決死隊多数によって、ソ連製の大量破壊兵器三種が投下された。

 これにより、軍民合わせて二五〇万人が五日以内に死亡したと推定されている。

 斯様な米ソの大量破壊兵器の濫用によって、中国大陸では無政府状態が発生。全土で騒乱状態となり、その発端となった在中米軍司令官・ルメイ大将は、基地に乱入した暴徒によって焼殺される運命を辿った。

 最早中国大陸の利権だとか、政治的主導権だとかを握れる状態では無くなり、米ソは昭和二十六年(西暦一九五一年)八月十三日に即時停戦と中国大陸からの即時撤退で合意したが、同大陸に進出していた両国人が五体満足に撤退することは、非常に困難を極めた。正確な数字は不明であるが、一説には約半数が命を落としたと言われる。

 この核兵器実戦使用から撤退合意までの一週間を、極東戦争の中でも俗に「一週間戦争」と呼ぶ。

 そしてこの一週間戦争の惨禍を目の当たりにした日本国と満洲国は、この凄惨な姿が明日の我が身となる事を恐れて自然休戦を選択し、昭和二十六年(西暦一九五一年)八月十五日、昭和天皇が発した勅使による勅命講和という形で、正式に停戦を結んだ。

 この極東戦争により生じた犠牲者は、三〇〇〇万人にも上った(なお、この数字には、その後の混乱で犠牲になった数を含まない)。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] これは位置関係がいまいち見えんのやが朝鮮(大陸日本)満州(満州国)内モンゴル(蒙古国)華北(中共)華南(中民)こんな認識でおk?
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