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第23話:ラダンとシエラ

 階下へ降りてみると、ラダンは泥だらけの作業着姿のまま大量の野菜を布で拭いていた。

「洗って詰めるのを手伝って欲しくてな。良かったら店で使ってくれ」

「こんなにたくさん……!」

 慌てて腕捲りをする。大魔法師に農作物を箱詰めさせたとあっては、レビにすら何を言われるか分かったものではない。傍の木箱には既に多くが放り込まれているようだったが。

「どのみち二人じゃ食いきれない。重たかったら坊主に運ぶのを手伝わせりゃいいさ」

「そんな、悪いです」

「いいんだ。どうせ暇してる」

 間違っても魔法師に小間使いのような依頼など一般市民は口にできない。もう少し自分の立場を理解してくれと言いたかったが、そこがラダンの良いところでもあるのは確かだ。そしてなかなかに弟子の扱いが雑であるらしいことも知る。

「まあ、あいつは知恵は回るみたいだからそこは助かってるが。後はもう少し愛想がありゃあな」

「呪文を良いものにしようとしてラダン様と意見がぶつかると言ってました。人によって、魔法の呪文って大きく変わるものなんでしょうか?」

 一緒に泥水を布で拭いながら訊いてみる。一人残してきたアーレインはまだ書斎にいるか、それとも自室へ戻ってしまったか。ラダンの元へ行くよう促してきた時も平素と顔色は変わらなかった。シエラの心など知りもしないで。

「根っこの理屈は変わらんが因果の結び方は性格が出るかもなあ。あいつの考える魔法は、なんつーかオレに言わせりゃ、あそびがない」

「あそび?」

「速さと手数が最優先で、極限まで無駄を削ぎ落としたとでも言うかな。多少乱暴でもとにかく発動させることに重きを置いてる」

 らしい気がする。出会い頭に花束をくれたラダンならまだしも、彼が見世物小屋で見るような楽しげな魔法を使うところは微塵も想像ができない。

「坊主が優れてるのは冷静な洞察力もそうだ。状況判断も思い切りが良い。だから仕事で荒れた現場に出ても真っ先に相手に向かってくし、さっさと弱点を突いちまう」

「それはちょっと……心配になります」

「嬢ちゃんは優しい」

 穏やかに笑う様はまるで父親のような。

「あいつ自身はそれでも上手くやるんだが、そこらの魔法師が真似をするのは相当難しいだろうな。思うに、あれの考え方が重宝されるのは戦場に於いてだ。ああも潔く利害を見極めて動くことなんざ、普通の若い奴には出来ねえ」

 先ほど聞いたばかりでどきりとする。話を聞くとなおのこと、家庭教師は苦心してやっているのかもしれない。

 ふと壁際の棚に目を遣ると、伏せられた写真立てがあるのに気付く。土足で踏み込めるほど野暮でも子供でもない。見なかった振りをして手を動かし続ける。

「ラダン様の魔法の作り方は異なるのですか?」

「オレはもっと汎用的な法が好みだな。今は誰もが魔法を使えるとしても困る世の中じゃない。……そういう世界を保つのもオレ達の仕事だ」

 戦闘に特化した魔法師も存在はするが、だからといって街中で争いが起きているのでもない。どんな国であっても戦の備えは必要だし、遠い辺境の森には魔獣も出ると噂に聞く。国を護る力を放棄して平和を得られるとは限らない。魔法が戦争に使われていた時代を知るシエラは黙すしかなかった。

「せっかく素質はあるんだ、もっと寄り道しながらのびのびやって欲しいんだがな。考えが古臭いというか……まだ若いんだから焦ることもねえだろうに」

 ラダンは頓着なく手の泥を服で軽く拭い、水の入った桶を持ってくる。ちゃぷんと跳ねた水を見て、そういえば訊ねてみたかったことを思い出す。

「ラダン様もリリィちゃんみたいな魔法って使われるんですか?」

「リリィちゃん?」

「彼が使っている水の魔法です。霧でできたような犬を呼ぶことがあるので、他の魔法師様は違う動物を連れているのかなって」

 動物に嫌われるから、もしリリィ以外でも機会があるなら触れてみたいと思っていたのだ。野良猫にすら避けられるので魔法に頼るしか道はない。

 少し思案していた魔法師はすぐに手を打ち声を上げた。

「ああ、あれか! いやいや嬢ちゃん、あの魔法はあんまり有名なやつじゃないんだ」

「そうなんですか?」

「と、いうか。あれを考えついたのは坊主だ」

「……え?!」

 持っていたトマトを思わず取り落としそうになる。

「ま、魔法を? 新しく作ったんですか?」

「おう。ちょうど最近、論文を書かせたとこだよ。やけに渋ってたがな」

 どれだけシエラを驚かせれば済むのだ、あの男は。魔法を新しく生み出すなど聞いたことがない。恐らく専門が研究なのだから《白の鷲》所属ならばさほど珍しい話ではないだろうが、これほど身近で大きな出来事があったと知っては興奮を禁じ得ない。

「扱うにはかなり高度な技術が必要だが、既存の魔法の組み合わせだから理屈自体はそう難しいもんじゃねえ。俺らにゃあんな発想はなかったが……初めて見た時は驚いた。坊主にしちゃ可愛い使い方すると思ったよ」

「た、確かに……」

「あいつはあの魔法を当然だと思ってたみてえだが。オレが偶然見かけなきゃ、世に出ることもなかったかもしれねえな」

 リリィは本当に世界で初めてあの魔法で生み出された獣だったのだ。意思があるかのような動きをしていたがどんな仕組みなのだろう。本人に聞いたら教えてくれるだろうか。

「論文自体の出来は酷かったけどよ。ま、慣れねえとあんなもんだろう」

 白い歯を見せた大魔法師は弟子の成したことを心から喜んでいるように見える。シエラはあの青年が目の前の師に出会えた運命に感謝した。


 しばらく作業を続けてみればすっかり相当の重さになってしまって、満杯の木箱はシエラ一人で運ぶのは難しそうだった。来る時は乗合馬車を町で降りてからここまで歩いて来たが、帰りはラダンの言う通り手伝いを頼まなければならないかもしれない。

「あいつも鍛えてるし魔法の補助もある」

 彼等は師弟揃って身体強化の魔法を常用しているのだ。

「たまに組み手をするが体術の筋も良いよなあ」

「お二人ともなんというか、想像もつかない……あ、いえ、失礼かとは思うんですけど……!」

 大魔法師相手に素直な感想を漏らしてしまい慌てる。こうして気安く会話できる立場でもないのに、つい緊張が緩んでいた。

「気にすんな、ありがとよ」

 太い腕で軽々と桶を持ち上げ、中の水を庭先に撒く。魔法師は始終、シエラの服を汚さないように気を遣ってくれていた。洗濯してくれるローズに手間をかけさせなくて済むのは幸いだ。

「あいつにゃ知る限りの強化魔法を教えたんだがな、この程度では話にならないと落胆されたぜ」

「それは……」

 熟練した魔法師といえど同情する。悪魔の身体能力とは恐らく比較すべくもない。

 きっと知らないところで絆はあるのだろうが、アーレインの言い方は遠慮がないから端でやり取りを見聞きする度ひやひやする。もっと取り繕うなりすればいいのにと。本来なら大魔法師から直々に教わるだけで畏れ多いことだ。それに彼は、悪魔であったことを隠したいはずなのに。

「あっという間に上級魔法まで習得しやがって。一つ扱うだけで難題だってのに、この程度ときたもんだ。末恐ろしい奴だよ」

「……」

「嬢ちゃんの言う通りなんだよな」

 静かに呟く様子は先までとは異なっていて。

「自分で言うのもなんだが、どの魔法もただの若造が容易く身に付けられるもんじゃない……」

 確認をするように。自らに言い聞かせる風だが、しっかりとシエラにも届くよう意図していることがわかる。知らず立ち尽くして唾を飲み込む。

「生まれも育ちも分かりゃしねえが、浮浪者にしちゃ所作や身なりが綺麗すぎたんだ。それでいてまるで人間社会に不慣れときた」

 親や教師に叱られる時ですらここまでの緊迫感はなかった。逃げられない、と思う。

 ラダンの視線がシエラを捉える。

「嬢ちゃん。あいつは『何者だ?』」

 明確な恐怖はない、害意も感じない。ただ空気が重さを持ってのし掛かってくるかのようだった。

「――っと、そんなこと知るかって感じだよなあ」

 動けずにいると、ふと圧力が緩む。別人のように笑う大魔法師の姿にシエラは心底安堵した。彼ら魔法師の前ではちっぽけな少女など恐らく無力どころではないから。

「詳しいことはわからんが。何だかんだ、思い入れがあるみてえだからさ」

「えっ」

「顔合わせの時から呼び捨てしてたろ」

 含み笑いに思わず赤面する。言われてみると肩書きを考えれば魔法師相手に軽率だった。癖でついやってしまった。

「あの、ラダン様」

 両の拳を無意識に握り締める。大魔法師とて得体の知れないものへの恐怖心はあるに違いない。アーレインの側だって悪魔の常識が通用せず戸惑うこともあれば、変わってしまった己に絶望だってするだろう。彼も確固たる自信のままに進むことができるはずがないのだ。その世界に色をつけるのは周囲の人間との関わりに違いない――そうであれと願うのは余計なお世話かもしれないが。

「彼を生かしてくださって、ありがとうございました」

 頭を下げるシエラの言葉にラダンは優しく微笑んだ。

「あいつ、珍しく髪を切らないんだ」

 煩わしいと言っていたのに。彼の気持ちを感じて嬉しくなる。

「きっと坊主の側も嬢ちゃんに救われてるよ」


 帰り際、大量の野菜についてアーレインに相談してみれば、通りに出て荷馬車を呼びつければいいとにべもない。まともに顔を見るのは落ち着かないと容易に想像できたから、シエラも結局その意見に従い帰宅の途についたのだった。

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