第21話:書斎
ラダンは変わり者の大魔法師として有名だった。王家とも繋がりある立場にもかかわらず、性に合っているからと、片田舎の更に町外れに質素な小屋を建てて暮らしている。といっても遠巻きに見られていた訳ではなく、むしろ地域住民達との距離の近さにおいても他の魔法師とは随分と異なっていた。
最近ではそこに住人がひとり増えたことで、庭……もとい畑の面積も少しだけ広くなったとか。
「すごいわ……本当にたくさんのお野菜を育ててらっしゃるんですね」
シエラが感嘆の声を上げたのも無理はない。広々とした土地に植えられた多くの作物は、およそ家庭菜園と呼べるような量や種類ではなかった。足元に気を付けながら、丸々と育った野菜を覗き込む。
「魔法の助けもあるけどな。幾つか持ってくか?」
「良いんですか? 魔法で育てたお野菜だなんて、どんな味がするのか気になります」
「たまに町にも出してんだ。味は悪くねぇと思うぜ」
豪快に笑う姿は完全に農夫や漁師のそれだ。思わず本業を疑いたくなる。ましてや専門は農業用の魔法でもなかったはずだが。
何故だかあっという間にまた実現してしまったラダンの家への訪問。今日の午前なら、と大魔法師は快く日程を決めてくれた。町に野菜を卸すようなこともしていると聞けば、関わり方としてもそう特別扱いでないとわかってほっとする。本当はレビも一緒に来られれば良かったのだが、修道院の大事な用事と被ってしまったそうだ。
「あの子が興味のありそうな本、もし良かったらですけど、何冊かお借りしても大丈夫でしょうか?」
「もちろん構わんさ。本なんてのは読んでもらってこそ価値があるからな……とか言うと装丁屋に叱られるか」
入口を潜ってみると、家の中もまた質素な造りをしている。とはいえ家具に施された艶消しの塗装は温もりがあるし、物は多くなくともあまり寂しい印象はない。大きな暖炉もあるがさすがにまだ火は炊かれていなかった。ラダンは部屋の奥へと声を投げる。
「坊主、嬢ちゃんが来たぞ。案内してくれ」
今更ながら居住空間に足を踏み入れた事実に緊張してきた。いくら旅路を共にしたとはいえ、悪魔だった頃の彼には生活感というものがまるでなかったから。彼は如何なる時も何に動じることなく粗相もなく、そして当時から頭の回転が頗る速かった。
「おーい、坊主!」
「……聞こえている。でかい声を出すな」
なかなか出てこないことに業を煮やし声量を上げれば、不機嫌そうな青年がようやく姿を現した。常より簡素ではあるがきちんと人前に出る身なりで、髪も結んで。しかしその髪が一部湿っているようなところを見れば、今しがた顔を洗ったばかりなのだろうか。驚いているとラダンが悪戯っぽく耳打ちしてくる。
「案外、こいつにも苦手なもんがあるってこったな」
「大体は魔法の属性毎に並んでいる。この一画は基礎を網羅した事典類だから、読み物としては分かり易いだろう」
階段を上がり、アーレインが案内してくれたのは書斎を兼ねた書庫とでも言うべき空間だった。図書館には及ばないにしても多数の本棚が整列している様は圧巻だ。部屋の真ん中には広い机と椅子が複数あるから、もしかすると魔法師達の議論の場に使われることもあるのかもしれない。
「この辺りの本は古い言葉で書かれている。……昔の知識がまだあれば読めるかもしれないが」
「ええ、そうねその……あまり自信はないかも?」
「まあ読めたところで、ヒトの身には余る魔法が多い」
読んだのか、どころか、使えるのかと聞きたかったが止めておく。答えを聞けば余計に遠くに感じてしまうから。シエラの内心などに気付くはずもなく、最後に彼は硝子の戸がついた棚を示した。
「ここの本を出したい時は一声かけてくれ。素手で扱わない方が良い」
「随分と古い本ね。わかったわ」
「これで一通りか。あとは好きにしろ」
頷いたのを確認すると、アーレインはその辺の適当な椅子に腰掛け、腕を組んで目を閉じてしまった。
……美しい青年だ、本当に。祭りでの出来事を思い出して体が熱くなる。贈ったリボンで髪を束ねてはいるものの、気を遣ってか今日は襟の首後ろを立てていた。悪魔だった頃はいつ寝ているのかというくらい隙がなかったが。そういえばとってくれる宿屋は毎回ひとり部屋だったし、眠る姿を見たことがない。少女に寝床を譲ったかと思えば夜はふとどこかへ居なくなり、朝になるといつの間にか戻ってきていた。
「……アーレイン?」
小声で呼び掛けるとうっすらと片目を開ける。
「どうかしたか」
「いえ、もし疲れているのなら早めに帰った方が良いかと思って……」
さっきのことを思い出したのか、彼は眉間に皺を寄せた。
「考え事をしていただけだ。気の済むまで居て構わない」
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えるわ」
本棚の間をゆっくり歩き回っては題名をざっと眺める。言う通り、律儀に関連書籍が順に並べられているようだ。
「魔法にも流行り廃りがあるのね……」
「時代によって重宝される技術は異なる」
思いの外に独り言への返答があったから、会話を投げ掛けてもいいと判断して振り返る。
「ここの本、みんなラダン様のものなの?」
「らしいな。俺が来た時には既にこの量だ」
「すごい……床が抜けてしまいそうね。レビも来られたら良かったのに」
「あれは今日は居ないのか」
「ええ、修道院の用事があるらしくて」
するとアーレインはおもむろに立ち上がり、部屋の奥から何冊か本を持ってきた。まだ奥があるのかと驚く間もなく、まとめて手渡されたのはどれも状態の良い装飾本。写本師にとっては素晴らしい教科書になるだろう。
「持っていくといい。後で文句を言われても堪らない」
「本当? きっと喜ぶわ」
部屋の中央にある机へ丁寧に置く。アーレインはまたしても元の場所へ戻ってしまったが、シエラ自身も時間をかけて何冊かを選び、椅子の一つに腰を下ろした。どれもこれも題名だけで目移りしてしまうから、もしラダンさえ許してくれればこの先も何度か来たいと思う。




