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8.手の感触

鸞ちゃん、とうとう覚醒します……



 大音量のクラブのフロアだが、然程混み合っているわけではない。フロアの端には地下へと通じる螺旋階段があり、何処かで見たことのある顔の派手な男達が、ボディガードにがっちり守られるようにして螺旋階段の下に消えていった。

 橋口はまるで落ち着かず、壁際の小さなテーブルにしがみ付いて、ビールをチビチビと飲むふりをしていた。

 こんな緊張など、ピアノの国際コンクールでの舞台に比べれば何て事はない……浮き足立ちそうな心を抑え、鸞はスツールに腰をかけ、大胆に足を組んでいた。

 と、そのストッキングに包まれていない滑らかな素足を、背後から無遠慮に撫でてくる者がいた。手は更に太股を擦り上げ、鸞が拒もうとするより早く、ボクサーショーツに包まれた下腹部に到達していた。奥歯を噛み締めて耐えつつ、いやらしく内腿を撫で回されながら、鸞は即座にシナリオを構築し直した。

「やっぱり。男の娘(おとこ こ)だったんだ。あんまり綺麗すぎて、ちょっと自信無かったんだけど」

 男はそう言って耳元で息を吐くように囁いた。横目で見る限り、30代、兄や霧生課長よりは上か。鸞よりも長身で彫りの深い整った顔立ちは、異国の血を感じさせる。この場所に不似合いなノーネクタイのスーツ姿で、日々のトレーニングを欠かしていないであろう事が肌蹴たシャツの奥に見える胸筋によく表れていた。

 男の後ろを客が通り過ぎるたびに、何やら声を掛けていく。男は時に手を振り、時に頭を下げ、そつのない応対をしていた。よく見ると、この店でスーツを着ているのは、警備以外はこの男だけである。

「ここ、お兄さんのお店? 」

「やっと可愛い声を聞かせてくれた。一瞬、警察(サツ)かとも思ったけど、こんなに手入れの行き届いたおハダの美女が、居るわけないね。何しろLladro(リヤドロ)の陶器人形かと思ったくらいだから」

 中々正面を向こうとしない鸞に業を煮やし、男は頤に指をかけるなりキスを仕掛けてきた。慌てて自分の唇の前に指を立て、鸞は片目を瞑って見せた。

「キスは本当に好きな人としなさいって、フランス人のママに言われているの」

「へぇん、可愛い。でも、男を釣りにきたんでしょ、下僕を連れて」

 鸞と男が同時に橋口を見た。すっかり怯えきっており、寸劇の行方が読めずに挙動不審になっている。これは潮時だと、鸞はしっしっ、と手を振った。

桐生(きりゅう)に帰ったらママにありのままを言えばいいよ。モデルなんて大嘘。毎晩沢山の男漁って楽しんでるって」

 霧生課長にこの様子を伝えろ、モデルの男達が地下のVIPルームに入っていったこともだ……祈る気持ちで橋口を出口に追い立てた。泣きそうな顔をして、それでもどこか安堵したように、橋口はクラブから出ていってしまった。

「え、桐生出身なの? 」

「そう。桐生出身の、いろんな意味でハーフ。田舎モンは居たらダメかしら」

 わざと口を尖らせて席を立ち、鸞は男達が思い思いに相手を見つけて踊っているフロアに身を投じた。

 半裸の肉体自慢に、髭面の強面、そうかと思えば鸞より違和感のある女装の男に、幼さの残る少年……その中に鸞が入って腰をくねらせていると、次々にそのスリットの中に手が伸びてくる。吐きそうな程の嫌悪感を感じたのも束の間、ここのところ押さえが効かなくなっていた奥底の情動が少しずつ昇華されていくようで、鸞はちょっとした開放感に浸り、心地好さそうな表情で髪をかき上げた。

「エロいな、君。名前は」

「上海帰りのリル」

「何それ」

 学が無さそうに首を傾げ、男は「直也(なおや)」と名乗った。

 直也が、鸞の背後に体を密着させて踊り出した。撫でるように背中越しに直也の腰に手を回すと、ジャケットの上から後ろ腰に隠している銃に触れた。その感触に一瞬指の動きを止めた鸞の腕を掴むなり、直也は螺旋階段へと鸞を誘った。

「どこに行くの」

 ガラス張りのステップを降りていくと、暗い廊下の両側にそれぞれ、ベッド一つ分ほどの小さな個室が2つずつ区切られていた。わざと紗でできたカーテンで中が見えるようになっていて、パートナーを見つけたカップル達が行為に耽っている。しかし、小さな個室に、先ほど降りていったモデル然とした男達がいる様子はない。

 と、奥から嬌声が聞こえてきた。

 直也はその嬌声が響き渡る奥の扉を蹴り開け、中に鸞を突き飛ばした。

 ここだ……8畳ほどの広さがあろうか。ダブルサイズと思しきベッドが奥にあり、その手前のソファセットでは、例のモデルの男達が女を侍らせて絡み合っていた。

 その散らかったテーブル上には、お菓子のようにカラフルなカプセルが転がっていた。小さなカブセルを、女達は酒で煽るように飲み込み、完全に常軌を逸していた。

「おい、姫のお通りだ、ベッドを開けろよ」

 流石に鸞は狼狽えた。地下だと霧生課長との交信も繋がっているのか分からない。案の定、イヤリングからは何の音も聞こえてこない。

 それまでモデルの男の1人が半裸の女をからかっていたベッドに、鸞は突き飛ばされた。スリットがめくれ、派手に足が晒されてしまう。その白い生足に、男は唇を這わせてきた。そして、顔を上げた時、その舌にはカプセルが載っていた。

「すげぇ良い気持ちになれるよ。ほら、飲ませてあげる、君ならタダでいい」

 口移しで飲ませようとする直也を押し退け、鸞は直也に馬乗りになった。

「え、君、タチ? 」

「タチ? あ、そういう風に言うんだ。じゃあ、僕に股がられている直也は? 」

「ネコ、じゃねぇけどな、俺は」

「ふうん、猫って言うんだ……」

 つつ……と指先で直也の胸元を滑らせ、鳩尾の肋骨を辿った。

「直也がそのカプセルを売ってるの? 」

 押し倒された拍子にうっかりカプセルを飲み込んでしまったのか、上気した顔で鸞を見上げる直也の下腹部がしっかり膨らんでいた。

「ここ、直也が仕切ってるんでしょ? エライ人なんだ」

「ケチな雇われ店長だよ」

 鸞は跨ったまま直也のスラックスのファスナーを下ろし、その屹立したものを下着から解放してやると、まるでゲーム機のスティックでも握るかのように、無邪気に握りしめた。

「凄い、それ飲むとこんなになっちゃうの? こんな大きくなって、それで、どうするの? 」

 直也は息を乱しながら、夢中で鸞のワンピースをたくし上げ、ショーツの中の柔らかな尻肉を掴んだ。ビクッと体を竦め、鸞は強い吐き気を覚えてその手を払いのけようとした。しかし一方では、その先が知りたい好奇心に抗いきれず、鸞の手を振り払って後門に直也の指が辿り着くと、早々と抵抗をやめてしまった。

 気を良くした直也が弛緩した表情で笑った。

「ちょっと……イヤ」

「エッロ…ここにさ、俺を入れるんだよ」

 そんな不浄なところに……混乱しながら、鸞は指から逃げようと体をくねらせた。逃げようと抵抗する理性と、その先を知りたい好奇心とが鸞の中で錯綜する。錯綜する方がどうかしていると、自分のはしたなさに泣きそうになり、見られたくないと顔を背けたりするのだが、かえってそれが扇情的に直也を昂ぶらせてしまう。

「ウソ、無理、無理……む、り……ちょ、だめ……」

「大丈夫、大丈夫……ねぇ、可愛い顔をよく見せて……やべぇ、マジで、久しぶりに本気で抱きたい」

 直也の手が、鸞の前の膨らみを撫でた。驚くほど浅ましく変化をして屹立している自分自身を見て、鸞は思わず女の子のような悲鳴をあげた。だが、その先の快感を知りたくて、腰が動くのを止められない。

「可愛い……色っぽいよ、姫、すっかり解れて、もう入れたいくらいなんだけど」

 息を乱しながら腰をくねらせる鸞に、直也はすっかりその気になっていた。

 小学生の低学年のうちに誰とも一緒に風呂に入らなくなってから、兄に脱衣所で肌を見せることさえ許さなかった。貞淑に、慎み深く、26年、孔明にいつか捧げる日を密かに夢見て誰にも肌を許す事なく、常に亮子の手本たれとして生きてきたのだ。刑事という仕事の中で、アダルトの違法DVDのチェックをやらされた時も、熱を帯びる自分自身を厳しく叱咤し、劣情を無いものとして心の奥底に無理やり仕舞い込むように隠してきたのだ。

 しかし、26年熟成させてしまった情欲が一度堰を切ったように溢れ出すと、もう体が制止を聞かずに勝手に動き出してしまう。この男の指が、あの兄のものだったら……兄とここで一つに繋がれたら……兄の、孔明のものに……そう思うだけで、疼きが止められない。その勢いはもう、暴発と言って良いだろう。

「あ、ん……どうしよ……あ、だめっ……」

「姫、いっちゃえよ……エロすぎて俺、保ちそうにない……」

「イヤ……もう、だめだって……」

 漏れる声を抑えきれず昂まり始めた己を、それでも微かに残っていた警察官としての理性が押し留めた。戻れ、戻れ、戻るんだ……鸞は強く唇を噛み締め、拳を握りしめるようにして腰の動きを止めた。

「そ、そのドラッグ、すんごい金になるんでしょ。ガキ相手にバカ売れしてるらしいじゃん」

 息を乱しながら質問をぶつける鸞の、尻を弄んでいた直也の手が止まった。

「こんなおバカなモデル連中が取引相手じゃないよね。今日は、他に誰と商売するの? 」

「てめぇ……」

 鸞が直也自身を握る手に力を込めていく。気持ち悪さと裏腹に、これを手放したら命のやり取りが始まる恐怖が鸞を支配しようとする。うっかり気を抜いたらこんな姿のまま死体になるかもしれない……と、ベッドの端に丸く小さなバッチが落ちているのを見つけた。

「あれ……この代紋、野上会? やっぱり、勧進元は野上会だったんだ」

 そのバッチを手に取った途端、直也が足を振り上げて鸞の背中を強打した。

「サツかっ!」

 倒れ込みながらも鸞は、動きの鈍い直也の背中の銃を抜き、ベッドから転げるように降りた。

「オモチャかと思ったけど……中国製トカレフなんか持ってるんだ」

「そ、そいつを捕まえろ! 」

 直也がそう叫んだところで、この部屋にいる連中が反応するはずはない。鸞は直也に銃口を向けたまま、冷静に部屋を見回した。フロアの大きさを考えれば、あと一つくらい部屋があってもおかしくない……部屋の扉とは反対の壁際に背を預けるようにして、鸞は壁を手で触った。

「そんな綺麗な指で、銃の撃ち方なんてわかるのか? 姫……よせ、悪いことは言わない」

 ベッドサイドの壁面テレビの陰に、鸞は四角いボタンを見つけ、躊躇なく押した。

「よせって……」

 ああ、と頭を抱えて直也がその場に崩れ落ちた。

 壁が動いた。壁面テレビの背面に吸い込まれるようにして出入り口が空いた。人が1人やっと通れるくらいのドアの向こうでは、明らかにその筋と思しき男達が4人、2人ずつ向かい合うようにして座っていた。彼らの間には(うずたか)く積まれた札束と、先ほど見た大量のカプセルが入ったビニール袋が並んでいた。

「どこの鉄砲玉だ、てめぇ」

「どうも、桜田門の分家から来ました、ほら、お利口にして」

「サツか何か知らないが、お嬢ちゃん1人で何するつもりだ。輪姦(マワ)して叩き売んぞ、コルァ」

 そのうち2人の顔は直ぐにわかった。野上会の構成員のデータは全て頭に入っている。この2人は中堅の分家の、そのまた中堅組員だ。しかし残りの2人は、明らかに外国人である。英語で何やらまくし立てていた。内容からして、フィリピンのマフィアの末端の連中だと鸞は推測した。

「野上会のお二人さん、本家は知ってるの? ヤクの凌ぎはご法度でしょ」

「世知辛い世の中でね、こうでもしないと若ぇモンを食わしていけんのですよ、別嬪(べっぴん)さん」

 英語で捲したてる2人が立ち上がり、ベルトに挟んである銃を抜いて鸞に向けようとしたが、その前に鸞が手にしていた銃で彼らの銃を撃ち飛ばした。

「動くなって言ったろ!! 手は頭の上!! 」

 弾が捉えたのは銃身だが、手首は掠っている。怪我を負ってのたうち回る2人の側に落ちている銃を取り上げ、うち一つをワンピースのスリットを捲り上げてショーツの背中部分にねじ込み、両手にそれぞれ銃を持って2人のヤクザの額を捉えた。スリットから露わになっている白い足が宙を舞うや否や、起き上がるなり飛びかかってきたフィリピンマフィアの若い方の顔を蹴り飛ばした。

「おいおい……美女がそんなモンをおっ勃ててる姿は見たくなかったぜ」

「あらいやだ……お里が知れるわ」

 その白い太腿に、思わずヤクザの手が伸びる。と、順に顔を蹴り上げられ、俯せに転がされ、背中に隠していた拳銃を鸞に取り上げられた。抵抗してブーツで背中を踏まれた男は、悶えるような情けない声を上げた。

「お触り禁止ってば。動いちゃダメ」

「やべっ、色っぺぇ……俺、全然ヤレる」

「馬鹿野郎、ご立派なモンがついてるっつーの」

「構うかよ、もう余裕でヌケるぜ、俺」

 無駄な足掻きをせずに丁々発止を繰り広げる2人を、鸞はそれぞれ腰のベルトを抜いて後ろ手に縛り上げた。

「直也、あんたも逃げないでよ」

 腰が抜けたかのようにヘタリ込んで動けない直也に、鸞が蹲み込んで顔を寄せた。

「色々教えてくれて、ありがとう」

 中々の男前が、笑いを堪えきれずにとうとう破顔した。

「サツには勿体無(もったいな)いねぇ。ノンケってわけじゃなさそうだし、でも経験もなさそうだし……あのまま(けが)れのない可愛いお尻にキスして、さっさとお初を頂いちゃえば良かったな」

「悪いけど、予約済み」

「……へぇ、こんな綺麗でくっそエロい子、黙って放っておけるバカがいるんだ。そいつにフラれたら、思い切り抱かせてよ。姫は、男を虜にする才能すんごいぜ」

 やがて、霧生課長を先頭に、制服警官がドカドカと派手に騒ぎながら突入してきた。

 馬鹿野郎! との怒声の後、霧生課長は鸞をしっかりと抱きしめて無事を確認したのだった。

 

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