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第20話:師弟

「坊主?」

 気持ちの良い秋晴れの午後、ラダンは庭先に立ち尽くしている弟子を見かけた。乾燥させていた薪の様子を確認してから戻ってみれば、野菜の収穫を頼んでいたはずの青年が畑の傍で棒立ちになっていたのだ。日向ぼっこなどという暢気なものではなさそうだった。

 宙を見つめたまま少し遅れてわずかに首を傾げるが、決してラダンの声に反応したからではない。

「……ちぇ、またか。久々だな」

 ぼやき、ずかずかと近寄る。アーレインがこうなるのは初めてのことではなく、以前も時々見た光景。それは決まってよく晴れた日で、これまでの経験から単なるサボりと見分けるのも簡単だ……といっても彼は変に真面目で、作業を怠けることなどそうそう無いのだが。

 真っ先に確かめるのは『目』だ。元から珍しい色ではあるが、黄金が義眼でも嵌めたように不可思議な色合いを見せる時。彼の心は此処にはない。意識でも乗っ取られているかのようだと表すれば、きっと見たことがない者達は一笑に付すだろうが。

 相変わらず形容し難い色彩だ、と近くでまじまじと観察して思う。元の金色の上を薄膜のような光沢が覆っているかと思えば、時折そこに紅蓮がちらちらと弾けていく。普段の彼ならばこの至近距離で覗き込んだだけで不快感を示すはずだ。

「おーい生きてるかー?」

「……」

「ったく……起きろ、ぼう、ず!」

 ぱちん。目の前で手を叩くとアーレインは反射的に一歩後退りする。何度か瞬きするうちに瞳は元に戻るが……この時に何故か『必ず』彼の周りの空気が陽炎のようにわずか揺らめくのも、ラダンは一度ならず目撃してきたのだった。

「ぼんやりしてちゃせっかくの美人が台無しだろ」

 言ってはみたが実際のところはただ立っているだけでも絵になる男ではある、悔しいことに。一体何をどうすれば、泥まみれの農作業を経てすらこの美貌を損なわずに済んでいるのか。揶揄にもアーレインはおざなりな返事を寄越すと、染み一つない指先で眉間を軽く揉んだのみ。

「……早かったな」

「このところ晴れてるから世話してやることもないしな。それよりお前、また目が変になってたぞ」

「魔法だ。関係ない」

 魔素を使っていないことなど大魔法師はとうに解っている。アーレインの側もその程度は承知の上だろう。話す気はない……言葉の意味はそれだけだ。どうやら何かを『見て』いるのは確からしい。ラダンには仕組みはさっぱり見当もつかないが。

 千里眼の魔法というのが存在しない訳ではなかった。が、古くから禁術の一つに数えられている。心身の消耗が激しく、特に身体的負荷が大きすぎるためだ。一度の使用で失明の覚悟を持たねばならない程だったと書物にはある。

「こっちだって疑いたかねえんだ、あんまり妙な真似をするもんじゃない。坊主もどういう立場か自覚はあるだろ」

 ただでさえ素性のはっきりしない男だ、悪目立ちも大概にしなければ、いつ他の魔法師の反感を買うか知れたものではない。彼があと少し才能に乏しければ。或いは、他者との交流に慣れてさえいれば。叶わない分岐を即座に打ち消す。出来ることなら、この奇妙な青年が彼自身のままで生きられる場所を与えてやりたいのだ。

「おっと、臍を曲げてくれるなよ? 人間ってのはよくわからんものを恐れる生き物なんだ、神様とかな」

「そんなことは知っている。神だ天使だ悪魔だ何だと馬鹿馬鹿しい。言葉を交わしたこともないくせに」

「罰当たりなこと言うもんじゃないぜ。ま、この辺りは信仰にはわりかし寛大だけどな」

 早く居場所を作らねばと魔法師の面々へ紹介して回ったのは、今思えばやや性急だったのかもしれない。裏目とは言わないまでも、彼は思った以上に才能があり、そして人間社会について達観し過ぎていた。ラダンが自己評価を低く見積もっていたのも原因の一つではあるのだが。有能な弟子が出来たことに多少浮かれていたのは認めざるを得ない。

 のらりくらりと門前払いを繰り返してきた大魔法師ラダンがとうとう弟子をとったのだ。必然それは注目される。だが蓋を開けてみれば当人は素性のよくわからない男で、公認魔法師であることを疑う者まで出てくる始末。そして青年は全ての言葉をただ受け入れ、何ひとつ否定も反論もしなかった。逆に親愛を示してくる相手に対しても、川を流れる木の葉が相手かのように、顛末をぼんやり眺めるだけで感情を表すことがほとんどない。いや――『なかった』。

「安心しろ。俺にはこの国に対して恨みを抱くほどの思い入れもない」

 皮肉を口にする表情は相変わらず冷めていたが。

「そりゃ例えば、オレが殺されても?」

「……お前は易々とはくたばらないだろう」

 唇を歪める。言葉にはしないが卑怯を非難する色を表す。少しずつではあるが彼は変わってきていた。この家に来た当時は視線だけでラダンを射貫かんとする鋭利さすら纏っていたが、最近ではそのどこか野性的だった威圧感もめっきり鳴りを潜めている。

「それとも謀反でも企てているのか、ジジイ?」

「馬鹿言え、こんッな平和主義者を捕まえて」

 鼻で笑われる。出会った頃の態度も已む無しだったのだろう、とラダンは勝手に考えている。何度か見た青年の体には痛々しい傷痕が多数残っていた。当人は「お前が考えているような理由ではない」などと口にしていたが、過酷な環境で生きてきたであろうことは察せられる。少なくとも今のように畑を耕したり、雨音に耳を傾けながら読書したりと、そんな余裕があったかは疑わしい。あまり……他人に言えないような役目に就いていたのかもしれない。

 まあ、誰にでも周囲に明かせない事情の一つや二つはある。国の要職に在るラダンとて例外ではない。時代が違えば価値観も変わるものだ。

「さぁて、ひもじい思いをしたくなきゃ働くこったな」

 収穫作業のためにと屈んだラダンに従う気配があった。割りと素直な面は年相応というか憎めない。

 何も持たないと言っていた青年が縁を結んでいく。これだけの才能を持つ魔法師が敵にまわらなくて良かったと心底思う。彼は色々な縁を結び、己で善悪を判断し、そしていつかの未来にひょっとするとこの国を厭うかもしれない。その時、結んだ縁はきっと『枷』となってくれるだろう。国を滅ぼしかねない魔法師を手元に置くことが単なる愛情だと、大魔法師には未だ呵責なく言い切ることはできなかった。

 そういえば先の奇妙な『目』、今日に至るまでぱったりと見なくなったのはあの少女と出会った時期から。

「シエラちゃんとは最近どうだ?」

 癖か、彼はしばしば片耳に軽く触れる。そこを彩る耳飾りは金属でありながら本物の羽根のような精巧さで、装飾品に大して興味のないラダンでも安くはないものだろうと予想できた。わずかに泳いだ目は今は澄んだ金色をしている。

「……家にある本の話をしたら、見てみたいと言っていた」

「お、それなら招待したらどうだ? 書斎を見せてやったら良い」

「ジジイが構わないなら拒む理由はない。ここはお前の家だ」

「だがお前さんの家でもある」

 青年は何も言わず作業を再開する。皮肉も否定も返さず黙々と手を動かす背は、こうして魔法も使わなければやや華奢にすら見える……あくまでもラダン基準で、ではあるが。

「よし、こいつが終わったら鍛練の時間だ」

 師の思い付きに振り返った顔はうんざりした様子を隠そうともせず。

「……どっちの」

「こっちだ。坊主の場合は魔法を俺が見てやる必要もそうないだろう?」

 力こぶをつくって見せる。魔法を使う基本は健全な肉体だというのがラダンの持論。身体強化魔法で負荷をかけ続けた体は、見た目も中身もそこらの筋肉自慢には負けない自信がある。おかげで最近また少し服がきつくなってきたのが悩みだ。魔法でどうにかできればいいのにと結構本気で思っている。

「王都に行けばいくらでも相手がいるだろうが」

「何度も軍の訓練に邪魔する訳にもいかないんだよ」

「ふん、お前こそ《緑の……なんだ?」

「《緑の雄牛》な」

「そうだ、そこに所属すれば良かっただろ。毎日鍛練し放題だったろうに」

「いやいや、人を筋肉馬鹿みたいに言うんじゃねえよ。ほら、一応は《白の鷲》の大魔法師様だし」

「よく言う」

 呆れたように漏らしたアーレインが見た先、植えられているのは巨大なナスの株。魔法で成長を促進され、もはや木と言っても過言ではないのだが、その太い茎の支えとなっているのはやたらと豪奢な『杖』。何の冗談か、大魔法師にだけ与えられた特別なもの。

「あんなことをして。また嫌味を言われるぞ」

「坊主以外で俺にそんな口を利くやつはいねえさ」

 祝典や儀式でしか用いないからというのはわかるが、だからと言って支柱代わりに使うのは非常識に決まっている。たまに他の魔法師がここを訪れることがあるのだが、気付いた誰もが例外なく悲鳴をあげたし、それからは説教が始まるか、人によっては卒倒するのを弟子は何度も目撃していた。

「それにほら、こういう広いところで一緒に暴れてくれるのも坊主しかいねえんだ。な、頼むよ」

 手を合わせ拝む。実際、出自が謎めいた青年は体術の筋も非常に良かった。加減しているとはいえラダンにきちんと追い付いてくる辺り、身体の使い方だけでなく動体視力が並外れているに違いない。傷痕に加えその動きで一層にアーレインの過去に確信を深めた訳だが。何せ武術家のものではない、演舞用の型でもない。圧倒的に実戦向きの動きをするのだ、この魔法師は。相手がラダンでなければ、即座に急所を突かれ一発で意識を飛ばすだろう。命の駆け引きをしたいわけではないと一応言い含めはしても、体に染み付いた動きはそう簡単には変えられないらしい。『致命傷を与えない術』から教えなければならないとは誰が予想できたか。

「な?」

「くそ……一度だけだからな」

 渋々といった様子で言い捨てる。何度目かわからない『一度』の言葉にラダンは思わず笑いを堪える。過去がどうであれ、悪い人間ではないことはとっくにわかっていた。

 もし……息子が居たならこんな感じだったろうかと想像をすることがある。今となっては叶わない望みだが。ラダンが共に家庭を望んだ相手はもうこの世に居ない。気侭な一人暮らしを好んでいたのは己の心を守るためでもあったが、彼が転がり込んできたことに謝意がない訳ではなかった。だからこそ幸福を掴んで欲しいと願う。どうにもこの若者は、内に育ちつつある愛情から目を背けようとしているから。

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