11.バカと色気は使いよう
覚醒後の鸞ちゃん、お色気ビーム使いまくりです
六本木署で事の経緯を聞き質した鸞は、四谷署に戻り、すぐに亮子が持っていたカプセルと、新宿のガサ入れで押収したカプセルとの成分の照合を鑑識課に依頼した。
結果を待つ間ももどかしく、組対課の自分の机で膨大な量の報告書と格闘していると、昨日、殆ど役に立たなかった交通課の橋口悟がやってきた。
「ああ、昨日はお疲れ」
爽やかに笑うところまでいかなくても、最低限は微笑んだはずである。しかし、橋口は見る間に目に涙を溜め、とうとう土下座をしてしまった。
「ちょ、ちょっと、橋口君」
「守るって、係長を守るってお約束したのに……本当に申し訳ありませんっ」
丁度そこへ、マル暴自慢のゴリラ軍団がタバコの臭いを振りまきながら入ってきた。
「僕は全然大丈夫だから。気にしないで、ね」
すると、むくつけきマル暴軍団までもが鸞の机の周りに駆け寄ってきた。
「係長ー!!」
「操は無事でしたかっ、お婿に行けない体にされてませんかっ! 」
「課長が係長をすぐ帰したから、俺らはてっきり……」
縋るような目で鸞の答えを待つ面々に、鸞は頭を下げた。
「ごめんなさい、書類を丸投げにして先に帰って……初めての潜入で、気分が悪くなっちゃてぇ……」
申し訳なさそうに眉を寄せ、薬指で唇をなぞりながら口を尖らせると、全員鼻頭を抑えてそれぞれの持ち場に戻っていった。やはり鸞の身に何かあったのだ、可愛さに加え、色気と艶気の威力が増している……全員が、あんなことやこんな事をされて悶えている鸞の霰もない姿を同時に連想していた。
「は、はじめての挿入って言った? 」
「バカ、潜入だ」
「あの小さなお尻に……」
「違うって……やべ、想像したら鼻血……」
「俺、硬くなっちゃった」
おまえら、仕事場を何だと思ってるんだ……鼻にティッシュを詰めながらコソコソと話し込む連中の姿に、徹夜明けのイライラをぶつける間も無く、鸞は最後に現れた霧生課長に呼ばれた。
無人の応接室に入ると、霧生が後ろ手にドアを閉めた。
「大丈夫か、鸞」
鸞、と、一切の冗談めいた軽さもなく、霧生が問うた。
「大丈夫です。兄に連絡を取ってくださって、どうもありがとうございました。すみません、後処理を全部お任せしてしまって」
昨日踏み込んだ時の、フロア中に爆裂な色気を振りまいていた人物の片鱗すら見せず、鸞は折り目正しく頭を下げた。
「いや、いいんだ……俺の目擦りだったんだ。おまえさんはその……もう、そういう経験をしていて、そういうこともコントロールできるとばかり思っていて……」
「はい? 」
霧生が頭を掻きながら言いにくそうにボソリと言った。
「まさか、26で童貞処女だったとは……な」
「は、はいぃぃ? 」
「だって、二丁目の人間を全員発情させて昇天させる程の色気だぞ、絶対オトコ慣れしてると思ってたが……いや、俺もまだまだ見る目がない。しかしランラン、もうちょっと自分の色気の出し具合をコントロールしないとヤバいぞ。あんな暴発並みに色気発散されたら、この管轄で捜査するにゃ危険すぎる。いや、うちのゴリラ達にも刺激が強すぎる」
「そう言われてもぉ……」
「孔明にしっかり調教されとけ」
いっ、と驚いた顔で霧生を見上げると、彼はニヤリと悪戯気に笑った。
「別に悪いことじゃねぇよ。人の恋路を邪魔する奴は、犬に食われて死んじまえばいい」
「それぇ、夫婦喧嘩のことじゃありません? むしろ馬に蹴られる方では……」
「そうだっけ……ま、いいや。それより、あのフィリピン・マフィア、随分と小物だったぞ。あのカプセルの中のオキシトシン、あれを流したに過ぎなかった。調合してカプセルにしてバラ撒いていたのは、野上会の末端だ。ま、取引の大きさもシャブだの何のとは比べるべくもなく小さい。ただ、問題は出回った先だ」
「学生、ですね」
「高校生だ。ルートがまだハッキリ見えてないが、六本木のクラブを介して、だいぶ出回ったぞ」
「啓明学園、リストに入ってますか」
「入っているも何も、主犯はそこの学生だ」
霧生がリストを欄に渡した。学校名、モデルや役者が所属する芸能事務所、大学のサークル……項目は多岐にわたっていた。
「これだけのリスト、よく手に入りましたね、流石です」
「六本木署の大金星! って誉め殺したらくれたよ。そういや、亮子ちゃん、どうしてる」
リストの一番下には、亮子と佑月の名が書かれてあり、備考欄にドラッグは無関与と追記されていた。
「大丈夫です……たまには良いお灸になります。ただ、父の立場もありますから」
案じ顔で俯く鸞に、霧生が資料を見せた。未成年組の聴取のコピーである。流石に前職は少年係の係長であっただけに、同業の伝手から手に入れたようであった。
「ま、亮子ちゃんはタフそうだから。ほら、ここ、ちゃんと自分があそこにいた理由を話しているし、あの子に助けられた女の子の証言も取れている。佑月って子も、自分が無理やり付き添わせたと証言したようだから。副総監の立場に触るような大ごとにはならないと思うぞ」
「そうですか……それより、成分が一致したら、啓明の主犯と野上会が繋がることになりますが、どう攻めます」
「それなんだが……」
フィリピンマフィアが売りつけたオキシトシンの量は、野上会から出回っている量をはるかに超えているという。今更、野上会の連中が誤魔化すメリットはない。
「もしかしたら、野上会とは別のルートがあるかも知れん。今、フィリピンの2人を締め上げて、他にどこに流したか、吐かせている」
「そうですか……では僕は、六本木署と情報を共有して、主犯と思しき学生を洗います」
「よし、頼む」
鸞はリストを手に自分の机に戻った。
ふと見ると、メイクの瞳ちゃんが昨日鸞の唇に塗っていたグロスが置かれたままになっている。鸞はそれを手に、思い立つがままに取調べ室へと向かった。
2人は別々の部屋で取調べを受けている為、鸞は小窓からそれぞれの様子を観察した。そして、目が合った年嵩の男の方の部屋に立ち入った。
「これは、係長」
取調べに当たっていたマル暴の刑事が、疲れた表情で立ち上がった。今は録画もされており、脅したり声を荒げたりということができない。怒鳴るのが信条という程に力で押すタイプの男達には、やりにくいことこの上ない。
「少し、休んできてください」
そのマル暴と、通訳要員の生安課からの助っ人刑事を追いやり、鸞は男の目の前に座った。
「ジョイン……へぇ、お父さんはイギリス人なんだね。道理でハンサムだと思った」
ジョインと呼ばれた男は、昨日鸞に撃たれて擦り傷を負った手首をさすりながら笑った。言葉が分からないふりをしているのか、肩を竦めて戯けたりしている。
「この部屋、暖房効きすぎじゃない? 」
鸞は少し椅子を下げ、ゆっくりと足を組んだ。ネクタイを緩めてワイシャツのボタンを開け、つるりとした白い胸板をほんの少し晒し、両肘を灰色の机に乗せて頰杖をついた。唇を尖らせて、ジョインの前でグロスを塗っていく。よく馴染ませた後、唇の中からペロリと赤い舌を出して舐め回すと、ジョインが白目を剥いた。
鸞が取調室に入ったことを部下から聞いた霧生課長は、マジックミラー越しの隣室に、音を立てないように静かに入った。通訳要員の刑事が付き添っていた。
「出た、ランランのお色気爆弾」
ジョインの目が虚ろになり、完全に鸞の艶気に当てられている。
「短時間でまぁ、よく使いこなしてらっしゃることで」
ついさっき、色気の出し具合を注意したばかりだと言うのに、もう自在に操ろうとしていることに、霧生は驚嘆していた。しかも鎖骨の側にはくっきりと、艶かしい赤痣が刻まれている。
「ねぇジョイン、昨日さぁ、僕の脚、ずっと見てたでしょぉ」
ねちっこい英語を粘っこく発音し、薬指を軽く噛みながら、鸞がジョインの目を覗き込んだ。
「あの栗毛の女の子、僕なの」
鸞がそう言った途端、ジョインは泣き出しそうな声をあげた。
「君に、君に会いたかったんだ。まさかこんな……でも、今日の君も素敵だ」
「有難う。ここだけの話、あのカプセル、あんたと試したら気持ちよかったかなぁ、なんて……」
グロスのブラシを唇で弄びながら鸞が鼻にかかったような声で言うと、ジョインは笑い飛ばして首を振った。
「やめた方がいい。あのオキシトシンは安値の混ぜ物の方だ。もう一方の純正は、正規のルートで東京の薬品会社に入ってる。ただし、ダミーのな」
「なんだぁ、買えないのぉ」
「……俺を自由にしてくれたら、売ってあげるよ。いい儲けさ。青海埠頭にレンタル倉庫があって、日本の輸入業者名義で借りてあるんだ」
「信じられなぁい」
机の下では、靴を脱いだ鸞の足がジョインの太腿の付け根を撫でていた。天井を見上げてジョインが切ない吐息を漏らす。
「それ借りてる人、会ったことなんかないんでしょ、どうせ。あんた下っ端だし。嘘つきはきらーい」
「あるよ、あるさ、ワタル、セラタワタルっていう日本人だ、嘘じゃない、君に嘘はつけない」
マジックミラー越しに、霧生課長は思わずガッツポーズをした。
「はい、一丁上がり!! 今の聞いたな、すぐに青海埠頭にウチの軍団と鑑識を走らせろ。本庁の生安にも繋いどけ」
「了解です」
取調室では、羽化登仙のジョインに投げキッスをして、鸞が退場するところであった。
「ランラーン! 」
「あ、見てたんですねぇ、やっぱり」
振り向いた鸞からは、一切の艶気は消え、警察官の顔に戻っていた。
「バカと色気は使いようって言うけど、さすがだねぇ」
「賭けです。昨日、僕に撃たれたのに、ジョインは憎まれ口一つ僕にぶつけてこなかったんで」
「あら、鸞ちゃんに惚れちゃったのかしら」
「さぁ……んふ」
目尻にほんの少し色を灯して、鸞が微笑んだ。それだけでも十分殺傷力がある。
「とにかくこれで、主犯と目される啓明学園の瀬良田志信は、恐らく縁者のルートであれだけの量を仕入れていたのは間違いないかと。今から瀬良田の家に行きます」
「1人で行くな。誰か連れて行け」
「六本木署の薬物係と落ち合います」
「よし。令状は六本木署の木内警部が用意する、落ち合うまで絶対暴走するなよ」
はい、と短く返事をして踵を返し、鸞は走って行った。
「後ろ姿は凛々しくて頼もしい若者よねぇ……危ねぇ危ねぇ」
見た目が女のようで危なっかしい上に副総監の子息ということで、配属先を盥回しにされていると本庁の友人から相談を受けた事があった。無論鸞には、配属されてから孔明の弟だと気が付いた、と言ってある。あながち知らない仲でもなし、鸞の実力を惜しむ友人に胸を叩くようにして霧生が組対で引き受けることを快諾したのだが、これはとんでもない火薬玉を預かってしまったと、扱いの難しさを今更ながらに思い知っていた。
「ま、楽しいけどね、飽きないし」
確かに、警察官としては至極優秀で真面目で、フットワークも軽い。この街を守る戦力としては最強なのだ。




