SNSにはご用心
「他校の彼氏が、浮気しているか調べて欲しいの」
生まれて十六年。探偵業を開いた覚えはない。
──ただ、頼み事を断るのが苦手なだけだ。
同じクラスの木村里帆が突然、冒頭のような台詞をぶつけてきたのは、昼休みのことだった。
「……なんで僕?」
木村と、とりわけ仲が良い訳でもない。
彼氏の浮気相談を持ちかけられるような間柄では、ないはずだ。
「河野雅樹、同じ中学でしょ」
なんで知ってる。
「でも、僕、河野とそんな喋ったことないよ」
「それくらいの関係が一番調べやすいじゃない」
全く引く気がない木村。
……困った。
「……ちょっと一緒に来てくれる?」
困ったらいつでも頼ってね、と微笑んでくれた従兄弟が僕にはいるのだ。
今がその時だろう。
僕たちは屋上へ向かった。
屋上の扉を開けようとしたら、ガッと何かにぶつかる手応え。
わずかに開いた扉の隙間から覗くと、屋上側で男子生徒が倒れている。
「和哉くん」
「んぁっ!?」
昼寝を満喫していた彼は飛び起きて、こちらに振り向いた。
「祐希じゃん。どうしたの? 浮気調査でも頼まれた?」
なんで知ってる。
「……誰、この人」
ドアを開けてくれる和哉くんと、怪訝そうな木村。
「藤和哉くん。三年生で、僕の従兄弟。頭が良いから、協力して貰おうと思って」
「藤和哉でっす。和くんでいいよ」
和哉くんはウインクで星を飛ばす。木村は飛んできた星を手で払い除けた。
「で?」
和哉くんの視線に僕は答える。
「僕もまだ詳しく聞いてないんだ、木村、話してくれる?」
木村は頷く。僕らは屋上の隅で輪になって座り込んだ。
「彼とは、一ヶ月前の合コンで知り合ったの。隣町の高校の、河野雅樹っていうんだけど……」
「合コン!? いいなぁ〜! 今度やる時は僕も呼んでね」
和哉くんの茶々入れを無視して、木村はスマホを取り出して写真を見せた。
画面には、カフェのような場所で、コーヒーが乗ったお洒落なテーブル越しに、スマホ片手でこちらに微笑む河野。
カフェデートで彼氏を撮影した写真か。彼女にしか撮れないやつだ。男同士でこんな写真、撮らないもん。何が悲しくて男友達のキメ顔を撮影せにゃならんのか。
「最近、連絡取れないことが多くなって……。誰と浮気しているか調べて欲しいの」
思い違いの可能性はゼロで、浮気確定なのか?
「そんなの、自分で聞けば……」
「それで別れることになったらどうするの」
睨まれた。僕は口を閉ざす。
「本人に直談判するなら、私の名前は出さないで」
「見返りは?」
木村の一方的な要求の数々に、和哉くんが値踏みするように返した。
木村は和哉くんとしばらく目を合わせた後、
「……合コン、セッティングします」
「おっけぇ、やろう」
和哉くんが、パチンと指を鳴らす。
安いなぁ、和哉くん。
「じゃあ、連絡先交換しよう。赤外線でいい?」
「赤外線!?」
木村の大声が空に吸い込まれる。
このご時世にガラケーを取り出す和哉くんに、木村はシーラカンスを発見したかのような面持ちだ。
「……メッセージアプリとかは……」
「あぷり? あぁ、良い匂いだよね」
それはポプリだ。
知ったかぶる和哉くんにため息をついてから、木村はガラケーを奪い取り、連絡帳に自分のメールアドレスと電話番号を登録した。
放課後、僕は和哉くんと校門前で落ち合った。
丁度今日が河野の部活がない日で、最も浮気が疑わしい日らしい。僕らは彼の高校の前で待ち伏せして、尾行する算段になった。
隣町の高校に到着すると、タイミング良く、河野が校門から出て来た。
女子と一緒に。
……これって、証拠写真とか撮った方がいいのか?
「いや、しばらく追いかけよう」
和哉くんに制され、僕らはゆっくりと彼らの後を追う。
女子と手を繋いで下校なんて、羨ましい限りだ。どうして僕は今、従兄弟の男と二人きりで男女の背中を追いかけてるんだろう。悲しくなってくる。
「祐希、失礼なこと考えてない?」
「和哉くんはイケメンだなぁって考えてた」
勘の鋭い和哉くんを適当に誤魔化すと、満更でもない顔になった。ちょろくて助かる。
「あ、河野一人になった」
河野の浮気相手は、河野に手を振って、駅前の予備校に入って行く。河野はそのまま駅へ。
「よし、面倒だから直接聞こう」
「えっ」
和哉くんは駆け出し、河野に声をかけた。
翌日の昼休み。僕と和哉くんは、屋上に木村を呼び出した。
「早いね。昨日の今日で、もう浮気相手が誰か分かったの?」
木村はニコニコして俺たちを見る。僕たちは真顔のままだ。
「……で、誰だった? 浮気相手。写真があるなら、それでも良いけど……」
「……木村」
るんるんでスカートのポケットからスマホを取り出す木村に、僕は結論から言った。
「君、ストーカーだろ」
回想。
「俺が浮気!?」
河野の大声に、視線が集中する。僕は口に指を当てて、静かにしろ、とジェスチャーした。
駅前のカフェに三人で入り、事情を説明したのだが――河野はまるで他人事のようだった。
河野は悪い、と謝ってから、顔の前でブンブンと手を振る。
「ないない! てか、そんなモテない! 一ヶ月前の合コンも、誰とも良い雰囲気にならなかったし!」
「え、じゃあ、さっき手を繋いでたのは……」
「彼女だけど」
モテてるじゃないか。
恋人がいる男子の「モテない」には、殺意が湧いてくる。
「なぁなぁ、彼女と同じクラスなの?」
そんな僕を無視して、和哉くんはテーブルに身を乗り出し、恋バナを始める。
「いや、先輩だよ」
「先輩と、どうやって恋に発展すんの!? 俺も後輩と恋したい〜!」
めちゃめちゃ楽しそうな和哉くん。
和哉くんに促され、照れ臭そうに河野が惚気てくる。
「家が近所でさ、犬の散歩してる時に偶然会って、話したら趣味とか共通点が多くて……」
そのままその気になって、告白したってか。
「えぇ〜! そんなんもう運命じゃん! 現実にあるんだ、そんな話〜!」
「やっぱ運命だよな! 俺もそう思う!」
キャイキャイ盛り上がる二人と反対に、僕の体温はどんどん冷めていく。
……いいなぁ。
じゃなくて。
頭を横に振って、気持ちを切り替える。
彼が先輩と恋人関係なら、木村は?
木村は、河野の何なんだ?
「……そのことなんだけど」
河野がスッと真剣な眼差しに変わった。
「俺、ネットストーカーされてるんだ」
差し出されたスマホの画面は、SNSのダイレクトメッセージ。
好きだよ、愛してる、の羅列。呪い、という単語が並んでいるより不気味だ。
「うわ……」
「ブロックすると逆上させるかもって聞いて、放置してる。相手、捨てアカウントだから、誰かも分からない。最近はログインもしてないし、友達にも俺のことは呟かないように頼んでるんだけど……」
河野からスマホを受け取って、スクロールさせる。気持ち悪いほど、愛の言葉が永遠に陳列していた。
ストーカーのアイコンをタップする。プロフィールもIDも初期設定のまま。アカウントが作られたのは、一ヶ月前。
しばらく彼のアカウントをいじっていると、メディア欄から、木村に見せられた河野のカフェデート写真が出てきた。
「えっ、何これ? なんで自分しか写ってない他撮り上げてるの?」
「あぁ、一時期流行っただろ? 『彼氏とデートなうに使っていいよ』ってタグ。彼女いない時期に、友達とふざけて、どっちが彼氏っぽく撮れるか、撮影し合ったんだよ」
なるほど……。だから木村はあんなデートっぽい写真を持ってたのか……。
「ねぇ」
SNSに疎いせいで、しばらく蚊帳の外だった和哉くんが横から入ってきた。
「これ、どうやってアカウント? 作るの?」
「メールアドレスか電話番号。あとパスワードで……」
……あ、そっか。
回想終わり。
「だめだよ、捨てアカウントと本アカウントのアドレス同じにしたら。お陰ですぐ特定できた」
「……っ」
僕の言葉に、木村は拳を握りしめる。
「これ以上ストーキングするなら、河野も警察行くって」
「…………」
「……やめなよ、こんなことしても河野は木村に振り向かな」
「分かってるわよ!!」
黙っていた木村が叫んだ。
「やめられなかったの……! 好きな人を知りたいと思うのがそんなにいけないこと……? 私はただ、愛を伝えたかっただけなのに……」
他にも伝え方があっただろうに。
「なんで素直に正面からアプローチしなかったの?」
ずっと傍観を決め込んでいた和哉くんが、口を開いた。
「それは……、拒絶されたら、怖いじゃない」
「ストーキングされた河野くんも、怖がってたよ」
木村はその場で泣き崩れた。
ひとしきり泣いた後、木村は自分の行動を悔やみ、もう河野には近づかないと約束した。
思い返してみれば、僕が河野と同じ中学だって知ってたのも、河野を調べ尽くしてたからだったのか。
「……彼に、ごめんなさいって伝えておいて。それと、二人も、迷惑かけてごめんなさい」
木村は、ぺこり、と丁寧に頭を下げた。
「……だめだね、私……」
「だめではないと思うけどなぁ」
「え?」
鼻を啜りながら涙を拭う木村に、和哉くんが微笑みかける。
「だって、こんなに一人の女の子に好きになって貰えるなんて、俺なら嬉しいよ」
あぁ、そうだ。この人、後輩と恋したいとか言ってたなぁ。
「だからさ、木村さん」
和哉くんは、木村の前に跪いて、手を差し出した。
「俺で良かったら、付き合わない?」
頭を抱える僕。ぽかんとする木村。
しばしの沈黙の後、木村も和哉くんに微笑み返した。
「お断りします」
「……同じストーカーでも、こうも結末が違うと同情しちゃうよね」
帰り道、コンビニで買ったチョコを口に放り込みながら、和哉くんが呟いた。
「どういうこと?」
「ストーカーは二人いたってこと」
「え」
僕は驚いて、貰ったチョコをそのまま飲み込んでしまった。
「なんでそう思うの?」
「河野くんのアカウント見てた時、他の端末からのログイン履歴があったよ。最近ログインしてないって言ってたのにね」
SNSやってないくせに、ログイン情報の意味は分かるのか。
「つまり?」
「河野くんの彼女も、河野くんのストーカーなんじゃないかって」
あくまで俺の予想だけどね、と和哉くんは付け足した。
「河野くんの彼女の話、偶然出会ったにしては、都合が良すぎ。あらかじめ、犬の散歩する時間帯とルートを調べておいて、わざと鉢合わせたんじゃないかな。共通の趣味なんて、ネットストーキングしてれば、いくらでも話を合わせられる。これで、運命的な出会いの出来上がり」
和哉くんは、空になったチョコの入っていた袋を、ぐしゃりと握り潰す。
「だから、俺らが何かしなくても、河野くんの彼女が、ネットを使って木村さんに制裁を加えていたかもね」
「じゃあ、僕らがやったことって、河野をストーカーから守ったんじゃなくて……」
木村を守ったってこと……?
「どちらかと言えばね」
和哉くんは夕日に向かって、大きく伸びをした。
「……女子って怖いね……」
僕の呟きに、和哉くんはチラリと僕を見て、笑った。
「それでも俺は、彼女が欲しい!」