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第29話:決心

 シエラがラダンの家を訪れるのは三度目だ。もう拐われる心配はない……多分。不安に思うべきことはただ一つ。そのために意を決して来たのだから。

 事前に連絡した訳でもないが、ノックに応じて玄関の扉を開けたのはアーレイン本人だった。さすがに夕方ともなれば彼とて間違いなく起きている。ラダンは不在らしい。

 今となってはあの大魔法師の意図は理解していた。かといってすんなりと切り出せるものでも軽く話題にできるものでもない。少女を見下ろした魔法師はゆっくりと瞬く。

「入れ」

「お邪魔します……」

 扉を押さえてくれるのに礼を言い、そろそろと家の中へと。

 今日案内されたのは書庫ではない。恐らくは食卓だろう、庭に面した、入ってすぐの部屋へ通される。以前ラダンと野菜を洗った場所だ。

「紅茶でいいか」

 アーレインは真っ直ぐに台所へと向かう。仮にも魔法師様に下働きのような真似をさせるわけにはいかない。ぼんやりと室内を眺めていたシエラは慌てて寄ろうとしたのだが。

「わっわたしがやるわ」

「客人は座っていろ」

 呆れ顔で制される。こうなれば譲ることはないのも直感していたし、何より器用な彼のこと、もしかすると己より手慣れているかもしれない可能性にすぐ思い至り、大人しく椅子に掛けて待つことに決めたのだった。

 所在なく家の中を見回していると暫しの後に青年が戻ってくる。目の前に置かれた器には、美しい琥珀色をした香り高い液体……の中に。

「……お花?」

「工芸茶だ。……お前が好みそうだから」

 沈んでいるのは大輪の花のような。茶葉を糸で束ねてあり、湯を注いだ時に花開く仕組みになっている。市場で見掛けたことはあっても、実際に買うとなるとなかなか渋る値がついているものだ。見た目だけでなく、茶葉の質自体も普段シエラが口にするものより良いのだろう。

「こんなに素敵なもの、ありがとう」

「いや」

 ふいと目を逸らし器を口に運ぶ。金色の瞳には長い睫毛の影が落ち、一向に少女の姿を捉えようとはしない。

 気まずい空気が漂った。授業の時はいつもレビがいたから助かっていたことに気付かされる。昔は四六時中ふたりで居ても何とも思わなかったのに。

 ……否。それは嘘だ。少なくともタニアにとっては。

 いつからだろう、もっと綺麗な身なりであればと願ったのは。彼の洗練された所作を真似ようと必死になったのは。一挙一動に期待し、落胆し、舞い上がるようになってしまったのは。

「……この前は」

 やっと。彼は盛大なため息を、ひとつ。

「妙なことに巻き込んですまなかった。やり過ぎだとジジイにはきつく言っておいたが。後日直接謝りたいと」

「気にしていないわ、この間もこちらが申し訳なくなるくらい頭を下げられたのに。ありがとう」

「お前はもっと怒っていい」

「父にも何か言われたはずだし、もう充分よ」

 シエラが取りなしたから大事にはならなかったが、さすがにレビとローズも小言をもらったらしい。関わる人間が増える毎に気恥ずかしさが増していく。後から聞いた話では、あの二人組の男性はラダンのところの研究生なのだそうだ。

「礼ならリリィに」

 しかめ面のまま言葉を継ぐ。ふと見回してみたが、あの獣は今日は居ないようだ。

「あれに触れられるのは俺だけだと思っていたが。どうやらお前のことを気に入ったようだ」

「なんだかリリィちゃんには探されてばっかりね」

 気を許してくれた証ならば嬉しいが、思い返すに体が熱くなる心地がする。先日も最初に心細さから救ってくれたのは犬の遠吠えだった。探し物が得意な獣は、真っ先に目の前の魔法師へと場所を知らせてくれたのだろう。

 シエラの勝手な想像に過ぎないが。彼はきっと初めからあの場で魔法を使う気はなかったのだと思う。火魔法を得意とする彼があえて水魔法を使っていた学校での一件を思い出すと、あの時も舞台は燃えやすいものが多い木の小屋だった。だから先日も同様に、彼が火魔法を選択したこと自体が『発動しない』合図だったのかもしれない。

「お芝居っていつから気付いていたの?」

「演劇の道にだけは進むなと写本師に言っておけ」

 アーレインは肩を竦める。少年は今日も修道院に出掛けている。

「まあ、お前のことを大切に思っているのは伝わった」

「嬉しい。家族だもの」

 顔を赤らめ俯く。まだ幼いと思っていたのに、少年はシエラのためと行動してくれたのだ。両手で包んだ茶器よりもずっと温かい感情が沸いてくる。

「魔法……すごかったわ」

 星のように降ってきた魔法師の姿を思い出す。視界を満たした一面の炎、それを喚び出した朗々たる詠唱。

「あれは火の魔法?」

「と、幻覚を見せるための光魔法の組み合わせだ。天井に接する部分にだけ爆発の法を組み込み、穴を空けた時点で幻が残るようにしていた」

 詳しい仕組みは難解だが、ひとつだけシエラにもわかることがある。

「あの時わざと詠唱したでしょう。中にいる人達が避けやすいように」

「戯れに付き合わされた上、無駄な恐怖心を植え付けられるのが哀れに思えただけだ」

 鼻を鳴らし如何にもつまらなさそうな声音で。

「……お前に怪我をさせる訳にもいかない」

 幻影の炎なのだから怪我などしようもないというのに。だが確かに効果はあった。只でさえ記憶に残る出来事だったが、彼の声を聞いた時の安堵は一生忘れることがないだろう。

「昔も……人に当てないようにするの上手だったものね」

 思い出すのはタニアの願い。罪の意識から逃れるための無謀で身勝手な依頼を、悪魔は間違いなく達成した。戦場を飛び回った訳でもなく、タニアの側を離れることなく精緻な魔法を操って。そうだ、むしろ飛び回っていたのは。

「あの……翼も?」

 彼は少し言葉に詰まったように見えた。炎の巨鳥の姿は今でも鮮明に思い出すことができる。だから一目見て、降ってくる彼の背にあるのが同じ炎の翼なのだと悟った。青年は目を伏せ小さく息を吐く。

「あれは人間には出来ない。たとえ魔法師であっても」

「……」

「写本師を連れて戻るにはああするしかなかった」

 単なる魔法ではない、と。以前あの鳥のことを訊いた時と同じ答えが返される。本当なら積極的にその力を使いたい訳ではないのだろう。悪魔の力を使おうと思えば、書から学んだり鍛練をしたり、他の人間と関わる必要もないだろうから。

「俺は未だ昔の力に頼っている。ヒトならざる魔力を身に宿しながら下級悪魔にも及ばない、半端者だ」

「そんなこと言わないで。あなたは本当に優しいひとよ」

 シエラは膝の上に載せた両手を握り締める。

「人前で見せたくなかった力をわたし達のために使ってくれたんでしょう? レビのことも、ありがとう」

「……」

「あなたが人間でも悪魔でも怖くないわ。心が温かいひとだって知っているから」

 怖くない、それどころか。

 喉元まで出掛けた言葉を呑み込む。すんでのところで染み付いた社会的な躊躇が感情の邪魔をした。アーレインは優秀な魔法師だ。ぶっきらぼうだが付き合いは悪くないし、割れ物かのような扱いをシエラに向ける。実のところそれが特別なものなのかどうかさえ知らないのだ、彼のことはほとんど何も。

 話題の切欠を探し視線を動かす。窓の外、庭にキラリと光るものが見えた気がして腰を浮かしかける。

「あれは……」

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