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日本国は手を抜けない  作者: 大鏡路地
東側よ滅び給え、惨たらしく死に給え
18/24

日本国は手を抜けない(18)

 昭和六十三年(西暦一九八八年)、第三次中東戦争は正式な和平を結ぶ事がないまま、国連常設平和維持軍が設定した、戦前のイラン・イラク国境線に沿った幅二〇キロの非武装・飛行禁止区域を挟んでの睨み合いに移行した。

 戦争による直接的な死者・行方不明者は双方合わせて一二〇万人、負傷者はその倍以上にも及び、人々の心身に深い爪痕を残した。

 従来であれば斯様な事態に直面した時、死者の冥福を祈り人々の心を癒す、救いの縁になるのが宗教なのであろうが、「世俗的」とも言われたイラン帝国の上からの改革に反発し、挙げ句の果てに外国勢力と結託して革命を試みたのが、その他ならぬ原理主義に染まった宗教勢力であったのだから、実際に戦場で戦った人々、或いは戦禍に晒された人々の、そうした原理主義勢力に対する反発心は、凄まじいものがあった。

 戦後、イラン国内では粛清の嵐が吹き荒れ、原理主義勢力は主として中東地域の東側の国々への亡命を余儀なくされたが、残念ながら当然の結末であろう。

 彼らは盛んに「西側世界による宗教弾圧・人権侵害」を言い立てたが、最初に国連憲章で禁じられた侵略に与して徒に無辜の民を戦禍に遭わせた事への反省はないのか、と反論されると、口を閉じて目を逸らした。

 因果関係を棚に上げて、自らが蒙った不利益だけを盛んに喧伝するのは、東側諸国の常套手段だった。

 東側諸国に亡命し、自らの言や利益を封じられたそれら利己的な宗教勢力はやがて、西側世界そのものの破壊を目指して先鋭化し、人理を説くべき宗教勢力にあるまじき、世界秩序への暴力的かつ破滅的な挑戦を図ることになる。

 第三次中東戦争、引いては東西対立そのものへの敗北を、ソ連率いる東側世界はそれら「宗教勢力への弾圧への反対」を押し出し、自らを宗教の擁護者と規定することで糊塗することに躍起になっていたが、本来的には宗教を否定する(或いはそのイデオロギーそのものを宗教としそれ以外を否定する)共産主義の本家本元が宗教勢力を擁護するという、一種の政治的パラノイアの現出こそが、より一層、東側世界の政治的・軍事的な敗北を滑稽に演出していたのだが、当の本人達にはその自覚が無いのだから、始末に負えなかった。

 或いはそもそも思想的には、そもそも共産主義圏に立憲君主国が属している時点で破綻していたのだから、今更何をか言わんやと言った所であった、という見方も出来る。

 そうした東西のイデオロギーの優劣が決したのを見届けるや、負債しか齎さなかった共産主義に見切りを付け、西側との対立から、和解と融和と言う名の無条件降伏に動き始めた国々があった。

 昭和六十四年(西暦一九八九年)一月七日、昭和天皇が崩御すると、満洲国は政府機関に半旗を掲げて弔意を示し、同国皇帝が直筆の弔文を認めて日本国新帝宛に勅使を発した。

 これは第二次世界大戦以降の四十五年にも及ぶ東西対立の期間中、主にソ連の意向を満洲国が汲んで、慶事・弔事を無視して必要最低限の事務的なやり取りに終始していた間柄を思えば、極めて異例中の異例の出来事だった。

 そしてソ連を筆頭に、主として中東地域の共産主義圏の国々が一斉に「満洲国に対する強烈な不満」を表明したのと対照的に、東ポーランド、スロバキア、ハンガリー、ユーゴスラビア、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、フィンランドの東欧共産主義圏、或いはソビエト連邦構成国の国々が満洲国に同調し、弔意伝達の為に相次いで弔問使節団を派遣すると同時に、それまで頑なに閉ざしてきた西側諸国との国境線を、「全ヨーロッパ的に今日は死者の冥福を祈るピクニック日和なので」という惚けた理由で解放した(※当たり前だがそれらの国々は日本国と同じく北半球にあり、当日は真冬である)。

 ソ連軍が介入する間も無く、東西から国境に殺到した民衆に呑まれて検問所は崩壊し、或いは飽く迄も平和的にピクニックの名目でやってきた民衆に囲まれた東欧主要各国のソ連軍基地からは、上級司令部に対応策を求める声が盛んに発せられ、ソ連軍司令部の指揮通信能力は飽和して破綻。ソ連指導部が状況把握と対応策検討に手を拱いている間に、


「自由と平和、公正を愛する国民の意思に基づいて、一党独裁の即時廃止、解散総選挙を行う主権が存することを今ここに宣言する。

 追伸:ゴリビー、林檎のお味はいかが?(※ゴリビーは当時のソ連最高指導者)」


 という旨の外交文書がそれらの国々から相次いで届けられたことで、否応なしにそれらの国々が「アカ(※共産主義を象徴する色)の皮を被ったシロ(※自由民主主義を象徴する色)」の国であったことが明らかになったのだが、最早どうしようも無かった。

 東西対立の盤面はオセロの様にひっくり返り、そして覆そうにも往年の軍事力はソ連の手に無く、一か八かの大量破壊兵器による恫喝を行おうにも、果たして運用部隊が「信用し、信頼出来る」のか――つまり、クレムリンに従うのかクレムリンに撃ち込むのか――定かでなく、迂闊に命令を発する事が出来なかった。

 出来たことはと言えば、顔を真っ白にして事態を呆然と眺め、事実上追認すること以外に無かった。

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