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私の命と引き換えに、私を娶ってくださいますか。

 この時を、ずっと待っていた。


「ジュリア・ブレイディ! 只今をもって貴様との婚約破棄を宣言する!」

 王国立魔法学園の卒業パーティ、その真っ只中に巻き起こった大事件。ブレイディ公爵令嬢に対し、フレデリック第一王子が婚約破棄を宣言した。その事実は瞬く間に会場の空気を支配した。

 聖女と呼ばれる美しい令嬢が寄り添うこの国の第一王子と、エスコートも居ない黒髪の不吉な令嬢。そこにどのような経緯(いきさつ)があるのか知らない人々にとって、正義を第一王子に見出させるには十分な光景であった。

「貴様はこともあろうに聖女へ嫉妬し、数々の危害を加えた! これは見過ごしてよい事ではない!」

(わたくし)は、危害など……」

「黙れ! 言い訳はいい、毒を盛ろうとした証拠だってあるんだ。即刻処刑せよ!」

「毒なんて……!」

 学園生活の中で、彼女に交友関係は無いに等しかった。第一王子の婚約者に相応しい成績や魔法の優秀さ、だがしかし誰もが彼女を侮っている。無口で、陰気で、不気味……彼女を表す言葉はそのようなものばかり。それは聖女が学園へと入学し、第一王子と懇意になったことで確たるものとなった。

 そんな彼女に味方など居ない。それは彼女自身が最もよくわかっている。婚約破棄に異を唱える気はない。それでもまさか毒を盛ろうとしたなどと、謂れのない侮辱を受け入れるのはあまりにも苦痛であった。

 第一王子の命を受け、近衛騎士たちが取り押さえんと迫りくる中、彼女は諦めたように微笑んだ。それを見た第一王子は嘲笑を浮かべ、謝罪なら受け入れぬこともないと高圧的に言い放つ。だがその言葉など聞こえていないかのように、彼女はどこからか小さな手鏡を取り出した。

「卒業パーティの開始が夕刻で助かりました。外はすっかり暗いようですね」

「何を意味のわからないことを言っている!?」

「おいでください、私の愛しい――」



 月の無い真夜中、真っ暗な部屋にぽつんと浮かぶ光。魔法で作り出された小さな炎は、その周囲をわずかに照らすばかりで、夜の闇に飲み込まれてしまいそうなほどに頼りない。

 その炎により浮かび上がるのはひとりの少女。手鏡を持ち、物語で見た(まじな)いの言葉を真似し小さな声で唱えている。本気で何かを成そうというつもりのないその()()()()は、何の因果か異界へ通じ、そして道を繋いでしまった。

 鏡面に映る少女の顔が掻き消え、黒いもやのようなものが現れる。それは、どこか人型にも見える曖昧なもの。悲鳴を上げて放り出してもおかしくない状況で、少女は首を傾けた。

「あなた、だあれ? わたしはジュリア。ジュリーって呼んでね」

「我は貴様ら人間が悪魔と呼ぶ者。我を召喚したのが意図せぬものだったとしても、呼ばれたからには契約を交わさねばならぬ。願いを言え、対価を差し出せばどんな願いだって叶えてやろう」

「願い……。じゃあ、ときどきでいいから、またこうやっておしゃべりしにきてくれる?」

「……それが願いというのなら。では対価を」

「えっと、じゃあ、この髪飾りをどうぞ。いちばんのお気に入りだけど、足りるかしら」

 悪魔を呼び出す多くの人間は理解していないが、悪魔への供物、その価値は差し出す本人次第で変動するものだ。呼び出す者よって供物が異なるのはこのためで、場合によって大量の生贄を用意しないといけないのは、その人間にとって生贄の価値がさほど無いということの表れである。かつて悪魔を呼び出した人間が、百を超える生贄を捧げてもなお対価には足らず、断腸の思いで妻を差し出すとすぐに契約が結ばれたことがあるくらいに。

 そして幼き少女にとって、その髪飾りの価値は何より高いものだった。話し相手になってほしいという、些細な願いにはお釣りを返さなければならないほどに。

「成立だ。陽の沈んでいる間ならば、呼ぶがいい。会話以外の願いを叶えたくなったというときは、当然それに見合う対価を渡すことだ」

 そうして鏡はまたジュリアの顔を映すのみとなる。これが、ジュリアと悪魔の出会いであった。


 不吉の象徴とされる黒い髪は、高い魔力の表れである。ジュリアが妾の子でありながら、公爵令嬢として育てられたのはその内包する魔力に利用価値があったから。それだけの存在であるジュリアには、当然親の愛などは与えられなかった。彼女につけられた使用人は、必要最低限の世話のみを行うメイドがたったひとり。しかもそのメイドは黒髪を持つジュリアを忌み嫌い、言葉を交わすことすら嫌厭していた。

 世間話をする相手など、誰も居なかった。

 陽が沈んで、闇が降りると悪魔を呼んだ。悪魔が話し手になることは無かったが、ただ聞いてくれるだけで嬉しかった。つらかったこと、嫌だったこと、やりたいこと、色々なことを打ち明け、悪魔はただ静かにそれを聞いていた。


「ねえ、あくまさん。わたし、本当はね、けっこんなんてしたくないの。おきさきさまになるよりも、お料理を出すお店で働きたい。自由にお外であそんだり、大きな声で笑いたい」

「フレデリック様はすてきな方だけれど、なんだか怖いの。笑った顔をみたことがないし、わたしへの返事も、すごく……冷たくて」

「聖女様が、殿下のことをお慕いしてるんですって。だから、私との婚約は破棄しろって……。殿下との婚約を破棄するのが嫌なわけではないの。悪魔さんには前から言ってることだもの、結婚なんてしたくないって。でも頷いたら不敬に値するわ。どうしたらいいのかしら」

「殿下が、私は殿下のことを慕っていて、それで婚約を破棄したがらないのだと思っているそうなの。どうしましょう。殿下はずっと冷たくて、恐怖以外を感じたことなどありませんのに」


「ねえ、悪魔さん。もし、あなたに私を娶ってもらいたいと願ったら、対価はどれほどになるのかしら」


 いつしかジュリアは淑女と呼ばれる年齢になった。辛い日々を過ごす中で自らに刃を立ててしまわなかったのは、話を聞いてくれる悪魔がいたから。悪魔に救われるなど、なんという皮肉であろうか。

 近衛騎士に囲まれて、手鏡に向かい呼びかけるジュリア。異様な雰囲気に誰もが黙り込み、彼女に注目している。聖女と崇められる可憐な少女が怯えたように第一王子へすり寄ったそのとき、ピシリと音をたてて手鏡に亀裂が走った。そして立ち込める黒い煙に、ジュリアは会場の誰も見たことのない花開くような笑顔を浮かべる。

「来てくれてありがとう。今日はお話がしたいわけではないの。以前尋ねたあのこと、ここでもう一度尋ねさせて」

 黒いもやは人のような形をとって彼女を見下ろす。彼女の言葉に頷くでもなく、ただ静かに聞いていた。

「私の命と引き換えに、私を娶ってくださいますか」

「我は対価を認め、契約は成った。願いを叶えよう」

 ジュリアは、笑顔で黒いもやに飛び込んだ。その瞬間会場の灯りが消え、光が戻った頃にはもう、ジュリアと悪魔の姿はどこにも無かった。



 人間と変わらぬ姿の者、頭がヤギの者、腕が翼の者。様々な姿の客を相手に、腕によりをかけた料理を運ぶひとりの女性。まごうことなき人間の彼女が襲われないのは、とても適わないであろう悪魔が夫であるから。

 人間の命を軽々と奪い、絶望を齎す大いなる悪魔。それでもその妻にとって、いかに殺戮の限りを尽くそうとも、愛しい夫に他ならない。人間とはかけ離れたその姿を愛おしみ、血に塗れた身体へ躊躇なく抱き着き、血生臭い頬にキスをする。

 魔界にたったひとりの人間は、恐怖の権化に寄り添って、幸せそうに笑っていた。

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