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第3話:ある春の日

 あの祭から寒く厳しい冬を越え、春。

「お嬢様、おはようございます」

 大した身分でもないのに、レビはローズに倣ってシエラをそう呼ぶ。

「おはよう、レビ、お母さん」

 いそいそと食卓に着席する。父親は先に仕込みのため店へ出ているはずだ。母が嬉しそうに口に運んでいるのはバターたっぷりのオムレツ。ローズの得意料理の一つだ。

「ローズは卵を丁度良い加減で焼く天才ね」

「まあ奥様ったら」

 朗らかな笑い声を上げ、彼女はシエラのためにも皿を用意してくれる。後の二人はもうすぐ食べ終わりそうな頃合いだ。

「ねえシエラ様、今日は魔法師の方がいらっしゃるんですよね!」

「ええ、そうよ」

 目を輝かせてレビが身を乗り出してくる。口許についたスープを拭ってやると頬を染めるものだから、思わずシエラも笑った。

 レビの言う通り、午後に父の知り合いの魔法師が家を訪ねてくる予定だ。きっかけはシエラが何気なく漏らした一言だったのだが……

「まさかお父さんと大魔法師様が仲良しだったなんて」

 魔法師の中でも特別な地位にあるのが大魔法師と呼ばれる三人で、公認魔法師が所属する各部門の長である。王族とも対等に話をすることを許されているのだと聞くが。

「あら、あなたも小さい頃に何度かお会いしてるのよ。ローズがうちに来てくれる前だったかしら?」

「この家でお見掛けしたことはありませんねえ。まあでもあの方は、魔法師様にしては随分と親しみやすくていらっしゃいますけど」

 そんな立場に在っても、父の知り合いというその大魔法師は近隣住民にとってかなり馴染み深い存在だった。大概の魔法師が王都に居を構えるのに対し、彼は隣町の外れで自給自足の生活を送っている。たまに近所の農家を訪れるのを見かけるほどで……つまり無礼を恐れず言えば、変わり者だった。

「いいなあ、ボクもお会いしてみたい……」

「ごめんなさいねレビ君、買い出しのお手伝いしてもらっちゃって」

「あ、いいえ! 皆さんのお役に立てるなら!」

 不思議の法を操る彼らには憧れる子供も多い。望んで易々となることができるものではないから尚のこと。困り顔の母親に慌てて両手を振って見せた少年も多分に漏れない。

「これからはいつでも会えるわよ、レビ。……うまくいけばね」

 肩を竦める。その実、荒唐無稽と思っていた望みがまさに叶いそうになっているシエラこそが最も緊張しているのだった。



「魔法を学んでみたい」

 シエラが父親の前で口にしたのはそんな言葉。別に魔法師を目指そうというのでもない。ただ面白そうでもっと知りたいと思ったから。要は単なる好奇心だ。

 学校で少々習ったとはいえ、図書館で触れるような魔法学の書はあまりに難解で。素人が容易く扱えるようでは魔法師の価値が失われるのだろうが、個別に指導を請うことはできないかと思ったのだ。少し前に楽器を教わったように。

 本当に、口にしてみただけ、だったのに。

 実物を前にして余計に訳が分からなくなる。シエラは過去の自分に忠告をしてやりたかった。家にあの大魔法師様がわざわざ来て下さる羽目になるぞ、と。

「おう、嬢ちゃん。でっかくなったなあ!」

 目の前に立つ大きな男こそ、王立魔法研究機関の一部門《白の鷲》が長、大魔法師ラダンだった。肩口が開けた衣装、筋骨隆々、丸坊主。一見すると怖い大男だが不思議と親しみやすい空気もある。貴族と並ぶ地位だというのに町民にも気安く接するとは知っていたが、こうも親しげに笑顔を向けられれば戸惑ってしまう。

「小ちゃい頃はよく抱っこしてやったもんだが……」

「ええと……」

「ははっ、気にすんな。ほんとに赤ん坊の頃の話だよ」

 生まれる前のことは覚えているというのに。だがにこにこと言葉を交わす父との姿が何よりの証明だ。

「そんじゃ挨拶代わりに――《出でよ、蜜入り紅水晶》!」

 ぽんっ、と可愛らしい音と共に薄紅の煙が弾け、次の瞬間にはラダンの手に小さな花束が握られていた。まだ魔方陣の青い光の名残を漂わすそれを手渡される。

「あ、ありがとうございます……!」

 本物の魔法! 間近で大魔法師の魔法を見られて体が熱くなる。シエラの父はやれやれと笑って首を振った。

「君ってそんなにキザだったかな?」

「柄じゃないのは自覚してるさ。たまには格好くらいつけさせてくれ」

 言う通り、坊主の大男に可愛らしい花束は少し滑稽な取り合わせ……かもしれない。

「あの、えっと……まさかラダン様が魔法を教えてくださるのでしょうか?」

「いいや。オレじゃなく弟子を紹介しようと思ってな」

 残念な気持ちよりも安堵が勝る。一個人の気紛れに、本来は多忙であろう大魔法師からそこまでの面倒を便宜してもらえるはずがない。

「最近引き受けた……というか転がり込んできたんだが。なかなかおもしろい奴だ、あと見目がいい!」

「弟子?」

 がははと笑うラダンは、怪訝そうに首を捻る父の背を叩きそうな勢いだ。

「どういう風の吹き回しだ? ずっとそういうのは断ってたじゃないか」

「まあ色々と事情があってな。家に住ませてやってるんだ」

 使用人すら雇わないで一人暮らししている変わり者……というのは有名な話だ。そう噂できるくらい自分達との距離が近いのも、他の地域では考えられないことなのかもしれないが。どうやらその家に住人が増えたらしい。

「妙なところで常識は抜けてるが、魔法の才能は本物だ。将来もしかするとオレを超えるかもしれん」

 大魔法師の弟子。そこまで言わせる相手とはどんな人だろう。ラダンと同様に親しみやすいと助かるが、才能を鼻にかける風があったら少し苦手かも? 緊張と興味で胸がいっぱいになる。

「この歳でもう上級魔法師の資格を持ってる、自慢の弟子さ。坊主、挨拶しな」

 ラダンが言い終えるより先にシエラは思わず固まった――進み出た青年とは今朝方に夢で会ったばかりだったから。

「……え……」

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