第28話:見抜く者と嗅ぎ取る者
「ライアス! 居るんだろう」
人の居ない場所へと転移しアーレインは苛立たしげに声を張る。程無くして、一陣の風と共に悪魔が姿を見せた。
「あーあ、大変だったねえ。見事な全速力!」
クスクスと笑う姿はまるで絵画からそのまま出てきたかのように美しい。だがその心の底には冷えた策謀が無数に積み上がっているのだ。アーレインは吐き捨てる。
「白々しい。大概お前も暇な奴だな、対価は何だ?」
「対価だって?」
「惚けるな。俺を騙せとジジイに命じられでもしたんだろ。『総帥』の名まで持ち出して」
「あの魔法師? 関係ないよ」
どうやら面倒事というのは重なるものらしい。悪魔であった頃から沈着で知られた青年も動揺を隠せなかった。
「な……まさか、じゃあ本当に」
「でも安心してね。『総帥』サマも何も怒っちゃいない」
「…………は?」
「ぜーんぶ僕の嘘!」
「……どこから」
「全部!」
「どこまで」
「だから、全部!」
にっこり。清々しいまでの満面の笑みに、アーレインはたっぷりの間を置き天を仰ぐ。
「勘弁してくれ……!」
それから吐き出された悪態はおよそあの少女や写本師には聞かせられない。次いで旧友を見遣った目は据わっていたし、表情は完全なる無であった。
「今の身では到底敵わんことは承知しているが、ライアス」
「ん?」
「好みの焼き加減を選ぶといい」
「えーお肉はこんがりが好きかなぁ……って、あっつぅ?!」
悪魔の外套の裾が燃える。魔法は伝播する性質を持つ……触れずとも、視界に入ったものを瞬時に燃え上がらせることなど『炎』の眷属を従える彼にとっては容易いのだ。たとえそれが悪魔の持ち物であっても。
「この服お気に入りなんだけど?!」
「知ったことか」
「ひどーい!」
嘆きながらも纏わりつく炎を手で払い除ける。体に害はないものの燃えた布は戻らない。今度はライアスがじっとりとした眼差しを向ける番だった。
「……あのさあ。大体ね、僕は『君が守りたいもの』としか言ってないよ。判断したのはそっちだろ」
「言い訳になるか馬鹿」
「馬鹿は禁句! ……まあまあ、その後の展開はちょっと予想外だったけどさ。ニンゲンもなかなか面白いことを考える」
つい今しがた起きた騒動はアーレインにとって屈辱的な出来事だ。苛立つ友を見て気分を良くした悪魔は、更に煽るようにニヤニヤと笑みを浮かべた。
「しかしあれだよ、昔の君を知る連中が見たら気でも触れたかと思われるだろうね。甘過ぎやしないかい、『大尉』殿?」
「やめろ。その座はもう辞した」
「つまんないなぁ。あの娘と話してる時みたいに接してよ」
「あれと居るとどうにも喋りすぎるんだ」
「それだけじゃないだろ」
さて、取って置きの『お見通し』を披露する時がきた。ライアスは楽しくて仕方がない。
「僕の予想だけどあの霧の獣、あれは元々、彼女を探すために生み出された魔法だね」
「……」
「あっはは、その様子じゃ大正解ってことか!」
友が黙す姿に悪魔は涙を流すほど笑い転げた。一頻り笑った後でとんとんと自身の首輪を示して。
「君の眷属は能力を天候に左右される。僕のが時刻に制限されるのと同じでね。だから雨の日に動き回らせるための水魔法……でしょ?」
「……他にもあの魔法は有用だ」
反論は弱々しい。ライアスは眼前の男が悪魔だった頃によく『鳥瞰』を利用していたのを知っている。眷属と視界を共有し戦況を把握した上で、どれだけ小さな綻びをも探し当て、的確に突き崩す法を得意としていたのだ。視る能力に長けている彼が、わざわざヒトの力で生み出した失せ物探しのための魔法。
同じ時代に居るともわからないのに。そんな行為はまるで「……祈りじゃないか」ライアスは呟く。
「というかさ! 君ってば間抜けだよね~。かつて彼女が生きていた国の近くばかりを探していたんだろう? 同じ場所に生まれるとは限らないことくらい、知ってるはずだけど」
返るのは舌打ち。飴のように艶やかな碧の目が丸くなる。
「え、まさか図星? テキトーに言ったんだけどな」
「この……っ」
「それとも、本気で探しちゃいなかった? 君なら大陸中を浚うことも容易かったろうに。……怖かったの?」
「……」
「ま、結局は探し当てるより先に巡りあったみたいだけど。同じ時代でこんなにご近所だなんて奇跡だね? 運命!」
「煩いな……!」
はしゃいでいるとねめつけられるものの、ライアスにとっては痛くも痒くもない。何せ冷徹と思われていた悪魔が、恋路に限ってひどく臆病だと知れたからだ。しかも蓋を開けてみれば相手は人間ときた。これを滑稽と言わずして何と言うのか。
「あの娘を見つけてからしばらく君達のこと見てたんだけど、あんまりにも焦れったいからさぁ。あの魔法師達だって同じこと考えてたんでしょ」
ずっと見られていたことをアーレインはやっと悟ったらしい。以前に対面した時は目的など考える余裕がなかった。どうにも正体の掴めない至極薄い気配が続くとは思っていたから、ラダンに怪しまれつつも時折『視て』いたというのに。
「いやー、君の眷属から身を隠すのは骨が折れたよ。『ウチの子』のお陰でなんとかなったけど」
「最ッ悪だ」
呻く様子をケラケラと笑い飛ばす。さすがに悪魔の身で所詮はヒトの能力に劣る訳にはいかない。ライアスの眷属は視覚にかけては凡庸だが、代わりに並外れた『嗅覚』を持っていた。
アーレインが悪魔だった頃、彼らは互いを絶対に滅ぼそうとはしなかった。性格はともかくとして、眷属を含めた能力の相性がとても良かったからだ。アーレインの視覚とライアスの嗅覚があれば炙り出せない企みや謀りは無かったし、火の鳥が炎を降らせ退路を塞げば、逃げ惑う者達を闇に紛れて三頭犬が狩ってまわる。特に月や星がよく見えるような夜、彼らはまさしく敵無しだった。
「だって生半可な気持ちだとしたら、友達を失った僕の身にもなってご覧よ。絶対に幸せになってもらわないと困る」
「だからってあんなやり方があるか」
「君がそこまでムキになるとは思わなかったんだ」
これだけ周囲に詰められれば気位の高い彼のことだ、最後の一手は自らで決めるだろう。……白状すると、感情に乏しい旧友がヒトの心に振り回される姿はひどく愚かしくて興味深かった。いいものを見た、という満足感がある。言えば次には何を燃やされるか知れないが。
「あ、でもねえ。『総帥』サマからも伝言は預かってる」
「伝言? 俺にわざわざ?」
「うん。『悔やんだら殺す』、だってさ」
ライアスの言葉を聞いて、アーレインは強張らせていた身を一気に虚脱させた。
「洒落にならん……」
「だよねえ~!」
また笑い声を上げる。生涯残る傷痕と恐怖を刻み付けられようとも、当然のように名を口にできるのも悪魔の気質かもしれない。
「はー、おかしかった。次に君のことを思い出すのは何年後かな」
手を振り、拭った涙を払う。
「ねえ。僕達は色んな悪魔が滅ぼされるところを見てきたけど……正直に言うとさ、ずっと君にだけは死なないでいて欲しかったんだ」
「……ライアス」
「だけどもう、仕方がないよね! その覚悟に免じて許してあげる」
人間は老いる生き物だ。悪魔が今度また地上を見てみようという気を起こした時にはもう、生きているか、国が在るか大陸が残っているか、それすらもわからない。
だからといってこの場で約束などする気は双方ない。悪魔は気まぐれだから。それでも魔法師は、無二の友へ最後に一つだけ問うた。
「その……大丈夫なのか?」
前髪の奥にあるだろう傷を見つめる。悪魔は笑みを崩さなかった。
「心配要らないよ。僕だって君に庇われてばかりじゃないし、それに」
ちろりと舌を出してみせる。
「いつまでも配下に収まってる気もないしね!」
そうか、と呟いてアーレインも微かに笑う。力と野心に満ちていて、好奇に素直な彼はとても『悪魔らしい』から。きっと望んだものを掴むのだろう。
「……じゃあね、アーレイン。幸せになって」
「ああ、お前も……ありがとう、ライアス」
時折は憎かったし完全に解り合うことは恐らく難しい。彼らは根本的に異なっていたが、この笑顔は愛おしかったとアーレインは確かに思う。
「また会うことがあればチェスでもしようか。勝ち逃げされるのも気に食わないからさ!」
そうして、来た時と同じように風に乗り。あっという間に悪魔の姿は見えなくなった。




