第24話:腕相撲
転移魔法の後、少し歩く。いつものように務めを果たすためやってきた庭先だが、見慣れた少女と喧しい少年の姿がない。早く着きすぎたかと首を傾げていると知らない声に名前を呼ばれる。
「あら、アーレイン様!」
この女が草木の手入れをしているのはこれまでも時々見た、ような。戸惑っているうちに、エプロン姿の彼女は箒を持ったまま頭を下げた。ひょこんと結い上げた髪が跳ねる。
「失礼いたしました。あたし、シエラ様のお世話をしております女中のローズと申します。どうぞお見知り置きくださいまし」
逆にローズの側は一目でわかっていたのだが。何度か見かけたためもあるが、何よりこれほど見目好い男性はそう何人もいるものではないから。
「ああ、よろしく……」
表情はあまり変わらない。しかし返事をしつつも心ここに在らずで辺りを見回す様にローズは微笑む。と同時、シエラの想いが独り善がりでもないことを察する。この魔法師は思いの外に素直であるらしい。待ってくれるよう伝えるため出迎えられる場所に居たのだが、頭をもたげたのはちょっとした悪戯心。
「お嬢様ならお店の方に……ひょっとすると、いらっしゃらない方がご自身のためかもしれませんけれど」
ローズに言われアーレインは裏口から食堂へと向かった。扉を開けた瞬間の熱気と喧騒、それに香辛料と微かな酒の匂い。音の波に呑まれでもしたようだ。表情を険しくしたところで、探していた姿を見つける。
「あっアーレイン!」
「シエラ」
「ごめんなさい、お手伝いが終わらなくて」
どうやら彼女はレビとともに給仕をしているらしかった。くるくると忙しく動き回る合間にわざわざ声を投げて寄越す。アーレインは曖昧に返事をしながらも、レビがテーブルから危なっかしく運んできた皿の塔から、幾つかを取り上げ洗い場に置いてやった。
「あわわっありがとうございます~! って、アーレイン様?! なんで来ちゃったんですか!」
「ローズさんってばもうー!」などと騒ぐのを無視して、丁度厨房の方へ戻ってきた少女に困惑の顔を向ける。
「いつもこれほど混んでいるのか?」
「いえ、今日は特別――」
「魔法師様?」
今度は何か、とややげんなりした気分で席の方を見ると
「ああ、やっぱり!」
「いい男じゃないか」
「シエラちゃんも隅に置けないわねえ」
やんやと好き勝手に言葉が飛び交う。彼は知る由も興味もなかったが、そこに集まっているのは近所の婦人達なのだった。農家の男勝りな女性陣は食べっぷりも豪快な上に間違っても料理人への礼を失しないので、食堂にとっては有難いお客様である。
元来アーレインは騒がしい場所をあまり好まない。『契約』の過程であれば已む無しにしろ、大きな酒場や賭博場など本当は願い下げだ。だが少女に迷惑をかける訳にもいかないものだから、どうにか文句を呑み込むだけの我慢はした。
「ごめんなさい」
シエラからは再度謝られ、目線で理由を問うと彼女は粗相を知られた子供のように首を竦めた。上目遣いでおずおずと切り出す。
「今日はあなたが来る日だってうっかり話してしまったの」
それがどうして謝罪につながるのか。眉をひそめると余計に申し訳なさそうな顔をされる。
「その、みんな、あなたを見てみたいって」
「見る? 俺を? 何のために」
「…………格好良いから」
「…………は?」
冗談だろう、と思う。そんなことで気安く接せられて堪るかと。本当は何を企んでいるのか、問い詰めるより先に数人の女性達に囲まれる。
「シエラちゃん、ちょっと借りるよ!」
少し酒も入った強引な手口に、さすがの魔法師も反応が遅れた。あっという間にテーブルへと連れていかれる。
「な、なにが目的だ?」
「あらやだ、近くで見るとますます美男だねえ」
「魔法師様、お酒はいけるクチかい?」
「こんなに若いのにもう公認魔法師様なんだって」
「じゃんじゃんお食べ!」
只でさえ美人と称して差し支えない容姿の上、この辺りで畑仕事と無縁の優男は珍しいため目を惹いたのだろう。貴族に準ずる地位とはいえ身近さは大分異なる。住民にとって最も馴染みのある魔法師がラダンだというのもあるだろうが。
もはやアーレインが目を回す勢いだ。だが彼の災難はそこで終わらなかった。
「ちょっと待ったー!」
ばん!、と表の扉が勢いよく開かれる。もう勘弁してくれと喉元まで出かかりながら目を遣ると、そこに居並ぶのは日に焼けた体格の良い男達。これまたアーレインが知ることではなかったが、彼らはもはや自分達に家事が向いていないと諦めて強行手段を執ったのだ。
「うちの嫁を返してもらうぞ!」
「いや俺は何も……」
乱入者の正体は近所の農夫達。つまり、今アーレインの周りを囲む女性達の夫である。
「おれ達と勝負しやがれ!」
既に質問する気力もない。この食堂を訪れてから理解できないことばかりが起きている。あの女中ももっと強く引き留めてくれればよかったのだ。恨めしく思いながら、もうこの食堂へは足を運ばないと密かに誓う。
いざとなれば魔法でどうとでも出来る……などと思案していたのだが。
「腕相撲で勝負だ!」
びしり。指差して続けられた言葉に、反射で「は?」と声が出てしまう。まずいと思った時には既に会話は勝手な方向に転がってしまっていて。
「あんた達ったら大人げない、こんな細い人を相手に!」
「うううるさい! 得意分野に巻き込むのも立派な戦略だろ?!」
「だいたい炊事洗濯ぐらいでぴーぴー言うんじゃないよ! 情けないねえ」
「魔法師様に怪我させたら承知しないからね!」
「どっちの味方なんだよ!」
「……なるほど夫婦喧嘩か」
ようやく――無理矢理――腑に落ちた。彼の呟きを拾う者はない。感情的なやり取りを理屈で解そうとするだけ無駄だ。であればさっさと済ませるに越したことはないと判断する。終わった後シエラ達に魔法を教える余裕はなさそうで、それは少し申し訳ないような気もしたが。
「怖じ気付くなよ兄ちゃん!」
息巻く男達を前に思わず嘆息。どうとでもなれ。袖口の留め具を外し腕を捲る。……幸いこの範囲には人目を集めるような傷痕はない。
机での仕事が多い割に鍛えているのはラダンの影響もあった。加えて出自が出自のため、体を全く動かさない方が落ち着かないからだ。とはいえ農夫の丸太のような腕とは比ぶべくもない。それこそラダンならば或いはいい勝負になったかもしれない。
平素と変わらぬ起伏のない表情は諦めに見えただろう。誰の目にも結果は明らかだった。……号令の直後、魔法師が自分より何倍も太い腕をテーブルに叩き付けるまでは。
確かに単純な筋力では及ばない……どころか、へし折られてもおかしくはなかった。だが、アーレインは魔法師だ。身体強化魔法もあのラダン直伝である。あまりに一瞬で勝敗が決したため、観衆の間に狼狽と興奮が広まるには少しの間を要した。
「……や、やるじゃねえか兄ちゃん!」
「そんな細腕に負けるなんてお前が弱いだけだろ!」
「オレと交代だ!」
きっとラダンが場にいれば喜んだことだろう。
「誰でも良いから早くしてくれ……」
今後、農夫らに慕われることなどアーレインはまだ知らない。今は一刻も早く解放されたかった。
さて、突如として始まった余興に客達がすっかり夢中になっている様を、シエラとレビは遠目から眺めていた。働き通しだったが、お陰でやっと一息つくことができている。
「ねえシエラ様。あれって魔法ですよね……?」
「まあ、知らない方が幸せなこともあるわよ」
「確かに」
レビは神妙な顔で頷いた。犠牲になってもらったようで多少の後ろめたさはあるものの、結果として店が繁盛するのは喜ばしいことだった。それに。
「アーレイン様って、いい人ですね」
隣からの呟きにシエラは抱えた銀盆を抱き締める。仄かな誇らしさが胸に灯った。好きな相手の色々な表情を見られるのは、何度だって嬉しいに決まっている。




