61 雨の夜の戦い
『…よって、次のことが言える。目の前の分子を変化させずに働きかける場合、魔力消費は少なく済む。分子運動に働きかけるだけでいいからだ。したがって、熱魔法や氷魔法、そして風魔法は消費魔力が少ない。また、地面の形状を変化させたり、水を操ったりする魔法も、それらの分子や原子そのものを変化させないので、消費魔力が少なくて済む。一方で、新たに物質を発生させるものは空気中の分子を一度、素粒子レベルまで分解し、再構成するため、魔力消費がかなり大きくなる。さらに、ほかの手法として、ゼロから物質を発生させようとする方法は、膨大なエネルギーを収束させる必要があり、それはもはや非現実的な魔法の発現方法と言えるだろう。』
僕は医学書の内容を思い出す。分子に働きかけることで、その物質の形状や温度を変化させることに必要な消費魔力が最も小さく、これが、魔法の基本的な戦い方の根本となる。
僕が地面に手を触れた瞬間、周囲の地面が大きく揺れる。
驚いた顔をした少年が徐々に地面に沈み込んでゆく。
水分が多く含まれた地面に地震などが起こったときにおこる液状化現象、それを魔法で再現しようと試みた。今まで試したことがない方法だったが、理論上は可能であるはずだったし、どうやら成功だった。
液状化した地面の上を素早く走ることは魔法が使えない限り、無理だ。僕は圧縮した空気を足場として地面より少し上の宙に浮かんでいた。
もしこの少年が、ある程度の魔法使いだったならこの液状化した地面から抜け出せただろう。しかし彼が無抵抗に地面に足を取られているのを見ると、彼は魔法が使えないらしい。僕はひとまずホッとする。
あとは、彼がある程度身動きがとれなくなるまで沈んだところで、気絶させるのが一番いい。
少年はこちらを見て、屈託ない笑顔を浮かべる。
「ハハハ、すごいやお兄さん。その魔法規模、まるでオヤジと戦っているみたいだよ。こんなに動きを封じられちゃったら流石に僕もお手上げだよ。」
そう言って少年が長い刀を上に挙げる。
その瞬間、咄嗟に僕は横に飛ぶ。僕の耳の横をブンと音を立てて、刀が通り過ぎた。刀はすぐに、少年の方に戻って行って、少年は間髪入れずに刀を僕の方に投げてくる。
どういう原理かわからないが、少年はある程度の距離に対しても攻撃手段を持っているようだった。とても厄介だ。
僕は必死に目を凝らしながら、刀を避ける。しかし、暗闇で見にくいこともあり、体に浅い切り傷が増えてゆく。このままでは埒が明かない。
僕は押され気味になっている今の状況を一旦仕切り直すために、刀が投げても届かないようなところまで距離を取り、空高く登る。飛ぶために、足から火を出すと、ジジジと音を立てて、雨が蒸発する音がした。
地面から手が離れてしまったせいで、地面の液状化が解かれる。
「お~い、お兄さん。それは卑怯だよ。嫌だよ、そんなことしちゃ。」
少年は固まった地面を刀で造作もなく斬り裂くと、地面から這い出てくる。手元に戻ってゆくことにしても、あの切れ味にしても、あの刀は異常だ。
どうするか。僕がそのことに頭を悩ませていると、突然左肩に衝撃が走る。
左肩を見ると鉄釘のようなものが刺さっていた。
少年を見下ろすと、少年がにやにやしている。
「お兄さん、降りてこないと、さっきのわんこと女の子殺しに行っちゃうよ。」
少年は不気味な笑みを浮かべながら次々とその鉄釘のような何かを投擲する。僕は氷の壁を作ってそれらを防ぐとカキンと音を立てて地面に落ちてゆく。魔法がなくとも、どの距離に対しても臨機応変にここまで戦える少年は戦闘を生業としているいわゆるプロなのかも知れない。
戦闘に関しての圧倒的経験値不足に内心焦りながらも、次に打てる手がないか必死に考える。
「あ~あ、つまらないな。」
そう言うと、少年は踵を返し、町の方に歩いていく。
僕が少年と戦わなければ、ニナが危ない。待つ時間も与えられない。少年は今、ここで僕がどうにかしなければならない。僕は最後の手段として、覚悟を決め、少年の方に飛んでいった。
僕は今まで、魔法の戦いにおいては、物質の形状や温度を変化させることで炎や氷、土を操って戦ってきた。しかし、今は相手に対して、炎を直接的に使えば、殺してしまうかも知れないし、氷も土も刀によって斬られてしまうので無効だ。
現状持てる最大防御の氷でさえ、通じない相手に対して、どう対処すればいいのか。
少年に手が届きそうになる直前に少年は不気味な笑みを浮かべながら、振り返る。
「お兄さん、捕まえた。」
そう言い、刀を抜く。と、同時に僕も手から電撃を放つ。お互いの視線、そして魔法と刀が交差する。
場が雨の音だけになった。
次の瞬間、カランと、音を立てて、刀が地面に落ちる。それから少し後に少年がドサッと前に倒れる。
「なんとか、なった。」
僕はほっと息を吐く。
本当にギリギリだった。もう僕ができることといえば、スタンガンの要領で電撃をお見舞いすることくらいだった。しかし、電気魔法の制御は他のものと違い難しいため、近接距離でしか当たらない。
賭けだった。
一度も電気魔法を少年に見せていなかったのも、うまく働いたのかも知れない。魔人のシュルクとガロー以外にこの魔法を使っている人を見たことがなかったから、きっとそれほど使い手がいない魔法である。少年もきっと予測できなかっただろう。
「僕まで痺れるのは、想定外だ‥‥‥。」
僕も力無く地面に倒れる。
体が動かない。
雨が僕の頬を打つ。
ニナは無事逃げられただろうか。
朦朧とした意識の中、そんなことを考えていたが、次第に微睡の中に意識が吸い込まれていった。




