第32話:契約の後に
「手を出せ」
言われ、両手を器にして差し出す。
「こちらだけでいい」
アーレインは微かに笑うとシエラの左手を取り、甲を向けるよう返す。そっと薬指に通された銀の輪。何も考えられずに、俯きながら嵌める様子を見下ろして。
「誰よりも先に。俺と約束してほしい」
それが意味するところを知らないはずもない。あまりに大きな幸福が立て続けに訪れるものだから、いよいよ現実かわからない。しかし冷たい金属の感触は紛れもなく本物。空いた手で涙を拭えば含み笑いが降ってくる。
「なんだ、泣かないのではなかったか」
「これは別よ、いじわるなんだから……!」
台座に収まっているのは彼の目によく似た金色の宝石。澄んだ黄金は夏の花のように鮮やかで、まろやかな輝きは満月のよう……石の名前はわからずともシエラは一目でその指輪を気に入った。
「こんな高価な……」
「別に、お前以外に渡したい相手もない」
鼻を鳴らす。
「単なる魔石を……無骨な石を渡すのも芸がないしな」
ピンとくる。魔石ということはつまり。
「これ……もしかして!」
「それがあれば転移魔法が使える」
魔法師はうなずき、先ほど成長させたばかりの木へと視線を向けた。
「写本師の魔道具を参考にした。手元に装置さえあれば引き寄せることは可能だろうと」
顛末を聞いた時にレビが見せてくれた銀貨のことを思い出す。二枚で一組の魔道具は片割れの場所へと転移するためのものだった。つまり、これでいつでもシエラの側からも会いに来られるというわけだ。
更によく見れば銀の輪には綺麗な草花の模様が彫り込まれている。口振りから鑑みるに、これは彼の手作りということなのだろう。感嘆のため息が漏れる。
「すごく素敵……あなた、とっても器用なのね」
「大したことでは」
物自体も込められた思いも嬉しくて堪らない。焦ったような声と共に手渡される一枚の紙片。開いてみるとそこには一行だけの奇妙な文言が書いてある。几帳面な筆跡は授業でよく見た彼のものに違いないのだが。
「試しにやってみるといい。ここまで飛べるか、家の中で唱えてみろ」
戸惑い見上げるとラダンの家を指し示される。大魔法師は留守らしい。これがあれば自分で転移魔法を使うことができるのだ。早く試してみたくて小走りで離れる。
「一体何なのかしら、これ……」
扉を閉め、しんと静まりかえった屋内で首を傾げた。これが呪文? しかも彼が言うのだから、きっといわゆる効率がとても良い文句に違いない。
考えて答えが出るわけもなく。緊張は当然していたが、彼が込めた魔法に身を委ねるのなら怖くはない。好奇心で胸をいっぱいにしながら、ともかく言われた通り声に出してみる。
「《アナグマのしっぽ、すっぱい柘榴、海のかざぐるま》!」
途端、ふわりと青い光に身体を包まれる。寒さや熱さを感じる間もなく、あっと気付いた時にはアーレインの目の前。
「すごいわ、転移魔法ってあんな感じなのね! びっくりしている間に一瞬で終わっちゃった!」
薄布か霧のような光が晴れる。レビが話していたような煙は出なかったが、こんなにも容易く瞬間移動ができるなんて。早口で感動を伝えれば、彼は魔法の成功に満足そうな表情をみせた。林檎の木に埋めた魔石が薄青く光っている。指輪も見た目にそう変わったところはないが柔らかな熱を帯びていた。
「あれはどういう意味? 何魔法かもわからなかったわ」
魔法の呪文は火魔法なら星にまつわり、光魔法は色を題材にしている。先に使った地魔法なら石に関する文言が多い。転移魔法はどの属性にも当てはまらないとはいうが……
「意味はない」
「え?」
「その指輪はお前の声に反応するというだけだ。呪文でも何でもない」
要は考えるだけ無駄だったということ。非魔法師に対してずるいことをする。
「……何か言いたげだな」
「じゃあ、あなたの名前でも良いってこと?」
「まあ理屈上は」
もごもごと言いにくそうにしたのは恐らく想像したから。シエラだって仕返しくらい出来るのだ。
「大好きよアーレイン! って叫んでも?」
やっと腹を立てていることに気付いたのだろう。彼はまたしても顔をしかめ低く呻いた。
「それは勘弁してくれ。……からかって悪かった」
珍しい姿に少しだけ満足する。なるほど、彼にはこうしてやり返せば良いのか。堪えきれずに吹き出せばアーレインは決まり悪そうにそっぽを向いた。
「自分で考えたのではないんだが」
「そうなの?」
「昔に読んだ、何かの詩の一部だ。なんとなく記憶に残っていたから」
「悪魔も……」
「本ぐらい読む。詩や、創作の類いもな」
考えてみれば知識もそうだが、人の心を読む術に長けている悪魔の想像力は人間より遥かに優れているはず。彼らが楽しげな空想をするとも思えなかったが、あながち縁遠いものでもないのかもしれない。
「ねえ、戻るための呪文はないの?」
「声に反応するのだから何でもいいと――いや待て。何か考える」
言いかけ、即座に訂正する。言質をとろうと構えていたシエラは、少しだけ残念な気持ちで口を尖らせた。
「そうね。同じじゃつまらないもの」
「お前もなかなか……」
ふと視界に入った男らしい手に装飾品は一切ない。そういえば。
「あなたの分は? だってこれ、単なる魔道具じゃなくて……」
「似合わないだろう。俺がただ、その……お前に着けておきたかっただけだ」
「でも」
言い淀まれてもそれはシエラだって同じ気持ちだ。むしろ彼の方が必要だろうと強く思う。
「わたしだって、あなたが他の人に誤解されたら嫌だわ」
もっと自覚を持って欲しいと再三思う。悪魔だった頃からそうなのだ、ましてやこの時代の優秀な魔法師がどれだけ憧憬の対象になることか。気安く話し掛けられるような雰囲気でないのは別として、世間的には好感を持たれる風体であることだし。
「あなたと繋がっている証が欲しいの。……あ、ええと、似合わないとも思わないし!」
「では……今度、宝飾店にでも行くか。もしそれでお前の気が済むのなら、だが」
「し、信用していない訳じゃないのよ?」
「わかっている」
釣り合わないのではないかと。未だに夢みたいだと思う。シエラが目線を揺らがせれば、何もかも見通したように青年は僅かに声を和らげた。
「悪魔は約束を違えない」
まるで誓いだ。あの頃は嘲りの言葉だったが、もはやそこにあるのは宥めるかのような優しさと誠実さと。シエラは小さく頷きを返し、再び情感を込めて指輪に触れた。
「じゃあ、もし良かったら……買うのもいいけど、わたしもあなたに作ってあげたい。……やり方を教えてくれる?」
「構わないが。難しいぞ」
「大丈夫よ、素晴らしい先生がついているもの」
この証を持ち帰ったら家族はどんな反応をするだろう。決して愛想が良いとは言えないものの、才気溢れる青年の評価はフリンジ家の中で実は高い。両親などまともに会話したのは数度だというのに、機会があれば家に呼べと何度も言ってくるほどだ。あのラダンからの紹介というのは大きいのだろうが。
「ローズが泣いて喜んでくれたの」
思いが通じたのだと報告すれば、彼女は悲鳴のような声を上げシエラよりも大喜びした。レビも今日は珍しく、アーレインに会いに行くことを羨ましがっていたくらい。
「大袈裟な。何が変わるわけでもないだろう」
「あら。だって、あなたの一番になれたのよ? こんなに嬉しいことってないわ」
「別にそれは前から……」
はっと口を押さえる姿はとても元悪魔とは思えない。またしても互いに赤面しながらもシエラは急いで言葉を継いだ。
「だっ、だとしてもよ。言葉にするのが大事ってラダン様も仰ってたじゃない」
「ジジイの話はやめろ」
彼が怒った通り、余計なお世話ではあったのだろう。しかし大魔法師が背中を押してくれなかったらこの時間もなかったのだ。
「アーレイン」
希望を込めて見上げる。
「これからたくさんお話をしましょう。それに色んな場所にも行きたいわ」
「お前は本当に物怖じしないな」
金色の目を細める。ほんの少しだけ、遠い昔を見たとしても。
「ヒトの命は短い。だから……きっと俺は、お前を飽きさせないだろう、とは思う」
「ええ。楽しいこともわくわくすることも、たくさん経験してみたいわ。感情めいっぱいに! ……それでね、手始めに」
彼の手をとる。瞠目する表情に満面の笑みを返して。
「久し振りに一緒に出かけたいなって」
「……断る理由もない」
「やった! ねえ、帰りにもう一度これの練習をしてみようかしら?」
指輪を空に翳す。もう一方を握り返した手は大きい。ずっとタニアを、シエラを守ってくれる手だ。
「付き合おう。それがお前の望みなら」
口に出したわけでもなかったが、両者とも町までは馬車を使わず歩くことを選ぶ。その方がきっと、少しでも長く隣に居られるから。
これにて完結です。全ての読者様に感謝を……
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後日談もいつか投稿できればと思っているので、もしよろしければその時はお付き合いくださいませ。
では重ねてになりますが、読んでいただき本当にありがとうございました!




