日本国は手を抜けない(23)
西暦二〇〇一年九月十一日、米国、東京、新京、香港、ロンドン、テヘランを始めとする全世界有数の世界都市に於いて、同時多発的に大規模なテロ事件が発生した。
ニューヨーク世界貿易センターのツインタワービルと、ワシントンの米国国防総省、ホワイトハウスに旅客機が突入し、ツインタワービルは相次いで倒壊。ペンタゴンは一角が破壊され、ホワイトハウスは百八十七年ぶり二回目の炎上を果たした。
香港、ロンドン、テヘランでは金融街を通行中の大型トレーラーのコンテナに満載された爆薬が炸裂。多数の死傷者を出し金融機能を麻痺させた。
ある意味最も残酷な被害が齎されたのは東京と新京で、帰宅ラッシュの時間帯に地下鉄という閉鎖空間に毒ガス(サリンやVX)が撒かれた事により、通勤・通学客多数が呼吸困難に陥り死傷。生存者も深い後遺症を心身に負う大惨事になった。更に新京の地上では皇宮前でも、通りがかったトレーラーのコンテナに満載されていた化学兵器弾頭が炸裂。満洲国帝室の成員を市民ごと無差別に殺傷し、同国皇帝は半月にも及ぶ闘病の末に崩御するという悲劇も発生した。
金融機能が麻痺し連鎖破壊的な恐慌状態に世界が陥る中、明らかに統制の取れた組織的・計画的犯行である世界同時多発テロの犯人像を、錯綜する情報を掻き分けて最初に浮かび上がらせたのは、意外にも世界最大の諜報組織(最強であるとは言っていない)を誇る米国ではなく、日本国警察省警備局(いわゆる公安警察)の外事課だった。
事件発生翌日、日本国警察省に置かれた捜査本部は、縦割り行政に阻まれた各諜報機関の捜査情報を突き合わせ、事件を「イスラエル情報機関(モサド)に教唆・支援された、宗教団体の信徒やテロ組織による組織的・計画的犯行」であると断定した。
これを受け、日本国政府は自衛隊に対し直ちに治安出動を命じ、国内の反社会的組織「全て」の一斉検挙作戦を発動。特に山梨県桧並沢村(当時)に立て篭もる宗教団体に対しては、富士演習場から派遣された戦車部隊が当てられ、戦車砲と対戦車ロケットの撃ち合いの末に、宗教団体のサリンプラントに流れ弾が命中して多数の死傷者を出す大惨事となったが、イスラエル情報機関の関与を示す資料多数の押収に成功したことで、捜査が裏付けられる事になった。
その中に今上天皇御一家の殺害計画も存在していたことで、日本国の怒りのメーターは完全に振り切れた。
日本国は、激怒した。
必ず、この邪智暴虐の輩を、世界から永久に除かねばならぬと、決意した。
端的に言えば、資料を探し当てた日本国の反応は、そうなる。
一両日中には捜査の終結と国連安保理の緊急会合の結論を待たずして、日本国国会を武力行使容認決議(防衛出動の発動決議)が通過。海上自衛隊の空母機動部隊は、スエズ運河を越え地中海へと移動することを関係各国に通告。
曰く、「我が艦隊が有する最大火力は、通常弾頭に非ず。邪魔立てする場合は実力を以て排除す」。
そしてスエズ運河の通過を阻止できる可能性があった欧米諸国の空母機動部隊は、海上自衛隊の空母機動部隊をノリノリでエスコートして多国籍軍に加わったし、周辺諸国も黙認するどころか日本国の肩を持った。
イスラエルとシリアと北イラクは、盛んに西側の謀略であると言い立てたが、なんとか第三次中東戦争後、過熱し膨張し過ぎた経済を軟着陸させようとしていた所に、空気を読まないテロで破壊的な金融危機を齎され怒り狂った国際社会は、聞く耳を持たなかった。
第四次中東戦争以来ずっと周辺国に展開を続け、イスラエル、シリア、北イラクと対峙してきた多国籍軍は、直ちに集結・増強を開始。第四次中東戦争を超える、一五〇万名もの兵力がイスラエル、シリア、北イラクの国境線を蟻が這い出る隙間も無く埋め尽くした。
第五次中東戦争は同年十月七日に始まり、十一月十三日のイスラエル、シリア、北イラク政府の無条件降伏受諾によって終わった。
この戦争に於いて、イスラエルとシリアは一〇〇〇機もの第一級作戦航空機を飽和的に投入し、核攻撃も行ったが、これらの大半は日米英伊仏独豪蘭西が地中海に投入した空母機動部隊計十三群、総勢五五〇機もの艦隊防空戦闘機と、日本国・仏国のターターD、米国・英国のイージス・システムの釣瓶打ちの前に轢き潰された後、トルコ、エジプト、サウジアラビア、南イラク、イランから放たれた、二四〇〇機余りの多国籍軍の戦闘機・戦闘爆撃機と、一〇〇万名もの地上軍の火砲により行われた、延べ一千万発もの砲爆撃の嵐によって、国境沿いの末端の町や村から余すことなく潰滅し――非武装の民間人に偽装した車輌多数が配置されていることが事前に判明していた為、無差別攻撃となった――、日米英仏の戦艦群によるイスラエル全土への破滅的な艦砲射撃をフィナーレとして、白旗を上げた。
イスラエルが大量破壊兵器の実戦使用を行ったにも拘らず、一貫して通常兵器による徹底反撃に止めた日本国の理性的(?)な対応により、同国の評価は微妙に高まったが、日本国の怒りはそんなもので晴れはしなかった。




