切られた火蓋
仕事を終え帰宅のために馬車乗り場へ向かうと待っていた馬車は見慣れたカートイットのものではなく、ハオスワタ侯爵家のものだった。
主が中で待っていると伝えられ強制的に馬車の中に案内される。
「ご機嫌よう。今日クロウに会いに行ったのだけれど私と一緒にいる時の彼の幸せそうな顔を見ていたら、貴女のために何かしてあげなくてはと思い立ったの。ほら私、見知った人が不幸せだと自分の幸せを素直に喜ぶことができないくらい繊細でしょ?前回お茶会の時には途中で体調を崩してしまったので貴女の力になれずじまいだったことを心苦しく思っていたのよ?」
「まあ!流石はノミンシナ様だわ!本当にお優しくていらっしゃるわ。気持ちを傾けてくださるだけではなく、こうしてわざわざ足を運んでくださって相手が誰であってもお力になろうとなされるだなんて。フェイブルは感謝するべきよ!……あら、ノミンシナ様の美しいお心に感激するあまり挨拶を忘れていましたわ。ご機嫌よう」
予想通りの人物の隣には謹慎中の身であるという意味では予想外の人物が座っていた。
相手の目的がわからず困惑するが、何れにしろ良い事であるわけはないと心の準備をする。
「ご機嫌よう。ノミンシナ様、アイリーン。お気遣い有難く存じます」
「貴女の馬車は帰ってしまいましたから代わりに送って差し上げるわ。気にしなくていいのよ?アイリーンにも言っているけれど、自分の馬車だと思って寛いでいらして。その間お話でもしましょう」
「ノミンシナ様の御心はまるで女神のようですわ。私、ノミンシナ様の事を本当のお姉様のように思ってますのよ」
「あら、アイリーンは本当に可愛いわね」
ノミンシナはアイリーンの頭を撫で、傍目には本当に仲睦まじい姉妹のように見える。
ひとしきりアイリーンを可愛がるとノミンシナはこちらを向いた。
「私、貴女に素敵な男性を紹介してあげようと思っているのよ。好みのタイプとかあるかしら?」
「……いえ。今そういったことは全く考えておりませんので」
「まあ!恋愛ほど幸せなものはないのに。……まあそうね貴女はつらい思いをしたものね……高望みの恋は苦しかったでしょうから。でも安心してちょうだい。今度は私が貴方にぴったりの相手をみつけてあげるから」
「フェイブル良かったわね!私もノミンシナ様のおかげで素敵な恋を見つけたのよ。貴方もきっと見つけられるわ」
二人には少しの罪悪感も見当たらない。アイリーンはデビュタントの時の私とクロウの様子を目にしているし、ノミンシナはクロウも私も婚約破棄を望んでいなかったことを知っているはずだ。だからこそ強引な手段を取ったのだから。
私から何よりも大切な人を奪いながら、そんなことは二人の中にはありもしなかったことになっているのだ。
だとしたら放っておいて欲しい。クロウを奪うだけでは足りないのだろうか……
無表情のまま自然と視線は自身の足首に注がれる。私のクロウへの想いだけはどうやっても奪うことなんてできないのに。
俯いた私が二人には傷付いたように見えたようだ。
「……つらい片思いをして臆病になる気持ちはわかるわ。そうよね、出会ってもいない状態では前向きにもなれないわよね。私もクロウに出会って前向きになれたもの……気は乗らなくても今度招待するから必ず……必ずいらしてね?友人の幸せのためだもの。そのためなら強引な手も使わせていただくわ」
ノミンシナはどうやってでも私をその席にひきずりだしたいようだ。それを理解したアイリーンもすかさず合いの手を入れる。
「ノミンシナ様、フェイブルのことは私が必ず連れていきますわ。私にとってもフェイブルは大切な友人ですもの」
「そうねアイリーン!お互いに友人のために心を鬼にしても頑張りましょうね」
「ええ!ノミンシナ様」
私は何を見せられているのだろう……
彼女達のいう友人とはどういった意味を持つのか。言語としては理解出来ても何を言っているのか全く理解できなかった。
自分の理解をあまりに超えていてどう反応して良いのかも自分が今どんな表情をしているのかもわからなくなった。
ノミンシナがそんな私を見て一瞬だが愉悦に顔を歪ませた。その顔を見た瞬間、私の思考はクリアになった。
この苦しみに耐える意味は無いのだと。たとえクロウとノミンシナの婚約が国のために必要であったとしても、それ以上の苦しみは私に求められていないのだと。
陛下や主教の思惑とは無関係に、彼女自身が何としても私を傷付けたいのだ。今以上に執拗なまでに。
……それならば私は戦いたい。いつかその婚約が意味を成さなくなるまでクロウを決して諦めたくもない。私自身を貶めるような事も決してしない。彼女が私を傷付けたいのならば傷付いた顔を見せてやったとしてもそれは戦略であり私自身は絶対に傷つかない。
婚約破棄されたあの日からクロウのために何ができるかを自分なりに考えて動いてはきた。
でも思いついた事と言ったら、状況に耐え自分が元気でいること、少しでも情報を得ることくらいだ。
私はノミンシナからは逃げていた。もちろん下手なことをすればクロウの足でまといになることを危惧したのも事実だ。
ただ一番の理由は私が今まで誰かを敵であると認識したことが無かったからだろう。
今までは戦わなくても何かを失ったとしても喪失や心の痛みに耐えるだけで済んだ。本当に大切なものは守られ脅かされることはなかったから。今回だって耐えれば良いと思っていた。
でも、ノミンシナは違う。私がどれだけ耐えようがその手を決して弛めはしないだろう。私の心が徹底的に破壊されたのを目にするまでは。
クロウを諦め自身の人生も捨てて生きているだけの人形のような私、あまりのつらさに身を投げる私、彼女が見たいものはそういったものだろう。
だが私がそうなる必要はないのだ。そして私はノミンシナが思うほど、か弱くも大人しくもない。
一度瞼を閉じゆっくり目をひらくと改めてノミンシナとアイリーンを見る。
この二人は私の敵であり戦うべき相手だ。私がノミンシナと戦うことで生まれる不利益など誰も気にしない。陛下が必要とする限りノミンシナとクロウの婚約は継続されるのだから、私がノミンシナに対峙しようとなんの影響もない。だとしたらクロウの足を引っ張ることはないのだ。今ならそう思える。
そう思えると表情は自然と笑顔になった。
「フェイは本当に怒ると笑顔になるから余計に怖いんだ」と言っていたクロウの言葉を思い出す。
クロウ。私、今が人生で一番怒ってるみたいよ。
私の笑顔を見たノミンシナは眉を少しあげ驚きを見せ、アイリーンは笑顔になった理由がわからず首を傾げている。
「……新しい出会いに前向きになってくれたのかしら?喜んでくれたのなら嬉しいわ」
「ノミンシナ様。私には必要ありませんが、私のためにと仰ってくださるのなら参加はさせていただきます。しかし期待に添えないことはお許しください。アイリーン。私なんかのために時間を使うより自分のために使ってください。謹慎中の貴女には職探しが今一番重要なことだと思いますので」
二人して一気に頭に血が昇ったようで頬を赤らめ手を震わせ怒りを滲ませる。
「ノミンシナ様!やっぱりフェイブルが画策して私を謹慎に追いやったんですわ!それだけでは飽き足らず私を執拗に……」
「……可哀想なアイリーン。友人に裏切られるなんて。カートイット令嬢!貴女、友人のアイリーンが祖父母を失い悲しんでいるところに追い討ちをかけるように家の力を利用して執拗に未納分の支払いを迫っているようね!差し押さえするという通知が届いたと聞いたのよ!そればかりか謹慎にも追いやったなんて……きっと何かの間違いよと友人だと思っていたからこそ私が否定してあげていたのに私の信頼まで裏切るだなんて!」
怒りの形相で声を荒らげる二人に対し、私は微笑んだまま平坦な声で返す。
「お言葉ですが。私はアイリーンの謹慎に全く関係ございません。アイリーンがノイハ殿下を突き飛ばしたための謹慎です。その時点で私はまだノイハ殿下にお会いしたことはありませんでした」
「嘘よ!お兄様が今朝ノイハ殿下の側近としてフェイブルがいたのを見たって先程教えてくれたのよ!」
「側近となったのは事実ですが、つい先日王妃様に招かれた際にです。それと差し押さえに関してはカートイット伯爵が法令に則り正規の手続きでなさっているもので私には何の権限もございません。アイリーンから先日のお茶会で私が個人的に請け負ったものはクルライ様がアイリーンのものも含めてウラネス様にお願いされ支払い済みですし、その遅れていた支払いに関しても私が支払いを迫った事実はないはずです」
アイリーンの目には涙が盛り上がり今にも零れ落ちそうだ。ノミンシナは状況の不利を察したのか怒りを鎮めるためか広げた扇に顔を埋める。
「……私少し馬車に酔ってしまったようだわ。申し訳ないけれどここまでしか送ってあげられないわ、大丈夫かしら?」
「近くまでお送り頂きありがとう存じます。自身で対応できますのでお気になさらないでください」
「……そう。ではまた」
そう答えて馬車から降りたものの、迎えの馬車が来る前に道に降ろして去るという行為は非常識過ぎる行為である。貴族街内は全員自身の馬車を使用するため城下街と違い辻馬車もないのだ。
降ろされた場所は運河沿いであり、カートイット家は確かに運河沿いに邸を構えてはいるがそちらは裏口であり、それはどの邸宅も変わらない。
貴族街のメインストリートを素直に進んでいれば徒歩でもどうにかなる辺りまで邸に近づけたはずの時間を使ってノミンシナはメインストリートにいったん入っておきながら城に引き返す形で運河沿いの道に入り再び馬車を進めたのだ。
城からも邸からも遠く離れた場所にあえて降ろしたことは明白だ。
運河を隔てて向かいに見える城下街はちょうど職人街の手前あたりで、運河さえ渡れれば工房奥のカフェで邸からの迎えを待つのが一番安全だ。しかし、物資運搬用の運河であるため簡単に渡ることができず、既に夕暮れで行き交う船もない。
頼みの綱となる運河沿いの警備を担う王都警備隊の姿も見えない。
かくなる上は向かいの職人街側で運河沿いの警備を担当する職人達で構成される自警団に助けを求めるしかない。声は届かなくとも異変を察知して対応してくれるに違いないと自警団の管轄区域の方向に歩き出すと十歩も歩かないうちに大声が聞こえた。
「フェイブル嬢!こんな所でいったいどうしたんだ!?」
大きく響くその声の持ち主は運河を循環する警備艇にいた。ヨークの兄であり騎士団に所属し警備艇の責任者を受け持つワイラー様だ。
運河の警備は騎士団の王都警備隊が担っているが運搬そのものはヨークの生家であるマルチー侯爵家が取り仕切っている。マルチー侯爵家は一族から数名を必ず騎士団に所属させることで警備艇の責任者も担い、運河における運搬業をほぼ独占し貴族としての地位を確立している。また、運河以外の陸路における運搬業にも定評がある。
ちなみに騎士団に所属しても力が及ばなければ責任者になれるはずがなく、マルチー侯爵家は代々優れた騎士を輩出することでも知られている。一族は男性率が高く筋骨隆々とした体格を持つ者が多い。
武を誇るシャーレッツオとロレンザ、力を誇るマルチーとはよく聞くものだ。
つまりはマルチー侯爵家においてはヨークが珍しいのである。
「ワイラー様!事情がありまして……邸に戻るために馬車を手配する必要があるのですが、警備艇の橋を使用して職人街に渡らせて貰えないでしょうか?知り合いの者がおりますので」
「うん?邸に戻りたいんだよな?じゃあ送ってあげよう。女性を安全に送り届けるのも騎士の勤めだ。さあ船に乗って」
「……ありがとうございます」
ワイラー様の親切に感謝し警備艇に乗り込むと、ワイラー様は運河沿いに警備隊の姿が見えないことに納得いかないようで貴族街側を睨みながら船を進める。向かいには既に職人街が広がり自警団の姿が確認できる。
貴族街も半ばまで進むと地面にたむろする騎士たちの姿があった。
「おまえら!何をしている!!この事は上官に報告しておくぞ!」
ワイラー様の怒声に水面が震える。騎士達はサボっていたことが見つかったことに驚きを隠せず狼狽えながらもワイラー様へ謝罪を述べようと警備艇に駆け寄ってくる。
慌てふためく騎士の中に赤い装飾品を身につけた騎士が数名見えた。ブレスレットに指輪……どれも職務中の騎士に似つかわしくないガーネットの装飾品だ。
「おまえらに言いたいことは山ほどあるが、今すぐに職務に戻れ!!罰は覚悟しておけ!」
怒号を背に一目散に騎士達が走り去るとワイラー様は一度息を吐き出し、こちらに向き直った。
「警備隊の怠慢が原因で保護が遅れて申し訳なかった」
「いえ、ワイラー様のせいではありませんし、元は私があんな場所にいたからで……」
「まあ、普通はあんな場所にはいないな。……事情があると言っていたから聞かないが何かあれば言ってくれ。助けになる。ただフェイブル嬢があんな場所にいてくれたからこそ警備隊の不備を見つけることができた感謝する。今後は警備艇のルートはランダムにしたほうが良さそうだ」
「……そうですね」
ノミンシナがあんな場所に降ろしてくれたから、私はガーネットの騎士を発見できた。
「ではまた……か」ノミンシナの言葉を思い出す。遠くないうちにまた戦いまみえる日がくるのだろう。
でも決して逃げたりはしない。そう思いながら夕日に染まる運河を見つめた。




