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短編小説

悪役令嬢ですって? いいえ、死神令嬢ですわ!

作者: レオナールD


 フロスト王国は大陸北方にある小国である。

 気候は温暖で麦をはじめとした産業も豊か。工業も盛んで技術力も高い。

 台風や地震、魔物の大量発生(スタンピード)などの災害に襲われることも滅多になく、百年以上も穏やかな治世が続いている。


 その日は王宮で夜会が開かれる日だった。

 白亜の大理石で作られた荘厳な王宮には、豪奢なタキシードやドレスに身を包んだ男女が集まっている。

 建国祭も兼ねたイベントには貴族や有力者が国中から訪れており、料理を囲んで笑顔で歓談していた。

 会場の一角では楽団が美しい音色で楽器を演奏しており、若い男女は手に手を取って音楽に合わせてダンスを踊っている。曲が終わるたびに拍手が打ち鳴らされ、また次の曲が奏でられていく。


「…………」


 そんな盛り上がりを見せる会場の片隅に、1人の令嬢が所在なさげに立っていた。

 令嬢の周りには誰もいない。まるで見えない壁でも張られているように、夜会の参加者は令嬢から距離をとっている。

 紫色のドレスに身を包んだ黒髪の令嬢――彼女の名前はカトリーナ・ミクトラン。

 遠い異国からフロスト王国に留学してきた外国人であり、この国の王太子であるリチャード・フロストの婚約者だった。


 どうして王太子の婚約者であるカトリーナが周囲から煙たがられるように孤立しているのか。それには、いくつかの理由がある。


 第1に、カトリーナの容姿である。

 カトリーナは長い黒髪を頭の上で結った美しい顔立ちの令嬢だった。しかし――その顔色は色白を通り越して蒼白であり、青白い肌にはまるで血の気がない。

 一見すると病人のように見えるカトリーナであったが、身体は健康体そのものである。青白い肌は彼女の故郷独特の特徴で生まれつきのものなのだ。

 そんな身体的特徴はフロスト王国で生まれ育った人間には奇異に見えるらしい。会場にいる他の令嬢らはカトリーナを遠巻きにしてヒソヒソと彼女の容姿を嘲笑っていた。


 第2に、カトリーナが浮かべている表情である。

 カトリーナの相貌は見る者を虜にするほど美しいのだが、表情は非常に険しい。

 苛立っているような、怒っているような。まるで噴火寸前の火山を思わせる険のある表情には、近づくことを躊躇わせるような迫力があった。


 そして――最後の理由。カトリーナが婚約者である王太子リチャードのエスコートを受けることなく、1人で会場にいることである。


 本来、こういった社交の場では女性は男性のエスコートを受けて入場するのが慣例である。既婚者であれば夫。そうでなければ、婚約者や父親。兄弟を伴ってくるはずであった。

 けれど、カトリーナは誰も連れることなく1人きりで会場へ足を踏み入れている。エスコートしなければいけない婚約者の姿は会場にない。

 それこそがカトリーナが苛立っている原因である。


(リチャード……! 私をほったらかして何処にいるのよ!)


 カトリーナは周囲の視線を避けるために扇で顔を隠し、苛立ちながら婚約者の顔を思い浮かべる。

 今日の夜会ではリチャードがエスコートをしてくれる予定になっていたのだが、直前になって使者がやってきて「急用ができたからエスコートができなくなった」と一方的に告げられたのだ。

 あまりにも急すぎるキャンセルに代わりの男性を用意する暇がなく、仕方がなしにカトリーナは1人きりで会場入りすることになってしまった。


 扇で顔を隠して会場を見回すが、婚約者の姿はどこにもない。

 周囲にいるのは、距離をとってカトリーナを嘲笑っている者達ばかりである。


(私に恥をかかせて……タダじゃ済まさないんだから!)


 カトリーナは見た目だけならば病弱な深窓の令嬢に見えなくもないが、実際はかなり苛烈な性格である。

 自分に恥をかかせた婚約者はもちろん。あからさまに敵意を向けてくる令嬢も許すつもりはない。

 必ず、『その時』が来たら報復してやる。そんなふうに心に決めてギュッと扇を握り締めた。


「王太子殿下のご入場である!」


 いよいよカトリーナが怒りと屈辱に耐えられなくなってきた頃、扉の傍にいた侍従が声を張り上げた。

 楽団が奏でていた音楽が止んで、参加者の視線が扉に集まる。


「…………?」


 カトリーナは眉をひそめて首を傾げた。

 リチャードがようやくやって来たようだが……様子がおかしい。

 どうして、わざわざ人目を集めるようにして会場に入ってくるのだろうか?

 エスコートを放棄されたカトリーナは醜態をさらしているが、放棄したリチャードだって決して褒められるような立場ではないのだ。

 できるだけ静かに、そっと会場にやって来てカトリーナに合流するべきではないのだろうか。


 そんなことを考えていると、会場の扉が開かれてリチャードが入ってくる。

 王族にふさわしい豪奢な装飾が施された金髪の貴公子に、会場にいる令嬢らが見惚れたように溜息を漏らす。


「…………はあ?」


 カトリーナもまた息を漏らした。感嘆ではなく、驚きと呆れから。

 会場中の視線を集めながら堂々と入城してきたリチャードであったが、その傍らには小柄な少女が腕に抱き着くようにして歩いているのである。

 婚約者をほったらかしにした挙句に他の令嬢をエスコートして現れた王太子に、会場に集まっていた貴族らからどよめきが生じる。


「あの令嬢はいったい……?」


「カトリーナ嬢を差し置いて、王太子殿下は何を……」


「まあ、カトリーナ様ったら、婚約者を盗られてしまわれたのかしら?」


「不愛想なカトリーナ様ならありそうなことねえ。オホホホホホホ!」


 貴族らは驚きと好奇に満ちた視線を、カトリーナとリチャードの間で左右させる。

 一方で、カトリーナは手に持った扇を折れそうなほど握りしめた。


(リチャード! 何のつもりなの……!?)


 カトリーナの胸を支配しているのは婚約者に裏切られた悲しみではなく、烈火の怒りである。

 自分に恥をかかせておいて堂々と浮気をしているリチャードに、怒りを通り越して殺意すら湧いてきた。


「…………ふん、どうやら来ているようだな。カトリーナよ!」


 リチャードは嘲るように得意げに笑いながら、カトリーナに近づいてきた。

 腕を組んだ令嬢は小柄で可愛らしい容姿の女性であったが、彼女もまた勝ち誇ったような満面の笑顔である。


「っ……!」


 笑われた。侮辱された。カトリーナは奥歯を噛みしめる。

 どうやらこれは計画的な行為だったのだろう。最初から、リチャードはカトリーナを貶めるために1人きりでこの会場に送り込んだのだ。


「カトリーナ・ミクトラン! 貴様には失望したぞ、この性悪女め!」


「は……?」


 リチャードが指を突きつけて言い放った罵倒の言葉に、周囲にいる貴族のどよめきも大きくなった。

 大勢の人間の視線を集めて、リチャードは堂々と胸を張って宣言する。


「お前は私の婚約者であるという立場を利用して、私の友人であるメアリーを虐げていたな!? 次期王妃にあるまじき行い、断じて許してはおけん!」


「……リチャード、急に何を言っているのかしら?」


「黙れ! 貴様の声など聴きたくはない!」


 リチャードは一喝して、隣の令嬢――メアリーとやらを抱き寄せる。


「貴様はここにいる令嬢メアリー・グリーンに対して、様々な嫌がらせをしているだろう! ドレスを破る。私物を盗む。公衆の面前で水をかける。脚をかけて転ばせる……。さらに、1週間前にならず者を雇ってメアリー嬢を襲わせたな!?」


「……私はそんなことをしていません。そちらのメアリー嬢とは初対面ですし、リチャードと親しくしているなんて初めて知りましたから」


 (いわ)れのない罪状にカトリーナは弁明する。

 メアリーという令嬢と話したことはおろか、顔に見覚えさえないのだ。嫌がらせなどするわけがなかった。

 しかし……そんな抗弁に聞く耳持たず、リチャードは嘲るように唇を吊り上げる。


「残念だが……証拠はすでに集めている! 目撃者も大勢いるのだ、言い逃れは不可能だぞ!」


 リチャードが右手を上げると、周囲にいた観衆の中から何人かの男女が前に出てきた。


「私、カトリーナ様がメアリーさんに水をかけるのを見ました!」


「私も! アクセサリーを盗むところを見てました!」


「俺は足を引っかけるのを見たぜ!」


「間違いありません! 僕もその場にいました!」


 現れた男女は次々とありもしないはずの事実を述べていく。

 カトリーナは彼らの顔に見覚えがあった。いずれもリチャードが親しくしている側近と、その姉妹や婚約者である。


(ああ、そういうことですか……)


 この段階にきて、カトリーナも確信する。

 自分はリチャードに嵌められたのだ。リチャードはカトリーナに覚えのない罪を被せて、陥れるつもりなのだ。

 カトリーナは奥歯を噛みしめて、キッと婚約者を睨みつけた。


「どういうつもりかしら? リチャード、貴方はどうしてこんなことを……!」


「どうして、か……」


 リチャードはつまらなそうな顔で鼻を鳴らして、目を細めた。


「カトリーナ……私は昔からお前が気に入らなかったのだ」


「え……?」


「その死人のような青白い肌に、邪悪な黒い髪。まるでおとぎ話に出てくる死神のようではないか! いくら父上の友人の娘だからといって、貴様のような不気味でおぞましい女を妻にしなければいけない私の気持ちがわかるのか!?」


「なっ……!」


「そのくせ、王妃教育の成績は優秀で語学も堪能。私よりも優秀であるなど生意気だ! 私にふさわしいのは貴様のような異形の女ではない! ここにいるメアリーのように愛らしく優しい娘こそふさわしいのだ!」


「そういうことなんですよー。ごめんなさいね? 婚約者に捨てられて、可哀そうなカトリーナさん?」


 リチャードに抱き寄せられて、メアリーがイタズラっぽく舌を出す。

 明らかに小馬鹿にした態度である。カトリーナの額に苛立ちのあまり、青筋が浮かぶ。


「よくも私にこんな屈辱を……!」


「カトリーナ・ミクトラン! 貴様との婚姻を破棄させてもらう! 愚かで不気味な悪役令嬢め、さっさと国に帰るが良いわ!」


「っ……!」


 リチャードが言い放つ。カトリーナは稲妻に撃たれたような衝撃を受けた。

 カトリーナは己の身体を両手で抱いて床に座り込む。

 激しい感情が身体の芯からこみ上げてきた。かつてない激情の噴出に、カトリーナは感情のままに声を上げる。


「あはっ……アハハハハハハハハハハハハッ!」


 カトリーナは笑った。

 楽しそうに、心底嬉しくて堪らないとばかりに大声で笑う。

 会場全体に狂ったような笑声が響く。その声音は明るく喜びに満ちたものであったが、不思議と凍えるような恐怖を周囲の人間に抱かせた。


「か、カトリーナ……?」


 捨てたはずの女性の笑い声に、リチャードもまた困惑の声を漏らす。

 何故だかわからない。わからないのだが……カトリーナの笑声を聞いていると震えが止まらない。

 まるで自分が取り返しのつかない過ちを起こしてしまったような不安がふつふつと湧いてくる。

 リチャードはこみ上げてくる正体不明の恐怖のままに、座り込んだカトリーナの肩へと手を伸ばした。


「国王陛下の御入場である!」


 しかし――その指先が触れるよりも前に、入口に立っている侍従が大声で宣言する。

 突然の婚約破棄、笑いだしたカトリーナにあっけにとられていた貴族らも、臣下の礼をとって入口に頭を下げる。


「皆の者、遅れて済まなかったな……………む?」


 数人の従者を引き連れて、王が会場へと足を踏み入れた。

 国王エドワード・フロストは頭を下げている貴族らに順繰りに見やる。やがてその視線は床にうずくまったカトリーナと、別の女性と腕を組んだ息子へと向けられた。

 どうやらリチャードは事前に王に相談することなく、勝手に婚約破棄をしたようだ。王は怪訝な顔になって息子に問いかける。


「リチャードよ、これはなんの騒ぎだ? カトリーナはどうしたというのだ?」


「父上、これは……」


「国王陛下、聞いてくださいませ! 私、婚約破棄をされたんです!」


 リチャードが言い訳の言葉を吐くよりも先に、カトリーナが言う。


「リチャードがそちらの女性と結婚するからと、私のことを捨てたんです! これで我が父と国王陛下が交わした契約は白紙になりました!」


「なんだと……!?」


 カトリーナの言葉にエドワード王は愕然とした表情になった。

 唇をワナワナと震わせて、慌てた様子でリチャードの肩を掴む。


「この馬鹿者! 余に無断で何てことをしたのだ!?」


「ち、父上!?」


「撤回しろ! 今すぐにカトリーナ嬢に謝罪をして、婚約破棄を撤回してもらうのだ!」


 かつてないほど興奮した父親の姿に、リチャードは大きく目を見開いた。

 王は年を経てから生まれた息子に甘く、声を荒げて怒られたことなど1度としてなかった。

 故に今回のことも許してくれると思っていたのだが……目の前の父親の剣幕を見るに、勝手に婚約破棄したことを許すつもりはなさそうである。

 そんな親子の会話をよそに、カトリーナは立ち上がって上機嫌にクルリと回る。


「いけませんことよ、国王陛下! すでに契約は破棄されたのです! 撤回なんて許しません!」


「そ、そんな……どうか、どうかお許しを……!」


 エドワード王は床に膝をついて、カトリーナの脚に追いすがる。


「父上、何をしているのですか!?」


 フロスト王国において最高権力者であるはずの男が、1人の令嬢の脚に縋っている。あってはならない光景にリチャードは声を裏返らせた。

 王の懇願を受けたカトリーナであったが、相変わらず嬉しそうな顔をしたまま願いを一蹴する。


「ダメです、許しません! これより契約の破棄を認めて、父上が貴方達に与えた物を回収させていただきます!」


「なっ……!」


「きゃあっ!」


 瞬間、シャンデリアの明かりに照らされていた部屋が暗闇に落とされた。視界を閉ざされる中、会場にいた人々から悲鳴が上がる。

 しかし、すぐに光は戻ってきた。青白い炎が会場のあちこちに現れて周囲を照らしたのである。


「うわああああああああああっ!?」


「きゃああああああああああっ!!」


「ば、化け物だああああああっ!!」


 青白い光の中で再び悲鳴が上がった。

 いったいどこから湧き出してきたのか、会場中に異形の怪物が現れたのである。

 肉も皮もないというのに立って動いている骸骨。狼の頭に人間の胴体を持った裸の男。頭部が3つもある白髪の老人。全身墨を塗ったように真っ黒で男か女かすらもわからない怪人。ハロウィンのようなカボチャ頭に針金細工のような細い胴体の子供。

 見る者を発狂させるようなおぞましい化け物の群れが会場を埋め尽くし、舞踏会の参加者を取り囲む。


「うわああああああああああっ! 離せ、離してくれ!」


「きゃああああああああああっ! リチャード様、助けてえええええっ!」


 当事者であるリチャードとメアリーは数体の骸骨によって捕縛され、床に跪くような形で取り押さえられていた。

 そんな魑魅魍魎の坩堝となった会場で、平然としているのはカトリーナただ1人である。


「リチャード、貴方は私のことを気味が悪くておぞましいとまで言ったわよね。この子達の姿を見ても、まだ私が醜く見えるかしら?」


「り、カトリーナ!? まさか、この化け物どもは君が呼び出したのか!?」


「ええ、そうですわ。彼らは私の父に仕えている配下。冥界の軍勢の一部ですわ!」


 床に這いつくばった元・婚約者を見下ろして、カトリーナは嫣然と微笑んだ。

 まるで魔女のような笑みはこんな状況でありながら酷く美しく、目を奪われたようにリチャードは瞳を見開く。


「き、君は、いったい……」


「そうねえ、契約が破棄された以上、もう話してもいいかしら?」


 困惑する婚約者を憐れむように見下ろして、カトリーナが首を傾げながら言う。


「改めて名乗らせていただくわね。私の名前はカトリーナ・ミクトラン。地の底にある冥界の王の娘ですわ!」


「なっ……!」


「あら、そんなに驚くことかしら? 私が異国の人間であることは御存じのはずでしょう。それに……私が『死神』みたいだって貴方も言ったじゃない。正体を言い当てられたかと思ってビックリしたわ」


「っ……!」


 ありえない返答を受けて、リチャードが顔を引きつらせる。

 カトリーナが異国から自分の妻となるために留学してきたことは知っていたが、まさか冥界からやって来たなどとは思いもしなかったのだ。


「な、なんだって……!? どうして冥王の娘がこの国に嫁いで……」


「そうねえ、それは国王陛下の口から聞いたほうがいいのだろうけど……」


「…………」


 カトリーナはエドワード王へと目を向けた。

 王は茫然と床に座り込んでおり、カトリーナの声に応えもしない。

 まるで魂を抜かれたように放心している。


「まあ、この様子だから。私から説明したほうがよろしいわね」


 言って、カトリーナは身動きが取れなくなったリチャードへと歩み寄ってくる。

 リチャードは本能的な恐怖を感じるが、両腕を骸骨に取り押さえられているため逃げることもできない。

 カトリーナの手がリチャードの頬に触れる。

 瞬間、目の前が真っ白に染まり――この場ではない何処かの光景が脳裏に映し出された。



     〇          〇          〇



「ううっ……何故だ! 神よ、我らがいったい何をしたというのだ!」


 男が血の涙を流して慟哭の叫びを上げている。

 うずくまって声を上げている男は……今よりもかなり若いが、フロスト王国の国王である父親だった。

 場所はリチャードの見慣れた王宮だったが、エドワード王の周囲に広がっている光景は目を疑うようなものである。


 それは地獄のような光景だった。

 壁は真っ赤な血に染まっておぞましいまだら模様になり、大理石の床には無数の死体が散乱している。床に転がる骸はもはや言葉を発することはできないが、表情に苦痛と未練を描いて底無しの絶望を訴えていた。

 死体の中にはリチャードが良く知る人間――王妃である母親や、仕えてくれている臣下のものもあり、激しい吐き気を誘われてしまう。


「どうして我が国が滅ぼされなければならないのだ! 呪われてしまえ、忌々しい蛮族めが!」


 それは過去に起こった出来事の光景であった。


 フロスト王国の北方には遊牧を生業とする異民族が暮らしている。

 異民族との関係はさほど悪くはなく、絹織物などを渡す対価として馬や羊を譲ってもらっていた。

 しかし……それまで関係良好だった遊牧民族が突如として騎馬で攻め込んできて、フロスト王国の町々を焼き払っていったのだ。


 平和を愛する王国は外交によって周辺諸国と良好な関係を築いており、それ故に強力な軍隊を有していなかった。

 味方だと思っていたはずの遊牧民族の裏切りに対応することができず、とうとう王都まで攻め滅ぼされてしまったのである。


 遊牧民族は王都の町を焼き払い、女をさらって財貨を奪うだけ奪うと、嵐が過ぎ去るように馬で走り去っていった。

 残されたのは焼き払われた建物と、無数の死体だけである。


 国王は運良く――あるいは運悪く、生き残ることができたが、その対価として自分の家族や友人、臣下の死体に囲まれて絶望の底に落とされてしまった。


「神よ! いいや、もはや悪魔だって構わない! どうか我が国を救いたまえ! 愚かなる蛮族に鉄槌を下したまえ!」


『ふむ……いいだろう。その願い、聞き届けよう』


「っ……!」


 エドワード王の悲痛な願いに応える声があった。

 それは地の底から響いてくるような重低音で、聞くだけで鳥肌が立つような凄味を孕んだ声音である。


『我が名は冥府の王プルトンである。戯れだ、下賤な人間の願いに応えてやろう』


「お……おおっ! どうか、どうかお願いいたします!」


『ただし……1つだけ条件がある。王である貴様の息子に我が娘を嫁がせることだ。冥王たる我が血を引く子がこの地を統べていくのであれば、死した者達を蘇らせ、奪われたすべてを取り戻してやろう』


「……承知いたしました。どうぞよろしくお願い致します!」


 王は誇りも尊厳も捨てて、地面に頭を擦りつける。


『いいだろう、これで契約は成立した! もしも貴様が約束を違えることがあれば、与えた全てを奪い去られるものと知れ!』


 それから先はまさに奇跡だった。

 まるで時間が巻き戻ったかのように遊牧民族に殺された人々が甦り、炎に焼かれた王都は元通りに復元された。

 奪われた財産も戻ってきて、人々の記憶からは戦いそのものがなかったものになったのだ。


 エドワード王は冥王との契約について誰かに話すべきか迷ったが、結局、口を閉ざすことを選択した。

 何もかもが元通りになって王以外の記憶も消えてしまったのだ。下手にこのことを他者に話せば、王が乱心しておかしな妄想に憑りつかれたと思われかねない。

 自分の心に秘密を隠していくことにした王は、やがてやってきた冥王の娘を息子の婚約者として受け入れることになった。

 せめて、息子にだけは契約のことを話しておくべきだったと後悔することを知らぬまま。




     〇          〇          〇



 そして――時間は現在に戻る。

 幻影の中で愕然とした事実を突きつけられて、王太子リチャードは悲鳴のように叫ぶ。


「う、嘘だっ! あんな出来事が本当にあったなんて。嘘に決まっている!」


 リチャードは両腕を押さえられたままブンブンと首を振る。

 それはまるで子供が駄々をこねるような仕草で、あまりにも幼稚な抵抗だった。


「嘘ではないわ。そうでしょう、国王陛下?」


「…………ああ」


 カトリーナの問いに、床に崩れ落ちていたエドワード王が弱々しく頷く。


「……全ては事実。余と冥王様との契約によってこの国は救われたのだ」


「そんな……だったら、私がやったことは……!」


「何故だ……リチャードよ。どうして余の許可なく婚約を破棄しようとしたのだ。相談してくれれば、こんなことには……!」


「ち、父上……」


 涙を流す父親の顔を見て、ようやくリチャードは自分が仕出かしてしまったことの重大さを悟ったらしい。

 契約に従うのであれば、婚約が破談となったことで冥王によって与えられたすべてを返還する義務が生じる。

 王都の町並みと、そこで暮らす人々の財産。そして……蛮族の襲撃によって殺された人間の命すらも。


「ちなみに……返却する命の中にはリチャード、貴方のものも含まれているわよ?」


「へ……?」


「当然でしょう? 貴方は戦争で死んだ王妃様を生き返らせたおかげで、この世界に生まれてこれたんだから。利子として回収させてもらうわね」


「そ、そんな……!?」


 自分の命が危ぶまれていることに気がつき、リチャードは顔色を紙のように蒼白にする。


「僕が悪かった。謝る。謝罪をするから……!」


「…………」


「だから、お願いだ……。許してくれ……」


「いいえ、許さないわよ」


 カトリーナが笑顔で告げると、リチャードは絶望の表情になる。


「百歩譲って……婚約破棄をされただけならば許したかもしれないわね。父に取りなして、この国の人々が助かるように契約の変更を勧めたかも。だけど……貴方は有りもしない罪を捏造して、私を陥れようとしたでしょう? そんな裏切りを許せという方がおかしいのではないかしら」


「そ、それは……。そうだ! 僕は騙されていたんだ、ここにいるメアリーに!」


「リチャード様!?」


 リチャードが突如として責任転嫁をはじめた。

 愛する男から罪を被せられ、メアリーが悲痛な叫びを上げる。


「僕は悪くない! メアリーが君にイジメられていると嘘をついたせいでこんなことになってしまったんだ! 全部全部、この悪女が悪いんだ!」


 リチャードは媚びるような笑みを顔に貼りつけて、堂々と愛する女を売りとばす。

 その二枚舌に周囲の人間はおろか、化け物からも呆れた視線が集まっていく。


「僕は君のことを愛している! 本当に、さっきの婚約破棄はちょっとした気の迷いで……」


「……もういいわ、喋らないでちょうだいな」


「ムグッ!?」


 骸骨に口をふさがれ、リチャードは強制的に黙らされる。

 往生際の悪い元・婚約者にカトリーナは溜息をつき、扇を広げて口元を隠す。


「続きは冥府での裁判で聞きましょうか。特別に私が裁判官をやってあげるから、楽しみにしていてね?」


「ングッ……!?」


「ちなみに……冥界にも『不敬罪』というものはあるのよ? 冥王の娘である私を陥れようとした貴方達にどれほどの罪がくだることか、せいぜい楽しみにしていてくださいな」


 嫣然と笑い、カトリーナは扇を大きく横に振った。

 すると……地面から漆黒の闇が滲み出てきて、この国全土を覆い尽くしていく。

 闇に触れた建物が崩れていく。植物は枯れ果て、生き物は塵になって消えていく。


 全てが消え去って廃墟と化した王宮に残っているのはエドワード王1人である。

 リチャードもメアリーも、貴族や臣下、国民――誰もが消え去ってしまった。


「あ……。うわああああアアアアア……!」


 かつてと同じく独りきりになった王はうずくまり、いつまでも泣き続けるのであった。



     〇          〇          〇



「~~~~~~♪」


「……ご機嫌そうだな。出戻り娘め」


「あら、お父様。どうかしたのかしら?」


 後ろから声をかけてきた父親――冥王プルトンの言葉にカトリーナは首を傾げた。


 場所は冥界。その中央にある王宮である。

 漆黒の大理石で建てられた荘厳な王宮は、フロスト王国の王宮の何倍もの大きさがあった。

 その廊下をご機嫌な様子で歩いているカトリーナの腕の中には、たくさんの資料が抱えられている。


「これから裁判か? 仕事ばかりしている暇があったら、結婚相手でも探したらどうだ?」


「あら、婚約破棄されて傷ついている娘に酷いことを言うのね。お父様が勧めてくれた相手と結婚しようとして失敗したのを忘れたのかしら?」


「…………」


 娘の反論にプルトンは渋面になった。


 冥王の娘であるカトリーナは死者の国において裁判官として働いている。

 亡者となって冥界にやってきた者達の生前の罪を裁き、然るべき刑罰を与えることが職務である。

 職務に忠実なカトリーナであったが、生粋の仕事人間である彼女には千年以上も浮いた噂がなく、独身を貫いていた。

 娘がこんな調子では、プルトンはいつまで経っても孫の顔すら見ることができない。

 見かねて適当な男を見繕って婚約をセッティングしたのだが、それも相手の有責によって破談に終わってしまった。もはや笑う気にもなれない状況である。


「簡単に片付けようとしたってそうはいきませんわよ! お父様の顔を立てて一度は婚約しましたけど、それもダメになったからには千年は仕事に専念しますからね!」


「お前……。2000歳にもなってまだそんなことを……」


「仕事に年は関係ありませんー! それに……これから、あの国の人間達の裁判があるんですから婚活なんてしている暇はありませんわ!」


 リチャードをはじめとしたフロスト王国の人々は、契約が破棄されたことによって冥界に落ちてきている。

 彼らの中には善良な人々も多いが……リチャードとメアリー、その取り巻きにはカトリーナを陥れた罪がある。裁判は針で全身を刺すように厳しいものになるだろう。


「さて……どんな刑罰を言い渡してあげましょうか? コキュートスに落として氷漬けにしてもいいし、マグマで骨まで溶かしてあげるのもいいわねえ! いっそのこと、釜ゆでや針山といった軽い刑罰から週替わりで地獄めぐりをさせてあげましょうか。ふふふふ、ウフフフフフフフフ……!」


「…………」


 プルトンは処置なしとばかりに首を振り、軽やかな足取りで裁判所に向かっていくカトリーナの背中を見送った。


 それから――リチャード達は千年にも及ぶ地獄での刑罰を与えられることになり、気の遠くなるほど長い時間をかけて己の過ちを悔いることになった。


 カトリーナがようやく心を許せる結婚相手を見つけて冥王を安心させるのは、それからさらに千年以上も先のことである。


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― 新着の感想 ―
[一言] 国王様がかわいそうでたまらないですが、面白かったです。
[一言] なんか結婚相手に天界の関係者引っ張ってきてお父様さらに困惑とかありそうだなと。
[一言] 友好国に突然攻め落とされ、愛するものが奪われたらそれは気も狂いそうになるし、なんにでも縋りたくなりますよね。数行しか出てこない蛮族側の言い分は不明ですが、このお話でこの視点ですと一番の諸悪の…
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