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第26話:引き摺ってでも

「明日から留守にする」

 青年が出し抜けに言ったのはとある日の夕暮れ。いつものように家庭教師をしに出掛けていたかと思えば、ラダンが帰宅するなりそんなことを切り出した。

「なんだ急に……別に留めやしねえけどさ」

「遠征はしばらくないはずだ。それなら俺でなくとも回るだろう」

 真っ先に口にするのが魔法師の仕事のこととは。真面目か不真面目かよくわからない言動に対してもラダンは特に騒がなかった。

「嬢ちゃんとこに行く約束はどうする気だ?」

「……落ち着いたら戻る」

 こうなれば彼が口を開かないことを師は経験から知っていた。あまり妙な言動が多いのは困りものだが半ば諦めてもいたし、少なくとも青年が黙するのは本当に彼自身に関する事柄だけとも信用しているつもりだ。長くはない年月にせよ、寝食を共にしてきた師弟だからこそ。

「まあ、坊主が秘密主義なのは最初っからだからな。いいぜ、好きにしな。だけどちゃんと話してからにしろよ? お前さんに会うの楽しみにしてるみたいだから」

 だがそれから三日後。わざわざ馬車を使ってまでシエラが訪ねてきたのを見、ラダンはどこに居るとも知れない青年に対し思い切り悪態をつく羽目になった。



 魔法を使えば距離を取ることは容易い。ほとぼりが冷めたら戻ればいい……かの悪魔の気が済むのは何時になるやら知れないのは厄介だが。

 少女のことは心配ではあったが眷属を置いてくることはしなかった。少しでも力を手元に残さなければ、只でさえヒトの身では耐えられない可能性の方が高いのだ。

 かつて彷徨っていた時とは異なり、今は生きる術も金も手元にある。地上で暮らすために得た多くのもの達。それに見知らぬ町での振る舞い方はよく知っている。森で眠るにしても野犬は近付いてすら来ない上に、魔獣や野盗の気配を探るなど児戯にも等しい。しばらくは独りで困ることもなさそうだった。

 悪魔はいつ来るかわからない、むしろ来るという言葉すら忘れているかもしれない。結局のところ全ては気まぐれだから、そう深刻に捉えても仕方がないと元悪魔の身としてはよく知っている。ただ……せっかく得た居場所に因縁を持ち込みたくはなかった。

 どこともわからない野道を進みながら、アーレインはいっそこの機に旅でもしてみようかと考える。危機に際しても利己的な快楽を追い求められるあたり、どうしようもなく彼も根が悪魔なのだった。どうせ行く当てもないわけで、転移魔法を使えば数日でもかなりの見聞を得られるだろう。ヒトの身で何を感じるか……試みに少女と辿った道程を再び往くのも、悪くない思い付きのような気がした。しかしこの時代に未だ残っている国がどれ程あるだろう? 漫然と思考を巡らしていた時だ。

 チ、と耳飾りが『鳴く』。直感より遥かに精度の高い警告。急に熱を帯びたそれに触れながら魔力の出処を探る。――近い。

 腰の袋から不自然に転がり落ちた銀貨。急激な魔力の高まりに思わず硬直する。

 アーレインの数歩先で止まった銀貨は、突如として激しい青の光と煙を放った。

「――ゲホッ、ゲホッ!」

 煙の奥で小さな人影が咳き込む。紛れもなく『ヒトの成す法』だ。悪魔はこんな猶予を与えない。最悪の想像が外れたことで、アーレインは詰めていた息を密かに吐き出す。

 ぎゅっと目を瞑ったまま、そこに姿を現したのはレビだった。

「何の用だ。写本師」

「わっ?!」

「自分で転移しておきながら驚くな」

 嘆息し、硬貨を拾い上げ見つめる。以前祭りへ出掛ける際に手渡されたものだ。法の結び方はやや雑ではあったが、魔石と同じように転移できるだけの魔力が込められていたということか。すると少年は片手を開いて見せてくる。そこにも一枚、同じ銀貨が載っていた。

「この銀貨は引き合うんですよ。魔道具屋で買ったんです。本当はお嬢様に使っていただく予定だったのに」

 どういう意味かと首を傾げたアーレインには構わず、レビは急に大声を上げた。

「そっそんなことはどうでもいいんですよ! 助けてください!」

「助ける?」

 未だ魔道具を興味深そうに眺めていた視線がようやく少年へと向く。

「聞いて驚かないでくださいね……シエラ様がゆ、誘拐されました……!」

「……」

「なんで驚かないんですかー?!」

「何なんだ、驚くなと言ったり驚けと言ったり……」

 片耳を塞ぎつつも、何処か不審を覚えて周りの木立を探る。悪魔も他の人間も潜んではいないようだが。

「どうしてわざわざ俺を頼る。自警団を呼べば済む話だろう」

「それは、えっと……」

「魔法絡みだろうと、魔法師は基本的に個人の判断では動けないが」

「ええっとぉ……」

 師弟揃って好き勝手にやっているのは棚上げだ。もじもじと言い淀んでいた少年は、あっ、と小さく声を発してから。

「そ、それじゃ意味がないからです! シエラ様がお戻りになってもあなたが居ないと」

 思い付きを捲し立てるかのような。そもそも少女が無事に戻ると確信している言い方には違和感がある。理由が読めてきたアーレインとしては、これから起こる出来事に頭を抱えずにいられなかった。

「……ジジイは」

「生憎とラダン様は王都に!」

 不可能であることを強調するような早口。どうあっても『アーレインが』戻らなければならないようだ。不服な声色になってしまうのは当然だった。

「だとしても、だ。他人である俺が力を貸すと思ったのか? ジジイのようなお人好しでもあるまいし」

「他人だなんて」

 強気な瞳で魔法師を見上げた少年は、本当に家族を愛しているに違いない。一挙一動に怯える癖に妙なところで向こう見ずで……嫌いではない、とは思っている。

「どうして距離を取るような真似を? アーレイン様のことは正直ちょっと怖いですけど、でも、お嬢様を傷付けない点は信用していたのに」

「……」

「お嬢様が本当に慕ってらっしゃるのが誰なのか、そのくらいボクにだってわかります」

 ここまで言い募られるとさすがに無視はできなかった。自分でもよくわからない感情を刺激されるのはどこか苛立たしくもある。少年は緊張を滲ませながら続ける。

「解り合うことを諦めるなと……ボクはまだ上手くできないけど、それがお嬢様に教えていただいたことですから」

 どうやらあの少女は周りに色々な種を撒いているらしい。生かして良かったと思うのはきっと独善なのだろう。少なくとも目の前の少年が悪魔に感謝する必要は微塵もないのだから。

 いずれにせよ選択肢は一つしかないと悟る。手早く終わらせるのが最善だが、意趣返しとは言わないまでも、少しばかりからかってみるくらいは許されるだろう。

「もし、それでも行かないと言ったら?」

 半眼で見下ろせば、困り顔は次第に泣きそうに歪むも。

「ボク、ひ、引き摺ってでも連れていきますからねッ!」

 力みすぎて声が裏返る。レビは鼻で笑われるに違いないと思ったのだが、存外に魔法師は何を馬鹿にすることもなかった。少年からすれば不遜な態度が少し苦手ではあるものの、その強かさに憧れる気持ちが皆無と言えば嘘になる。

「そういえばお前も肉親を亡くしているのだったか」

 唐突な呟きにレビは身構えた。

「だ、だったら何ですか」

「……いや。つくづく妙な縁だと思っただけだ」

「もうっ、よくわかんないですけど……って、ああ!」

 近距離での悲鳴にも似た声に、今度こそアーレインは思い切り顔をしかめた。だがレビにとってはそれどころではない。

「どうしよう、帰れない……!」

「は? さっきの道具は」

「使い捨てです、何度も使えるやつは高くて買えません!」

「得意気な理由がさっぱりわからんが……」

 混乱と興奮で何故か胸を張ったかと思えばじたばたと手を振り回す。相変わらず落ち着きのないことだ。

「て、ていうか、そもそもここはどこですか!」

「知らん」

「魔獣でも出たらどうするんです?!」

「この辺りには居ないようだが。まあそうなれば倒すか逃げるかしかないだろうな」

「そんなぁ!」

 実際のところどれだけ彼らの住む町から離れたかわからない。一刻も早く転移魔法以外で、つまり、少年を抱えて移動する方法はあるが……それを見られるのは些か厄介だった。いざとなれば魔法ということにでもして誤魔化せば良いのだろうが。

 元はといえば己のためだ。言い聞かせながら、アーレインはレビをひょいと抱える。俗に言う、お姫様抱っこ。

「おおお女の子みたいじゃないですか?!」

「お前を連れて転移はできないんだから仕方ないだろう」

 唖然とする少年はこれが二度目であることを知らない。

 魔法師はそのまま地を蹴り軽々と傍の木の枝に乗った。たわむそれを絶妙な平衡感覚で蹴って跳び、隣の木へと移っていく。地上を走るよりは確かに速い。レビの抗議の声は下を見た途端に悲鳴へと変わった。

「口を閉じていろ。舌を噛むぞ」

 ところでどこへ向かえばいいのか。はっきりとした回答が得られればアーレインの予想は当たっていることになるのだが。

「おい写本師――」

 風を切りながら訊ねようと見下ろすと、少年は既に気を失った後で。

「肝っ心なところで……」

 何度目かわからないため息。仕方がない、それにどちらかといえば好都合ではある。

「まあ良い……仕事だ、リリィ」

 枝の上で一度静止した彼の横。湿った風が渦を巻き、すぐさま大きな犬を形作る。じっと主人を見つめる顔つきはどことなく恨みがましい。アーレインは微かに眉間に皺を寄せた。

「わかってる。『失せ物探し』はこれきりにしよう」

 水と風の法と、極めて微弱な雷の法と。それらさえあれば、技量は要するが擬似的な生命体を顕すことが可能だ。しかしラダンに言われ生成法を世に著したものの、明らかにしていない隠し味が一つだけあった。

 アーレインの感情――有り体に言えば『心』を、一匙。

 理性や自尊心が無くなった時、心はどれだけ膨れ上がるものかを試してみたかったのだ。そんな魔法を成せるのは元悪魔だからこそで、仮に他の魔法師が霧の生き物を生み出せたとしてもリリィほどの自我を持つことはない。人間には絶対に再現出来ないと知っているから、渋々ながらもアーレインは公表したのだ。

 とはいえ、ここまで『成長』するのは主人である彼にも想定外だったが。もはや別物だとしても、この無邪気な獣が己の一部から生まれたなど、今となっては墓場まで持って行きたい事実だった。

 さて、少年は先まで彼女の近くに居たはずだし今回はその匂いで構わないだろう。ひとまずは町へ戻るのが良さそうだ。人間の足でそう遠くへは行けまい。それに考えが正しければ、犯人はきっと遠くへ逃げたり隠れたりする必要がないから。

「方角はわかるな?」

 応じる犬の鳴き声一つ。アーレインの周囲の空気が揺らめく。背に現すのは燃える鳥の翼。雨でなかったことは幸いだ。

「見つけたら報せろ。もし俺が間に合わなければお前の独断を許可する」

 獣を見届けた金眼に焔を弾けさせながら、彼は少年を抱えて空高く飛んだ。

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