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文学仲間Jに宛てた書簡

作者: 石田 初羽

 上橋菜穂子さんというファンタジー作家がいるのですが、その方がアメリカのSF作家アーシュラ K ルグウィン追悼に寄せた対談記事の中にファンタジー作家とSF作家の本質的な差についてお話されていました。

 曰く、ファンタジー作家の場合はまずキャラクターであると。最初に主人公が生まれ、彼/彼女が歩くことで他のキャラクターとの出会いが生じ、世界の輪郭が少しずつ浮かび上がってくるのがファンタジー作家の創作法なのだそうです。

 対してSF作家はまず舞台となる世界全体の設定から取り掛かると言います。それは場合によって惑星であったり銀河系であったり、はたまたちっぽけな村ひとつであったりしますが、いずれにせよまず世界があって、社会があって、住む人がいて……というふうにマクロな視点からズームインしていって、ミクロな視点まで降りてきた時にようやく物語が動き出す、ということになるそうです。

 ファンタジー作家がSFを書く時/SF作家がファンタジーを書く時もそれぞれの流儀を守り通すので異色の作品になりやすい、というのが上橋さんのお話でした。まだ自分で読んでいないので安易に頷けないのですがルグウィンの『ゲド戦記』がまさにそうであると。


 翻って自分に置き換えてみると、私は完全にSF作家タイプです。物語を作るにはプレートテクトニクスから考証を重ねないとダメだ!と気づいて愕然とした、という話は既にしましたが、実はあれには続きがあって、そうは言っても自分が実際に住んでる土地の成り立ちすら気にしない人が大半の世の中で素人が作った創作世界(それも魔法が介在する何でもありの世界)の大陸移動の過程を気にする人間がどれだけいる?仮にそれを完璧にシミュレートできたとしてそれは面白いの?と考えたら、それは絶対に面白くならない訳です。『STARWARS』の劇中、惑星タトゥイーンの地平線に2つの太陽が沈んでいくシーンが何度かありますが、太陽を2つ持つ惑星というものを実際にシミュレートしてみると気温が高くなり過ぎてどうやっても生物は生存できない、ばかりか2つの巨大な引力に引き裂かれて周回軌道は滅茶苦茶、惑星として体裁を保っていられるのはごく僅かな期間であろう……ということになるらしいです。ではあのシーンは間違いなのか?と訊かれたら、圧倒的に正しいと答えるしかありません。遥か遠い銀河の片隅でそれを見つめるキャラクターのおセンチな心情を描写する手段として2つの太陽というのは圧倒的に正しかった。

 受け取る側の心という球をどれだけ揺り動かせるか、どれだけ現実から遠い所まで弾き飛ばせるかを表せる物理系が存在するとして、それで物語の面白さを計測するとしたら作中に登場するすべての要素が受け取る側を感動させる、ただその1点に向けて有機的に機能しなければならない。その目的に寄与しないのなら作品中からその要素を排除することも検討すべき……と、今は考えています。初めて完成させた小説はこの辺りのことで盛大に失敗しました。

 本筋とは一切関係なく1章丸ごと使って神話を記述するということをしました。

https://ncode.syosetu.com/n4902em/40/

 内容として独立しているのでこの章だけでも読めますw

 一応私としては今でも作中最大のクライマックスのつもりでいるのですが、読んだ人は多分そうは思わないだろうな……とも思います。

 大陸を舞台にしてしまうと地質学的な話を脇に置いても異民族との調停が非常に難しくて、永遠に完成しそうにないな……とひとしきり途方に暮れた後に、逆にどうすれば今の自分でも完成まで漕ぎ着けるの?ということを考えました。

「途方もない大きさの龍血樹を海に浮かべてそれだけで島を形成していることにしよう」

「水平線の彼方まで島や大陸は一切見当たらないことにしよう」

「文字があると歴史が生じるので文字文化を持たない民族にしよう」→続編を書く時に整合性を保つハードルがぐっと低くなる副作用付き

 といった具合にハードルを下げてようやく完成させることができました。この頃はまだルグウィンはご存命でしたし、SF作家の創作法も知らなかったので無意識の内にボトムアップ的な作り方を選んでいたということになりましょうか。実際、まず世界観を詰めてから主人公をどこに置いたら一番「美味しい」かを考えていたはずです。その点、『木造ロボ フドウ』では現代の日本が舞台というのもあって、自分本位の嗜好をかなり抑えることになったおかげでかなり読みやすくまとまっているかと思います……w

 物語を作るにあたってまずその部族が伝承している神話から作る、という方法は気に入ってます。

 これは秘すべき花なのですが、現時点の私が世界で最高に面白いと思っているのはある神話が空間的・時間的な隔たりを経てユニークな変化を遂げて受け継がれる過程で変化した部分・変化しなかった部分を観察することなんです。神の名前は簡単に変わるけれども、手にしているアイテムや足元に生えている植物に注目してみると大陸の端から端まで移動して、数百年あるいは千年という単位の時間が経過しても驚くほど変化していない……という時空を超えたロマンこそ至高だと思ってます。3、4年前に比較神話学について論じたたった3冊の文庫本を読んで以来自分の中で不動です。


『神話の力』ジョーゼフ キャンベル/ビル モイヤーズ(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

『千の顔を持つ英雄』上下巻 ジョーゼフ キャンベル(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)


 物語という表現方法を採る以上主人公の感情や行動にフォーカスしなければならない訳ですが、本当は私の興味はそんなところにはないということですね……。神話というものは血の繋がりを持たない家同士を繋ぎ合わせ、部族としての結束を強めてくれる作用がありますが、それは同時に部外者を積極的に排除したがる傾向も持ち合わせています。その意味で神話は政治の道具ではあるのですが、永い年月がそういった特定の個人の思惑を洗い流してくれます。どうしたって人間の良い部分だけが残る。人間と言うつまらない存在を偉大なものにしてくれる……。目下『木造ロボ フドウ』の続編のために資料を渉猟していますが、単なるラノベ然とした作品なのだから好き勝手に書いても構わないようなところで、伝承や歴史的な事実に根拠を求めるのはそういう下地があってのことだと思います。実際、『木造ロボ フドウ』については太古の昔から日本には木造のロボットが存在していた!という最大のウソ以外は全て史実に基づいて作っています。ただの娯楽として気軽に楽しんでもらえればそれで構わないのだけれども、ふとした気まぐれで作中に登場したものについて検索した時に嘘だと分かってしまうものは混ぜたくない……そんなこだわりがあります。


2時間20分

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― 新着の感想 ―
[一言] すごい面白い記事でした もともとバリバリのSF書きだった私は 事情があってSFを離れてハイファンに河岸を変えます それが今書いている作品なのですが、 まぁとにかく設定作業は楽しかったです …
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