日本国は手を抜けない(3)
昭和二十五年(西暦一九五〇年)六月二十五日、ソ連の非常に大規模な軍事支援を受け圧倒的な陸空軍を組織した華北・満洲国・朝鮮(大陸日本臨時政府)は、相次いで長江〜対馬海峡に引かれていた暫定国境線を突破、南侵を開始し、極東戦争が勃発した。
アジア太平洋地域の日本兵の武装解除・復員(どこの日本に帰還するかについては本人の意志に委ねられていたが、大抵は己の実家がある日本列島への帰還を選んだ)と入れ替わって進駐していた圧倒的な数の米軍は、この時には仏印・蘭印から撤退して、殆どが日本列島とフィリピン、台湾に駐留していて、その数自体も最盛期に比して恐ろしい程数を減じていた。
予算的制約から(何しろ国家財政が破綻して降伏直後に借款を申し入れたレベルで金が無かった)、大陸日本軍に比べて稼働率も軍備自体も少なく、しかも剰え軍組織自体が「自衛隊」と名前を変え、陸軍省・海軍省を取り潰して兵部省に統合してスリム化されるなどの混乱が起きていて、どうしようもなく活動が低調で脅威度が低い列島日本軍に、態々最盛期の米機動部隊を維持して張り付けておく程の価値など無かったのだから、ある意味当然だった。
日本列島に少なくとも極東戦争勃発以前の時点で必要だったのは、日本列島の自由民主主義化と軍国主義の自らの手による廃止・処断の監視に当たる軽装備の歩兵なのであって、世界中が白目を剥いてアホになる程作った、稼働状態に置くだけでアホ程維持費を要する無数の艦艇など、日本列島や台湾、フィリピンが「馬鹿なこと」を考えない様にする程度の数があれば十分だったのだ。
つまり、嫌になる程肥大化していた米海軍は、その大半の動員を解除し、艦艇自体もモスボールしてスリム化していた、ということになる。
逆に中華民国(華南)に進駐していた米陸空軍は、「最後のフロンティア」でありアジア太平洋地域のメインディッシュである中国大陸を絶対確保・維持するため(何しろ中華民国は国力的には共産党を圧倒しているはずなのに各地で負け通し、華北に中華人民共和国の建国を許すレベルで惰弱だった)、戦後も多少規模を減じたものの、戦略爆撃機二〇〇〇機、兵員五〇万余名(!)にも及ぶ戦力が依然として展開していた。
そして大日本帝國が戦後の混乱(食糧供給や労働争議)に四苦八苦しながらも「大日本帝國憲法」を「日本国憲法」へと改め日本国となり、民主化・文民統制を確立した所を、大陸日本軍は「統帥権干犯」と見做し大義名分として、大挙して対馬海峡を押し渡り北九州(山口県を含む)一帯に押し寄せ、またそれに呼応する形で「大陸統一」を錦の御旗として中華人民共和国も暫定国境線を突破、南侵を開始したのである。
この侵略行為に対し、日本国の対応は後手後手に回った。何しろ相手は同じ日本人であるし、そもそも対応すべき戦力自体が半身不随だった。国民の政府に対する不満度も高く、中には率先して大陸日本軍を招き入れる者の姿さえある始末だった。
自衛隊は各地で敗退を繰り返し、特に九州の部隊に至っては何と長崎県・鹿児島県を除いて陥落していた。中国地方では市民を疎開させて広島城を中心に防御陣地が築かれた広島市街に、大陸日本軍の砲弾が落ち始めていた。
潮目が変わったのは、そうした大陸日本軍の侵攻に呼応して起きた、在日朝鮮人による全国大暴動からである。
なお、ここで言う在日朝鮮人とは、敗戦前は「大日本帝國臣民」であった朝鮮半島出身者の内、帰化も帰還も選ばずに日本に留まることを選んだ人々を指すのであって、帰化し日本国籍を取得したり、朝鮮半島(大陸日本)に帰還したりした人々は含まないので注意する必要がある。
閑話休題。
この大暴動により当時の日本国の生命線となっていた國鐡の運行は停止。そして物流が停止したことにより連鎖的に各地で食糧品の枯渇・暴騰が発生。これに対し日本国政府は「国家の非常事態」として武力鎮圧を決定し、各地の武器庫を開いて、ラジオを通じて召集した予備役旧軍人もとい予備役自衛官・総勢五〇万余名と、大量の支援物資と共におっとり刀で駆けつけた国連軍(米海軍)の助けを借りて、二ヶ月で「鎮圧」しつつ、辛うじて保持していた長崎県、鹿児島県への奇襲上陸を敢行。献身的な旧軍人の膨大な犠牲を出しつつ、最終的には東シナ海と豊後水道を北上した国連軍(米英海軍)機動部隊からの一五〇〇機爆撃という猛威によって、大陸日本軍を対馬海峡の向こうに追い落とすことに成功した。
一連の戦闘により、九州・山口県・広島県の主要都市と工業地帯は灰燼に帰した。犠牲者は全国で軍民合わせて二〇〇万人にも達し(この数字には大陸日本軍の数字を含まない)、また在日朝鮮人の人口は数字の上では小数点以下までに激減し、加えて戦後もしばらくの間、大陸日本に靡いた「戦犯」探しという暗い影を、日本社会に落とすことになった。
そうした破滅的な国家総力戦を経て、戦闘の焦点が対馬海峡上空での空中戦に移った頃、極東戦争は次のステージへと進むことになる。