8.じゃあ、辺境伯様を私にちょうだいよ。
控室の前に立っていたのは、婚約破棄の場以来になる、腹違いの妹であるナーサリーだった。
ピンクブロンドの可愛らしい髪と、ヴィセンド殿下の瞳の色である青色のドレスは良く似合っている。私よりよっぽどヴィセンド殿下の隣が似合うだろう。
それ自体は全く何とも思わないのだけれども、ナーサリーの首にかけられたネックレスを見てギュッと胸が痛んだ。
その真珠があしらわれたネックレスは、私のお母様の形見だ。
お母様がデビュタントの際に、お母様のお父様に贈られた品で、『あなたがこれをつけて綺麗なドレスを着る姿が今から楽しみだわ』と病気が進行する中、私に託されたのだ。
大切に、大切にしまっておいたのに、いつの間にかナーサリーの持ち物になっていた。
私がどんなにナーサリーに頼んでも、父に訴えても、このネックレスを返してもらうことはなかった。
私がネックレスを見て顔を歪める度、ナーサリーは嬉しそうに微笑むのだ。そう……今のように──。
ニコリと微笑むナーサリーは私にツカツカと近寄って来た。
「お義姉さま、どうされたの?久々に会う妹との再会を喜んでくれませんの?」
「……息災そうで、何よりだわ」
「まあ!辛気臭い。なーんにも持っていない、つまらないお義姉さまに、とってもいいお話があるのよ?ねえ、お義姉さまの旦那様、とっても恰好良かったのね……」
鈴が転がるような声で笑うナーサリーの言葉に、心臓の鼓動が早くなる。
まさか……。いいえ、ナーサリーにはヴィセンド殿下がいるもの。
「ねえ、お義姉さま、私、辺境伯様が欲しいわ。私に下さらない?」
「っ!?……なにを……、貴女にはヴィセンド殿下という婚約者が……」
「王子妃教育もつまらないし、ヴィセンド殿下にもあきちゃった。最近やけに冷たい態度だし、お義姉さまにお返しするわ。いい話だと思わない?お姉様王子妃になれるのよ!」
ふざけている様子はなく、素面でとんでもないことを言うナーサリーに驚き過ぎて言葉が出なかった。
第二王子の婚約者をそう何度も入れ替えることは、王家やハッシュベルト侯爵家にとって良い話ではない。それに、もう私はガイザード様と婚姻を結んでいる。ガイザード様の妻なのだ。
それを離縁して第二王子妃になど……なれるわけがないと、何故わからないのか。
「ナーサリー。良く聞いて。それは無理なのよ。貴女がヴィセンド殿下の婚約者になると一度決めたのならそれには責任があるのよ。貴女だけじゃない。これは王家とハッシュベルト侯爵家の──」
「あー、うるさいわねぇ。いい子ぶって、本当に気に入らない。あんたなんて、私の為に生きるしか存在価値なんてないのに……いい気にならないで。そうだ、思い知らせてあげましょうか」
ナーサリーはいいことを思い付いたように、お母様の形見のネックレスを首から外した。そして、床に落とし、その上から足で踏みつけた。
「なにをするのっ!!それはっ──」
「あははははは!いい表情!!そうじゃなくっちゃ。この安物のネックレスなんて興味はないけど、お義姉さまが辛そうに顔を歪めるからいつも着けてたの。よっぽど大事なんでしょうね。ねえ、このまま踏んで壊しちゃいましょうか?」
「やめてっ、お願いだから、壊さないでっ!!!」
このネックレスを着けて嬉しそうに微笑む母の姿が脳裏に蘇る。大事な……大事なネックレスだ。
「じゃあ、辺境伯様を私にちょうだいよ。そうしたら返してあげるわ」
「ガイザード様は物じゃないのよっ!!貴女、何を考えて……」
「そう。じゃあ、もうこんなネックレスいらないわね」
ニタリと笑ったナーサリーは、思いっきり足を振り上げ、そのままネックレスを踏みつけた。ヒール部分で真珠をグリグリと力任せに踏み、そのまま真珠にヒビが入っていく。
パリン──と音がした瞬間、私は耐えきれず涙を零してしまった。
ごめんなさい、お母様──。
このネックレスを着けて、着飾った姿を見てほしかった……。もう二度と……叶わない。
「あーあ。やっぱり安ものね。はい、返してあげる。ふふふ、壊れたネックレスがお義姉さまにお似合いよ。あら、素敵な指輪じゃない。お義姉さまには勿体ないわ。私が貰ってあげる」
ガイザード様につけてもらった指輪まで奪おうとするナーサリーに、ショックで呆然としていた意識が戻って来る。
「やめ──…」
抵抗しようとした瞬間、指輪から眩い紫の光が溢れ出て、ナーサリーを吹き飛ばした。
「え…………?」
目の前に──
『きゃんきゃんきゃんっ!!!!!!』
激しく怒っている守護霊のポメちゃんが現れたのであった──。




