表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/35

第27話:誘拐

 シエラは拐われていた。

 これまで一度も約束を忘れることのなかった魔法師が、何の連絡もなくシエラ達を待ち惚けさせた翌日。大した距離でもないからとラダンの家を訪ねてみたのだが、そこにも彼は居なかった。用事があるとかどうとか、彼の師もよく知りはしないようだったが、すぐ戻るだろうと言われてしまえば信じる他はない。何の収穫もなく町で馬車を降りて少し……あまり人通りのない道で二人組の男に呼び止められた。もちろん見覚えはない。

「シエラ・フリンジさんですね?」

 戸惑いながら頷くと、男の一方が細長いものを鞭のようにしならせる。縄がひとりでに手首を縛るその魔法は偶然にも以前見たことがあるものだ。別にシエラは補導されるようなことはしていないはずだが。爆竹もどきだって持っていない。

「申し訳ないですが……誘拐されてください」

「へ?」

 よりにもよって一人で出掛けた帰り道に。そういえばいつかの祭りの日、そんな忠告を受けたのを今更ながら思い出す。これほど妙なことに巻き込まれると知っていたなら当然、わざわざ自分の足で彼に会いに行こうとは思わなかっただろう。

 あっという間に箱馬車に詰め込まれ(また馬を宥めるのに時間を費やしはしたが)、連れてこられたのは納屋のような建物。シエラはそこに置いてあった椅子に座らされ、男達は離れたところで何事かを相談しているらしかった。


 いくら好奇心が強い少女とて見知らぬ男達に自由を奪われ心穏やかでいられるはずもなく、目的を訊ねてみようという勇気はなかった。しかし彼らは物腰も穏やかな上にシエラに対する扱いは丁重で、言動がまるでちぐはぐな印象を受ける。

 今のところは危害を加えてくる素振りも何かを要求する風でもない。だが、何とかしてここから逃げ出さなければ。

 武器は持っていないようだが魔法を使えるのなら油断はできない。公認魔法師かどうかは判断がつかなかった。試みに腕を動かそうとするも上手い具合に抜けない位置で縛ってある。熟練した魔法師ならこっそり縄を焼き切ることもできるのかもしれないが、残念ながら素人のシエラには呪文を唱えて気付かれない自信がなかった。腕が自由になったところでどうやって逃げる? それに自分の炎は熱くないにしても焼けた縄の熱さは通常と変わらないから、試すのは最終手段として取っておくことにする。痛いのは嫌だ。


 窓から日が傾きかけているのが見える。恐らく拐われてから大した時間は経っていないが。

 犬の遠吠えが聞こえた、気がした。シエラにとっては心から待ち遠しかった救いの声。

 男達が動きを止める。いや――動くことが出来ないのだ。

「おい、何か……」

 片方が掠れた声を漏らし周囲を見回した。彼らの足を縫い付けているのは恐怖だ。いっそ魔法を使えず、魔素の気配を察知できない方が幸せだったかもしれない。シエラも意識するまで呼吸を忘れていたほど。この怖気がするほどの魔法の気配、素人にもわかる化物じみた魔力。どこか懐かしくさえある。

 ぐわ、と魔力が急激に膨れ上がる。ちょうど彼らの頭上で。

「《星の依る辺よ、業火を食らいて塵と為せ》!」

 火の魔法の呪文は星に纏わるものが多いという。眼前の光景によって、シエラは習った知識に心から納得した。

 朗々と響いた詠唱。巨大な火球と共に、天井を突き破って魔法師が降ってくる。彗星よりも激しく圧倒される紅蓮の光。部屋いっぱいに弾けた鮮やかな炎に男達は腰を抜かしたが、届いた風にもまるで熱さはない。恐らく幻影だろう。

 けれどシエラは見た。直下にいた男達には眩しくてわからなかっただろうが……落ちてきた瞬間、その魔法師の背に煌々と輝く炎の翼があったのを。赤熱を帯びた耳飾りと、爆ぜる炎を映した金色。それではっきりと思い出したのだ――彼の美しい名前も。

「リリィ!」

 鋭い声が飛んだかと思えば、しゅるりと灰白の風から躍り出てくる霧の獣。がくんと視界が揺れた次の瞬間にはシエラの体は大きな犬の背に載せられていた。獣の体はひんやりとしていたが川の水を思わせる刺すような冷たさはない。てっきり触れられないと思っていたのに! 混乱のうちにリリィは男達から素早く距離をとる。

「アーレイン! レビ!」

 何故か連れてこられている少年は、アーレインの小脇に抱えられたまますっかり目を回している。彼はそれを干し草の上に放り出……そうとして、気が変わったように屈むとやや雑に横たえた。

 背を伸ばし真っ直ぐに男達を見据える。結った青鈍の尾が浮いたのは満ちゆく魔力のせいだと、小屋の軋む音で気付く。

「下らんことに巻き込まれるのは癪だが、そこの娘に手を出されるのは更に不愉快だ」

 目を細めた横顔を息を詰めて見守る。これほど怒った彼を見るのは、タニアだった頃を含めても初めてだった。

 青い魔力光と共に彼の周囲に風が吹き上がり、床板の端が何ヵ所か剥がれて飛んでいく。所狭しと展開される幾つもの魔方陣には、シエラでさえはっきりとわかるくらいに大量の魔素が集まってきていた。人間になって尚これだけの魔法を扱えるのか。

「俺の名を呼べ、シエラ」

 怒気を孕んだ声は静かな激しさに満ちている。矛先が己に向けられたものでないとわかってはいても喉がひりつく。かつて燃え盛る炎と激しい稲光を見た。確かに、このひとの腕の中で。

 周囲に弾ける小さな稲妻と爆ぜる火の粉。願いさえすれば彼はその手に構えた炎で全てを焼き払うだろう。だが、咄嗟にシエラの口をついて出たのは助けを求める言葉ではなかった。

「その人達をゆるして、『アルナイール』!」

 直後、

「そこまでだっ!」

 またしても天井の穴から人が降ってくる。重々しい着地音を響かせ、男達を背に庇う位置に立ちはだかったのはなんとラダンだった。

「ラダン様?! どうして」

 大魔法師は相当慌てて来たらしく、両手を広げたまま大きな息を吐く。対するアーレインは驚きもせず、一層凶悪な目付きで師を睨み付けるのだった。

「誰がこのボロ小屋で本気を出すものか」

 忌々しそうな声と共に魔方陣は収束し、満ちていた魔素の気配も散っていく。まだ目蓋の裏に青と赤の残像がちらつくようだ。

「全て貴様の差し金だな、クソジジイ」

 魔法の脅威は去ったものの、激しい怒りを隠そうともしない美青年の姿はそれはそれで凄みがある。男達はといえばすっかり色を失った顔で震えていた。今となっては蚊帳の外、魔法師が睨み据えるのは突如として現れた己の師だ。

「……俺が、最も腹を立てているのは」

 ギリ、と歯軋りの音さえ聞こえそうなくらいに。

「ここまでふざけた真似が必要な軟弱者と見なされたことだ」

「ほう、どうだかな。切欠がなけりゃむしろ身を引いただろ、お前さんは」

「何だと?」

 アーレインが青筋を立てる。あの気迫を前に鼻で笑える胆力はさすが大魔法師と言ったところだろう。だが一体何の話をしているのか。シエラのことも置き去りにして師弟は睨みあう。

「……いいか坊主。魔法は呪文を唱えなくたって使えるが、人間同士はそうはいかねえ。オッサンの昔話なんざ聞きたかないだろうがな、お前にはオレと同じ思いをして欲しくねえんだ」

「知ったことか。こんな馬鹿馬鹿しいことをされなくても俺は……っ」

「それを言葉で伝えろって言ってんだ、相手はオレじゃねえだろ」

「余計な世話だと言っている」

「オレが言ったとて説得力はないだろうが、魔法師ってのは特殊な立場なんだ。わかってるからこそ、嬢ちゃんのところの坊主もお手伝いの姉ちゃんも協力してくれた」

 恐らくレビとローズだろう。やっと少しずつ読めてきた。察するに、どうやら皆で口裏を合わせていたらしい。道理で誘拐と言いつつ一切手荒な真似をされなかったわけだ。……しかし、何のために?

「それにオレはもうお前を後継に推薦するって決めてる。そうなれば余計にこのままじゃいられなくなるぞ」

「勝手なことを……!」

 後継。大魔法師に――彼が?

 唐突ではあったが、彼は優秀なのだろうから納得は出来た。だが本当にそうなってしまえばシエラに構うどころではなくなるだろう。ラダンがあまりに特殊なだけで、国を代表する魔法師は王都に住み、上流階級との関わりを中心とした生活を送るはず。きっと望んでももう会えなくなる。一介の食堂の娘とは文字通り世界が違うのだ。先の話とはいえ……素直に祝福は出来そうになかった。

 しかし同じく騙されたアーレインが気にしているのはそこではないようで。

「それだけのために『契約』までしたのか」

「契約? 何の話だ」

「……関係、ないのか?」

 どこか焦りの滲む表情でちらと辺りを見回すと、落ち着きない様子で、風に乱れた青鈍の隙間から未だ赤熱色を帯びている耳飾りに指先で触れる。混乱するシエラへやっと彼は視線を向けたが、冷たい金色を収める表情はいつになく固い。

「怪我はないな」

 今回は本当に本当だ。どうにか頷き返すと

「あとはジジイに。ジジイ、さっきの話、俺は納得していないからな」

「え、おい坊主どこに――」

 ラダンが問うよりも早く、青年はそのまま青い光を残し姿を消してしまった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ