1.狸穴の洋館
まだお色気姫爆誕前の無垢なお姫様型マル暴刑事(弟)と、三白眼で不器用な高校教師(兄)の、すれ違い
1.狸穴の洋館
港区は麻布狸穴町。植木坂と鼠坂が交錯するあたりに、古く大きな洋館がある。
旧華族である桔梗原家の屋敷であった。
古めかしい格子のガラス窓から朝日が差し込む。4月にしては肌寒い朝、次男の鸞はワイシャツとスラックスという通勤姿にエプロンを掛け、忙しく朝食を支度していた。またガス台の火がつかない。いい加減IHにしてくれてもいいのにと、今日だけで30回目の愚痴をこぼしながら。
何せ父・玄徳は警視副総監であり、やがて30歳になる兄・孔明は啓明学園高校の古典教師という身分である。かくいう自分とて、26歳ながら四谷署の組織犯罪対策課薬物銃器対策係の係長であり、警部という職階にある。男3人が働いているのだから、キッチンくらい直したいものだと、溜息をつきながら、鸞は玄関の広いロビーから曲線を描いて二階へと続く階段を駆け上った。
細工は大正後期のもので、アール・デコ調の装飾も素晴らしく、つい手摺を撫でたくなるのだが、いかんせん階段に敷き詰められている赤絨毯があちこちハゲ散らかされ、見るも無残であった。
どうしてこう、ここの連中は無頓着なんだか……溜息をつきながら、すべて南向きに並んでいる居室の、再奥の西の角部屋のドアをノックした。
「父上、お目覚めですか」
するときっかり3秒後、父・玄徳はワイシャツとスラックスにガウンを羽織った姿でドアを開けた。
「おはよう、鸞」
「おはようございます」
玄徳の体内時計は恐ろしく正確であり、一度として寝過ごしたということはない。古の将軍家の如く、既に目覚めていても声が掛かるまでは部屋から出ない。
「いつもすまんな」
髪にも服装にも、全く緩みがない。これこそが元華族である桔梗原家現当主たる風格である。
次なるは、真ん中の兄の部屋。
この部屋はノックはせずに、鸞は足音を立てないようにして忍び込む。そして、寝台の側に座って兄の整った寝顔を見下ろした。
「あにうえ」
いつもはヘア剤で撫で付けられている髪も、サラサラと耳の上に踊っている。あの隙のないポーカーフェイスからは想像もつかないような、こんな無邪気な寝顔が、鸞には堪らなく愛おしい。
無防備に開けられた口に、鸞はそっと顔を近づけた。今日こそ……と思いながらも、敵も然る者で、パチっと目を開けるなり飛び起きた。
「男の部屋に黙って入ってはダメだろう、婿入り前の身で」
下半身から布団を退けようとせず、孔明はそんな苦しい説教を零した。
「僕も一応、オトコですけど」
鸞は膝立ちになってベッドの上に乗り上げ、ずいと顔を寄せた。ただでさえ少女と見紛う可憐な顔立ちがここのところ日増しに婀娜に艶めいてきて、潤んだ漆黒の瞳で見据えられると孔明の芯がズキリと疼く程だ。これ以上は父に背くことになる……しかし孔明のそんな懊悩を知ってか知らずか、今朝も鸞は強烈に色めいた表情をして、孔明がひた隠しにしている布団の中の下半身に手を伸ばしてきた。
「隠さなくったって、僕も同じもの持ってるのに……わ、凄い」
「や、やめなさい、はしたない、慎みはどうしたのだ」
何で? とばかりに首を傾げる鸞の、殺傷力抜群の美貌から逃れるように、孔明はベッドから降り立った。
「着替えるから出なさい。ほら、亮子を起こさないと遅刻するぞ」
また、背を向けられてしまった……鸞は溜息と共に「はい」と返事をして部屋を後にした。
とはいえ消沈する暇はない。ラスボスのいる階段の踊り場に近い東の角部屋に向かった。娘に使わせると良縁に恵まれると言うから当てがってやったものを、全く『女』のおの字すら感じさせるに至らぬ妹の部屋の、半ば傾きつつあるドアの前に立った。
「亮ちゃん、起きて、遅刻するよ」
妹・亮子はこれしきで起きるタマではない。啓明学園高校1年、間も無く16歳。空手2段、剣道3段。立てばサムライ座ればヤンキー、歩く姿はスカイツリーと揶揄されるほど長身で、兄によく似た三白眼にいつでも不満を湛えて過ごしていた。
「失礼」
乱暴に開け閉めするためにすっかり建て付けが悪くなってしまったドアを器用に開け、鸞はその強盗でも入ったかのように散らかる部屋を爪先立ちで軽やかに歩き、虎の、もとい妹の眠るベッドにと近寄った。
「亮子、起きなさい」
布団を剥いでしまおうと端を掴むと、敵もさる者、グッと両手で握りしめて離さない。ならばと両足を掴んで床に投げ捨てようとすると、亮子は強烈な蹴りを繰り出した。それを手刀で叩き落とし、力技で俯せに返すと、鸞はその背中に膝を入れて押さえつけた。
「あんたねぇ、お兄様に向かって蹴りを繰り出すくらいなら、とっとと起きて手伝いくらいしなさいよ!」
「うるせぇ! おカマを兄と呼ぶ趣味は無ぇんだよっ!! 」
「言ったわねぇ……」
としっかりオネェ言葉になりながら、鸞は着実に4の字を固め、とうとう亮子を泣かせた。
「アタシに逆らうなんざ、100万年早いのよ。とっととそのブッサイクな顔洗ってこいっ」
と拘束を解いて背中を向けた途端、鸞は亮子の飛び蹴りを食らった。部屋のドアから弾き飛ばされ、鸞は廊下の壁に額をぶつけた。
「何すんのよっ! バカ亮っ」
「やぁい、泣き鸞!! 」
思い切り額を廊下の壁にぶつけた鸞を嘲笑うように、亮子は台所へと駆け出していった。
ちょっと情緒不安定なランラン、益々取扱要注意に……




